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魔性転生  作者: 邪
第一幕 ―神隠し―
20/32

“されど少年は火を喰らう”

 夜、赤羽駅周辺を歩くサラリーマンがゲホッ! と強く咳き込んだ。周りを行きかう人たちも喉の調子を確かめるように咳ばらいをしている。

 たまたまデートの帰りでそこを通っていた若いカップルは異変を感じて足を止めた。

「なんか熱くない? 喉も乾くし」女性の方が手うちわをしながら言った。 

「やっぱり? 俺もさっきから唇が割れて、ってまたっ、痛っ」

 と、彼女の隣で男性が口元を押える。その額には汗が滴っていた。

「もう夏? 早くない」

「いや、夏にしても暑すぎないか。異常気象ってやつだろ」

「うーん、温暖化の影響かな」

 女性は困った顔で空を見上げた。

 梅雨あけ前ということもあり相変わらずの曇り空――と、思いきや彼女は唖然とある方向を指さした。

「なに、あれ……」

 恋人のリアクションに釣られるようにして男性もそちらを向く。

「な、なんだ――」

 それは穴だった。正確には彼等の視線の先で、空の一角だけが真ん丸く撥られたかのように雲が消失していた。しかも穴の周りの景色は蜃気楼の如く歪み、それも相まってか、穴から覗く夜空がまるで煮えたぎる墨汁のようだった。

「あっちって、なんかあったっけ?」

 男性が訊ねると、女性は難しい顔で数秒考え「マ校」と答えた。

 男性は何のことだか分からず「マコウ?」と訊き返す。

 すると女性は小さく頷いて言った。

「王摩高等学校。あんたは八王子出身だから知らないかもしれないけど、あそこはマジでやばい。昔から呪われてるって噂があったから」

 男性はごくりと唾を飲み込んだ。そんなものは迷信だ、と格好をつけたいところだが、突然のこの暑さと空に開いた穴。とても偶然とは思えなかった。

「やだやだ、マジでなんか怖くなってきた。しかもどんどん暑くなってない? 早く帰ろう」

 女性はそう言って男性の腕を引いた。

 この日、北区の一角では最高気温が55℃にまで達し、以降しばらくの間SNSを騒がせることとなる。ただ、その原因が公になることはない。なぜなら原因は、この世界とは別の世界にあるのだから。

 そう、油取りの世界――

 しおりは覚束ない足どりでその場に膝をついた。思うように呼吸が出来ない。暑さで気が遠くなる。

 前を行く鈎とゴブリンは彼女の様子に気付き駆け寄った。

「大丈夫かしおりちゃん!? なにしてんねんゴブ! 結界張りながら言うたやろ!」

「ギギ言われナくてモやってルっ! ただ、コイツを抱えテ、しカも移動シながらダと精度が落ちル」

「ええい! しゃーない!」

 鈎はそう言ってゴブリンが担いでいた生徒を左わきに抱えた。

「ほら! これでええやろっ」

 ゴブリンは頷き、手の甲を打ち合わせる。するとその場の全員が透明な膜に覆われた。

 しおりはハッとしたように伏していた顔を持ちげた。

「ごめん……私、足手まといだね……」

「あーいや、気にせんでええよ。むしろ霊氣も作れないのによう耐えてる」

 鈎は小さく息を吐き王摩高校の方を向いた。先ほどからこの世界の気温が急激に上がりはじめている。しかも辺りには油取りのものとは別の、咽返るような妖気が朦々と立ち込めている。

