チャプター28
〜ルーヴェンライヒ邸 エルザの部屋 夜〜
夜、二人はエルザのベッドに入り、寝るまでのひと時を楽しんでいた。
「ふふ、お父様、あっさり許可してくださってよかったです」
「よかったですね。て、他人事じゃないんですけどね」
エルリッヒを泊めたい、というエルザの願いは伯爵によってあっさり許可された。日が暮れゆく時間をここで過ごし、オットー率いるコックたち自慢の夕食をご馳走になり、夜のゆっくりとした時間を過ごし、最後にこうして同じベッドで寝ている。
伯爵は個室を用意してくれたが、エルザのたっての希望でこうして同じベッドで休むことになった。女の子が二人で寝るのには十分すぎる大きさの天蓋付きベッドは、本当にお姫様気分を味わうことのできそうで、これはこれで貴重な経験だと感じた。もちろんそれだけではなく、エルザとの友情を深めるいい機会でもある。普段、同性の友達はフォルクローレとしか接しておらず、エルザは身分の違いもあり、あまり頻繁に接する機会が持てないでいた。だから、またとないひと時なのだ。
パジャマも、エルザのものを貸してくれた。さすがにコルセットの締め付けからは解放されているが、やはりサイズが合わない。侍女たちの中にはサイズの近い者もいるかもしれないから、その人にでも借りればいいのだろうが、これもまたエルザたっての希望である。
曰く、「お姫様なのですから使用人と同じパジャマではいけません!」とのことである。人間社会における国家のお姫様ではないのだが、ことあるごとにお姫様扱いしてくれるので、どことなくこそばゆかった。
「でも、明日の市場への買出しはさすがに渋い顔をしてましたよ?」
「そ、それは……エルリッヒさんが守ってくれますから!」
その話を切り出したのは食事の時だった。翌朝早く、エルリッヒの仕入れに同行したいと切り出したのだ。さすがの伯爵も、これには眉間にしわを寄せて嫌な顔をした。
それでも、エルリッヒが納得していること、何かあったら守ること、エルリッヒの邪魔をしないこと、この三つを条件に、なんとか許可された。しかし、食事の終わり際、伯爵は最後にもう一つの条件を追加してきた。
「そなたを自宅まで送る際、特製フライパンとやらを見せてほしい」
というものだ。
これにはさすがに驚いたが、あれだけ『特製のフライパンである』と自慢げに話せば、興味を持たれるのも当然だろう。しかし、国王に次いで伯爵までわざわざ足を運ぼうとは、コッペパン通りも偉くなったものである。
「別に、危ないことなんてないはずですけどね」
「それに、フライパンも、とっても気になります! お父様だけじゃなくて、みんな気になってるはずですもの!」
当然、エルザも付いてくるということだろう。仕入れからして普段使っている台車ではなく、馬車を使っていいというのだが、同じように馬車で送ってくれる、ということなのだ。仕入れを踏まえて歩いて帰るわけにはいかないので当然といえば当然なのだが、食材を積んだ馬車には自分が乗るとして、他の面々までは乗れないのではないだろうか。そうなると、最低でも馬車二台での行軍になるだろう。
もちろん、これだけ立派な家が質素な馬車を使うとは思えない。これは大騒ぎになるかもしれない。
「みんな、驚かないかなぁ」
「悪いことではないのですから、良いではありませんか。それより、明日は早いのでしょう? もう寝ませんとね!」
楽しそうな声色で目をつぶっている。普段この屋敷を出る機会がほとんどないエルザにとっては、大冒険が待っているのと同じなのだろう。
その様子を見ていると、優しい気持ちが溢れてくる。否応なしに、住処を出たくて仕方なかったあの頃の自分と重なるからだ。であればこそ、ほんの短い時間であっても、楽しく過ごしてもらいたいではないか。
