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竜の翼ははためかない8 〜竜骨よりも堅いモノ〜  作者: 藤原水希
第五章 ふたりの思い出作り
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チャプター29

〜中央通り 朝〜



 エルリッヒとエルザは豪勢な馬車の御者台に座り、四頭立ての手綱を握っている。車内は買い込んだ食材でいっぱいだ。隣のエルザをちらりと見遣ると、とても楽しそうにはしゃいでいる。

 石畳の上を走る振動も、こんな時には心地いい。

「食堂の仕入れというのは、あのように行うのですね! 初めて見ましたが、とても楽しかったです!」

「そうですか? だったらよかったです。退屈してやしないか、少し心配でしたけど」

 普段は台車を引っ張って行う仕入れを、今日ばかりはこの立派な馬車で乗り付けて行ったので、誰もが驚きの目を向けていた。もちろん、じゃがいも通りは馬車くらい余裕で通れるのだが、朝の仕入れ時の混雑にこんな大物が通るのだ、目立たないわけがない。

 どこのお貴族様が何の用で現れたのかと見てみると、御者台には見慣れた赤毛の娘と見知らぬ栗色の髪をした娘が座っている。しかも、車内は空っぽだ。いったい何事かと注目を集めてしまった。

「食材というのは、あんな風に品定めをするのですね! それに、値切り交渉まで巧みに! 本当に素晴らしかったです! やはり、オットーもあのように日々仕入れに向かっているのでしょうか……」

「うーん、どうでしょう。現にこうして同行してませんし、契約農家や契約農場から直接仕入れているんじゃないでしょうか。うん、お金のある貴族のお家は、そういうちょっと高級な銘柄の食材を値切らず払って買うのがいいと思います。お金持ちがたくさんお金を使ってこそ、私たち庶民の生活が潤うんですから。と言っても、すぐにってわけじゃないですけどね。だから、私たちは相手が不愉快に思ったり生活が困らない程度に値切るし、相手も同じような尺度で要求を飲んでくれるんですよ」

 こんなところでする話ではないのだが、ついそんな話をしてしまう。エルザは所詮お嬢様なので、直接お金の流れを気にして暮らすことはこの先もないはずなのだから。

 とはいえ、ああして大貴族のお嬢様に市井の営みを見てもらうのは、なかなかに意義深いかもしれないと思った、

「それにしても、このお野菜やお肉が、あのように美味しいお料理になるのですねぇ。感動です!」

 上体をひねりながら、山と積まれた食材を見る。いつもなら台車に乗せてお店に帰るのだが、こうして馬車で引くと、荷台から落ちる心配もなければ力を込めて弾く必要もない。

 腕力だけで言えば普段から余裕だったが、馬四頭に弾いてもらうことの、なんと楽なことか。

 未調理の野菜やお肉を直接見るのはほとんど初めてだろうに、平気な様子で眺めている。仕入れの時も、邪魔はしないという約束もあってかここから見ているだけだったが、終始楽しそうな様子で、戸惑う様子などは一切見ていなかった。

「あの……ああして、お肉やお野菜を専業で扱う方々は、いつもどこで仕入れているんですか?」

「それは、王都から離れた町で、お野菜やお肉の元になる動物たちを育てている農家がいるんですよ。北の街には、魚を取る漁師さんもいますよー。そういう人たちが頑張ったものを、私たちはお金で手に入れて、美味しい料理を作るんです。そして、美味しいひと時と引き換えに、お金をもらうんです。で、稼いだお金の中から税金を払って、貴族の皆さんの懐に入るんです。あっ、嫌味とか皮肉とか、そういうのじゃないですからね。今のところの世の中の仕組みというだけですから」

 この手の話をすると、ついつい社会制度への批判になってしまいがちである。幸いこの国は税の軽い方で、よその国や過去に存在した国には、もっと税の重い国もあったし、租税を軽くしすぎて成り立たなくなってしまった国の話も聞いたことがある。だから、これはこれで必要なシステムではあるのだ。

