チャプター3
〜王城・跳ね橋前〜
「陛下が直接お会いになるそうです。すぐにお連れするようにと言付かっておりますので、ご案内いたします」
先ほどドアを叩いた兵士、オットーが再びエルリッヒをエスコートし、城内に案内する。
それは、唐突に降って湧いた指示だった。上官から「陛下からの勅命である」と言われ、すぐさま人員と馬車を手配して出発した。
『コッペパン通りの食堂、竜の紅玉亭店主のエルリッヒを連れてくるように。尚、賓客として扱うこと』
はじめに聞いた時は、まるで理解ができなかった。庶民を連れてくるのにわざわざ賓客扱いをする必要があるのだろうか。それとも、市井に送り込まれた貴族の視察官、それとも、王侯貴族のご落胤、あれこれと考えを巡らせてみたが、答えは出なかった。
ただ、『エルリッヒ』という名前には聞き覚えがあった。先日の魔族襲来の折、噂になった娘の名ではないか。なんでも、あのヘルツォークと名乗った指揮官を倒してくれたピンク色のドラゴンは人に変化する力を有し、この街で暮らしているという。そして、それこそが、城内で捕らえられているエルリッヒだという。
誰が聞いても荒唐無稽な話だと一笑に付したが、子供達が信じていたこともあり、彼女の無実を証明するのには大いに役立ったという。
そんな、噂レベルでしかなかった娘を、なぜ今呼びつけようというのか。それとも、同姓同名の別人なのか。考えても結論は出ないが、同僚たちとコッペパン通りを目指す間、ずっと考えていた。
「あの、なんでしょう……今は営業時間外なんですけど」
遠慮がちに店のドアを開けて出てきたのは、噂に違わぬ燃えるような赤毛をした娘だった。年端もいかぬ娘ではなく、それでいて大人と言い切るには若さを感じるその娘は、突然のことにも動じる様子を見せなかった。
噂は真実なのか、それとも、この若さで店を切り盛りしているからこその度胸か。
兎にも角にも、その姿が目に入った瞬間、少しばかり心臓が跳ねたのを感じた。
(……かわいい)
かくしてオットーは、同行している同僚の兵士たちに気取られぬよう、努めて平静を装うことに、全力を注ぐこととなった。
「……こちらへどうぞ」
城内を案内しながら、玉座の間へと向かう。多忙なはずの国王が最優先で、しかも直接会うというのはただ事ではない。だが、上官から渡された書状には、確かに王家の紋章と、国王の直筆のサインが入っていた。どちらも新人の時に覚えさせられたものだ。
筆跡自体は知らないから、本文は祐筆が書いたものかもしれないが、紋章とサイン、それに羊皮紙の品質や蝋判だけで、この呼び出しが誰かの偽装工作などではなく、正真正銘国王から発せられた勅命であると判断できた。
しかし、当のエルリッヒはまだ状況を探っているようで、どことなく緊張の色が感じられた。
(もしかして、玉座の間に入るなり不敬罪でとっ捕まったらどうしよう。問答無用で切り捨てられたり……)
考えるのも馬鹿らしいが、不当に捕らえられた経験を経て、楽観視ができなくなっていた。おそらく、そういう不逞の輩は一部が処罰されただけで、一掃されたわけではないはずだ。ならば、後を継いで動く者が現れてもおかしくはない。
「この大階段の上が玉座の間です」
「はい。よく知っています」
兵士は細々と城内を道案内してくれるが、何しろツァイネの先導でお城に上がったこともあるくらいで、玉座の間までの道順はすっかり覚えている。
だから、本当は城内のエスコートもいらないのだが、それでは彼の体面が立たないのだろう。彼らの面子を考えれば、「道順はわかってるのでここでいいです」とはとても言えなかった。
〜王城・玉座の間〜
赤いカーペットの敷かれた大階段を登ると、ひときわ大きな扉が現れる。その向こうが玉座の間だ。エルリッヒは果たして何度来ただろうかと思いを馳せ、オットーは初めて足を運ぶ玉座の間に、初めて至近距離で対面する国王の存在に、緊張が走っていた。
「国王陛下のお召しにより、エルリッヒ殿をお連れしました。開門願います」
