宣言
紀介は、スーツの男から渡された白いシャツと黒スキニーパンツに着替え、男らに連れられて病室を出る。
そしてそのまま、外に用意してあった黒い車に乗った。
その間、紀介と男らは一切の会話をせず、紀介は不安感を募らせていた。
そしてやがて、紀介はそれを払拭すべく、口を開いた。
「俺は……魔人……なんですよね?」
車が信号で止まった時、紀介は前の席に座っている二人の男にそう問いかけたのだ。
数秒ほど沈黙があったが、やがて助っ席に座っている男がそれに答える。
「……君が意識を失っている間、先程の病院で精密検査を行った。結果、君が魔人であることと、その能力の詳細が判明している」
「だったら、どうして収容所に連れていかないんですか。……いや、そもそも手錠すらさせないのはおかしいでしょう。確かに、俺に抵抗するつもりは無いですけど、それでも────」
「────どうしても手錠が欲しいと言うならしてやるが、《《君の能力の都合上》》、我々は『拘束するべきでない』と判断した。それだけだ」
「……?」
紀介はその理由が分からなかったが、再び問おうとする前に信号が変わって車が発進してしまい、その機会を失った。
窓の外を見てみれば、街頭の時計が午後一時をさしている。
紀介は平日の昼間に都内を移動する非日常感に襲われながら、十数分間、後部座席で揺られた。
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「……支部長、笹ヶ峰紀介を連れてまいりました」
対魔人保安局東京支部《大きな国営ビル》の最上階の豪華絢爛な廊下を抜け、重厚な茶色い扉の前に着いた。
そして、男がそれをノックする。
扉の上には金のプレートがあり、『特別応接室』と書かれている。
「入ってくれ」
「はっ」
中から若い女性の声が聞こえ、男は返事と共に扉を開いた。
紀介はこれまで一緒に居た二人の男も入るものだと思っていたが、男の一人が「早く入れ」と首で指図してきた。
「……失礼します」
紀介か恐る恐る部屋に足を踏み入れると、すぐに扉がゆっくりと閉められる。
入ったその部屋は「更に豪華な校長室」という雰囲気で、机とソファーが置かれ、その一方に一人の女性が座っていた。
「お目覚めのところを早速来てもらって、悪いね」
その言った女性は、赤黒い髪が肩下まで自由に伸びており、ハーフのような顔立ちをしていた。
歳は高く見積っても二十代後半で、背は高く、黒い服に細いジーンズ、さらに肩にスーツの上着を羽織っている。
決して厳かな格好ではないのだが、そこには威圧感乃至、カリスマ性に似た何かがあった。
「とりあえず座って。何も緊張しなくていいよ。なんなら、敬語だっていらないさ」
「いや……。敬語は、使わせてもらいます」
「そう?まぁ、君がそれでいいなら」
女性は親しみやすさを前面に出して来るが、如何せん、存在感の格が違う。
紀介は締め付けられるような圧迫感を抱きながら、ぎこちない様子で女性と対面のソファーに座った。
「それじゃあまずは自己紹介からいこう。私は対魔人保安局東京支部の支部長を務めている、美羽楽等。よろしくね。名刺はいる?」
「……遠慮しときます」
紀介が断ると美羽は「そう」と言い、胸ポケットから名刺を取り出そうとしていた手を止めた。
それから変に間が開かないよう、紀介も自己紹介を述べる。
「俺は、笹ヶ峰紀介です。都立先島高校に通っ───」
しかし、美羽はそれを遮った。
「ああ大丈夫。資料は読んだから、君のことはもうよく知ってるよ。よく知ってるから、ここに呼んだんだ」
美羽はそう言って、机の端に置かれていた書類を紀介の方にやる。
その紙の見出しには『検査結果 笹ヶ峰紀介』とあった。
「これは……」
「君の精密検査結果だ。色々書いてあるが、今見て欲しいのはここだね」
美羽が指さしたのは『能力詳細』という項目だった。
紀介はそれを読み上げていく。
「『対峙した相手一名の【実力】を再現する。ただし【精神力】【体力】は再現不可』……?」
そこに書かれていたのは、あまり想像しにくい能力だった。
首を傾げる紀介に、美羽が説明をつけ加える。
「要するにコピーだよ。一対一で戦った場合、君は相手と全く同じ手札を得ることが出来るんだ。それが強い手札でも、弱い手札であっても、ね」
「弱い手札でも?」
「ああ。そうだね、例えば君が公園の少年とケンカしたとしよう。すると君はその間、相手の少年と同じだけの【実力】を持つ。けれど、君がライオンとケンカしたとすれば、今度は君はライオンと同じだけの【実力】を持つ。……要するに、良くも悪くも、あらゆる相手と互角に戦える能力というわけだよ」
「なんか、パッとしないですね……」
能力の全てを理解出来たかは分からないが、紀介にとっては、これでようやくあの時の辻褄は合う。
地下鉄で魔人と同じ能力を使用し、ほぼ互角に戦えていたことだ。
あれは【実力】をコピーしたからこそ戦えていたし、【体力】がコピー出来ないからこそ一撃でやられたのだろう。
紀介としては使い勝手の悪い能力に思えてならないが、美羽の評価は違っていた。
