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魔性転生  作者: 邪
第一幕 ―神隠し―
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“妖殺”

 梅雨明け間近だというのに、依然として曇り空は晴れることがなかった。茹るような湿気と仄暗い日の光で、どこも幽々とした日々が続いている。

 東京都立王摩高等学校の二年A組では、年配の男性教師が教壇の前に立つ短ラン、ボンタン姿の少年へ、自己紹介をするよう促していた。

 教師を一瞥した少年は好奇の目を向けてくる生徒達を眺め、

まんじ六郎太ろくろうた。すぐ居なくなるけど宜しく」と、両手をポケットに突っ込んだまま、ぶっきらぼうに名乗った。敵意はないが好意もないと暗に言っているようだった。

 中背の体は着痩せこそすれどフレームの良さが制服越しにも見てとれる。顔は幼さを残しつつも猛々しさが勝っており、一切愛嬌のない目元はリーゼント風の髪型と相まって天然の威圧感を備えている。

 そんな風体と物珍しい名前に教室内では生徒達のざわつきがピークを迎えていた。

 ――マジで言いたい放題だな。

 六郎太は眉を寄せ、教師に指定された席まで喧噪のなかを進んだ。

 窓際の一番後ろの席に着くと、彼は自分を王摩高校ここへ送り込んだ保護者“よーこちゃん”に内心で愚痴った。

 というのも、彼は一度も学校に通った事がない。今さら行きたいとも思わないし、なんなら行きたくなかった。そんな自分がまさかこうやって同世代の少年少女達と並んで座ることになるとは……。

 彼女がざまぁと笑っているところを想像してイラっとしたが、これも仕事・・だ。仕方がない。

 それよりも今は一つ気がかりな事がある。担任教師の――名前は確か安藤あんどうのぼるだ。

 白髪交じりの髪を七対三に分け、痩せ気味の体には白のポロシャツとカーキのセットアップスーツを着けている。足元には年季の入った革靴を履き――歳は五十を過ぎたあたりだろうか。先程から教壇の奥を左右に行ったり来たりしながら、左手で右肩を押さえて出欠確認を行っている。

 その顔は唇ともども血色が悪い。額には汗が浮かび、目の下には濃い隈を蓄えている。

 一見すると不健康そうな年配男性――少なくとも普通の人からすれば“ただのオッサン”にしか見えないだろう。

しかし、六郎太から見れば彼――安藤は間違いなくあやかしに憑りつかれている。

 よく霊的な存在モノが近くにいると臭い(匂い)がするという。

 それは霊臭と呼ばれ、格や種類によって様々な臭い(匂い)を放つ。なかでも人に害を成す妖は汚物やドブの――硫黄臭がすると云われている。

 普通の人間が憑りつかれた場合、無意識にその臭気を嗅ぎ続ける事となり、そうやって妖気・・に晒され続けた肉体は硫化物中毒と似た症状を発症する。代表的なものでいうと昏睡や呼吸抑制。ほかにもチアノーゼや痙攣、頻脈と多岐にわたり、これは憑かれた人間が体に不調をきたす原因の一つとも云われている。

