“油取り”
「今日はもう眠ったほうがいい」
そう告げる六郎太に従い、一同は保健室内で体を休められる場所を探した。
鈎は養護教諭の席に着き、伊藤は応接用の長椅子で横になる。
しおりは空きのベッドが一つあるということでそこを勧められた。
「まんじ君は? どこで寝るの」
「俺は廊下だ。一応、見張りは必要だからな」
そう言って部屋を出る彼を見送って、しおりはベッドに腰をおろした。鈎が気を利かせて仕切のカーテンを閉める。
隣のベッドでは関口が眠っている。今のところ様態は安定しているようだ。
しおりは横になりゴブリンに声を掛けた。すると少し遅れて返事がきた。姿は見えず頭のなかに声だけが響く。
これが霊体化……と彼女は思った。今までは一緒にいても視覚的に居るか居ないかの判断しか出来なかった。しかし<契約>をしたからなのだろう――自身を通して“向こう側”に相棒の存在を感じる。
しおりは胸の真ん中にそっと手を置いた。
それからふと横を向くと改めて関口の姿が目に入った。
彼も闘っている。六郎太も鈎も……伊藤でさえ自分に布団を譲ってくれた。自分だけこんな風に休んでいていいのだろうか。
しおりは、せめてみんなが寝静まるまでは起きていようと考えた。……が、身体は正直だった。
睡魔は彼女の意志とは無関係に、その意識を容赦なく微睡へ引き込んだ。秒針の音だけが遠のく意識の片隅で浮彫になっていった。
ハッとして目を覚ました鈎は養護教諭の席から周囲を見渡した。眠る前と何も変わっていないことを確かめ、彼は関口の容態を確認する。
脈は正常、呼吸も一定……。六郎太曰く、矢は綺麗に臓器を避けていたとのことだが、それを考慮しても思いのほかタフだ。稀に首や腹部を貫通するような怪我を負っても痛みを感じず意識も失わず――という事例がテレビの再現ドラマとして放送されることがあるが、これもそれに相当するくらいの奇跡なのかもしれない。
「ほんま悪運の強いやっちゃ」
鈎は哀れむように眉をおとしてから隣のベッドへ目を向けた。しおりがすやすやと眠っている。
「ふーむ。寝顔まで可愛ええのう」
鼻の下を伸ばし彼女の顔を覗き込む。すると突然、伊藤が後ろから声を掛けてきた。
「はあ!? これはちゃうねん! てか、なに起きてきとんねん!」
「え、て、言われても……なに焦ってんだよ。そうだ関口はどうなった、目を覚ましたのか?」
「あ、ああ。まだや。でも状態は悪くない」
「そうか、無事なんだな」
伊藤は安心したように長椅子へ背を預ける。
それから二人が軽く談笑していると六郎太が部屋に入ってきた。
「よう鈎、伊藤、起きてたのか」
「お前こそや。ちゃんと寝たんか?」
「ああ。ぐっすりな」
「まじかよ。俺はいまいち熟睡出来た感じがしない。なんか余計に疲れた気さえするんだけど」
伊藤が怠そうに首を回す。
その様子を見て六郎太と鈎が一瞬目を見合わせた。
この世界にいるだけで霊気を吸われてしまうのだから眠る前よりも疲労感があるのは当然だ。今いる面子で霊的に一番弱い伊藤がそれを訴えるのも無理もない。
「出来ればさっさと移動したいとこやけど……関口があれやと下手に身動きもとれんか」
鈎はやれやれと天井を見上げた。
「……まあ、なんにしても明るいうちに動いておきたいとこだな。今回は何も無かったが、今夜そうだとは言い切れない。てか山神はまだ寝てるのか?」
六郎太はしおりが寝ているベッドの側まで行き、彼女の顔を覗き込んだ。すると丁度しおりが目を覚まし、彼女は頬を赤くしたまま石のように固まった。
「よう、ぐっすり眠れたみたいだな。安心したぜ。てか、どうした?」
「え、う、うん。まんじ君、顔が、ち、近い――」
「あ? あー、悪い」
