“孤独な炎”
鈎が声を上げて笑った。隣に立つしおりと伊藤も、それに釣られるように笑みを溢す。
「まんじ、こんな時にギャグかますの止めいや」
「そうだよ、まんじ君。流石に突拍子もないっていうか、ね」
「うんうん。場を盛り上げようとしたのかもしれないけど関口にも失礼だって」
そうやって三人は最初こそ冗談めかしで笑っていたが、一切表情を変えようとしない六郎太を前に、次第にぎこちのない笑みへと変わっていく。
そうして、呆れるように鈎が頭をふった。
関口が……油取り……? 馬鹿馬鹿しい。
彼はため息をつき、付き合っていられないと踵を返した。
するとその瞬間、運動場の縁に植えられた若木が突如として火を噴いた。猛る炎に圧倒されて伊藤が思わず尻もちをついた。
緑々しい葉がみるみるうちに橙色に染まっていく。
しおりはそれをただ呆然と見ていることしか出来なかった。
鈎は向き直り、六郎太をキッと睨んだ。彼の放つ熱波が原因なのは明らかだった。
「動くな。次は当てるぞ」
「おまえ……」
他も巻き込むつもりか……いや、流石にそれはない。しかし、自分に向けては撃ってくるだろう……関口を背負っているから――って、背負わせたのはまんじ、おまえやないか!
「おい関口、しんどいのはわかるけどなんか言うたれよ」
「う、うん。僕じゃない。僕は油取りじゃないよ! 山神さんも、信じて」
しおりは促されるままに頷く。しかし、その視線がふと逸れた。そして数秒、彼女は何かを考えるように俯くと、目を伏せたまま六郎太へ訴えかけた。
「まんじ君。関口君は、関口君だよ。今回はまんじ君が間違ってる」
「ほらみろ。しおりちゃんもこう言っとる。大体なんの根拠があって疑うねん」
六郎太はジッと彼女を見てつめてから鈎へ視線を移した。
「根拠ねえ。戦闘中は頭がまわるのに普段はからきしだな。気付かねえのか? お前は何でそいつをおぶってんだ」
「はあ? 怪我しとるからに決まっとるやろ。そうやなかったら男なんて背負うかい」
「だから、なんで関口は怪我してんだよ」
「はあ? なぞなぞしてんとちゃうぞ。第一いきなり人を疑うお前の方が怪しいわ。寝てる時、図書室へ行った時、わい等から姿隠してた時間があるやろ。お前のほうこそ油取りとちゃうんかい」
これに六郎太は眉を持ち上げる。
「いいな。その調子で考えてみろ。お前なら違和感に気付くはずだぞ。関口の怪我は本来ありえねえってな」
「ありえん……やと?」
鈎の眉間にこれでもかというほど皺が寄った。怪我をすることがありえない? そのほうがありえないだろう、と。
むしろ怪我を負っているいるからこそ本人の証明になるのではないか。自分達と同じ赤い血を流し、今でも痛みに喘いでいる。一歩進むたびに苦痛の叫びを耳元に感じるのだ。こいつは自分をいじめていた人間を庇うほどのお人よしで、愛すべき馬鹿だ。伊藤のことなんてほうっておけば無事ですんだものを――そう、ほうっておけば――
「ん?」と鈎は小さく首を捻った。何なのかはわからないが、今たしかに違和感を覚えた。“愛すべき馬鹿”である点だろうか? 実際にそんなお人好しがいるのか……。いや、感じたのはそういうふんわりとしたものではない。もっと硬く明確なひっかかり……。
そもそも怪我をしていることがありえないとはどういうことだ? 伊藤を庇わないことが正解だったのか? 伊藤を庇わない――伊藤を――……思えばあの時、誰も伊藤のことなんて気にもとめていなかった。それを関口は庇った――そして“ありえない”怪我を負った……伊藤を庇ったせいで――関口だけが……罠から――庇った――気にもとめていなかった……誰も――関口だけが――伊藤を――関口だけ――……だけ、だと――
鈎はハッとしたようにしおりを――いや、彼女の肩口を向いた。
