チャプター34
〜コッペパン通り 竜の紅玉亭〜
「……伯爵様?」
何かを考えている風の伯爵に、小さく問いかけてみる。きっと、呼び水を向ければ何かが返ってくるのに違いない。すると、案の定伯爵はワクワクした様子で言葉を返してくれた。
「い、いや、これをどう陛下にご報告申上げようかと思ってな。このようなすごいものがあると知れば、きっとお喜びになるに違いない。だが、その目で見るまでは信じられぬはずなのだ。だから、それをどうご説明するか、考えてしまった、というわけだ」
「そういうことでしたか。伯爵様の思った通りに説明すればいいんじゃないでしょうか。重すぎて大変でしたとか、これで殴られたらきっとどんな魔物も一撃だと思いますとか。さすがに、王様自らここにお越しになるのはそう何度もできることじゃないですし、私もフライパン持参でお城に伺うのは、何か変ですしね」
自分はここでいつも通りの生活をする。その上で、間に立つ伯爵にはできるだけきっちりと『これなら勝てる』ということを伝えてもらう。このギャップを埋めるのは、大変そうだった。
何しろ、武器は『とてつもなく重いフライパン』なのだから。
「うむ。しかし、あの陛下のことだ。あのような特異なフライパンの存在を知ってしまったら、直に目にしたい、手に取りたいと思われるのではなかろうか。そうなれば、陛下がここにお出ましになるかもしれないし、また呼び出しがかかるかもしれない……」
「そっか、そうですよね。それはちょっと困りましたね。なんとかいい手はないものか……」
これは小さな盲点だった。伯爵が迫真の説明をすればするほど、国王は強く興味を持ってしまうだろう。突き詰めると、兵士にこのフライパンや、同じ金属を使った剣を誂えさせるかもしれない。わざわざ北の国で採掘しなければならない手間や、常人には手軽に運搬できないことなどを考慮すれば、決して割に合う話ではないのだが。
「そもそも、私が強靭な戦闘能力で戦う、という一点で説明してはどうでしょう。王様から突っ込まれるまでは、武器のことは黙っているんです。もともと、素手で戦ってもそこらの魔族相手なら負けるつもりはありませんし」
「う、うむ、確かにそれなら……」
伯爵は頭の中で説明のシナリオを練っているようだった。そこに、もう一つスパイスを加えてみた。
「それと、武器の話が出たら、親衛隊の使ってる剣がすごいって話に持って行ったらどうですか? 宝石をはめ込むと魔法に近い力が使えるなんて、本当にすごいものですから。あれも、使われている素材は極秘なんですよね? あの剣をもっと量産してみんなに使って貰えばいいと思うんです。私がそう言ってたって伝えるだけでも、話題を逸らせる気がしますけど、どうでしょう」
「おお、それはいいかもしれぬ。だがな、あの剣はおいそれと量産はできぬのだよ。それに、宝石も確保が難しいのでな、全兵士に支給するとなると現実的な問題が……」
こんなところで、意外な秘密を知ってしまった。装飾品としても価値の高い宝石の確保が難しいのはよく分かるが、剣そのものの量産が困難だとは。
素材の都合なのか、職人の都合なのか、はたまた工房の都合なのかはわからないが。
「じゃあじゃあ、それをなんとか量産できないかっていう方向に持って行ったらどうでしょう。なんらかの理由で量産ができないなら、その理由を解消するためにはどうしたらいいかっていう議論にするんです。それなら、私の武器のことなんて、綺麗さっぱり忘れちゃいますよ」
「そうだな。保証はないが、やってみるしかあるまい。本当であれば、このフライパンがいかに驚きをもたらす存在であるか、語ってお聞かせしたいところではあるのだがな」
伯爵はどこまでも忠臣だった。と同時に、茶飲み友達のような気持ちで話をしたい、という思いもあった。だからこそ、立場をわきまえずに気軽に動こうとしてしまう一面には、十分に気をつけなければならなかった。自分が、その引き金を引いてしまうこともあるのだから。
そのような事情を踏まえ、とりあえずはとエルリッヒの提案を採用することにした。そうすんなりと話が進むとは思っていないが、無策で臨むよりはよほどよかった。
厨房に立てかけられている漆黒のフライパンに視線をくれると、小さくため息をついて立ち上がった。
「おそらく、陛下は首を長くして待っておられるであろう。これより登城し、今の作戦に則ってご説明申し上げるとしよう。エルザ、そなたはこの店でエルリッヒの料理を食べるということであれば、それは構わんが、今は一度屋敷に戻りなさい。いいね?」
「はい。心得ております。仕込み作業というのはとても気になっておりますが、お邪魔をしてはいけませんものね。それに、幸い馬車は二台できておりますし。それではエルリッヒ様、また後ほどお邪魔いたしますね」
「はい。待ってますね。それと伯爵様、成功を祈っています」
国王の反応がどう出るかは未知数。だからこそ、こちらの作戦通りに話が進み、平穏な日々が続くことを願わずにはいられなかった。
外に出る二人を見送るため、三人で店の外に出た。すると……
「わぁ!」
「本当にお貴族様だ!」
「お嬢様もいるぞ!」
外には、ちょっとした人だかりができていた。
「え? え? これってもしかして……」
「うむ、この馬車がやはり目立ってしまったようだな」
「エルリッヒさんが危惧した通りになってしまいましたね……」
戻ってきたときにはほとんどいなかった見物客が、話し込んでいる間に増えていたようだった。それぞれの馬車に乗っている御者も、困ったような笑みを浮かべている。
基本的に、悪い気はしないらしい。
「はーい、みんな避けて避けてー。伯爵様は、これからお城に出勤されるんだよー。お嬢様は、これからお屋敷に帰るんだよー。邪魔はしないでねー」
声を上げて野次馬たちを誘導する。みんながみんな見知った顔なので、さほど苦労はしない。が、馬車が行った後であれこれ訊かれるのではないかと思うと、苦笑いしか浮かばない。
(仕込み、ちゃんとできるかな……)
みんなと話をしながら仕込みをしてもいいのだが、それでは「邪魔になるから」とエルザに一度帰ってもらう理由がなくなってしまう。
いや、実際に話をしながらでもほとんど効率は落ちない。しかし、エルザと伯爵の気遣いは最大限汲んであげたかった。だからこそ、わざわざ一度帰ってもらうことになったのだ。
「皆の者、騒がせてしまってすまぬな」
「そ、それではみなさまごきげんよう!」
二人は、それぞれに一言告げると馬車に乗り込む。邪魔をする者はいなかったが、普段お目にかかる機会のない貴族の親娘に、興味津々だった。
ゆっくりと動き出す馬車。それを、一同で手を振って見送った。
「あーあ、行っちゃった」
「一体何があったの? 昨日お休みだったのと関係してる?」
「はぁ、素敵なおじさまだったねぇ」
「お嬢様、とっても可愛かった!」
馬車が見えなくなると、それぞれがそれぞれの感想を口にする。ここから先は、自分が会話の主導権を握らなくては、仕込みの時間が奪われてしまう。
「昨日、あちらのお屋敷にお呼ばれしてたんだよ。それで、送ってもらったってわけ。なんで貴族のお屋敷に呼ばれたのかは、また機会があったら話すね。それじゃ、これから仕込みだから、お昼になったらまた来てね!」
と、一方的に話を切り上げ、店の中に戻って行った。
「よし、これでバッチリ……じゃない!」
ここで、大事なことに気づいてしまった。今日はエルザが食べに来るということを、伝えそびれてしまった。又しても、大注目の予感である。
〜つづく〜




