“雨あがる”
目を覚ました六郎太としおりを満天の星空が出迎えた。夢うつつの目を動かすと、こちらに駆け寄ってくる永子が見えた。
彼女は上体を起こそうとする六郎太の額に自分の額をそっと当てた。
「よかった……本当によかった」
「よーこちゃん……今日は俺、何人殺した」
永子はしおりと鈎を一瞥し、それから被害者を寝かせている保健室をちらりとした。
「0人よ。よくやったわ」
「相変わらず、よーこちゃんは嘘が上手いぜ――。ひとり、助けられなかったよ……」
そう言って、六郎太は泣き疲れた子供のように気を失った。
その様子を傍から見ていた鈎とゴブリンがやれやれと頭を振る。
「結局、一番まんじを心配してるのあんたやないか」
「ギギギ旦那の方モ駄々をこねる子供みたいだナ」
一者一妖は肩を竦めると、ぼんやりと空を眺めているしおりへ駆け寄った。
次に六郎太が目を覚ましたのは自室のベッドだった。見慣れた天井が目に入る。運動場で目覚めて、そこからの記憶がない。ずっと寝ていたのか――
そう考えていると、ふと首から下に違和感を覚えた。手足が動かない。どうにか身をよじり掛け布団をどかす。すると顔以外が包帯でぐるぐる巻きになっていた。まるで蓑虫だ――こんなわけのわからないことをするのは……。
「あら、おはよう。起きたのね」
「『おはよう』じゃねえ! これ、ぜってえよーこちゃんの仕業だろ!」
部屋に入ってきた永子へ六郎太は怒鳴った。しかし彼女は目をぱちくりさせ「もちろん」と一言。続けて「傷の手当てに決まってるじゃないの」と付け加える。
「ざけんな……ミイラでも作る気かよ! はやく解けって!」
「はぁ、心外だわ……可愛い我が子のために完璧な治療をと思ってやったことなのに」
わざとらしく項垂れる永子。六郎太はそれをキッと睨む。
永子は渋々包帯を解いた。
着替えを終えた六郎太がまったくと鼻から息を吐いてベッドに腰をおろす。
「そう怒らない。ストレスで禿げるわよ」
「よーこちゃんのせいだろ」
「めんごめんご。で、どこまで覚えてる?」
唐突に真剣な面持になる彼女を前に六郎太も真顔になる。
「正直、あんま覚えてねえよ。はっきりしてるのは油取り相手に鬼になったとこまでだ。そのあとは、ぼんやりとだけど古めかしい家に山神と知らない女がいて……関口もいた気がする」
「精神世界での記憶ね。しおりちゃんの話とも合致する。それを確認できればOKよ。業事は完了」
「完了か……助け出した生徒は?」
「三人とも無事。しおりちゃんも関西弁もゴブリン君もね」
「そうか……」
六郎太は内心で改めて唱えた。関口努を助けられなかった、と。
「しおりちゃん達から事情は聞いたわ。正直状況と合わせて考えるとどうしようもない。君は神じゃない」
「神を殺せる力があるのにか? 何の為の力だ? なんで俺にはこんな力が宿ってる」
永子は何も言わなかった。過去にもこの問答はしたことがある。答えなんて誰にもわからない。それはお互いによく分かっている。
「悪かった。よーこちゃんに当たっても仕方ねえよな」
「いえ。そういう感情の吐露は君が人間である証拠だもの」
六郎太がぼんやりと頷く。それを認めて永子がパンッと手を合わせた。
「さ、それじゃあどうする?」
「どうって、なにが?」
「今後のことよ。言っとくけど君は一週間も寝てたのよ」
「まじ? じゃあ山神達は」
「当然もう普通に学校へ通ってるわ。(しおりちゃんは三日ほど寝込んでたけど。)で、六郎君はどうする?」
「どうもこうも次の業事をこなすだけだろ。なにも変わんねえよ」
「行者としては当然そう。でも卍六郎太としてはどうしたいの」
「なにが言いたいんだよ」 六郎太が眉を顰める。
「素直じゃないわね。学校、通いたいんでしょ?」
「馬鹿言うなよ。あんなくだらねえとこ……」
「そう。もう一度訊くわ。これからも学校に通いたい?」
「それは……無理だろ。会が許すはずがない。これ以上よーこちゃんに迷惑はかけられない」
「はぁ……たまには甘えなさいよ」
永子は六郎太の額を指で突いた。
「さあ、これが最後よ。学校に通いたい?」
後日、六郎太は王摩高校の校門前に立っていた。これからも学校に通っていい許可が出たのだ。ただし、条件があった。それは短ラン、ボンタンを着けること。しかも今回は学ランの内側にド派手な鬼の刺繍が入っている。
「よーこちゃんの趣味がわからん。まじで……」
「まんじ君!」
後から、しおりが声を掛けてきた。
「よう山神。身体はもう大丈夫か?」
「まんじ君こそ、大丈夫?」
「ああ、どうってことねえよ。それより、今後も学校に通うことになったから、よろしく頼むわ」
「ギギそれは毬倉の姐さんカラ聞いて知ってるゾ」