「おいゴブ、お前はなんで伊藤を庇わなかったんや」
ギギっと実体化したゴブリンが顔を顰めた。
「オレがアイツを助けルと思うカ?」
「助ける気がなかったっちゅうことか? それとも助けられんかったんか?」
「ン? あの状況じゃ誰も助けらレ――」
言いかけたところで妖精が首を捻り、それから関口を向いた。彼よりも鈎の方が青い顔をしていた。
両者の様相を察してか六郎太が「気付いたか?」と顎をしゃくる。
するとそこに伊藤が割って入った。彼はとにかく関口を擁護した。命の恩人なのだから当然と言えば当然だった。
「俺にはわかんねえ。なんで関口が犯人みたいなムードなんだよ……お前ら、正気かよ!」
六郎太は小さく息を吐いた。
こちらの怖さを知って尚、他者のために反抗してくるその姿が健気であり、同時に空しく思えたからだ。
「じゃあ、教えてやるよ伊藤。お前は本来あのステージ裏で矢に貫かれて死んでなきゃおかしかったんだ」
そうあの時、伊藤がトラップのトリガーを引いた瞬間、誰もがそれを罠だとは認識していなかった。そして六郎太、鈎、ゴブリンの戦闘巧者の三名ですら飛んでくる矢に反応すらできなかったのだ。
にもかかわらず、関口は伊藤を突き飛ばし見事に矢を回避してみせた。つまり最初からあそこに矢が飛んでくることを知っていなければ出来ない芸当だ。
六郎太から話を聞き終えた伊藤は、それでも首を横に振った。
「でもじゃあなんで関口は大怪我してんだよ。矢がくることを知ってたなら自分も無傷ですんだはずだろ」
「そら見事に全回避ってなったらその時点で悟られるかもしれんやろ」
伊藤は納得のいかないといった表情でしおりを向いた。
「やまがみ、さっきから黙ってるけどお前もまんじ達と同じなのかよ」
しおりは返事をせずに、ただ無言で俯いていた。
すると今度は六郎太が彼女へ訊ねた。
「山神、おまえ気付いてるだろ? それも鈎とゴブより早く」
「わいらより? ほんまに?」
しおりがスカートをギュッと握った。
それが答えだった。
彼女は鈎とゴブリンよりも早く関口が関口ではないと気付いてしまっていた。
関口が自分を信じてと主張したあの時――彼が彼ではないと悟ったのだ。
虐げられた時、虐げられた側がもっとも恐れるものはなにか彼女は知っていた。
身体の痛みや心の痛みは確かに恐ろしい。でも、次に同じような目に合うと分かっていれば覚悟はできる。どれだけ無視をされようが、どれだけ悪口を言われようが“慣れ”が自分を守ってくれる。
しかし先の見えない変化はそうもいかない。
誰かに助けを求めたとしたら?
助けてもらえるかもしれない――
助けてもらえないかもしれない――
何も変わらないかもしれない――
より悪化するかもしれない――
どうなるかわからない――
状況も、ヒトも、自分も、どう変わってしまうのか――
そんな意味し得ぬ変化こそが最も恐ろしいのだ。
だからこそ虐げられた者は、二つの選択肢のうちどちらかを選ぶ。
ひとつは誰にでも等しく存在する終着地点――死だ。
こんな恐怖に苛まれるくらいならば終わらせてしまおうと自ら命を絶つ。
わからない恐怖よりも、どうなるか分かるぶん覚悟のできる恐怖のほうが虐げられる者にとっては優しいのだ。
そしてもうひとつが自分の殻に閉じこもることだ。慣れという鎧を纏い、痛みを痛みとして認識しないように努める。
自分はそうだった。おそらく関口も同じだ。だからこそ彼が言った『信じて』という言葉が信じられなかった。
疑われているあの状況で、素直に他者へ助けを求めるなど恐ろしくて出来るはずがない。
確かに自分は少し変われた。変化することを望んだからだ。でもそれはゴブリンがいたから。彼を助けるために変わろうとしたのだ。
しかし、関口は自分の疑いを晴らすために『信じて』と言った。