 思わず強く当たってしまったが、もしここにくるまでの間にゴブリンの結界がなかったとしたら、自分と妖精以外は妖気にあてられて死んでしまっていただろう。

「マジで、何が起きてんねん」

「ギギギ……とに角、出来るだケ旦那から離れルんダ、出来るだケ」

 妙に焦燥した様子の相棒を見て、しおりが「ゴブちゃん?」と訊ねる。

 鈎も頬の汗を肩で拭いながら「なんか知ってるんか?」と眉を寄せた。

「……ギギ、旦那の許可ナシでは言えなイ」

「はあ? この状況で許可も糞もあるかいっ。言わんならわいの背中と両脇の男ども置いてくぞ」

「ちょっと鈎君、みんなは絶対に助けるから。ただ、言ってくれないなら私がここから動かない」

 しおりは真っ直ぐゴブリンを向いて言った。

 ゴブリンはハァと息を吐いた。

「ワカッタ。時間がナイから単刀直入に言ウ、旦那ハ……忌呪いみじゅダ」

 これにしおりは小さく首を傾げ、鈎は大きく目を見開き、学校を振り向いた。


 校庭では風が鳴いていた。赤子のようにあんぎゃあんぎゃと――風が、哭いていた。

 六郎太から溢れ出る妖気で景色が赤みを帯びていた。それはまるで黄昏時のように暗く、彼は誰時のように明るい。日の出と日没が同時に訪れたかのようだった。

 油取りは動けなかった。

 そして――

 風が泣き止んだ。同時に、六郎太の身体は気色の悪い音を立てて変化した。

 まず背丈が伸びた。次に髪が伸びて、爪も伸びた。それから角が生えて、牙も生えた。骨張る体は紋様のごとく筋が浮かび、鋭い爪が空を穿つ。濡れ羽の髪は風に哭き、額の左右で山羊角が天を仰ぐ。紅唇からは刃が覗き、鉄の如く赤熱した。照った瞳は暗く燃え――彼はまごうことなき異形となった。

、そういうことか――」

 油取りが忌々し気に呟くと、応えるように六郎太が吼えた。衝撃波で彼を中心に地面が捲れ上がった。

 足を止めていた鈎達も六郎太の放つ咆哮を聞いていた。

「近くにおったら今ので全員即死やったな。まんじが忌呪……忌呪、か……。ほんま意味不明な妖力や」

「ねえ、忌呪っていったい――」

「ギギ今はそれヲ解説している暇はなイ。旦那の力ハ今も高まり続けてイル。もう距離を取るよりモ結界に注力した方がイイ」

「同感や」 

 鈎は改めて学校を見つめると向き直り、担いでいる生徒達を道路に横たえた。

「ゴブはしおりちゃんと伊藤達を徹底して防護できる障壁を作れや」

「ちょっとまって、それだと鈎君が――」

「大丈夫、安心せえ……しゃーなしやけどとっておきを使う。あいつが全力を出すんや。わいも本気だしたる」

 そう言って鈎は聞いた事もない言語で何かを唱え始めた。すると彼の掌に火の粉をあげて十字架が浮かび上がる。前方へそれを向けると光の幕が一同を包んだ。

「これって――?」

「信仰の盾、最上級の盾やで。さあまんじ、破ってみいや」


 大気が震えている。異形となった六郎太のせいか、はたまた油取りの抱く――

 飛び上がる油取り。すると、その軌道を先回りするように火球が生まれ、爆炎が一瞬にして制服姿を飲み込んだ。

 すぐさま炎の渦を裂いて出てきた油取りは苦悶の表情を浮かべながらも、開いた両腕を胸の前で鋏のように交差させると空間を見えない刃と化して六郎太を左右から袈裟懸けに切り裂いた。傷口からは夥しい量のマグマが溢れ落ち、傷を境に異形の胴体が斜にずれた。

 ――がしかし、途端に切り口は燃え上がり、胴体の位置ともども斬られた事実などなかったかのように傷は消えていった。

「化物め」

 着地をして油取りがつい漏らした。

 あらゆる障害、強度を無視する空間の断裂。その究極の線による攻撃が意味をなさない。切れないというよりは切るだけ無駄と言った方がいいのだろう。

 おまけにこちらは焼け焦げた制服と肉体をうまく元に戻せない。発生した爆炎が今もなお宙で燃え続けている――

「貴様、いったいなんの忌呪だ?」

 しかし、異形から返事はない。紅をさしたようなその唇からは灼熱の吐息が漏れるばかり――

 言葉が通じているのか、思考は出来ているのか、人間程度の知性すら持ち合わせていないのか、まったく皆目見当もつかない。

 相手の出方がわからない以上、否応なしに向かい合うしかない。

 すると、今度は六郎太から動いた。

 一歩目で地響きを鳴らし、二歩目で地面を割る。両手をばたつかせて走るそのさまは玩具を前にした童のごとく――しかし圧倒的速度でもって相手の眼前を陣取ると、暗赤色の爪が空を薙いだ。