 だが、安藤が妖に憑りつかれているとする一番の理由はこれではない。

 確かに顔色や唇の変色はチアノーゼの兆候ではあるが、六郎太が注目したのは彼が目の下に蓄えている隈である。彼の隈は緑色を帯びている。

 普通、隈は鬱血による青、たるみによる黒、シミなどによる茶の三種にわけられるが、彼の隈は違う。緑色は硫化物中毒が原因で死んだ人間にあらわれる死斑の色だ。

 つまり、妖に憑りつかれた人間は生きながらにして妖気による死色の刻印を体のどこかに刻まれてしまうのだ。

 ほら、また右肩を気にした――どうする、助けるか。いや、でも――

 まだ慣れのない学校という環境が彼を迷わせる。目立つような大立ち回りは出来ない。こっそり近づいて手早く処理するか……。

 そうこうしている間に朝礼が終わり教師が教室を出て行くのが見えた。

 放っておくのも気が引ける……行くか。

 六郎太は席を立ち、担任教師を追いかけた。当然、他の生徒達は困惑していた。

 室内がまた騒がしくなった。


 二年C組の前で目当てである担任教師――安藤に追いついた。

 がらんとした廊下をひとり歩くその後姿に、六郎太の視線が自然と鋭くなる。

 幸い他に人はいない。どの教室も磨りガラス調の窓がぴたりと閉められている。

 好機とみた六郎太は気付かれぬようその背後へと近づき、背中に手を伸ばした。すると突然、彼がこちらを向いた。

 あからさまに訝しんだその表情に六郎太は思わず言葉を詰まらせる。勢いだけで追いかけてきたので言い訳を考えていない。まさか“正直”に言うわけにもいかない。

 廊下が、しんと静まり返った。

「何か、心配事でもあるのかい?」 

 そう口火を切ったのは安藤だった。

 彼は沈黙する六郎太を見て微かに口元を綻ばせると懐かしむように改造学ランへ目をやった。

「立場上、指導しなければいけないのだが……君はそういうのが好きなのかい?」

 六郎太は眉を寄せ、暫し宙を仰ぎ見た。

 好きか嫌いかで考えてはいなかった。ただ用意されたものを着ただけだ。ようは“よーこちゃん”の趣味なのだ。

「よ――じゃなくて“親”の趣味なんで」

「親の? そりゃいい」

 そう言って安藤は破顔した。それからやたらと嬉しそうに頷き、不意に天井を仰いだ。上では蛍光灯が明滅していた。

 訊くと先週かえたばかりだそうだ。その前も一週間ほどで同じような状態になったらしい。しかも照明類のスイッチに触れただけで電球や蛍光灯が切れてしまうとのことだ。

 霊能界隈の常識のなかでもある程度一般に浸透している話として、霊的なモノが電子機器に影響を及ぼすという説がある。磁気だと主張する科学者もいるがそうではない。霊的なモノが“そういう力”で構成され“そういう力”を帯びているというだけだ。つまりこの明滅も憑かれている兆候の一つといえる。

 そうしてひとしきりライトを眺めた安藤が、また自分の右肩を揉み始めた。彼は自己紹介を促した時から今まで一貫してこの仕草を行っている。

 普通、人間は霊的な存在を捉えることは出来ない。だが妖のように妖気を帯びたものが近くにいる時は別だ。

 そういう時、人は大抵“嫌な感じ”を覚える。何となく、そこはかとなく、でも確かに嫌な感じがするのだ。そして五感では捉えきれないそれらの感覚に、脳は肉体へとりあえず・・・・・の命令を下す。安藤の場合は肩周辺に感じる“嫌な感じ”を凝りや痛みとして感じているようだ。

「後ろを向いてもらえるか――じゃなくて、ますか」

 学校での言葉遣いはここへ来る前に“よーこちゃん”から聞いている。年上には丁寧語とのことだが、学校から出たあと学校の人間にあった時はどうするのだろうと六郎太は疑問に思っていた。

 そんな生徒からの頼みに一瞬首を傾げる安藤だったが、彼は直ぐに「肩でも揉んでくれるのか?」と、笑いながら背を晒した。

 人がいい。どこか肝も据わっている印象だ。六郎太は「まかせてくれ」と、その背中に頷いた。

 やはり妖がいる。六郎太の目にはハッキリとその姿が映っていた。

 視線の先――右の僧帽筋のあたりに、拳大の小人が背中を丸めてしがみ憑いている。<餓鬼がき>という下異かいの妖だ。

 異様に膨れた腹と歪な頭部を持ち、人に似た歯抜けの口が一つと魚に似た黒い目が二つ。四肢は小枝のように細く、肌はヘドロに似た色をしている。知性は無いに等しく、そのぶん本能に忠実で、食欲を満たすため人間に憑りついては悪さをする。

 奴等は人の負の感情と、そこに含まれるが大好物だ。それ故に憑りついた相手を直ぐに殺すような真似はしない。ただ、いつかは氣を吸いつくされてしまうだろう。

 結局のところ、それは死と同義だ。この場で確殺するのが妥当――

 六郎太は周りを確認して誰も見ていないことを確かめた。

 妖には霊体と幽体と実体の三つの形態が存在する。この餓鬼は幽体だ。妖としての能力を最低限保ちつつ、物理的には存在していない状態。つまりは見られず覚られず一方的に人を食いものに出来る都合のいい形態といえる。

 しかし、彼――卍六郎太の前では無意味だ。

 巷では今なおインチキ霊感商法が溢れている。なかには本物もいる。だが基本彼等に妖を祓う力はない。

 確かに妖は霊的な側面を強く持つが、根本的に幽霊とは違う。人間が人間であるように霊は霊。妖もまた妖という種なのである。“そういう存在”に対抗するには霊的なものを見聞き出来る程度では足りない。必要なのはそれらを確実に殺傷するすべだ。