「そうですよ、しっかりと寝ましょうね。朝は私が起こしてあげますからね。それじゃ、灯りを消しますよ」
フッと机の上のろうそくを吹き消し、エルリッヒも布団に潜り込む。隣にいるエルザの温もりが、なんだか心まで温かくしてくれるようだ。たまには、こういうのも悪くない。
今日は色々あったからか、普段とは違うものの、しっかりと疲れているようだ。これなら慣れない他所のベッドでもちゃんと眠れそうだ。馬車中泊や野宿も平気なのに、我ながら変なものだと思いながら、まどろみの世界に落ちていった。
〜翌朝〜
小鳥のさえずりは、コッペパン通りであっても貴族の屋敷でも変わらない。朝、いつも通りに日が登るよりも前に目が覚める。一瞬、見慣れない天井に戸惑ったが、すぐに思い出す。
(そっか……エルザさんのお屋敷に泊まることになったんだっけ……)
そして、エルザを連れて仕入れの旅に向かうことも、しっかりと思い出す。きっと、貴族の娘さんは支度に時間がかかるだろうから、さっさと起こしてあげなくてはなるまい。
ゆっくりとベッドから起き上がると、薄明かりを頼りに窓際に行って分厚いカーテンを開ける。どんな染料で染めているのか、薄いピンク色をしたカーテンだ。どことなく、自分の色を連想させて、少しだけ嬉しい。
その、重たいカーテンを勢い良く開けていく。すると、窓から藍色に染まった空がしっかりと見えた。ここからでは、敷地の森で阻まれてよく見えないが、きっと東の空、地平線に近いところは白んでいることだろう。
これくらいの明るさがあれば、室内の様子はほとんど把握できる。人間よりも夜目が利くのだ。これもまた、人ならざる者としての能力の一つだった。
「エルザさん……よく寝てる」
安らかな寝顔を優しい気持ちで見つめる。起こしてしまうことは芸術品を壊してしまうようで、なんとなく気がひける。が、ここで起こさなかったら、きっと後で怒られるのに違いない。
ベッドに腰掛け、柔らかく髪を撫でると、優しく揺り起こした。
「エルザさん、朝ですよ。起きましょうね〜」
こういう時、どんなさじ加減で起こしたらいいのかがわからない。強すぎても良くないだろうし、弱すぎても起きられないのではないか。見たところ熟睡しているようだから、しっかり起こした方がいいのかもしれないが。
一度揺すっただけでは、起きる気配はない。ならば、次はもう少し強く起こしてみるか。
「エルザさ〜ん。起きないと、仕入れに行けませんよ〜。置いていっちゃいますよ〜」
ゆさゆさと、ただひたすらに揺らす。仕入れの時間を考えると、ここであまり時間を取りたくはないのだが。焦らないよう、必死に心を鎮めて起こすことに注意する。
「起きて〜。起きて〜!」
今の自分はまるでお姉さんのようだ。そんなことを考え始めた頃、ようやくエルザの重い目が開いた。
「ん……」
「おはよう、エルザさん。さ、仕入れに行きますよ。支度しましょう!」
元気よく告げられることで、ぼんやりとしたエルザの意識が急速にクリアになっていく。そうだ。無理を言って仕入れに同行させてもらうのだ。迷惑をかけてはいけない。
「着替えは昨日準備したもので大丈夫ですから、着替えて身支度をしませんと!」
「はっ! そうですね! わたくしったらすっかり寝入ってました! じゃあ、着替えてしまいますね。実は、一人で着替えるのも初めてなんです。楽しいですね」
着替えをしながら、そんな話が背中越しに聞こえてくる。なんということだ。そのレベルのお嬢様だったとは。いざとなれば、手伝う必要が出るかもしれない。
「よーし、私は着替え完了です!」
ひとしきりの着替えが住み、エルザの方を見ると、こちらも着替えは終わろうとしていた。普段着ているドレスよりはるかにシンプルな構造をしているから、なんとでもなるのだろう。
「わたくしも、あと少しです!」
そうして、二人は身支度を整えていった。
〜つづく〜