一度閉じこもった殻から自分のために抜け出すことが出来るのならば、どんな形にしろもっと早い段階で彼へのいじめはなくなっていたはずなのだ。
だから――彼は彼ではないのだと悟った。
しおりはゆっくりと顔を持ち上げ、関口を向いて言った。
「お願い……関口君を、みんなを返して」
その瞬間、六郎太の視線が鈎を向いた。“合図”なのだと彼は受け取った。
「いつまで背中におんねん!」
鈎が背中の関口を宙に放った。
六郎太はその方向にむかって全力の熱波を放つ。しかし熱は何かに阻まれるみたいにして目標へ当たる前に空中で雲散した。そしてとうの関口はというと、何事もなかったかのように足から着地を決めていた。まるで風に揺られる羽根のようだった。
そのさまを目にして鈎は内心でぼやいた。放る瞬間、まったく重さを感じなかった。六郎太の攻撃も当たったのか外れたのか……。なにより見た目は普通の少年なのに向かい合っているだけで鳥肌が止まらない。これまでにはない重厚な圧迫感。まるで天辺の見えない巨大な建物を間近にしたような感覚だった。
そうやって一同が戦慄を覚えるなか、関口はまるで今のやりとりがなかったかのように「僕は関口だよ」と主張していた。しかも何度も繰り返し「信じて」と訴えてくる。
鈎は“そんなはずはない”と頭で理解していながらも、彼の言葉を聞いているうちに“もしかして”という錯覚に陥った。
それを察してか六郎太が「騙されんなよ」と一同へ忠告する。
すると関口が悲しそうな顔で六郎太に訴えた。
「まんじ君は信じてくれないの? 僕は関口だよ。なんで信じてくれないの?」
「信じる、ねぇ……ところでお前、身体は大丈夫なの?」
「痛いよ。凄く痛い。立ってるのもやっとだよ」
「そんだけか?」
これに関口は一瞬だが困惑した表情を見せた。
「いや、体も重いしとにかく痛くてしかたがないよ。言い出したらきりがないよ」
「ふーん。で、なんでお前はまだ生きてんだ?」
「え? それはみんなが治療してくれたから――」
「治療ね………でもよ、俺の血液型はAじゃねーんだよ、ばーか」
「!?」と一同の視線が六郎太へ集まる。
六郎太はそれらを一瞥してから話を続けた。
「俺はAB型だぜ。そしてABはAB以外には輸血はできねえ。違う血液型を輸血した場合、致死量はだいたい50mlだそうだ。関口、お前にどれだけ俺の血を入れたかわかるか?」
「まんじ、お前まさか図書室って」
鈎に訊ねられ六郎太は小さく顎をしゃくった。元より関口が偽物だと確信のあるしおりはさておき、これには流石の伊藤も納得するしかない、という顔だった。
そして関口は、なんとも言えない表情をしていた。焦りや緊張といったものとは違う。まるで、今されている話の内容をまったく理解していないかのようだった。
だからなのか彼は不思議そうに六郎太へ訊ねた。
「つまり、少量の血で人間は死ぬってこと? 脆弱すぎない?」
空気が変わった。気付けば関口の体から咽返るような妖気が漂っていた。
「脆弱か、確かにな。でもよ、お前は今からその脆弱な俺達に負けるんだぜ、油取り」
両者の間に緊張が走った。
ところが突然、六郎太が「待った」と言って気を緩めた。臨戦態勢に入っていた鈎とゴブリンは思わずなんでやねんとツッコミを入れる。
「いや、まあ普通にやってもな。どうだ油取り、賭けをしないか? 俺が一発でもお前に攻撃を入れられたら攫った生徒すべてを返す。逆に俺が負けたら他の奴等も好きにしていい」
油取りは眉を持ち上げた。
「おい、まんじ。あいつがそんな条件のむわけないやろ」
しかし、油取りはこれを承諾した。
「え、ええの?」と思わず訊ねる鈎。
すると、油取りの背後から人型の影がヌッと起き上がった。