 そして卍六郎太は、その術を持つ特異な人間の集まり【役会えんのかい】の妖殺仕置人<行者ぎょうじゃ>である。相手が霊体だろうが幽体だろうが視れる聴ける触れる嗅げる感じられる。ここ王摩高校に潜入しているのも<会>の仕事<業事ぎょうじ>のためだ。

 現状はその内容から逸れてはいるが目にした妖は祓うのが原則。目的遂行の妨げにならないのであれば<会>も文句は言わないだろう。ただ、こちらの所作や力を見られると騒ぎになるかもしれない。気を付けるにこしたことはない。

 六郎太はもう一度背後を確認してから安藤の背中へ手を伸ばした。すると餓鬼の頭部がこちらを向いた。当然のように目が合った。

 餓鬼は面食らった顔でニ、三度口をパクパクさせた。

 それから六郎太の右手に目をやり途端に表情を一変させる。眉間に皺を寄せ、隙間だらけの歯を食いしばり、爺のような顔で「キ」と鳴く。

 これも普通の人間には聴こえない。この鳴き声は威嚇だ。嘲笑の時は「チ」の音で鳴く。どちらもガラスを引っ掻く音並みに耳障りだ。

 とりあえず様子を窺おう。安藤の身の安全が最優先だ。

 するとその意図を察したのか餓鬼は安藤の首へ移動し、歯抜けの口を大きく開いて噛みつくかたちで動きを止めた。

 その口元を見て六郎太は内心で舌を打った。

 歯が実体化している。色や輪郭、細部がよりはっきりすると表現すればいいだろうか。

 奴等が実体化すると完全に物質世界こちらに存在している状態となる。つまり、歯は文字通り歯になるということだ。

 餓鬼に鋭い牙はない。人間と同じで丸みを帯びた歯をしている。だが腐っても妖。小さくとも噛みつく力は人間のそれを凌駕する。急所であれば致命傷は必至。知性がないわりにこういうところはずる賢い。

 六郎太は仕方なく伸ばした手を下ろした。

 それを見て餓鬼が「ガ」の音で鳴く。喜んでいるときの鳴き声だ。音痴な歌を延々聞かされているような不快感。これを聞かずに済む“普通”というものが少し羨ましい。

 一歩退いた六郎太は奴のくるくる回す手振りに従い、振り向いて背中を晒した。すると嬉しそうに口元を綻ばせた餓鬼が舌なめずりをしながらその無防備な後姿に飛び掛かった。

 ――阿呆が。

 待ってましたと言わんばかりに六郎太が身を翻す。次の瞬間、彼の右手は弧を描き、宙を駆ける餓鬼の体にあぎとの如く咬みついた。引き寄せた手のなかに呆気にとられた“爺”が収まっている。

 事態を把握して暴れようとする餓鬼だったが、全身をがっきり咬む六郎太の五指はびくともしない。むしろヘドロ色の体に指がめり込んでいく。

 餓鬼は途端に目じりを下さげ「イ」の音で鳴き出した。命乞いの鳴き声だ。この音だけは耳当りが良い。

 冷笑う六郎太を見て、手の中で仰向けになっている“爺”がまた抵抗に出た。口を横に歪ませ自身を咬む指の方へ持っていく。

 そして、ガリっと親指に噛みついた。だが歯はミリも入っていかなかった。

 ――そんなじゃ俺は殺せない。なあ、殺してくれよ(・・・・・・)

 餓鬼を咬んでいる指の接地面が途端に赤熱した。ヘドロ色の胴体は紅く膨れ上がり、刃の如く噴流した火が、その体を内側から突き破った。四散し宙を舞った肉片は空中で瞬く間に燃え上がり、本体同様、床へ落ちる前に消滅した。実体化していた歯の燃えかすだけが六郎太の足元に灰として残っている。

 断末魔の叫びすら許さず妖殺完了であった。

 餓鬼が消えたことで蛍光灯の明滅が止むと、安藤は不思議そうに天井を見上げて、それから六郎太を向いた。

「いま、おまえ――いや……今日はなんか、気分がいいな」

 にっこりと笑う安藤に六郎太は頷き掛けた。妖を祓ったとき、それによって守られた何かを目にしたとき、彼はやっと生きてていい(・・・・・・)のだと実感する。

 ふと、安藤の視線が六郎太の足元を向いた。六郎太はつられて自身の足元へ目をやる。するとすかさずといった具合に生徒名簿で頭を叩かれた。

「制服は許すが、煙草は許さんぞ」

 これには言い訳のしようがない。

 とりあえず、この人は良い先生なのだと思った。

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