 油取りはすんでのところでそれを躱し飛び退くが、右腕を掴まれ咄嗟に空いた左手を前へ突き出した。

 けして苦し紛れではなかった。それは六郎太の――異形の周囲の空間を瞬間的に揺さぶる行為。

 そうして放たれた振動波は対象の姿が景色ごとグニャリと歪む程の力の奔流だった。

 異形の――六郎太の動きが止まり、これは効いたと判断した油取りが今度こそ後ろへ飛び退いた。

 だが直ぐに自身の体の異変に気付き、右手に目を向ける。するとあるはずの腕が肩の位置からバッサリと無くなっていた。まさかと思い前方に目を戻すと、右腕は六郎太の左手に咬まれたまま、その場から微塵も動いていなかった。

 異形の手のなかで燃え上がる自身の腕を見つめて、油取りは引きつるように笑った。

「人間が勝つ理由だと……貴様、完全にこちら側だぞ」

 六郎太が応えるように笑う。いや……違う、笑ったのではない。紅唇が耳まで裂けたのだ。

 そうして異形はおもむろに四つん這いになると、顔を持ち上げて大きく口を開いた。

 喉の奥で何かが光っている。

 そう、油取りが目を細めた――次の瞬間。

 異形が霧状のマグマを吐き出した。

 赤熱した粒子は瞬く間に学校の敷地を満たしていき、木々や建物を一瞬で瓦解させる。しかもマグマの粒は燃やす対象を失っても尚も自立し燃え続け、結果――白熱した空間は小型の太陽と化し、その場の一切を灰燼に帰した。

 光がおさまり霧が晴れると、真っ平となった王摩の敷地の中心に、肉を垂らし骨を露出させた油取りが蹲っていた。

「もういい、終わりだ……世界おれごと全てを消滅させてやる……」

 油取りは起き上がり、天を仰いだ。

 すると世界がベキベキと音を立てて凹み始めた。

 世界。つまり油取りを構成するあらゆるエネルギーを六郎太という異形の一点にぶつけて圧搾する――まさに自爆技であった。

 しかし、ぬらり――と今度は六郎太が天を仰いだ。同時にその手には赫い炎が生まれ、左右を合わせた手の間で金棒を思わせるカタチを形成した。

 油取りは天まで伸びたその赫色を見上げてにたっと笑った。

「俺は人間に負けたんじゃない。より強い妖に負けた――そうだろう?」

 返事はない。かわりにザンッ――と、無情にも振り降ろされた炎の柱が油取りの肩口から腰までを袈裟懸けに両断した。しかも炎柱の通った軌跡は空間が消滅し、外界の景色が露わになっていた。

 地面が燃え、空が燃え、いたるところが炎に包まれる。まるでポラロイド写真に火をつけた時みたく景色が焼けてめくれあがっていく。

 そしてそれは六郎太から溢れ出た炎と相まって、世界を火が埋め尽くした。

 地面に倒れたまま炎に飲まれる油取りの瞳には、ただただ自身を焼く火光だけが暗く渾沌と映っていた。


 鈎達は迫りくる炎に備えていた。

「ごっついのくるで!」

 しおりは膝が震えて声もでなかった。火に飲まれた景色が次々と燼滅していく。炎の津波とでも形容すればいいのだろうか。もしも世界が終わるのなら、こういう光景なのだろうと彼女は思った。

