チャプター8
〜コッペパン通り・エルリッヒの自宅〜
ひとしきりのメニューを作り終えたエルリッヒは、ようやく席に着いた。テーブルでは、美味しい美味しいと食べるツァイネと、棚から自分で見繕った赤ワインですっかり出来上がっているゲートムントが、各々の夕食を摂っていた。
「おーおー、自由にやってるねぇ」
「エルちゃん。ありがとね、こんなにたくさん」
ツァイネも多少は飲んでいるようだが、ゲートムントに比べればよほど素面を保っていた。二人とも、元来そんなに弱くはないのだろうが、何しろゲートムントはほとんど一人で飲んでいる。
二人とも、その様子を気にすることもなく食事を続けていた。
「夜の営業のために普段通り仕入れてたから、たくさん食べないと! よろしく頼むよ?」
「任せて!」
二人は大皿の料理を小皿に取り分けると、勢い良く頬張る。エルリッヒなどは、頬に手を当てて自分の料理の腕に舌鼓を打っている。美味しいものを食べたいからと言う理由でこの道を志したわけではなかったが、こうして美味しく作れているととても嬉しい。
美味しいものを食べることは幸せだ。そして、それを自分の手料理でまかなえるというのも、とても幸せなことだ。やっぱり、この道に一切の後悔はない。
「ところでさ、もぐもぐ」
「何? 食べながら話されると行儀が悪く的になるんだけど。むしゃむしゃ」
二人は行儀悪く食べながら話を続ける。
「今日は何の用で呼ばれたの?」
「そういやまだ話してなかったねぇ。王様、私にこの街を守ってくれだってさ」
その言葉を聞いて、ツァイネは一瞬で酔いが覚めた。それどころか、食事をする手が止まってしまった。どんな用件で呼ばれたのだろうと気なっていたが、まさかそのような用件だったとは。
これは詳しく話を聞いて、何なら国王に直接文句を言わねば。一瞬で、そこまでのことを考えてしまった。
「この街を守るって、具体的にはどんなこと?」
「王様に言われた話を要約すると、元の姿に戻って魔物どもを蹴散らしたり、全軍の指揮を取って兵士たちを動かしたり、そんなとこ」
こともなげに答えているが、そんな依頼をするというのは、異例どころの話ではない。元の姿に戻って魔物を蹴散らすというのは、わからないでもない。
強大な力を持ったドラゴンが国を守護してくれるというのは魅力を感じる話だし、この街の住人を守るために戦う姿は、さぞかし壮麗だろう。それこそ、将来の伝説になったり、国章を刷新してもいいほどの出来事だ。だが、全軍の指揮など、一介の町娘に依頼していい内容ではない。
「それで、なんて答えたの?」
食器を持つ手がカタカタと震える。答えを聞きたいような、聞きたくないような、複雑な思いが駆け巡る。だが、エルリッヒの表情は明るい。帰ってからの態度にも無理をしている気配は見られないので、自分を偽るのがよほど得意なのでなければ、悪い方向で終わったわけではないのだろう。
「んーと、手短にまとめると、この街に何かあった時には戦うけど、全軍の指揮は無理ですって答えた。なんかねー、伊達に長く生きてないでしょ? だから、歴史書に載ってるような戦いにも参加してたんだと勘違いされてたみたいでね。ま、こんな小娘にそれは無理だから、そのように答えたってわけ。そもそも考えてみてよ。私が指揮したところで、誰が従うの?って話」
「そっか、うん、それなら安心だ。変なことに巻き込まれたんじゃなくて本当安心したよ。それに、指揮官なんて、絶対になるべきじゃないよ。俺も、親衛隊に入るって話があった時、ホント嫌な思いをしたからね」
そうなのだ。ツァイネなら、ツァイネだからこそ分かってくれる話なのだ。それが嬉しくて、ついつい口が弾む。
「なんか、雰囲気的には望めば爵位もくれそうだったんだよね。エルリッヒ女伯爵であるぞー。ってね。だけど、それこそひどい話になりそうでしょ? だから断ったんだよ」