六郎太は応接用の長椅子まで移動してドッと腰をおろした。
「なあ、まんじってもしかしてめちゃくちゃ鈍感?」 伊藤がひそひそと鈎へ耳打ちする。
「見たまんまやろ。アイツはバトル以外はからきしや」
「あん?」
六郎太が二人を睨んだ。
すると「そ、そうだ!」と声上げてしおりが隣のベッドに目をやった。
察した鈎が関口の容態を告げる。
「まだ目は覚ましてないけど安定してるし今のところは大丈夫やで。見かけによらず頑丈なやっちゃ」
しおりはホッと息を吐き眉を開いた。
それから少ししてゴブリンが部屋に入ってきた。両手には大量の食料と飲料水を抱えている。
「なんやゴブ、見かけんと思ったら買い出しかいな」
「ギギ旦那に言われてナ」
一同の視線が六郎太へ注がれる。
六郎太はそれを順番に見返してから最後に関口へ視線を移した。
「まあ、いつ食えなくなるかもわかんねえからな」
「なんやそれ。あんま不吉なこと言うなや。ただでさえこんな状況やねんぞ」
すると伊藤が机に広がった食料の中からおにぎりを一つ手に取った。
「思えば俺、昨日から何も食べてない……おふくろ、心配してんだろうな。早く、帰りてえよ……」
高校生……ときには『大人』と言われ、ときには『子供』と言われる。だが、なんと言われようと生まれて十数年そこらを親元で生活していたにすぎない。だから普通はこの歳でいきなり家に帰れなくなれば、それはきっとさぞ辛いのだろう。
六郎太は他人事のように考えながら、べそをかく伊藤のことを少し羨ましく思った。
「だあ、もうしゃーない! 食おうや。とりあえず食って余計なこと頭から追い出すんや! あ、せやけど鮭はわいのやで」
「うんうん、大丈夫だよ伊藤君。絶対みんなで帰れるから」
しおりが微笑みかけると伊藤は泣きながらおにぎりにかぶりついた。まるでそう自分に言い聞かせるように、美味い、美味いと呟きながら。
食事が終ってすぐ六郎太は保健室を出て行った。一同は何気なしにそれを見おくったが、彼が部屋を後にしてからもう一時間以上が経とうとしている。
こんなことなら行き先くらい聞いておけばよかったと鈎は後悔した。どうせ便所だろうとたかをくくっていたが流石に遅すぎる。
「まさかあいつ、一人で逃げたんやないやろな」
しおり、伊藤、ゴブリンの視線が鈎へ集まる。
するとそのタイミングで、ガラガラと音をたてて保健室のドアが開いた。
「おい、誰が逃げるって?」
そこに立っていたのは六郎太だった。
「な、まんじ、おまえ今まで何しててん!」
「調べものだ」
六郎太は肩を竦めて言った。
「何を調べてたの?」
「まあ、ちょっとな」
「いや、なんで濁すねん。それに調べものならスマホでええやろ。文明の利器つかえや」
「あ? ネットは繋がらねえだろ」
確かに――と、鈎の眉があがる。
「じゃあどこへ行ってたの?」
しおりが改めて訊くと六郎太は不思議そうに首を捻った。
「お前等……ここは学校だぞ? 図書室ってもんがあるだろ」
一同は「あ、」となった。道中、見て回ってもいたのに完全にその存在を忘れていた。
「てか、そこまで独断専行するっちゅうことは首尾は上々やったんやろうな」
「んー、まあな。とりあえず移動するぞ」
一同が訝しげに眉を寄せる。
すると数秒、その様子を眺めた六郎太が「ここを出る」と言い切った。
これには皆、戸惑いを隠せなかった。「まだ見つけてない生徒がいるよ?」と、しおりが詰めより、「そもそもどうやって出る気やねん」と、鈎が肩を竦める。
「なんだよ、出たくないのか?」
「出たい……出られるのなら、俺はすぐにでも」
そう言って伊藤が立ち上がる。
しおりは、強く握られたその拳を見やって眉を落した。