彼女の肩からゴブリンが顔を覗かせる。周りには他の生徒も歩いている。当然、妖精は幽体化をしていた。
「おいまんじ、なに悠長に校門の前で茶しばいとんねん。校則は守らんかい」
そう背後から聞こえて振り向くと、鈎がガムを噛みながら立っていた。
「あ、鈎君おはよう。いつも早いのに珍しいね」
「はい、しおりちゃんおはよう。なんかたまたま寝坊してもうて、困ったもんやで」
「旦那に会いたくてに決まってル」 ゴブリンがしおりに耳打ちすると「なんや緑」と、鈎の目がゴブリンを向く。
「ギギなんでもなイ」
「よーし、ほんなら今日も一日勉学に励むで!」
鈎はずかずかと校門を抜けて歩いて行く。
六郎太はその後姿を訝し気に見て言った。
「あいつって明るいよな」
「ふふ、またまんじ君に会えて嬉しいんだよ」
「は? なんだそれ気持ち悪りぃ……てか、ガム噛んでんのは校則違反じゃないのか?」
しおりは困った顔になった。
三限目の授業が終わり休み時間。六郎太はしおりの席の隣の机の上に座っていた。その視線の先には野口達いじめっ子四人組がいる。彼等は六郎太の席の一つ前の席に座る中村をイジメていた。
「あいつら、やっぱ変わんねえな」
「ホンマに、クズはクズやのう。教室で堂々とやるとか前より酷なっとるんやないか」
六郎太が顔だけを後へ向ける。
「鈎、おまえ何で毎時間こっちのクラスにくるんだよ」
「ええやろ別に。向こう暇やねん。それよりあいつら全然反省してないんやな」
当然だ。攫われていた生徒達に向こうでの記憶はない。野口の記憶も会が改竄している。
「止めなきゃ」と、しおりが席を立つ。
「ほんなら、わい等が行こうか?」
「等、って俺も入ってんのか?」
「当たり前や」
しかし、彼女は首を横に振り「私がやる」と硬い声で言った。
記憶は曖昧だが精神世界で交わした約束だけはハッキリと覚えている。そう、関口努との約束――「私が、行かなきゃ」
彼女はそう言って何かに突き動かされるみたく野口達の元へ歩いていく。男子が四人。それも友好的ではないのは分かり切っている。彼等が怖い。それ以上に自分の行動を目にした時の周りの反応が怖い。
野口達の側まで来てしおりは固まった。言葉が出てこない。喉から顎にかけてが鉛のように重く感じる。腹にも力が入らない。膝も震える。怖い――
『大丈夫だよ』
そう、後ろから聞こえた瞬間、彼女は何かに背中を押された。思わず振り返ると六郎太達が不思議そうにこちらを見ていた。
「なんだよ病ガミ」
野口がわざとらしくドスを効かせて言ってきた。
「ギ俺がやるカ?」
向き直ったしおりの耳元でゴブリンが囁く。
しおりは小さく首を横に振った。
「大丈夫、自分でやれるから」
「はあ? なにごちゃごちゃ言ってんだ。女でも容赦しねえぞ!」
野口の手がセーラー服の襟に伸びた。その瞬間――パンッ! と、しおりの平手が野口の頬を叩いた。
「いいかげんにして。こんなことばかり。……中村君があなた達になにをしたっていうの」
野口の顔はリンゴのように真っ赤になっていた。
「……先に手だしたのはお前だぞ、もう女でも関係ねえわ!」
怒声と共に拳を振り上げる野口。すると、横からそれを止める人物がいた。伊藤だった。
「おい、もう止めとこう。女を殴るのは流石にまずい」
「あ? なにビビってんだよ。女って言っても病ガミだぜ? 関係ねえよ」
「病、ガミ……?」
伊藤の視線が訝しむようにしおりを向いた。
「なんだよ、お前まさか病ガミに惚れてんのか」
「はあ? そうじゃねえよ。ただ、何か違和感が……」
「んだよそれ。だいたい殴ったのは向こうが先じゃねえか。やり返してなにが悪いんだよ」
「それでも、女だぞ……」
伊藤がなんとも言えない表情になった。
見かねてしおりが言った。
「いいよ、殴っても。そのかわりもう誰もイジメないって約束して」
これに「おもしれえじゃん」と、にやつく野口だったが、向けられた目を見た瞬間、彼は思わず一歩後退った。その瞳には一切の淀みがない。これから殴られようというのに怯えた様子もなく、なんなら穏やかにすら見えた。
それまで見て見ぬふりをしてざわついてた生徒達も静まり返り、事の顛末を見守っている。イジメられていた中村ですら床に項垂れるかたちでしおりと野口のやり取りに釘付けになっていた。
ぎりぎりと奥歯を噛む野口。すると、どこからともなく「もうやめなよ」と、女子生徒の声が上がった。周りにいる生徒のうちの誰かが言ったのは間違いない。そして、教室内ではそれに続けと言わんばかりにしおりに賛同する声が上がっていく。
「女の子を殴ろうとするなんて最低」「中村君と山神さんに謝りなよ」「お前ら調子に乗りすぎだって」「暴力はんたーい」
