チャプター40
〜竜の紅玉亭〜
「それはそうと、お時間は大丈夫ですか?」
ハインツが相変わらずの穏やかな表情で問うてくる。そういえば、昼の営業が終わってからこっち、食事もしないで話をしている。
いつものように味見をしながらだから、そこまで空腹ではないけれど、このまま午後の仕込みに入るのは少し辛い。それに、もしこのまま話が盛り上がると、どこかで切り上げなくてはならない。もしかしたら、その辺りを気遣って助け舟を出してくれたのだろうか。
「そうですね。そろそろ食事をしないとですね。」
「だそうです。お嬢様、あまりお時間をいただいては、エルリッヒお嬢様のこの後の予定に差し支えます。我々はこの辺りで失礼するとしましょう」
「ええ、そうですね。それでは、今日は失礼しますね。美味しいお食事と素敵なお話、ありがとうございました」
こんな場所にあっても変わらぬ典雅な所作で椅子から立ち上がる。そして、ハインツと二人、出入り口まで歩いて行く。
その後ろ姿を見て、やはりここで見送る気にはなれず、外で見送るべくすぐに後を追った。
「エルザさん! 入り口で見送ります!」
「まぁ! ありがとうございます!」
三人で店の外に出る。すると、そこに待っていたのは、やはり豪華な二頭立ての馬車。ではなく、何もない、いつもの家の前の通りだった。
もしかしたら、迎えが来る算段なのかもしれない。
「あの、馬車は?」
「今日は、ここまで歩いて来たんです。馬車で来ようとも思ったのですが、ハインツに止められまして」
「ええ。通りの皆様に要らぬ混乱を与えては申し訳ありませんので。それに、食前の運動はより一層味わいを深くしてくれますし、食後の運動もとても大切です。お嬢様も、時には体を動かしませんとな」
なるほど徹頭徹尾配慮が行き届いている。これが執事として平均的なレベルなのか、はたまた突出したレベルなのかはわからない。だが、この気遣いできっと余計な迷惑をしないで済んだ住人もいるだろうことを考えると、まさに気遣いの賜物である。
「お気遣いいただいてありがとうございます。それに、エルザさんのことも考えていて、さすがです」
「いえ、私など、執事としてはまだまだですよ。旦那様にもお嬢様にも、先代様にも、家族同然によくしていただいていますから」
それは、能力であったり距離感であったり、そういういろいろなことなのだろう。しかし、とてもではないが、執事として未熟だとは思えない。謙遜にしてはすぎるのではないか。それが率直な感想だった。
ニコニコとした表情からは、とても真意をうかがい知ることはできない。ハインツの四倍は生きているが、人の心を読み取るなどという技能は身についていない。それを差し引いても、年の差埋めてなお余りあるほどの老獪さが見える。きっと、いつまで経ってもハインツには敵わないのだろうと思わせる。
だから、
「ハインツさんが未熟者だったら、世間の執事さんが恐ろしくなっちゃいますよ」
「恐れ多いことです。本当に、大切にしていただいているだけなのですから……」
これほどまでに本心の見えない人もなかなかいないが、嘘を言っているようにも聞こえない。ということは、やはり本心なのか。いや、どちらでもいいのかもしれない。
「ルーヴェンライヒ家は、いいところなんですね」
「ええ、そうなのですよ。職場としても、家庭としても、居心地の良いところなのです。っとと、余り長話をしていては、我らが退散する意味がなくなってしまいますな。さ、お嬢様、参りましょうか」
「ええ、そうですね。それではハインツ、また道案内をよろしくお願いします。わたくし、まだまだ道順を把握できていなくて」
二人はまるで、祖父と孫のような空気でコッペパン通りを中央通りに向かって歩いていく。どこから見ても、いい雰囲気だ。きっと、ハインツは赤子の頃からエルザのことを見てきたのだろう。そうであれば、このように穏やかな空気をまとっているのも頷ける話だ。
「さて、と。それじゃあご飯を作ってしばしの休憩としますかな」
二人の影が小さくなるのを見届けると、エルリッヒは踵を返して店内に戻っていった。まだまだ今日は終わらない。
〜王城 謁見の間〜
