白昼夢のような逢瀬
お読み頂き有り難う御座います。
「乙女ロジェル、ボクが悩みを聞いてやろうではないか。命を懸ける程の悩みを」
「で、ですが」
「時間は巻き戻らないが、大概権力でねじ伏せられるものだよ?責任は伴うがね」
責任は伴う。
一体何を求められるのだろうか。
だが、雲の上の存在である宰相に願いを聞かれるなどというチャンスは、もう二度とない。
気が変わらない内に!と、ロジェルは叫んだ。時間が巻き戻らないなら、ロジェルの胸を潰している不安を捲し立てるしかない。
「私、押し付けられた浮気性の婚約者と婚約破棄をして、庶民に戻りたいです!!」
「……『浮気性の押し付けられた男』は、流行っているのかねえ」
「え?流行り?」
そんな流行が有っただろうか。
他の人は真摯な婚約者ばかりで、ハズレ籤を引かされたのは庶民だった自分だけだと思っていた。
「……まあ、何でもいいか。取り敢えず剣は返すよ。うわ重っ!?」
水の中に手を突っ込んだ宰相は、何も無い水面から手品のように剣をスマートに……引っ張り出せなかったので、よろけている。
水の上に立ち、水の中の荷物を引き摺っているような奇妙な動きだ。
……綺麗な人なのにコミカルだな……とぼんやりとその光景を眺めていたロジェルは、はたと気付く。これがもし人に当たっていたら!?
今更ながらに青褪めた。
武術の達人でもない限り、武器が不意に上から降って来たら100%死ぬではないか。何と言う事をしたのだろう。
「も、申し訳御座いません!!本当に、こんなガラクタを放り込んで申し訳御座いません!本当に浅はかでした。あの、今更ですが宰相様にお怪我は!?
殺人未遂でどうぞお縄に!」
「怪我?」
宰相は必死なロジェルの様子が腑に落ちないのか、首を傾げた。
「無いね。偶に物が落ちてくることは有るけど大体浮かんで……まあいいか。何でそんなに捕まりたいんだね」
「罪は償うべきです!何でしたらその剣でボカッと!気が済むまで私にブン回してください!」
「いや無理だよこんなものを振り回すのは。……取り敢えず帰って寝なさい、乙女ロジェル。疲れているのだよ」
「さ、宰相様……」
冷酷だ何だかんだと新聞で悪口を書かれているが、何と言う懐の深さなのだろう。ロジェルは美貌の宰相の言葉に感動した。
「しかし本当に重いね。こんな物を担いで大丈夫なのかね?骨が外れやしないかいこれは」
全身で担ぐようにして渡された剣が、ロジェルの両腕に収まる。
「す、すみません!あの、私、庶民育ちなので頑丈で平気なんです。大丈夫です、大丈夫なんです」
「大丈夫大丈夫と、限度があるだろう。
乙女ロジェル、無理はしなくていいのだよ」
無理。
無理なら幾らでもしてきた。
でも、報われなかったから、こんなところに。よく考えずに馬鹿なことをしにきて。
挙げ句の果てに、高貴なる宰相様にこんなクダを撒いている。
ロジェルは、恥ずかしくなった。
「わた、私。結局頑張れてません。宰相様にまでご迷惑を」
「ふむ?」
ぼたり、と泥で汚れた服に新たな染みが生まれた。
宰相から返して貰った剣は濡れていないのに、急な雨だろうか。
ぼたり、ぼたりと顎に水が伝い、染みが広がった。
「あ、あれ?おか、しいな」
「ふむ、乙女ロジェル。少し失礼」
ロジェルの視界は水の膜に覆われて、ぼんやりとしているらしい。
よく見えないが、草と泥に混じって花の香りがすることに気付いた。
ふわふわとした布の感触と、固くなった指先がロジェルの頬っぺたと目尻を緩く撫でていた。
「君、容貌の嫋やかさと違って力持ちなのだね。身内にどなたか強力の持ち主が?」
「えと、あ、はい。鍛冶屋ですので」
昔から重いものを運ばされているロジェルは、怪訝そうな宰相の問いに首を傾げた。雨は止んだのだろうか。
「……それだけでも、そうでもない気がするのだが。
まあいい。その流された涙の価値には敵わないが、少しだけ叶えよう。吉報を待つが良かろうよ」
ざぶん、と音がして。
泉に静寂が戻った。
……。
水面は静かであった。
後に残されたのは、泥まみれになったロジェルと、腕の中の忌まわしい大剣のみ。
……何一つ解決していない。
そもそも本当にこの泉に宰相閣下が降臨して居たのだろうか。此処で寝こけていた確率の方が高過ぎる。
あんな優しい言葉を掛けて貰う理由もない。そんな、末端木っ端貴族が宰相に出会うだなんて……。夢だったに違いない。有り得ない。人に聞かせたら嘘だー!としか言われないだろう。
「帰ろう……」
制服を着てこなくて良かった。この泥汚れを落としきった後に干したとしても、到底明日までに乾くとは思えない。
流石に炉の側に干したら焦げてしまう。
そんなことをぼんやり考えていたら日が暮れて、泉は静かで。ロジェルはヨロヨロと立ち上がる。
泥で濡れて汚れきった服と下半身が気持ち悪い。
空には、金属の粉を溢したかのような星が輝いていた。
ロジェルは投げ入れたお供えを返して貰いましたね……。