“浄眼”
「っしゃあ!」鈎の左回し蹴りが影の首を撥ね飛ばす。
その隣では六郎太の右の突きが影の胸を貫いていた。
戦いを始めてから、もうかれこれニ十分以上が経とうとしている。戦況に大きな変化は見られない。というより、敵の数が減らない。いや、一応減ってはいるが、祓った数と現存する影の数に明らかな乖離が見られる。
「キリがないで。こいつら復活しとんのか」
「いや……」と、六郎太の視線が床に落ちている塵を向く。死んだ影はちゃんと死んだままだ。
「せやかてまだ三十近くはおるで?」
「ああ、床の塵も同じくらいある。合わせると最初にいた影の数よりも明らかに多い」
「それってつまり……増えてるってことやんけ!」
六郎太は影の首根っこを掴みながら口を横に結んだ。確かに増えてはいる、が……相手にしている数に大きな変化は感じられない。まるで減ったそばから補充されている――そんな感覚だ。
「なんにしても、これ以上長引くのはまずいで」
鈎が親指で後方を指した。しおりの周りに張られた妖氣膜がきれかけの蛍光灯のように明滅している。
「確かにゴブの結界も限界に近いな」
「ああ、それに、これ以上体力と霊気を消耗するのは得策やない。わいらの相手はあくまでも油取りや」
「だな……」六郎太は正面に迫った影を溜息まじりに殴り飛ばした。
一方、後方ではゴブリンが奮闘していた。ボウイナイフが影の首を切り裂く。
「ギギ、キリがないナ」
六郎太たちと同様に、彼も影の数の変化には違和感を覚えていた。
分裂している可能性もあるが、それならもっと大量に数を増やし、戦況を有利に進められるはずだ。何故やらない? 可能性があるとすれば――六郎太、鈎、ゴブリンが目に氣を集める。
なんにしても増えているのだとしたら影達のなかに核となる本体がいる。そう思いながら鈎はぺろりと唇を湿らせた。だが、途端にその眉が中央に寄った。隣では六郎太も同じ顔をしている。後方からゴブリンの「ギ」という声があがった。
影の妖気は一体一体が寸分の狂いもなく均等だった。つまり、本体なんてものは存在しない。
なので<核となる一体が妖気を供給し増え続ける>という二者一妖の仮説は無意味なものとなった。
そもそも、いつ増えている――
何故、増える様を目視できない――
すると、苦虫を噛み潰したようになる彼等の奥で、山神しおりが「みんな」と声をあげた。
彼女も影の数には違和感を覚えていた。六郎太達が何かを視ようとしているのも察していた。だから同じように視ようとした。当然、霊視なんてものは出来ない。なので彼女は“視る”ことを意識した。ゴブリンのおかげでよく視えるようになったこの目なら、何かが視えるかもしれない、と。
すると、見えた。まるでステレオグラムみたく、景色から浮き出るようにこれまでは見えなかったものが、確かに視界に浮かび上がってきたのだ。
それは、流水のような――室内のいたる所から影へと注がれる力の軌跡――
「影達はたぶん妖気を受け取ってる」
六郎太、鈎、ゴブリンが敵を見据えたまま耳だけをしおりの言葉へ傾けた。
「受け取るって、どういうこっちゃしおりちゃん」
鈎が影の一体を蹴り飛ばしながら訊いた。
「え、妖気が影に向かって流れてるでしょ?」
これに六郎太達は眉を顰めた。
「いや、しおりちゃん妖気は影の周りで留まっとる。他から供給されとる様子もない。もしかして、妖気を分け与えて分身してるみたいなことを言いたいん? やったら残念ながらそうやない」
「いや、でも……新しい影が生まれる時は必ず妖気が集まって生まれてるよ」
「ギギ旦那や鈎、オレ、全員が視えテいないんダ。その可能性は無イ」
「でも……たしかにオーロラみたいなものが……」
「オーロラだと?」
六郎太が訝しむように体ごとしおりを向いた。そうしてわけもわからず頷く彼女を一瞥すると敵をそっちのけで鈎と目を見合わせる。
「ギギ二人とも余所見スルナ」
ゴブリンが向かってきた影を切り裂く。
六郎太は妖精の文句を無視してしおりへ訊ねた。
「山神おまえ、オーロラって――それが視えるのか?」
「え、うん。みんなには見えてないの?」
六郎太が呆れるように笑う。そんなもの視えるわけがない、と。
彼女の言う通りだとすればそのオーロラというのは“向こう側”で行なわれている力の流れだ。妖気ではない。
霊気や妖気はいわば精神世界の力が物質世界の力に変換された状態。霊視はあくまでもそれらを視る手段。向こう側にある状態の“力”を視るなんて……魂という概念を目視する行為に等しい。
「ゴブ、お前の術ききすぎなんじゃねえか?」
「ギギ旦那、俺は力の一部を共有しただけダ。しおりの目にそんな力が宿るなんテ思いもしなイ」
六郎太は「ふん」と小さく鼻を鳴らした。