その頃、謁見の間では昼休みを終えた国王とルーヴェンライヒ邸が顔を合わせていた。エルリッヒを呼んで話をしたことの報告である。
例によって、玉座の間で行えばいいものを、わざわざ密談でもするかのようにここで行っている。
「して、エルリッヒはなんと申しておったのだ?」
「はい。魔物が現れれば、私が逐一倒します、と申しておりました」
まず第一声はこのように答える。今朝方頭を抱えた『特製フライパンのことを隠し通す』作戦として、馬車の中で考えていたシナリオだ。
もちろん、エルリッヒが口にしたこの言葉に嘘はない。
「伯爵よ、それでは具体性がないではないか。具体性を探るために話をしてもらったのではないか? よもや、忘れたのではあるまいな?」
「滅相もない! エルリッヒは、陸上の魔物は地上で、上空の魔物は地上から投擲で退治すると申しておったのです。そのために、城壁に上がる許可が欲しいとも」
少しずつ、具体性を小出しにしていく。そうして、エルリッヒの武器の話に話題が及びそうになっても、軌道修正がしやすいように持って行く。
どこまで国王が納得するかはわからないが、今の所は大丈夫そうだ。
「なるほど。少しでも高いところから攻撃できた方が良いな。しかし、どのように攻撃するのだろうな。何か聞いておらぬか?」
「それなのですが、素手で殴っても概ね一撃で倒せる、とは申しておりました。私も、邸で手近な道具で試しに木人形を攻撃する様を見ておりましたが、あの力は脅威と呼ぶほかなく。それよりも、親衛隊の武器を全員に持たせ、修練をすることが肝要とも申しておりました。さすがに、エルリッヒ一人では頭数が少なすぎますゆえ」
よし。なんとかこちらに話の展開を持っていくことができた。まだまだ油断はできないが、これなら迂闊に話が戻ってくることはないだろう。
できるだけ表情に出さないよう気をつけながら、話の組み立てを考えていく。
「なるほどのう。あの武器を量産せよと申しておったか。さすが、魔王時代を知っておるエルリッヒ殿だ。魔法の力を持たぬ我らにとって、擬似的にでもその恩恵にあずかることのできるあの剣は魔物どもに対して有効な、しかも意表を突く一手になることは間違いない。まして、単なる剣としてみても、国内で手にはいる武器の中でもかなり強力な部類だ。だが、あれがおいそれと量産できぬことは知らぬのではないか?」
「はい。そのようでした。ですから、それを伝えましたところ、量産できる手はずを整えるのが良いのではないかとのことでした。魔王が復活し、すでに魔物が迫り来た今の時勢、あの武器が量産可能になったとして下々の兵士に支給したとて、親衛隊の者共は文句は言いますまい」
親衛隊は、剣の腕や国王への忠誠心だけでなく、人柄も求められる。だから、自分より格下の家柄の人間や平民出身の兵士を蔑んだりはしない。それを踏まえれば、あの剣が騎士団の標準装備になったところで、優越感を奪われたとは感じないだろう。それが伯爵の見立てだった。
「うむ、その点においては余も心配はしておらんよ。だが、量産となると話は別だ。それは、そちもよう知っておろう。とはいえ、末端の兵士の武装が貧弱なのもまた事実だ。そちら貴族出身の者は、財力に明かして強力な武具を仕立てれば良いが、平民出身の者はそうはいかぬ。盗賊や獣相手には十分だが、魔物相手には話が別だしのう。これは、ちと真剣に考えねばならんな」
「はい。親衛隊の剣とまでは行かずとも、魔物の再来に備え、今より強力な武具を支給することは、必須事項として議論が必要かと思います。新たに支給する武具の選定や予算など、決めねばならぬことが多いですゆえ、早急に会議を開きましょう。段取りはこちらでつけますので、ぜひ陛下にもご出席ください」
そう言って、伯爵はソファから立ち上がった。今日は食後ということもあり、テーブルには紅茶だけが出されていた。それを飲み干すと、国王に向かい一礼をして、謁見の間を後にした。
部屋を出て、扉が閉まったのを確認すると、その場で小さくガッツポーズを取った。なんとか、エルリッヒの武器についての話題を出さずに済んだ。その思いでいっぱいだった。
もちろん、武具の剣は本当に議論が必要なことなので、それはそれで頭を抱える議題ではあるのだが。
〜つづく〜




