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竜の翼ははためかない8 〜竜骨よりも堅いモノ〜  作者: 藤原水希
第五章 ふたりの思い出作り
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チャプター33

〜コッペパン通り 竜の紅玉亭前〜



「ほう、ここがそなたの店か」

「お屋敷と比べると狭いですけど、入って待っててください。私は食材を運び込んじゃいますんで」

「お手伝いしましょうか?」

 二台の馬車は竜の紅玉亭に停まる。何事かと見に来た人もいたが、思ったほどの騒ぎにはならずに済んでいた。エルザの申し出はやんわりと断り、伯爵親娘には中で待ってもらうことにして、自分一人で裏口から食材を運び込んだ。

 ここから先は専門職の仕事だ。

「よっと、こんなもんかな。まだ時間も良さそうだし、仕入れを頑張りますかな!」

 運び込んだ食材を見て、満足げな笑みを浮かべると、くるりと店内に向き直った。

「ここまで送ってくれてありがとうございました」

「いや、泊まっていくように言ったのはエルザだ、これくらいはさせてくれ」

「ここまで来られて、今日は感激しています!」

 外に出る機会の少ないエルザは、見るものすべてに感激しているようだった。木製の丸テーブル、ふかふかしていない椅子、カウンター越しに見える厨房など、エルザの部屋よりも狭いんじゃないかと思うような店内に全てが揃っている様は、とても新鮮だろう。

「して、フライパンを早く見せてくれないか?」

「そうでしたね。それが目的でしたね。じゃ、今から用意しますね」

 そう言って、立てかけてあるフライパンを手に取った。ひょいと持ち上げ、二人の前に持っていく。

「はい、これです」

「おお、んん? どこから見ても、普通のフライパンのようだが?」

 そうですねぇ。わたくしの目にも、そのように見えます。そのフライパンの何が特製なのでしょうか……」

 二人は、怪訝そうな目を浮かべている。もしかしたら、伯爵は「適当なことを言って謀ったのでは」とすら思っているかもしれない。だが、驚くのはここからだ。このフライパンの真価はこの先である。

「それじゃ、これをこうしてっと」

 フライパンを床の上にそっと置くと、伯爵に持ち上げるようにお願いした。これこそが、一番面白いところなのである。

「何、これを持ち上げろと? 何を言っているのだね? そのようなこと、容易いに決まっているではないか。仮にも、日々の鍛錬は怠っていないのでな」

 話の流れから、このフライパンが重たいのではないかと言う疑惑は持った。重たければ、それだけ殴打用の武器としては性能が上がる。

 昨日の流れからすると、底に棘でもついているのではないかとも考えたが、全然違うようだったので、むしろ拍子抜けすらしていた。まさか、ただ重たいだけなのではないだろうか。武器として使うのなら、相応の性能は必要だろうと。

 そして、柄にもなく腕まくりをした伯爵は、普通のフライパンより少し重いくらいを想定して力を込めた。

「どれ。ふんっ!」

 娘二人が、期待の目を込めて見つめる。

「ん、んん?? な、なんだ、これは!」

「お父様、どうされましたか?」

 何か、重たい振りでもしているのではないか。そんな気にすらさせてくれるが、当の伯爵は本気だった。本気で持ち上げてなお、びくともしなかった。

 鍛錬を欠かしていないとはいえ、さすがに現役で戦うゲートムントたちには敵わない。

「そ、それでは、本気で行くぞ! ヌオォォォォッ!!!」

 気合一閃、全力を出して持ち上げてみる。

「っ!」

 エルザが固唾を飲んで見守る中、恥ずかしいところは見せられないとばかりに力を出し、顔が真っ赤になったところで、ようやく少しだけ持ち上がった。

「まぁっ!」

 がしかし、そこまでだった。思わず手を離し、フライパンを取り落としてしまった。幸い、少し持ち上がっただけなので、落下の衝撃はわずかだった。が、鈍い音が店内に響き渡った。

