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魔性転生  作者: 邪
第一幕 ―神隠し―
22/32

“想い人”

 一同は校庭に移動していた。

「と、いうわけだから」

 永子から一通りの説明を受け終え、しおりが頷く。手順通り、六郎太に触れて目を瞑る。

 その様子を鈎と永子は少し離れたところから見守っていた。

「ほんまに上手くいくと思うか?」

「さあ」

 永子はちらりと鈎を向き、他人事のように言った。

「冷たいのう。でも、あんたが推奨するんやから勝算はあるんやろ」

「わたしって結構信用されてるのね。それよりあなたは? しおりちゃんを止めなくてもいいの」

「何を今さら。わいはあの子を信じとる」

「信じる? 六郎君を殺そうとしてたあなたが? えらく希望的ね」

「希望、か」

 鈎の視線がしおりの後姿を向く。

 その表情を見て永子は眉を寄せた。

「君のほうこそ勝算ありって顔してるわよ。向こうで何かあったのかしら」

「まあ……気のせいかもしれんけど一応な」

「あらあら面白そうじゃないの聞かせてよ」

 鈎はちらりと永子を見て気だるそうに首を鳴らした。

「……なんもおもろくなんてないわ。あの時、まんじの……赤鬼の炎で油取りの世界が焼き尽されていくさなか、わいとゴブの張った結界はほぼほぼ崩壊してた」

「ふーん、わたしはてっきりあなたが炎を凌いだのかと」

「アホ言え。本来ならみんな消し炭になっとるわ。けど……わいも殆ど意識が無かったから朧気やけど、あん時たしかに何かが起こった」

 何か? と、永子が首を傾げる。

「光が見えた気がした。それが炎からわい等を守った」

「へえ、しおりちゃんがやったって思うの?」

「というより消去法や。わいとゴブにそんな力はない。あとあの場におったのは被害者のぼんくら共と、しおりちゃんだけや」

 なるほど、と永子が口元に手を当てる。

「なんや、心当たりでもあるんか?」

「いえ、」

「嘘つけ、あるってツラしとるやんけ」

「あれ、バレた? まあ、赤鬼の覚醒具合にもよるでしょうけど、彼女の霊気を全開放すれば万に一つ――いやでも、話の流れ的にあの子のを開けられるゴブリン君はダウンしていたはず……」

 そうやってぶつぶつと口の中で呟く白衣を見て、鈎は眉を顰めた。

「なんにしても、今はしおりちゃんを信じるしかない」


 一方しおりは、思いのほか手こずっていた。

 六郎太の精神世界に入るためにはまず気を落ち着けなければならない。精神が安定していなければゴブリンが上手く目的の場所へ精神体を飛ばせないからだ。

 だからとにかく落ち着け――

 と、言われてもこんな状況でどうやって……。

「ギギ、お前が安心できるものはなんダ? それを思い浮かべてみロ」

 そう、肩に乗る相棒に言われ彼女は思い返した。安心できるものはなにか、を。家族、ゴブリン、卍六郎太――

 彼の隣にいる時は安心できた。守られていると思えた。だから、今度は自分が必ず助ける。

「ギギよし、いいぞ安定していル。深呼吸ダ」

 しおりは言われるがまま大きく息を吸い、吐くころには意識は闇に沈んでいた。ハッとして目を開くと、辺り一面が火の海だった。上も下も横も地平線の彼方まで終わりなく炎が続いている。

「ギギ、聞こえるかしおり」

「ゴブちゃん!?」

 頭の中から声が聞こえて、彼女は思わず宙を仰ぎ見た。

「ギ、オレはそっちには行けなイ。だガ意識は一緒ダ。どうダ? 大丈夫カ?」

「うん、今のところは――」

 事前に永子から聞かされていた通りだった。

 曰く『しおりちゃんの霊気量なら向こうがどんな苛烈な状況だとしても大丈夫。ただこれは短時間の場合に限りね。もしも向こうの影響が衣類や体にでるようなら赤信号よ』

 不思議な感覚だ。火に巻かれていても熱くない。呼吸も普通にできる……いける。

 しおりは炎のなかを進んだ。ただただ前に。前に前に。途中ゴブリンから心配する声が聞こえたが、歩くのに夢中で返事すら忘れていた。

 暑い、汗が止まらなくなってきた。

 彼女は察した。時間がないことを。気付けば袖やスカートの裾に火が燃えうつっている。体はまだ熱くない。でも急がなければ……どっちへ――

 しおりはとにかく前に進んだ。

 空からは滝のように火が降り注ぎ、地面からは火山のように炎が噴き上げる。髪が燃えている。爪が溶けている。火が熱い。限界だ。息もまともに吸えなくなってきた。意識が遠のく。ここで死ぬのか――

