チャプター6
〜コッペパン通り・竜の紅玉亭前〜
日が傾き始めた頃、エルリッヒを乗せた白亜の馬車は、竜の紅玉亭の前で停車する。
「エルリッヒ殿、到着しました」
兵士の一人がドアを開けてくれて、先ほどの兵士が手を差し伸べてくれる。あぁ、なんて素晴らしいのだろう。いつもだとうんざりしてしまうかもしれないけれど、たまにはこうしてお姫様扱いされたくなる。
「みなさんありがとう。あれ?」
外に出てすぐ、店先で座り込んでいる人影を発見した。どこからどう見ても、ゲートムントとツァイネである。
「二人とも! なんでこんなとこに! 帰ってくれてよかったのに!」
「いや、だって、夜の営業に合わせて誰か来るかもしれねーし」
「それに、エルちゃんのことが心配だったから」
二人は、無事に、それもお姫様待遇で帰ってきたエルリッヒに、安心したような表情を浮かべながら駆け寄ってきた。前回は、行ったっきり帰してはくれなかった。心配は拭えなかったが、連行と呼ぶにはあまりにも丁寧な兵士の態度と、豪奢な馬車が前回とは様子が違うことを伝えていて、いくらか安心できた。
ツァイネはあの馬車に見覚えがあった。あれは、王族の送迎などに使う馬車だ。探せばどこかに王家の紋章もあるのではないだろうか。
呼び出した理由はまだわからないが、いくらなんでも丁重すぎる。一体なぜそこまでの厚遇で召喚したのか。
「まーまー。そんな大げさな。それに、もし帰ってこなかったらどうするのさ」
「それは、日が暮れて少ししたら、帰るつもりだったよ」
「さすがに俺たちも腹が減っちまうしな」
口調は軽いが、わざわざ貴重な半日を費やしてまで待ってくれていたことが、本当に嬉しかった。
「エルリッヒ殿、よいご友人を持たれましたね」
「ええ、本当に」
オットーが、つい口を挟む。それほどまでに、強い絆や信頼関係が見て取れた。
「ん? んん?」
「あの、兵士さん、どうされましたか?」
オットーはしきりに二人の方を見ている。何かあるのだろうか。
「あの、もしかして、貴方はツァイネ殿ではありませんか?」
「え? 俺? そうだけど、君は……」
その名前が出るやいなや、兵士たちの目の色が変わった。ツァイネは首を傾げているが、兵士たちはツァイネのことを知っているらしい。半ば予想されたことだし、だからこそ、先ほどは裏口から出てもらったのだが、これはどういうことなのだろうか。ただ一方的に知っている、という態度ではない。
なんと、兵士たちは一列に並んでしまったではないか。
「ツァイネ殿、噂はかねがね。私はオットーと言います。彼らは私の同僚です。このような場所でお目にかかれて、光栄です!」
「は、はぁ、どうも」
気の抜けたようなツァイネの返答からすると、このような扱いは初めてではないらしい。
「あのー、ツァイネのこと、知ってるんですか? いえ、騎士団ではそれなりに有名人だってことは知ってるんですけど、皆さんの様子を見てたら、それどころではなさそうで」
「もちろんですよ! ツァイネ殿と言ったら、平民から騎士団に入り、親衛隊にまで上り詰めた伝説のお方です! 騎士団でも平民出身の兵士はもちろん、私たち下級貴族の出身者の間でも伝説になっているんです! そもそも、あの青い鎧を下賜される親衛隊というのは騎士団でもとびきりの生え抜き集団で、剣の実力はもちろんのこと、揃いも揃って大貴族の子息で構成されているんです。実力や忠誠心はもちろん、容姿、家柄、全てが備わっていなければ選ばれず、一人一人がどのような戦でも指揮官になれるだけ人材と言われているんです! そこに、平民から異例の大抜擢で入ったんです! それが伝説にならずしてなんだというのですか!」
「えーっと、みんな、誤解を招く言い方はやめようね? 親衛隊は、大貴族しか入れないっていうことはないんだよ。一応、騎士団員であれば身分は問わないってことになってるんだ。たまたま、家柄も備わった人ばっかりだっただけで。過去にも前例がなかったわけじゃないみたいだし、今後も良い人材がいたら出自を問わず採用するって言ってたよ」
「言ってた?」一体誰がそんなことを言うのだろうか。口約束にしてはあまりに大きな権限がいるのではないか。となれば、考えられる人材は限られている。
「言っていたというのは、誰ですか?」