気持ちは痛いほどわかる。でも、まだ全員を助けられていない。だからといって言えはしない。全員を助けるまではここを出ないなんて、そんな酷なことを彼に強制するわけにはいかない。
鈎の視線が俯くしおりを捉える。
「ほんなら、多数決するか? 文句はいいっこ無しや」
一同は黙って頷いた。
今すぐここを出たい人――伊藤とゴブリンが手をあげる。
残るべきだと思う人――鈎としおりが手をあげる。
鈎はじろりと妖精を睨んだ。
「ギギ、そんな目ヲするなヨ。オレが優先するのハしおりの安全ダ。しおりガここから出られるのなラ早いにこしたことはなイ。……悪いナ」
謝ってきたゴブリンに、しおりは小さく頷き返した。
わかっている。相棒なのだから、最初からどちらを選ぶかなど。それよりも――
「まんじ君はなんで手をあげないの?」
「俺は中立だ。お前らに任せる」
「じゃ、じゃあ、まんじはこっち側だろ? ここを出るって言った言い出しっぺなんだからさ。な? そうだろ?」
六郎太は縋りついてくる伊藤をうざったそうに突き飛ばした。
「言っただろ。俺は中立だって」
「なんでだよ、頼むよ……まがりでも、やまがみでもいいから……頼むから」
伊藤は尻もちをついたまま泣きだした。
その時だった――
「ぼ、僕も帰るに一票……」
という弱々しい声が部屋の奥から聞こえてきた。全員が一斉に声の方を向いた。
「関口!」「関口君!」「せきぐちぃぃぃ!」
鈎、しおり、伊藤は声をあげ、上体を起こそうする関口へ駆け寄った。
「じゃあ3対2で帰るに決りでいいな」
六郎太はそう言って一同へ顎をしゃくった。
しおりと鈎がしかたなしに頷く。考えてもみれば一刻も早く彼を病院へ連れて行かなければならない。
「こいつは俺が背負う!」
伊藤が勢いよく手をあげる。しかし六郎太はそれを否定し、鈎に関口をおぶるよう指示を出す。
「別にええけど、伊藤でもええやん」
「いや、関口を抜かせばなんだかんだで一番消耗が激しいのは伊藤だ」
「ねえ、まんじ君、どうやって現実に戻るの?」
「それは移動しながら話す」
一同は不思議そうに顔を見合わせた。
「ここともおさらばか。三泊くらいしてた気分やわ」
玄関を出て振り返った鈎が、しげしげと校舎を見上げて言った。背には関口をおぶっている。しおりと伊藤も物言いたげな顔で校舎を見つめていた。
先頭を歩く六郎太が振り向いて「行くぞ」と促した。
一同は思い思いに校舎へ別れ告げて歩きだした。
それから直ぐに鈎が前を行く六郎太に声をかけた。
「おい、どっち行く気や。そっちは運動場やで」
「ああ、わかってる。まだ見てなかったろ? まあ見るまでもねえけどな」
鈎は眉を顰めつつ隣のしおりや伊藤へ「変な奴」と目くばせした。
「ねえまんじ君。保健室で言ってた、ここから出る方法って?」
「あー、それな」
と、六郎太ははっきりとした回答をせずにすたすたと歩いていく。一同はとりあえず彼について行くしかない。
そうして運動場の真ん中あたりまできて、突然、六郎太が足を止めた。
「まんじ君?」
しおりが首を傾げる。
「なんやねん。やっぱ戻ろうとか言うんじゃないやろな」
「え、おれは嫌だぞ。な、お前も帰りたいよな?」
伊藤が焦った様子で関口に同意を求めた。
すると六郎太は彼等に背を向けたまま「ここからは出る」と、ぼそりと呟いた。
「いや、せやからどうやって出る気やねん」
「ああ、簡単だ。油取りに直接出してもらう」
「はあ? 出してくれるわけないやろ。てか、どうやって奴に会うねん」
「どうやって? なに言ってんだ。もう会ってるだろ」
そう言って六郎太がゆっくりと振り返る。その鋭い眼光が鈎の方を真っ直ぐに向いた。
「なあ、ここから出してくれよ関口――いや、油取り」