 不思議と悔いはない。卍六郎太と出会い、やっと人生が始まった気がした。幸福感で胸がいっぱいだった。それを抱いたまま逝けるのなら……でも、彼はどうだろう。鬼を抱えたままこの先も生きていくのだろうか。どんな思いで……到底想像なんてつかない。

 そうだ、悔いがないなんて嘘だ。ここで彼を助けられなければ悔いしかない。

 しおりは立ち上がり、せめてあと一歩――と足を動かす。

 そして、意識が途切れようとしたその瞬間、ふわっと空気が軽くなった。視界からは炎が消え、澄み切った風が火照った体を芯から冷ました。

 前のめりになった上体を持ち上げると、目の前には緑豊かな大地が広がっていた。やわらかな陽光が小川を照らし、反射した光が万華鏡のように辺りを彩っている。遠くには緑々しい山々が聳え、青空には食べられそうなほど白い雲が浮かんでいた。

 そんな野趣あふれる景色の真ん中には、竪穴式の家屋がひとりぽつんと佇んでいる。

「ここは、いったい――」

 しおりは辺りを見渡しながら家屋まで歩いた。中を覗くと部屋の中央には囲炉裏があり、煤けた鉄びんが火に掛けられている。そして、部屋の奥には六郎太が倒れていた。

「まんじ君!」

 彼女は駆け寄り六郎太の体を揺すった。だが目を覚まさない。口元に手をやると呼吸はしていた。しおりはホッと胸を撫で下ろした。

「これは珍しいお客だな」

 そう、突然後から声が聞こえてしおりは慌てて振り向いた。朱色の豪奢な着物を纏った女性が入口のところに立っている。

 人間離れした美麗な顔立ち。透き通るような白い肌。足元まである漆黒の髪。薄い唇には血の様に赤い紅をひいている。

「あの、あなたは?」

「それはどうでもよい。そうさな……茶でもどうだ?」

 女性は鉄びんから椀に茶をそそいだ。

 それを受け取り、しおりは遠慮がちに一口すする。すると、これまでの疲労が嘘のように消えていった。

 女性はというと囲炉裏の向かいに座り、同じように茶をすすっていた。

「それで、何しにきた若い娘よ」

「え、あ、あの私、まんじ君を助けにきました」

「助け? ああそうか。鬼の力を使った反動で“向こう”でも眠っているのか」

「は、はい。あのもしかしてあなたが……――赤鬼」

 女性の黒瞳がいっそうまん丸くなった。

「まさか。わらわは――そうさな。その子の無意識に残る記憶の欠片とでもいえばいいか」

「記憶の?」

「そうじゃ。ここはその子の無意識じゃからな」

「じゃあ赤鬼はどこに? てっきりまんじ君は鬼と戦っているのかと」

 女性は破顔した。

「まさか。鬼は目覚めてすらおらぬよ。其方がみた鬼の力は眠る鬼から漏れ出たほんの一端にすぎん。もしも鬼が目覚めれば、今のその子では一瞬で妖の側に引っ張られてしまうであろう」

「じゃあ、何故まんじ君は目覚めないんですか?」

「その子は迷っておるのじゃ。このまま自分が向こう側にいていいのか、と。そして今のまま眠り続けていれば、もう誰も鬼の力で脅かさずに済むのではないのかとな」

「そんなっ、まんじ君がいたから私は今生きてる。鈎君も、ゴブちゃんも、神隠しにあった生徒達もみんな」

「ふふ、無垢な娘じゃな其方は。ならばそれを、そこで眠るその子に伝えるがいい。さすれば目を覚ますじゃろう」

 しおりは六郎太の側に行き、女性に言われた通り思いのたけを告げた。あなたはみんなを助けた。あなたの力は、みんなを救ったと。

 すると、六郎太の目が開いた。

 しおりは上体を起こした彼に思わず抱き着いた。

「んだよ――って、山神? なんでお前が……つかここどこだ? お姉さん誰?」

「ふふふ、こんな寝坊助に育つとは。ここは其方の中じゃ」

「なか? まてよ、俺の精神世界か!? つか、山神おまえその恰好――無理しやがって」

 しおりは涙目で頭をふる。

「ごめんなさい。まんじ君を放っては置けなかった」

「なんで謝んだよ。なんつーか、その、ありがとな。助かったぜ」

「ふふふ、ちちくりあっているところ悪いんじゃが」

 女性がそう言うと、突然地面が大きく揺れだした。

 三人が外へ避難すると直後に家屋は崩れた。

 それを見て、六郎太が「ぎりセーフ」と息を吐く。

 しおりもホッと胸を撫でおろす。

「あ、あの、一体何が起こっているんですか?」

 揺れで転びそうになる彼女を支えて、六郎太も女性に向かって訊いた。

「マジでどうなってんだ? てか、そもそも俺の精神世界のはずなのに、まったく見覚えがねえぞここ」

「それはそうじゃ。ここは其方のなのだから。そして、そこで眠っていた其方が目を覚ますということは、無意識が無意識ではなくなるということ。ここは次期に有意識に塗り替えられる」

