チャプター41
〜竜の紅玉亭〜
数日後、エルリッヒはいつも通りの日常を過ごしていた。『竜の紅玉亭』のお昼時はいつも通り忙しく、いつも通り賑やかで、いつも通り、楽しい。
常連客が中心だが、初めての一見さんも来てくれている。この街の住人なのか、観光客や出稼ぎ労働者といった外の人間なのかはわからないが、ふらっと入ったこの通りで見つけてくれたのだろう。味覚は人それぞれだが、美味しいと思ってくれたら何よりだ。
「はーい、シュネッケルとザワークラウトお待ちどう!」
威勢良く出来上がったメニューをテーブルに運ぶ。立ち上るいい匂いが辺りに満ちる。客たちはまず匂いから味わうことになるのだ。もちろん匂いだけ美味しそうなのに味はイマイチ、などということはないため、実際に味わったタイミングでより一層幸せな気分いなれる。
「いつもながら美味しそうだよ!!」
「ふふ、ありがとー」
「あの、私も同じものを」
ちょうど隣のテーブルに一見さんが座っていたらしい。隣に運ばれた料理を見て決めたのだろう。そういう選び方はとても手軽だが、ハズレのないやり方なのだ。
「はい。かしこまりました〜|!」
そうして注文を受けてから厨房に戻ろろうとしたところで、扉が開いた。いつものように笑顔を作って出迎える。
「いらっしゃいませ〜! あ、おばさん!」
やってきたのはおばさんだった。今日は夫婦で来てくれたようだ。何しろ隣に住んでいるだけに、頻繁に顔を合わせるのだが、自分の家で料理をすることも多いため、いつも来てくれるわけではない。
こうして客としてきてくれることは、とても嬉しかった。つい、笑顔が二割増しになってしまう。
「エルちゃんこないだお城に呼ばれたって聞いて、おばさん心配になっちゃってね。でも、元気そうで何よりだよ」
「ああ、本当だな。また、よければ詳しい話を聞かせてくれ」
「わざわざありがとうございます。はい、大丈夫ですよ! 機会があれば、いろいろお話ししますね!」
二人は勝手知ったる様子で空いてる席に座る。そして、「いつもの」とだけ注文する。ここまで手短に注文を済ませてしまうのは、数いる常連客でもおばさんたちだけだ。
「はーい! 順番に作るから、お待ちくださいね〜!」
元気よく答え、厨房に戻っていった。
「うんうん、本当にいつも通りみたいだね。安心したよ」
「お城に呼び出しなんて、めったにあることじゃないからな。しかも、俺たちとは事情の違う子だ。負担になってなきゃいいけどな」
『いつも通りに見せて実は落ち込んだり悩んだりしている』という『元気に見せる』ことの上手いエルリッヒの本心を探るのは、長く隣人をしている二人でも難しい。だが、今日はその”見えにくい”裏表が少しも見えなかった。きっと、本当に大丈夫なのだろう。
「あたしらは親代りみたいな気持ちでいるけど、最後は心配するしかできないからねぇ」
「ま、それも親の務めってもんだろ」
まるで、実の子よりも大切に思っているかのように、二人は目を細めながら、厨房に立つ後ろ姿を見つめていた。
〜王城 月光の間〜
国王は『月光の間』にいた。そこは、いくつかある会議室として使っている部屋の一つだ。テーブルには、ルーヴェンライヒ伯爵を始め、主だった貴族が顔を揃えている。その顔ぶれは、騎士団に所属するものと、財務大臣をはじめとした管財担当者が多い。
一同の顔を見回すと、国王が口を開いた。
「さて、今日集まってもらったのは他でもない。来るべき魔物の再来に備えた騎士団の武装強化についての話し合いをするためだ。議題についてはルーヴェンライヒ伯爵、よろしく頼む」
「はっ。先の魔物襲来の折、騎士団の戦力不足が露見しました。団員の練度についてはより魔物との実戦を想定した訓練を行うことで、強化を進めています。しかし、装備品についてはそうはいきません。親衛隊を始め、裕福な貴族出身者はともかく、末端の兵士は簡素な槍に質素な鎧しか与えられておりません。これでは、再び魔物が攻めてきた時に、とても対抗できないでしょう」