形勢はあっという間に逆転した。
野口達はばつの悪そうな顔を右往左往させ教室を出て行く。伊藤だけは去り際に中村の眼鏡を拾い、小さな声で「ごめん」と言い残していった。
プレッシャーから解放されたしおりが、糸の切れたみたいにその場にへたり込んだ。同時に、周りの生徒達がドッと彼女の元へ押し寄せる。
「山神さん凄い」「勇気あるね」「ヒーローじゃん」「カッコよかった」
生徒達は口々にしおりを讃えた。
「なんや、わいらの出番なかったのう」
「はん、調子のいい奴等だぜ」
遠巻きに見ていた六郎太と鈎が嬉しそうにぼやく。幽体のゴブリンがこちらに向かって親指を立てていた。
「なんにしても、これでしおりちゃんは一気に人気者やな」
「だな」
六郎太は周りから好意を寄せられているしおりを見て思った。彼女のような人間こそ力を持つべきだと。山神しおりならその使い方を間違えることはないだろう。
昼。
しおりは昼食に六郎太を誘おうと教室内をきょろきょろの見まわしていた。
「ゴブちゃん、まんじ君は……さっきまでいたよね?」
「ギギ旦那は――屋上にいるみたいだ」
幽体化したゴブリンとの念話。もう慣れたものだ。しおりが「屋上?」と呟き窓を向く。雨が降っている。天気予報では晴れの予定だったのに。これでもかというほど土砂降りだ。
「なんで屋上なんかに――」
彼女は一緒にご飯を食べようと誘ってくる生徒達にも目もくれず屋上へ向かった。
屋上に出ると、広場の中央で大粒の雨音に打たれる六郎太が佇んでいた。
その横に着いたしおりは持ってきた傘で雨粒から彼を庇った。
「山神……ゴブの奴か」
「まんじ君の霊気を辿ってもらったの。それより濡れちゃうよ?」
「とっくにずぶ濡れだぜ」
「風邪ひいちゃうから中に戻ろう?」
六郎太はその言葉を聞いてしおりを一瞥した。「問題ねえよ」 制服からアイロンをかけた時のように水蒸気が上がる。
「そっか、まんじ君の“力”なら雨なんてへっちゃらだもんね」
「ああ、だから山神は中に戻れよ。飯食う時間なくなっちまうぞ」
「まんじ君が戻るなら戻る。ここに居るなら私も居る」
「相変わらず引かねえな。さっきの休み時間もそうだったけどよ」
「うん。でもあれは無我夢中で、正直あんまりよく覚えてない。でも、関口君が背中をおしてくれた気がした」
「関口……。悪かったな、助けてやれなくて」
「え、ううん――そんなつもりじゃ……」
六郎太が再度しおりを一瞥する。
「正直、いつもそうさ。本当に助けてやりたい奴は助けてやれない……いつだって」
「そんな、まんじ君がいたから私も鈎君もゴブちゃんも、野口君達だって」
「いや、関口を殺したのは俺だよ。行者によってはもしかしたらあいつから油取りを分離できたかもしれない。俺の力はただ相手を殺すだけだ。俺はそうやって何人も……」
「そんなことない。まんじ君に助けられた命もあるんだから」
「……助けた? 結果、助かっただけだ。油取りの世界で、お前は赤鬼の炎をみたんだろ? あの力が人を助ける? 俺は、お前達のことを殺しかけただけだ。本当は俺なんて生きていちゃいけない。でも、赤鬼のせいで死ぬことも出来ない」
「死ぬなんて言わないで」
そう言って、しおりは傘を投げ捨てた。
「……濡れちまうって。さっさと中に戻れよ」
「言ったでしょ。まんじ君が戻るまで戻らない。それにまんじ君のことも死なせない」
「は? 死なねえよ。てか、死ねねえし――いいから戻れよ」
しかし、しおりは断固として首を横に振る。
「私、ゴブちゃんを助けたくて、自分を変えたくて行者になるって決めた。けど、いまもう一つ目標が出来た」
「目標? 人助けか」
「うん、そう。まんじ君を助ける」
「俺? 俺は別に助けなんていらねえよ」
「いるよ」と、しおりが六郎太を向く。
「私が、まんじ君のなかの鬼を、いつか必ず倒してみせる」
六郎太は思わず眉を寄せ、それから声上げて笑った。でも、彼女の目は本気だった。いつだってこういう時の山神しおりは「やる」と言ったことを実現してきた。だからなのか妙な説得力があった。
「ったく、いかれてるぜ……マジでよ」
これにしおりはにこっと笑った。
「褒め言葉として受け取っとくね」
六郎太はやれやれと頭を振る。気付けば雨もあがっていた。灰色だった空が嘘のように真っ青に変わっている。
カンカン照りの太陽が屋上からの一望を照らすと、しおりが「わあ」と宝石でも見るみたいに目を輝かせた。
六郎太はそんな彼女の横顔を改めて見つめた。
赤鬼を倒す――マジでいかれてる。でも……悪くねえ。お前も、こいつのそんなところが気に入ってたのか?
六郎太は空を見上げて、そう語り掛けた。