「うん、それが一番だと思う。そういうのって、何代も続いてる大貴族の息子が代々独占してる役職だからね。後、今はいないけど、王位に縁のない王子様とか、王族と血縁のある公爵家の息子とか。それを一代で伯爵に取り立てられた女の子が奪っちゃったら、すごい勢いで暗殺者が送り込まれそうだよ。それはそれで、今の身分制度に風穴が開きそうで面白いかもしれないけどね」
楽しそうに笑いながらグラスを傾ける。エルリッヒは望んだとおりの回答をしてくれていた。彼女自身が自分のために考えて出した答えに過ぎないのだが、それがとっても嬉しかった。
今のこの国の貴族社会はさほどドロドロはしていないが、それでもそのような世界には巻き込みたくないし、自分が爵位の打診を断ったのもそういった理由もあるからだ。
それでも、エルリッヒのような娘が国王による特別な計らいで何の後ろ盾もなく爵位を手に入れ、騎士団の指揮を執るようになれば、確かに面白いことにはなりそうなのだが。
「ちょっと〜、面白がらないでくれる? こっちは切実なんだけど。とにかく、そんなわけで王様はこの竜の王女様を貴族社会や騎士団に取り込むことは失敗したのでした」
「その言い方はどうかと思うけど、とにかく陛下は納得してくれたんでしょ? ならいいけど……」
国王は納得したからこそこうして無事に帰してくれたのだろう。そして、エルリッヒも後悔や迷いのない返答ができたからこそ、このような晴れがましい表情でいられるのだろう。今はそれで十分だった。
「それはそうと、前々から気になってたんだけど」
「何? あ、そっか、昼間話の途中だったね。私に色々聞きたいんだっけ。な、何? 答えられる範囲のことなら、答えるけど?」
今度はエルリッヒがカタカタと震えている、一体どんな質問が飛んでくるのか、考えただけでも恐ろしい。隣で酔っ払ってうとうとしているゲートムントがいっそ羨ましかった。
「多分、答えられると思うんだけど、エルちゃん、竜の王族なんでしょ? そもそも、どういう経緯で王族が生まれたの? それと、その他の竜族には秩序みたいなものはあるの?」
「ツァイネ君。私は今大したことのない質問が来てホッとしている。ヒントはこないだ貸した剣。あれは、見ての通り、ゲートムントの槍と同じ、竜殺しの力が宿った鉱石でできてる」
エルリッヒは長い昔話を始めようとしていた。自然と、ツァイネの意識がその声に集中する。
「うん。それも、ゲートムントの槍とは比べ物にならないほどの力だった」
「よろしい。では続けよう。あれは、その昔、遥か昔、竜殺しの勇者が使っていた伝説の剣だって伝わってる。昔すぎて、おとぎ話にも英雄譚にも残らないほどのね。彼は人間に仇なす邪悪な竜をあの剣で屠り、いつしかその数は千頭を超えていた。その過程で、竜の血を浴びすぎたせいか、不思議な力も帯びるようになっちゃったんだけど、それはまた別のお話。とにかく、そんなすごい武器を携えた勇者を相手に、私のご先祖様は果敢に戦い、これに勝利しました」
さらりと語っている話だが、伝説の勇者とドラゴンの戦いはきっと壮絶だったに違いない。まさしく血湧き肉躍る英雄譚ではないか。淡々と語るエルリッヒとは正反対に、ツァイネは聞きながらワクワクしていた。
「というわけで勝利を収めたんで、もともと群れの長みたいな立場ではあったそうなんだけど、竜族全体をまとめるために、正式に王族として立脚することになったんだってさ。で、勝利の戦利品として竜殺しの剣を頂戴しましたというわけ。ドラゴン社会、ひいては竜族は他の種族に不要な迷惑をかけないように生きていこう、もしこれを破るものが現れたら、この剣で制裁を加えますってね」
「そ、それは物騒なのか民主的なのかわからなくなるね。それで、今の話で一つ気になったんだけどさ」
先ほどゲートムントが注いでくれたお酒をくいと飲み干し、次なる質問をぶつけようとした。
「えー? まだ質問するの? しょうがないなぁ……じゃ、ちょっと食べてからね」
そう言って、エルリッヒはグラスの中の井戸水をこちらも飲み干し、再び食事に手をつけた。密かに、ゲートムントのいびきが聞こえているが、それには聞こえないふりをして。
〜つづく〜