 問題は、エルザが不必要に悩んだり、嫌な思いをしていないかどうか、というところにある。心配そうに顔を覗き込んでみると、やはり少しばかり考え込んでいる様子だった。もしかして、要らぬ知恵を与えてしまっただろうか。

「エルリッヒさん……それが世の中の仕組みというのはわかりました。では、我々貴族は何をもって、皆さんから集めた税金をいただいているんですか?」

「そう来ましたか。例えば、騎士団は街を守って、時には街道に救う盗賊や獣を退治しに行ってくてれますよね? あれ、結構危険なのはわかりますよね? 他にも、文官の人なら、国の仕組みを決めたりよりよくしたり、日々悩んでるでしょうし、税金を集めるのだって、立派なお仕事ですから。税金というのは、そういうところに投入されるんです。他には、ほら、これ」

 そう言って眼下の路面を指差す。

「これ?」

「はい。石畳も、税金でできてるんですよ? 石を切り出して加工して、こうして敷き詰めて道にする。だから、私たちの払った税金は、生活に還元されるんですよ。まぁ、貴族と教会は税金免除って言われちゃうと、首をひねっちゃいますけどね」

 しまった。またしても批判めいたコメントをつなげてしまった。そんなに大げさ意図はないのだが、どこの国でも貴族と聖職者は税金が免除されている。きっと、何処かの国がそのような既得権益にまみれたシステムを敷い、よその国が真似たのだろう。もはや覆しようがないかもしれないこの仕組みだけは、どう考えても納得できなかった。

「あっ、ごめんなさい。私ってばまた……」

「いいえ、いいんです。こういうことは、機会がなければ一生知ることもないまま贅沢な暮らしをしていたのに違いありませんから。こうして知ることができてよかったです。それはそうと、わたくしもいずれ、エルリッヒさんの作ったお料理が食べてみたいのですが、よろしいでしょうか」

 食材の仕入れに同行したからか、気になって仕方ないようだった。それはそれで、無理もないだろう。しかし、貴族の娘が街場の食堂になんて行っていいはずがない。これは間違い無く嫌な顔をされてしまう話だった。

「うーん、私はもちろんいいんですけど……きっと、伯爵様が難色を示されると思いますよ? オットーさんもいい顔をしないかも。私が作るのは家庭料理が中心ですから、お屋敷のフルコースには到底及びませんし」

 そこまで言って、ふと気になった。

『何が”到底及ばない”んだろう』

 と。

 出でくるメニューこそ違うが、注いでいる情熱は決して負けていないはずだ。ならば、『到底及ばない』などということはないのではないだろうか。

 貴族社会に対してだって、胸を張っていいのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、エルザの少し沈んだ声が聞こえてきた。

「そうですか……」

「あああ!!! そんな顔をしないでください! お呼びがかかればいつでも腕を振るいますから!」

 馬の様子から意識を離さないよう気をつけつつ、エルザの顔を見る。しかし、声と表情が沈んでいたのは一瞬のことだったようで、何やら瞳に強い光を宿している。

「確かに、わたくしたちは行動が制限されていますし、食事だってお毒味がいるくらいですものね。でも、それはつまり、お父様を説得すれば大丈夫、ということですよね! オットーだって、食べてみたらきっと納得してくれるはずです!」

「いやー、あははー。そこまで買ってくれるのはとっても嬉しいんですけどね。期待が高まりすぎると、ちょっとにが重いかも」

 苦笑いを浮かべながら、馬車はお屋敷に向かっている。道のりはまだ遠く、右から降り注ぐ朝日が力強く街を照らし始めていた。

「朝餉の時にでも、お父様に話をしてみますね!」

「あ、あんまり無理はしない程度でお願いしますね?」

 なだめすかすエルリッヒは、「どうにでもなれ」という心持ちだった。果たしてエルザは前からこんなに行動的だったのだろうか。自分とのふれあいで変えてしまったのではないだろうか。複雑な思いが去来していた。




〜つづく〜

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