「陛下が。ま、大臣は然るべき家柄の子息でないととかなんとか言ってたけどね。でも、陛下と大臣のそばで働くんだから、実力や忠誠心は必要だけど、身分なんておまけみたいなものでしょ? 確かにお金のある家は教育もしっかりできるから有利だけど、俺は、もっと採用者が出て欲しいと思うよ」
見えもしないお城の方角に目線を遣りながら、ツァイネは語る。その脳裏には、騎士団時代のあれこれがよぎっていた。そもそも彼が騎士団に入ったのは、王都や市民を守りたいといった大層な理由ではなく、剣の腕を活かして生計を立てたいと考えてのことだった。
それが、周囲が思った以上に実力があり、しかも、日々の鍛錬でそれをさらに伸ばしていたため、あれよあれよと言う間に親衛隊に就任していたが、それは全くの想定外だったのだ。
「あぁでも、陛下からは親衛隊入りの話を打診された時、周囲のやっかみや大臣の小言が心配だから貴族の身分に取り立てるって話はされたね。必須じゃないってことだったんで辞退したけどさ」
「な! なんと勿体無い! ツァイネ、貴族になってたかもしれなかったの?」
「そいつは驚いたな。大出世じゃねーか」
やはり、この国にはそのような身分制度に対する”抜け道”があったのだ。もちろん、正規のルートで貴族になる方法があるのか、そもそも今の貴族はどうして貴族の身分なのか、ということを考えれば、これもまた一つの道なのだろうが。
しかし、エルリッヒとゲートムントは驚きを禁じえなかったし、兵士たちも驚いていた。
「ツァイネ殿、それはすごい決断をなさいましたね。もし私が今よりも格の高い爵位に取り立ててやると言われたら、おそらくは迷うことなく首を縦に振っています」
「普通はそうだと思うよ。でも、身分だけの貴族じゃ意味がないし、今から国内に所領をもらってお屋敷を建てて使用人を雇ってお屋敷を管理して、だなんてそんなこと、考えただけでもうんざりだよ。俺はね、その時に思ったんだ。あぁ、根っからの平民なんだって。親衛隊は与えられる装備品も一級品だし、城内に個室も与えられるし、身分がどうであれ、貴族と同等の権限が保障されてた。でも、自分の実力が活かせるってことと、それまで以上のお給金がもらえるってこと以外は、魅力に感じなかったんだよね」
「お前なぁ。いや、ほんともったいない話だったんじゃねーのか? それ。普通だったら貴族にしてやるって言われたら、大喜びで貴族になるもんだろ。このオットーさんとやらの方がむしろ普通だぞ。とはいえ、俺も同じ話をされたら、少し考えてから断ってるかもな。堅っ苦しいのは苦手だし」
『庶民』という感覚は、全てにおいて言えることなのだ。経済観念だけでなく、価値観全てにおいて。だから、もともと平民だった二人がその誘いを断ったり、自分だったら断ると考えるのは、至極当然だった。もちろん、一瞬貴族への憧れから首を縦に振る人がいたとしても、それもまた『庶民』の感覚には違いないのだが。
これは、下級貴族出身のオットーには理解できないかもしれない。
「そうですか。とにかく、このような場でツァイネ殿にお会いできて、本当に光栄でした。あの、何かあった時には、王とのこと、よろしくお願いします。我々では、やはり……」
「ちょっと〜、頼りないこと言わないでよね。俺たちも全力で戦うけど、こないだ魔物を退けられたのは、みんなの働きがあったからでしょ? というわけで、日々の鍛錬は怠らないようにね」
こんなものはアドバイスでもなんでもない。そうわかっていても、お尻を叩くくらいにはなればいいと、エールを送る。そうだ、いざ魔族が再攻勢をかけてきたら、頭数の問題も出てくるのだ。自分たちだけが強くても意味がない。
「それより、ここで油売ってていいの? 多少のことだけど、戻った方がいいんじゃない?」
「はっ! そうでした! それでは失礼します!」
慌てた様子でコッペパン通りを中央通りに向かって駆けていく。馬車に乗れば早いだろうに、そうはしない律儀さが魅力なのかもしれない。
「さ〜、疲れた疲れた。とりあえず、中に入ろう。二人も来るでしょ?」
「え、いいの?」
「だったら、お言葉に甘えて!」
家の鍵を開け、扉を大きく開け放った。
「ただいま〜!」
半日ぶりの我が家である。
〜つづく〜