「これは非常に面白い能力だよ。体力と精神力さえしっかり鍛えれば、君はどんな相手とも互角に戦い続けることが出来るんだ。もちろんそこから勝つことは難しいけど、上手くやれば負けることも難しくできる」
「それは……でも、理論上の話じゃないですか。戦うのに必要なだけの体力も精神力も、持ち合わせてる自信がありません」
「もちろん私も、今の君が能力を使いこなせるとは思っていないよ。さっき言った通り、鍛える必要がある。────単純なトレーニングだけではなく、実戦を交えた形でね」
「────え?」
美羽の言葉に疑問を抱く。
話を聞く限り、紀介はこれから収容所や研究所に入れられる雰囲気ではない。
もちろん殺処分でもないだろう。
そして、その『実戦を交えて』というセリフが、あまりにも気になった。
「────ということで、君の能力の内容を踏まえた上で、一つ提案を聞いて欲しい」
「提案……ですか」
紀介がそうオウムを返すと、美羽は柔らかい表情で頷き、内容を述べた。
「────単刀直入に言おう。この保安局の治安維持課で特殊捜査官《戦闘員》として、《《魔人を駆逐する側の魔人》》になる気は無いかな?」
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「……なッ!?」
紀介はその言葉に、反射的に驚きの言葉を吐いた。
「何でそうなるんですか!?魔人は……、魔人は『収容』か『処分』を言い渡されるはずでしょう!?それが、どうしてこんな『飼う』ような……!」
怒りとまではいかないものの、紀介は言い渡された提案の非現実性から、冷静さを欠いて否定を述べた。
対して美羽は感情的になどなるはずもなく、淡々と説得を始める。
「君は非常に良識のある人物だと聞いている。さらに魔人の自覚を持った今朝からも、我々人間に対して反抗の意志を持っていない。加えて、その能力は有用性が高いときた。……君が魔人に対して同族の温情を持っていないなら、是非ともこちら側に来て欲しいと言うわけさ」
「別に俺は、魔人を倒しても『同族殺し』とは思わないと思います。……けど、そうじゃないですよ!保安局の捜査官なんて世間的にも上級職だし、治安維持課なんてさらにエリートじゃないですか!そんなところに魔人を採用するなんて間違ってますよ!」
「そんなことは無いさ。世間には伏せられているが、既に保安局内には魔人の捜査官が数名存在している」
「なッ……」
紀介はまた、耳を疑うようなことを聞かされた。
しかし嘘にも思えない。
そんな驚く紀介を他所に、美羽はさらに続ける。
「それに、確かに君は魔人ではあるが安全性は高いと言えるよ。書類にあるように、君の能力は一人で簡単に相手を殺せるわけでは無いうえ、『一対一』の時にしか発動しないんだよ。つまり────」
「───俺が保安局を裏切って攻撃したとしても、その弱点を利用してすぐに処分できるってことですか」
「そういうこと。頭がキレるね、捜査官向きだ」
美羽は笑顔で、紀介を処分する場合のことを躊躇いもなく話した。
フレンドリーな態度をしているとは言っても、やはり国営組織の上官。
紀介はあくまで仕事のためのコマであり、そこに私情を挟むつもりはないらしい。
使えなければ切り捨てるし、結果を出せば生かされるだろう。
「……」
紀介はしばらく沈黙し、焦りながら思考を巡らせた。
────特殊捜査官といえば、対魔人の最前線だ。配属初日で死んでおかしくないし、日々のトレーニングも俺なんかに耐えられるわけが無い。
普通に考えて、こんな突然の提案を請けるべきじゃないだろう。
────けど、俺がここで断ったらどうなる?用済みになればこんな魔人、さっさと収容所に送られるのがオチだ。……いや、勝手に聞かされたとはいえ、一般公開されていない保安局の内情を知ってしまった。
研究所で他者との関わりを遮断されたままモルモットにされるか、最悪処分だ。
───つまり、この美羽楽等は『提案』などと言っておいて、選択肢を与えるつもりなんて無かったってわけか。
紀介が考えに決着をつけた頃、心でも読めるのか、ちょうど美羽が口を開いた。
「それじゃあ決断を聞こうか。大丈夫。どちらが君にとって正解になるかは、まだ誰にも分からない」
微笑むような顔で、命の成り行きの決断を迫る美羽。
それに対し、紀介は腹を括って答えた。
「……今朝地下鉄で魔人と二人きりになった時、俺は戦いました。勝てるとは思ってなかったし、死ぬかもしれないと分かっていたけど、与えられる終焉を無抵抗に受け入れるのは嫌だったんです。……だから────」
そして紀介は、いずれ来たる不安と恐怖を握りつぶし、ただ信念に従って答えを言った。
「────だから、治安維持課の捜査官、やりますよ。……危険かもしれないけど、やっぱり俺は、大人しく収容所に入れられる方が死ぬより嫌です」
普通に考えれば異常と言われるような、危険な目に遭ってでも自由を選ぶ、紀介のその決断。
提案した張本人である美羽は、当然その答えに満足したようだった。
「最高に私好みの答えだよ、笹ヶ峰くん。……いや、笹ヶ峰初等捜査官。ようこそ、対魔人保安局へ」
この日、この瞬間。
紀介は『魔人を殺す魔人』という歪な存在として、これからを生きていくことが決定した。