「なるほど。それでこの顔ぶれなのですな」
伯爵の説明を受け、財務大臣ゴルト伯爵が納得の面持ちを見せる。そして、国王が言葉をつなぎ、説明を続けた。
「そういうことだ。いつ魔物が襲ってくるかもしれない。そして、それは今日明日かもしれない。そのような状況を考えれば、これは急務だ。とはいえ、新たに支給する武具の選定、発注する武器防具屋の選定、実際の発注、予算の確保、考えねばならぬこと、決めねばならぬことが山盛り故な」
「では、まずは候補となる武具の選定から始めるのが良いでしょうな。いくらの武具を調達するのかを決めなくては、予算も組めませぬ」
「ですがファンプ男爵、そもそもどんなに安く見積もっても相当の額になりますぞ? 親衛隊はこのままでも良いでしょう。裕福な貴族の出身者はそれぞれの家の財力で強さも見栄えも十分なものを作ってもらうとしましょう。ですが、最も多いのは平民や貧しい貴族出身の兵士なのですから。その人数分だけ武器と防具を購入するとなったら。国が発注するのですから、値切るわけにも行きますまい」
国の一大事はわかる。がしかし、財務大臣としてない袖は振れないということをまず最初に伝えなければならなかった。予算捻出の話はそこからだ。
「わかっておりますとも、大臣殿。いくら国庫からとはいえおいそれと捻出できる金額にはならないということは、今の伯爵の説明を聞いただけでも十分に伝わってきまする。ミュンシェラー公爵殿、騎士団に属するものとして、ご意見を伺いたい」
「男爵の話も、大臣の話も、どちらも尤も。だがしかし、兵士が貧弱なのは、痛感しておったのだ。兵士を犬死させたくはない。装備さえ整っておれば守れる民衆を見殺しにさせることもしたくはない。大臣よ、どうにか工面してはもらえぬか」
ミュンシェラー公爵は国でも有数の大貴族だ。国王の遠縁にあたる血筋は伊達ではなく、騎士団が主たる管轄だったが、多方面に強い発言力を持っていた。
これほどの大人物に言われては、財務大臣としても無碍には首を横に触れない。かといって、すんなり「わかりました」と首を縦に振ることもできないのだが。
「槍の一本鎧の一領を取っても、購入するのは国民の税金からです。国を守るという名分は十分に理解できますが、理解は得ねばなりますまい」
「それでは、国民から意見を募ってはどうだろう」
「陛下? それは……」
口を挟んだのは国王だった。意外な意見に、誰もがその顔に注目する。国王の顔は、自慢げでもなければ、遠慮がちでもなく、いたって真面目だった。
ルーヴェンライヒ伯爵は、その真意を問いただそうとする。
「一体どのように民の意見を?」
「うむ。ずっと考えておったのだ。よい仕組みはないかと思ってな。そこでだ、まず、各通りの代表者に触れを出し、通りの中での総意を出してもらう。そして、代表者たちを城に呼び、その総意を発表してもらう、というのではどうかな?」
「おお!」
「それなら負担も小さいですな」
「完璧ではないでしょうが、民の意見を手軽にまとめられます! 検討いたしましょう!」
国王のアイディは思いの外まともなもので、皆口々に「これは良い」と言っている。ことを急いでいることもあり、多少の粗が出たとしても、今は詰めている余裕はない。
「では、まず、兵士の武装強化についての意見を求めるとしましょう。民衆もそれを望んでいるようであれば、予算はいくらでも組みやすくなりまする。もちろん、むやみに高い武具を買い揃えるわけには参りませぬがな」
「わかっておる。その辺りは、以後の議論でよかろう。まずは王命で触れを出すことにしよう。民達の意見を聞くのだ!」
勢いよく立ち上がり、国王がその勢いのまま高らかに叫んだ。
〜お・わ・り〜