伊藤以外は皆それに見覚えがあった。鈎がトラップに引っ掛かった時に出現した無限に増え続ける影だ。
ただ、今回はサイズが違う。背丈は2メートルを優に超えている。しかもそれが5体。放たれる妖気も1体1体が中異の妖を軽く上回っている。
「どう見ても手強いで。全員でかからな」
「いや、お前とゴブは山神と伊藤を守ってろ」
「はあ? なに寝言いっとんねん。相手見ろや一人は無理や。仮にやれるとしても全員で攻めな。守りにまわったら逆に押し切られるで。それに向こうも複数なんや、わい等が参戦しても文句ないやろ」
鈎が油取りを睨む。油取りはOKとでも言うように余裕の笑みを湛えている。
「ダメだ、お前は二人を守ってろ」
「せやから守るよりも、」
「ちげえよ。俺から守れって言ってんだ」
六郎太はそう言って影達に向い駆けだした。ふんだんに霊氣を蓄えた足が地面に青白い帯を引く。
するとそれに反応するように影達も動きを見せた。五体のうちの一体が図体を活かし彼に覆いかぶさろう前に出たのだ。
六郎太はそれを正面に見据えて右腕を引き絞る。すると轟! とその手が燃え上がり、眼前の黒い壁に向かって真っすぐに奔った。
炎を纏っただけのただの突き、と思われた。しかし、彼の右手は相手に触れるやいなや爆炎を吐き出し、人型の像を完全に消しとばした。
六郎太はそのまま止まることなく二体、三体と炎の渦で影を飲み込んでいく。
そうして、残りが油取りだけになると彼の右手はさらに濃く強く燃え上がった。炎は黒煙を吐き、黒煙が炎を吐く。その熱量の凄まじさはゴブリンが張っている結界越しですら直視できない程だった。特にしおりと伊藤は呼吸すら間々ならずにいた。
「まんじ君がこんな凄い人だったなんて」
「ああ、予想以上や。物理的にも霊的にも――。やっぱ、火氣……ちゃうな。なんやあの炎――」
鈎は眉を顰めるとポケットから親指サイズの小瓶を取り出し、中の液体を結界内にまいた。
「上等な聖水やで。しおりちゃん、伊藤、深呼吸してみい」
言われた通り、二人は大きく息を吸った。先ほどまであった気管が焼けるような感覚はなくなり、普段通りに息が吸えた。
「ありがとう鈎君」
「ま、マジで、し、死ぬかと思った。やっぱ鈎も特別な力があるんだな」
「わいのことはええねん」
鈎の視線が六郎太を向く。
彼はずっと疑問に思っていた。力も速さも申し分なしの行者、卍六郎太がなぜ真っ直ぐ突っ込むだけの大味な戦法しかとらないのかを。
しかし、今の彼を見ていてやっとその答えがわかった気がした。とらないのではなく恐らくは“知らない”のだろう、と。
いま見せている圧倒的な火力があるのであればむしろ小細工はいらない。相手に向かって最短距離を走り爆炎を浴びせればいいのだから。
先の先をとる有無をいわさぬ速攻……。ずっとそうやって妖と戦ってきたであろうことは容易に想像ができた。
情けもかけず容赦もせず、ただひたすら目の前の敵を焼き殺す。繰り返し何度も、それが日常化してしまうほど何度も。
そして、その馬鹿の一つ覚えを可能にしてしまうほどの争いに特化した才能……。
鈎にはそれが良いのか悪いのか分からなかった。ただ、“悲しい奴”だなと思った。きっと今みたいにずっと独りで戦ってきたに違いない。何かを守るために何かを捨てる――ほんまは寂しいくせにアホな奴や。
「しおりちゃんゴブ伊藤、わい等に出来るのは応援や! あいつひとりの手柄にはさせへんで!」
「う、うん。あとは油取りだけ! まんじ君!」
彼女の声援に応えるように六郎太の拳が目標を捉えた。炎が一瞬にしてその姿を飲み込んだ。
爆炎が爆煙を生み、爆煙が爆炎を生む。衰えることを知らない、消えるところなんて想像もつかない。
それは、なにも寄せ付けず独り延々と燃え続ける。そんな永久機関のような炎だった。