「はぁ、はぁ、何なのだこれは。尋常な重さではないようだが……」

「はい。北の大陸で採掘できる、重たい金属でできています。これを使うと、熱の通りがとても良くて、お料理が美味しく仕上がるんですよ。ただし、これを使いこなせるのは、誇りを持って、努力を重ね続けている料理人だけです」

 そう言いながら、前屈みになって拾い上げる。念のため裏を確認してみるが、傷もなく歪みも見られなかった。さすがは竜人族の鍛冶屋が作ってくれた特製のフライパンだ。

「な、なんと!」

 今まさにその重量をその身で思い知った伯爵は、それを目の前で軽々と持ち上げたエルリッヒに、腰を抜かしそうになった。自分の目で見たもの、体験したものは、しっかりと信じるのが伯爵の信条だったが、こればかりは我が目を疑わずにはいられなかった。

「ね、念のため聞くが、料理人ならば扱えるとのことだが、我が屋敷のオットーでも扱える……そのように持ち上げたり振るったり、できるのかね?」

「さぁ、それはどうでしょう。でも、あれだけ美味しいお料理を作れるコックさんたちをまとめているんですから、多分大丈夫だとは思いますよ? 決して、私が人ならざる力を持っているからじゃありませんから」

 本当のところは一切考えないようにしている。これは、料理人としての矜持でもあった。何しろ、料理の道を志してからでも百年以上の時を経ているのだ。伊達や酔狂で身についた腕前ではない。

 この細腕に宿っているのは、腕力ではなく、調理の勘やさじ加減だ。

「そ、そうか。いや、しかし、にわかには信じられぬが、これほど重たいもので殴られれば、確かにただでは済まぬだろうな。生身の人間であれば、一般のフライパンで殴られても無事では済まされぬのだから……」

「あの、エルリッヒさん、このフライパン、わたくしも持ってみてよろしいでしょうか。その、お父様ですら持ち上げるのがやっとというのが、あまりにもすごくて」

「いいですよ。でも、気をつけてくださいね。それじゃ、また床に置きますね。さ、どうぞ」

 再び床に置くと、にっこり笑って促す。エルザはその場に座り込むと、両手で柄を握った。力強く握っていることが見て取れる。

 そして、「ふんっ!」と気合のこもった声を出すと、思い切り持ち上げようとした。

「むむむ〜〜〜んんっ!!!」

 が、もちろん持ち上がるはずはない。伯爵の力を持ってしても、わずかに持ち上げるのが精一杯だったのだ、それは当然だろう。まして普段重いものを持つ機会もなく、ナイフとフォークより重たいものを持った記憶がないくらいのエルザだ。腕力など、ないに等しい。

「無理しないでくださいね? 持てなくて当然なんですから」

 腕力も料理の経験もないエルザが持ち上げるのは、どう考えても不可能だ。それでも「持ち上げたい」という興味は叶えてあげなくてはと思った。無下に断るなど、友人としては無粋の極みだからだ。

「お気づかいありがとうございます! でも、これは本当に……重たいですね!」

「それじゃ、ちょっとお手伝いしましょうか」

 背後に立つと、負い被さるようにしてそっと上から手を添えた。そして、それを一緒に持ち上げる。すると、エルリッヒの力によって軽々と持ち上がる。それでも、握っているのはエルザの手だ。

 なんとなく、自分の力で持ち上げたかのような錯覚を覚える。嬉しい錯覚だ。

「まぁ! 持ち上がりました!」

「普段重いものを持つ機会もなければ、料理をする機会もないんですから、エルザさんが持ち上げられないのは当然ですよ。でも、こうすると、持ってるような感じになりますよね。さ、危ないですから私が持ちますね」

 そうして、ゆっくりエルリッヒの手に移すと、そのまま厨房まで戻り、元の場所に片付けた。一応、後で底面は洗わなくては。

「しかし、このようなものがあるとは……」

「ね、いいでしょう? オットーさんにも使ってみて欲しいところですが、一点ものなんですよね」

 そんな話をしながら、伯爵が何かに打ち震えている様子が見て取れた。一体、どんな感情が渦巻いているのだろうか。とても気になった。




〜つづく〜

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