扉の左右には兵士が立っており、彼らに用件を伝えなければ扉は開けてもらえない。門番と言ってもオットーにとっては面識のある同僚なので、緊張するということはないのだが、場所が場所なので、この向こうに行くためには、しっかりとした手順を踏まなければならない。
上官から渡された書状を見せる。どこからどう見ても『本物』のそれは、とても強力な効力を発揮した。
「すぐに確認するゆえ、ここで待たれよ」
門番の一人が扉の向こうへと消えた。急いで連れて来いという内容ではあっても、何かの理由で席を外しているかもしれないし、重要な話をしているかもしれないからだ。
「かたじけない」
オットーと門番は、気心の知れた同僚相手に堅苦しい言葉を使わねばならない今の状況に、強烈なもどかしさを覚えていた。それでも、これが職務なので仕方がない。
お互い、すぐに笑い出してしまいそうな気持ちに必死に蓋をして、堅苦しい手続きを行っている。もちろん、エルリッヒはそんな内情は知る由もないことだが、手短に扉を開け放ってしまえばいいわけではないという事情だけは、十分に察することができた。
様子を確認しに行った兵士は、すぐに戻ってきた。曰く、今からすぐに会ってくれるとのことだった。そうでなければここまで来た意味がない。
大きな扉が、ゆっくりと開かれる。
「っ!」
扉が開かれるにつれ見えてくる玉座の間を、見るともなしに見ていた。ずらりと左右に居並ぶのは、ツァイネと同じ青い鎧を身にまとった親衛隊の面々。玉座の右斜め前に立っているのは、頭のつるりとした大臣。そして、中央の玉座で堂々と座っている、王様。
オットーはまさに緊張のピークといった様子を見せ、ぎこちない動きで一歩ずつ、ゆっくりと歩いている。一方のエルリッヒは、それを慮ってこちらもゆっくりと歩き、お互いの歩調を合わせていた。
「エルリッヒ殿をお連れしました!」
心臓が爆発しそうになるのをこらえながら、叫ぶ。いや、つい大きな声になってしまった。いかに城内に勤める兵士といえど、国王と直接対面できる者は数限られているのだ。
「うむ、大儀である。下がってよいぞ。そちには、後ほどエルリッヒを自宅まで送り届けてもらうゆえ、それまで休んでおくがよい」
「はっ!」
ねぎらいの言葉を受け、オットーは仰々しく頭を下げると、そのまま後ずさりしながら玉座の間を後にした。本来ならとても微笑ましいのだが、親衛隊も大臣も、そして国王も、誰一人として表情を崩さない。
一方のエルリッヒは、とりあえず今回の呼び出しが何者かによる陰謀ではなさそうだとわかって、密かに胸をなでおろしていた。
「さて、エルリッヒよ、そなたもよくぞ参った。急な呼び出しであったにも関わらず、こうして参上してくれて、ありがたく思うぞ」
国王は玉座の上から言葉をかけてくれる。お仕着せの美辞麗句でも、嘘でないことが伝わるだけで嬉しいものだ。
「いえ、これも国民の義務ですから。ですが、何のご用でしょうか」
「これ! 国王陛下の御前であるぞ! 言葉に気をつけるように!」
エルリッヒが質問をすると、すかさず大臣がたしなめてきた。だが、それは言葉遣いに関する注文のように聞こえた。つまり、こちらから発言することまでは制限されていない、ということのように受け止めることができた。
「これ、いきなりそのように声を荒げては驚くであろう。余はそのように狭量な王ではない」
「こ、これは失礼いたしました。私も性分ですゆえつい……」
大臣といえば、この国の政治システムでは国王に次いで二番目に偉い人物である。だが、二人の間には形式ばった関係ではない空気があるようだった。年齢的には大臣の方が若そうだったが、長い年月を共にしてきたからこそのつながりがあるのだろう。
とりあえず、フォローを入れてみることにした。
「大臣様、私は気にしていませんよ。言葉遣いは習慣ですからそうそう簡単には変えられませんけど」
「なっ!」
瞬時に、大臣の顔が赤くなっていく。想定外の言葉に気恥ずかしくなってしまったのかもしれない。良きにつけ悪しきにつけ、ふっと、空気が緩む。
「して、本日の用向きであったな。本題に入る前に、人払いをしたいのだが、皆の者、しばし席を外してもらえぬか」
〜つづく〜