「塗り替えられる?」 六郎太としおりの声が重なった。

 女性はやれやれと頭を振った。

「無意識が有意識に変わる際、無意識にあるものはすべて一度無に帰すのじゃ」

「つまり、ここにいたら俺ら全員消えてなくなるってことか?」

「まあ、端的にいえばそうじゃな」

 ――チッ、と六郎太が舌を打つ。

「山神、どうやって戻る手はずだ?」

「あ、うん。毬倉先生には強く念じるとだけ。ただ、ここにくるまでは聞こえていたゴブちゃんの声も聞こえないし、念じてみてもうんともすんとも……」

「それはそうじゃ。ここは無意識。その娘のように魂ごと来るのならいざしらず、向こうにいながらここと繋がるは無理じゃろう」

「と、なると――」

 六郎太の目が炎の壁を向く。

 しおりは彼の視線を追った。

 この世界とそれ以外とを分けるように延々と炎の壁が続いている。

「何を考えているのか凡その察しは付く。が、あまりおすすめはできんな。あれは無意識と有意識の狭間の領域じゃ。本人である其方ならいざ知らず、娘の方はもうあの火に耐えられんじゃろう」

「……だな」

 六郎太が苦虫を噛み潰したような顔になる。

 それを見て、しおりが意を決したように言った。

「まんじ君だけでも逃げて」

「はあ!? ありえねえよ」

「でもこのままじゃ二人とも消えてなくなっちゃうよ。私はいいの。ここに来るとき死ぬ覚悟もしてきたから」

「馬鹿言ってんじゃねえ、そんな覚悟なんてするな!」

『――本当にね』

 どこからともなく声がした。

 三人は辺りを見まわし、自分達以外に誰も居ないことを確認する。

 そして、気のせいか? と互いに目を見合わせた、その時だった。

 六郎太が異変に気付いた。 

「山神――お前、右手が光ってるぞ」

 しおりは「え?」と自身の掌を見つめた。言われた通り右手が青白く光っている。

 なにがなんだかわからずにいると、それは激しく点滅をしだし、突如なにかが掌から飛び出した。

 地面に落ちたそれを見て、六郎太が構えをとる。

「てめぇ、生きてやがったのか……油取りっ!」

 そうやって今にも飛びかかりそうな彼とは違い、しおりは唖然としていた。

 目の前に立つ少年の姿は確かに油取りの世界で見た彼で間違いはない。小柄な身体に王摩高校の制服を着け、真面目そうな坊ちゃん刈りをしている。でも、雰囲気が違う。なんというか、見た目通りなのだ。嫌な感じはなく穏やかで、表情の奥に気立ての良さが見てとれる。これは―― 

「まさか……関口君?」

「うん。久しぶりだね、山神さん」

 少年が照れくさそうに笑う。

 六郎太はこれを「ありえない」として睨みつけた。しかし、妖特有の不遜さ傲慢さを露ほども感じなかった。なにより妖気がない。視えるのは霊気のみ。

「……お前、マジで本物の関口か!? いじめられっ子の?」

「いじ――そうだけど、改めて言われると何ともいえない気分になるね」

「でも、なぜ関口君が……油取りの話だと――」

「そう、僕は死んだ。でも、あの時、ただじゃ死ねないって思って必死に抵抗したんだ。そしたら砕けた僕の魂がガラスの破片みたく油取りの魂に突き刺さった。それが残留思念として彼の中に残り、彼が滅びた事で僕の思念は解放された」