考えてもみればここは油取りの世界だ。この空間そのものが奴であり、同時に奴の精神世界とは表裏一体……であれば、奴の精神面から影の精神面へ“力”を受け渡すことも可能だろう。そうして“渡された力”は影の内で“影の力”――すなわち“妖気”へと変換される。霊視では見ることの出来ない精神世界での力の流れ……こうやって“世界”から直接妖気を得ているのだとすれば山神しおりの発言とも合点がいく。
にしても……こちら側から向こう側を見る目、か。なんでも視えるわけではなさそうだが――六郎太は自身を向く黒と緑の双眸から目を背けた。
「せやかてどないする? タネはわれたけど、ようは無限に再生し続けるっちゅうことやろ」
舌を打つ鈎を向いて、しおりは硬い表情で答えた。
「ちょっと違うかも。新しい影が生まれる時、オーロラは必ず影達を経由してる。影自体が新しい影を生んでいるというか……だから、もしも影をすべて倒すことが出来れば新しい影は生まれないのかも」
「影影影って何回言うんだ、ったく。でも、まあ――」
六郎太が口を横に結ぶ。
つまるところ世界から供給された“力”は全てが妖気に変換されるのではない。おそらくは一体一体が新しい影を生み出す分を残し、数が減れば現存する影がストックしていた“力”で新しい影を生み出す。これなら力の供給が有るわりに弱いのも頷ける。そして増える様を認識できないのも妖気から生成されるのではなく“力”が直で影になるためだろう。ようは錯視トリックを使っただまし絵に近い。普段から霊気や妖気を察知している者ほど陥りやすい霊感のバグ。山神しおりが気付かなければ、ずっと戦い通しだったかもしれない。
じわじわと体力と精神を消耗させるための罠、か。くだらねえ――
「せやかて、すべてって言うても減ったそばから増えるやんキリないで」
「全部同時に、ならどうだ?」
六郎太は言いながら鈎を向いた。
「なるほど、大技ドン作戦か。けどお前はあかん。みんな燃えてまうんやろ? 知らんけど。まあここはわいにまかせえ。しおりちゃんのファインプレーに免じて大盤振る舞いしたるわ」
鈎はそう言って学ランの内ポケットから飲みかけのペットボトルを取り出した。
「ほらみんな角のほうに下がってや」
鈎は六郎太達が移動したのを確認すると迫ってきた影を蹴り飛ばしてから口いっぱいに水を含んだ。
“ⴷⵇⵉⵛⵀⵉⵣⵄⵏⵇⴳⵇⵔⴻⵔⵓ,ⵉⵏⵇ,ⵄⵜⵄⵢⵄ”
(大地を流れる源よ)
“ⵣⵇⴳⵇⴽⵉⵣⵄⴽⵓⵔⵇⵉⵜⴻⴽⵓⵓⴳⴻⴽⵉⵢⵄⵔⵉⵀⵇⵏⵇⵜⵇⵔⴻⵏⵏ”
(我が氣を食らいて空隙より放たれん)
“ⵙⵀⵉⴳⵓⵙⵇ,ⴻ”
(針嚏)
口の動きが止まった――と同時、その口腔から吐き出された水は無数の水滴から針へと変わり、散弾の如く教室内を奔った。放射状に散った水の針はいとも容易く影達を穿ち――まさに一瞬の出来事であった。気付けば室内に数えきれないほどの小さな穴と塵と化した影、それから幾つもの水溜まりが出来ていた。
「どないやねん」
鈎はそう言ってペットボトルを床に放った。
目を点にしていたしおりがハッとしたように声をあげる。
「ま、鈎君すごい!」
「せやろせやろ。なけなしの霊気を使ったんやからもっと褒めてや」
「ギギ水氣の術カ。木氣使いカと思っていたガ。コノレベルの水氣を扱えるトはナ」
「せやろせやろ? どやまんじ、屋上でこれつこてたらわいの勝ちやったやろ」
六郎太は眉を持ち上げると「まあ、絶対食らいたくはねえな」と返した。
「お、そりゃ敗北宣言やな」
鈎が腕を組み勝ち誇った顔になる。
「あ? そうじゃなくて、あの水の弾ってお前が口に含んだ水だろ?」
「せやせや、って――それはどういう意味やねん!」
「は? まんまだろ。なあ山神も嫌だよな」
六郎太は悪戯っぽい笑みを浮べる。
「え、いや私は……」
しおりの視線が申し訳なさそうに下を向いた。
「そんな……しおりちゃんまで――」
鈎ががくっと項垂れる。
「そんな落ち込むなって。お前のおかげで影どもを一掃出来たのは事実なんだ。感謝してるぜ」
六郎太は悪びれる様子もなく鈎の肩に手を置いた。
しかし鈎はそれを勢いよく振り払うと、
「そう思うなら口に含んだのくだりはいらんやろっ。素直にありがとう言えやボケ」と言ってむすっとしまま教室の出口へ歩いて行った。しおりは慰めようとその後を追った。
二人が出て行くのを見送って視線を正面に戻した六郎太はガランとなった教室をぼんやりと眺めた。
「ギギ旦那どうした。行かないのカ?」
「なあゴブ。お前は俺の中で“あれ”を見たんだよな?」
ゴブリンの顔色が変わった。
「ギギ――正確には遠くカラ眺めてトンずら、だガナ」
「そうか。山神の目には見えてなかったみたいだ」
「ギ、ずっと妖と居たんだ、見えたとしてもアイツは気にしないだロ」
「……まあ、どっちでもいい」
六郎太はそう言って教室を後にした。