 そうして、ついに視界が炎一色に染まった。

「余波だけでこれとかほんまイカれとる」

 鈎の張った結界、金色の光が火に蝕まれていく。

「アカンッ、ゴブ!」

「ギギ、わかってル」

 ゴブリンは目一杯しおりの霊気を吸い上げ手の甲を打ち合わせるとノイズ音を吐き出した。

「おい! 早よせえ! もう耐えきれん!」

「ギギギ完成ダ――対敵! “凱魔晶胎がいましょうたい”」

 鈎の作った光の結界の外側から炎を押し返すように粘質の膜が展開される。それはみるみるうちに結晶化していき一同を包むガラス張りのドームを形成した。

「でかした!」

 鈎は声を上げた。

 しかし、どのくらい耐えればいい。もうすでに結晶の一部が融解し始めている。

 ああ、火が入ってきた。

「もう少し、あともう少しなんや……耐えてくれ……」

 だが、鈎は倒れた。浮かんでいたゴブリンも地面に落ちる。しおりだけが膝を突きながらも辛うじて意識を保っていた。

 このままではみんなが死んでしまう。みんなを助けなければ――死なせるものか。

 そう胸の中で唱えながらも、彼女もついには倒れてしまった。

 火が迫ってくる。絶体絶命――もうダメだ……と、諦めかけた、その時だった。声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。

 しおりは促されるままに目だけを声の方へ向けた。すると人影が立っていた。影はこちらに手を伸ばし、あたかも握れと言っているかのようだった。

 しおりは最後の力を振り絞り、影へ手を伸ばした。

 すると影は彼女の手を取り言った。

『山神さん、君は負けない。君が力を解放すれば――きっと――――』

「ちか、ら――」 みんなを――助ける、力が欲――

 しおりはそこで気を失った。

 同時に、彼女から溢れ出た青い光が結界内を満たしていく。

 それは迫りくる炎を押し返し、そして――――

 遂に火はおさまりを見せた。

 気を失ってからどのくらいの時間がたったのだろう。意識を取り戻した一同の頭上には夜空が見えていた。それは間違いなく現実の世界。何故ならあまりにも星が綺麗だったからだ。いま見た地獄のような光景も、神隠しも、すべて夢だったのではないかと思えてくる。

 しおりは体を起こし、小さく頭を振ってから片膝をつく鈎へ駆け寄った。

「しおりちゃん……わい等、ほんまに助かったんか……」

「うん、戻ってきたんだよ現実の世界に……鈎君とゴブちゃんのおかげだよ」

「わい等の……さよか。信仰の盾は完全におしゃかやけど……まあ命には代えられんしな。そう言ってもらえるなら神器も役目を果たして本望やろうて」

「うん。ゴブちゃんも頑張ったね」

 しおりが肩口に声をかけると、疲労困憊といった様子のゴブリンが彼女の肩で照れくさそうに鼻下をさすった。

 それから直ぐに二者一妖は伊藤達の安否を確かめた。幸い全員気を失っているだけで目立った外傷はなさそうだ。

「そうだ、まんじ君は? それに、ここはいったい」

 一同がきょろきょろと辺りを見回す。どうやら王摩高校の運動場のようだ。

「なんやデジャブかいな」

 鈎が冗談めかして言った。

「ギギ旦那はどこだ?」

 一同は改めて辺りを見回す。するとしおりが運動場の中央に倒れている六郎太を見つけて「まんじ君!」と、声を上げた。それから当然のように駆け寄ろうとする彼女だったが、校舎の方から「だめよ!」と女性の声が聞こえて足を止める。

 一同が声の方を向くと、永子が校舎の方からこちらに手を振っていた。

「みーんーなー! こっち! こっち! 六郎君に近づいちゃだめ!」

 そう促されても……。

 しおりは納得がいかず六郎太に駆け寄ろうとした。

 だが今度は鈎がそれを止めた。

「なんで鈎君!?」

「言うたやろ。あいつは忌呪や」

 しおりは目を瞬かせて地面に横たわる六郎太を向いた。

 また、忌呪……。忌呪とは……卍六郎太とはいったい――

 彼女は自分を納得させるように頷くと、校舎を向いて歩きだした。

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