 これに六郎太はポカンするしか出来なかった。

 油取りと精神世界で衝突するというのは物質世界で言えば降ってくる巨大隕石を生身で受け止めるようなものだ。それをこの貧弱な少年が一矢報いた――

「お前、初めて殴り返した相手が妖、それも隠し神って」

 六郎太は腹を抱えて笑いそうになった。

「でも、なんで私の手から?」

 しおりが訊ねると、関口はそれを無視して辺りに目をやった。揺れがさらに強くなってきていた。

「もう、あまり時間がない」

「確かにやべえな。早くここから出る手立てを考えねえと」

「僕がなんとかするよ。そのためにここにいる」

「は? 言っちゃ悪いがお前じゃ無理だぜ。多少は霊感があるのかもしれないけどな」

 これに関口は首を横に振った。

「僕じゃなきゃ無理さ」

 六郎太は眉を寄せた。それを見て関口は小さく笑みを浮かべて言った。

「油取りが滅んだ時、僕はわずかながら油取りの力を得ることが出来たんだ」

 六郎太としおりが首を傾げる。

 するとここまで黙っていた女性が不敵な笑みを浮かべて言った。

「童、そなた妖と融合しておったな」

「はい。油取りは僕で、僕は油取り。油取りが滅びたことで魂の支配権が僕に渡ったんです。とはいえ彼は滅びているので、真似事を少しできる程度ですけど」

「なるほどな。何故かはわからねえけど山神の手――いや、精神世界に潜んでいたのは油取りの能力ってわけか。あいつは“結界”で自身の世界を作り出す――物質世界だけじゃなく精神世界でもそれが可能だとは思わなかったぜ」

「いや、精神世界に結界を張るのは僕のオリジナルさ。ではそうするしかなかった。まんじ君、キミが油取りを倒すために“力”を使ったのと同じさ」

「はっ、どの状況か知らねえけど言うじゃねえか。イジメられっ子のくせによ」

「はは、まあね。とにかく、脱出は僕にまかせてほしい」

 そう言って関口が六郎太としおりに手をかざす。すると透明の膜が二人を囲い、それが筒状となって天まで伸びた。

「さあ、“向こう”へ飛ばすよ」

「待って、関口君は戻らないの?」

「うん。ていうか戻れない。僕にはもう向こうで生きるための肉体が無い」

「でも戻ればどうにかなる……ね、そうでしょ……?」

「ダメだよ。戻ったところで僕はいわゆる幽霊。彼の仕事を増やすだけさ」

 関口が六郎太を向く。六郎太は小さく頷いた。

「戻るぞ山神。あー、お姉さんはどうする?」

「其方わかってて訊いておるじゃろ?」

「まあな」

「ふふ、こしゃくな子じゃ。わらわは其方の記憶。そこの童と違い霊体ですらない。ここからは出られぬし出る気もない。それに無意識には必ずわらわがおる。もしかすればまた会うこともあるだろう」

「ふん。誰かわからねえけど目の保養としては最高だな」

「関口君、ごめんね。野口君たちを止められなくて……助けてあげられなくて……」

 関口は笑みを溢すと「違うよ」と言って左手を差し出した。手を避けるように透明の膜に穴が出来る。

 しおりは「違うくない……」と、差し出された手を握った。

 その瞬間、脳裏に学校の光景が浮かんだ。下駄箱の隅で関口がしゃがみ込んでいる。

 次に彼に歩み寄る女子生徒が見えた。高校一年生の頃の自分だ。一年生の自分が関口の側まで行き、声を掛けている。

『あの、大丈夫ですか? 具合が悪いなら保健室まで一緒に行こうか?』

 自分はそう言って彼に手を伸ばした。彼は手を取って立ち上がった。

 でも結局、保健室には行かなかった。彼は顔を伏したまま何処かへ歩いて行ってしまった。

 そうだ、忘れていた。これは関口努に初めて会った時の記憶。この手の感触にも覚えがある――一年生のあの時、現在いま、それから――――

 ハッとしてしおりは思わず手を離した。

 油取りの世界で火に巻かれるさなか、自分に声を掛けてきた影の存在。自分の手を取り助けてくれたのは――

「関口君だった。あの時、炎からみんなを守ってくれたのは、関口君だった」

 しおりの目からは自然と涙が零れていた。

 しかし関口は、そんな彼女の言葉を聞いて小さく首を横に振った。

「違うよ。助けてくれたのは君だよ山神さん。君だけは僕に手を差し伸べてくれた。君はとっくの昔に僕のことを救ってくれていた」

 しおりは嗚咽を漏らしながら何度も頷いた。

 関口はそれを見てにこっと笑った。

「もしも、また僕みたいなのがいたら、その時は力になってあげて。君は人の心を救える人だと思うから」

「――うん。約束する」

 関口の視線が六郎太を向く。

 六郎太は顎をしゃくった。

「それじゃあ、飛ばすよ」

 関口が空に手をかざす。すると六郎太としおりの二人は天に昇り消えていった。

 女性がやれやれと頭を振る。

「其方も損な役回りじゃのう童。あの娘に惚れていたのであろう?」

 関口は何も答えず、ずっと空を見ていた。

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