チャプター26
〜ルーヴェンライヒ邸 応接室〜
腕組みをして考える事数分、苦し紛れに出てきたのは、
「死力を尽くして頑張ります。じゃダメですかね」
という、あまりにもざっくりとしたコメントだった。
「それで納得する陛下だと思うか? 陛下は、そなたの具体的な行動が知りたいのだ。単なる興味か、防衛上の作戦立案に使うのか、その辺りは不明だがな」
「そうですか。でも、結局のところどんな魔物が襲ってくるかで変わると思うし、どこを攻められているのかでも変わってくると思うんですよね。北側は騎士団の人も手が届きやすいから防衛は手厚いでしょうけど、南側は兵士がちらほらいるだけだから、防衛は手薄、危機も伝わりにくい。だったら、南側を中心に守ります、ということだけは言えるかもしれません。もっとも、こないだ北側を中心に襲ったことを考えると、お城や貴族のお屋敷が重要だって知ってるんじゃないかと思いますから、攻勢も南側は手ぬるくなる可能性がありますけど」
そこまで語って、ふと大事なことに気づいた。
「ところで伯爵様、遊軍としてではありますけど、街の防衛に参加する時って、城壁は登ってもいいんですか? 当たり前ですけど、私たち一般人には解放されてませんよね? あそこから攻撃したら、また攻め手も増えていいかなって思うんですけど」
「そ、そうだな。考えもしなかったが、緊急時だし、陛下のお声がかりであれば、良いのではないか?」
この口約束にはどれほどの効力があるのだろう。いざ城壁の入り口に行ったら兵士に話が通っていない、なんていうことにでもなったら、目も当てられない。
混乱に乗じて、というのも何か違うので、やはり魔物と戦う活動として認められた形で城壁に上がりたい。もう、要らぬ嫌疑をかけられるのはたくさんだ。
「あるかもしれないしないかもしれない話ですけど、通達だけは、頼みます。その時でも後からでも、また人に化けた魔物だなんて言われたんじゃ、たまったもんじゃありませんから」
「い、いや、これは……相済まぬ。一部の者のしたこととはいえ、すぐに助けてやれず。さぞ不愉快な思いをしたことだろう」
「お父様……エルリッヒさん……」
過去のことを持ち出して蒸し返すような真似は好きではない。が、その時の二の舞にだけはなりたくないのだ。是非とも、今度はきっちり認められた形で行動したい。
「あぁ、顔をあげてください! そのことはもういいですから! そりゃあ、今でもちょっと心の傷は残ってますけど、でも、こうして無事に濡れ衣は晴れましたし、何より王様がよくしてくださいましたから! 無理を言って街に入っちゃった私も悪いんですし。それよりも、そういう悲劇が繰り返されないようにして欲しいというだけです」
「うむ、その辺りは、私からしっかりと陛下に言上しておこう。して、具体的な話、何か浮かんだかね?」
今の話を踏まえてそんなもの、浮かんでいるはずもない。というのが本音だが、伯爵は立場上何か手土産がなければ国王の前に立てないのだろう。その事情は理解できる。ならば、何か気の利いた言葉の一つも出してやらねばならない。
と言ってすぐ浮かぶほど、簡単な話でもないのだが。
「そうですねぇ。それじゃあ、魔物は片っ端からフライパンでぶん殴ります、というのではダメですか?」
「やはりそれか。しかしなあ、私はそのフライパンとやらを見たことがない。屋敷の厨房にももちろん備えてあるが、そんなに違うのかね?」
伯爵はパン! と手を叩いた。すかさずハインツが入ってくる。他の部屋で待機しているものだとばかり思っていたが、廊下で聞き耳でも立てているのだろうか。それとも、何か特殊な能力でも備えているのだろうか。
ハインツはハインツで、何事かと思う様子も見せずに穏やかな顔のまま伯爵の前に立った。
「どうされました? 旦那様」
「ああ。すまないが、厨房へ行ってフライパンを一つ持ってきてはくれないか。コックに言って、一番魔物を殴り倒すのに相応しいものを一つ」
その、あまりにも突飛な要求に、さすがのハインツもクエスチョンマークが頭上に浮かんでいるようだった。しかし、そこは執事の鑑のような彼である。疑問を挟むこともせず、軽く頭を下げて部屋を出て行った。
「あのー、伯爵様?」
「先ほどからこれほどまでにフライパンによる殴打を強調されては、気になって仕方ないのでな」
「わかります! わたくしもずっと気になっておりました! フライパンなど、持ったこともありませんが、それでいかにして魔物を退治するのか! 是非とも見せていただきたいです!」
どうせ他社には理解できまいと踏んでいる話だったが、せっかくだ、一つ見てもらうのも悪くはないかもしれない。
「そうですねぇ。王様への報告の参考になるんだったら……」
ほどなくして、ハインツがフライパンを持って戻ってきた。念のためということで、コックも同伴している。
「初めまして。このお屋敷の厨房一切を取り仕切っているオットーだ。あんたが噂のエルリッヒさんかい? こりゃ随分とお若い。フライパンをどうする気だ? フライパンは、俺たち料理人にとっちゃ、武器も同然。手荒な扱いをしたら、旦那様につまみ出してもらうからね?」
オットーと名乗ったコックは、少しばかり距離を感じる男だった。もちろん、本心ではないかもしれないが、親しみやすい太めの体躯とは裏腹に、出てきた言葉は細身の剣のようだった。
しかし、ここはエルリッヒも負けてはいられない。
「初めまして、オットーさん。南のコッペパン通りで竜の紅玉亭っていう食堂をやってるエルリッヒです。フライパンが料理人にとって武器だというのは、よーく心得ています。私も料理人ですから。だからこそ、伯爵様はわざわざ持ってこいだなんて言ったんでしょうね。それじゃ、お借りします」
ハインツの手からフライパンを借り受ける。見たところ、普段使っているフライパンよりは若干小さいようだ。大衆料理を作るのとは事情が違うのかもしれない。
所詮、貴族と平民では、住む世界が違うのだ。
「ん、これは随分と軽いですね。熱の通りは大丈夫ですか? あぁ、厚みはちゃんとありますね。厚みの加減が難しいんですよね。いいフライパンって。さて、もし魔物が来たらってことですけど……」
「待て待て! ここで何かを披露しようというのではないだろうな! 魔物退治の様子を再現してみよとは言ったが、ここではない! 庭でやってもらいたいのだ。訓練用の木人形があるからな。それを魔物に見立ててやってもらいたいのだ」
それならそうと、庭に移動してからでも良かったのにと思うが、とっさの思いつきに段取りも何もあったものではない。これは仕方ないだろう。
一同は部屋を出て、庭に向かった。
その際、せっかく出されたクッキーを2枚ほど頬張り、紅茶を飲み干して流し込むのを忘れないエルリッヒだった。
〜ルーヴェンライヒ邸 庭園〜
「さ、ここで頼みたい」
屋敷を出てすぐの庭園には、練習用の木人形が立っていた。訓練の証か、刻まれた傷が幾筋も走っている。さすがは武官の屋敷と言ったところか。
軽く叩いてみると、丈夫な木材でできているようなしっかりとした音が帰ってきた。
「なるほど、これを魔物に見立てるんですね? 念のために確認しますけど、壊しちゃっても、いいんですよね?」
「……できるものならな」
せいぜい軽く凹むくらいだろう。伯爵はそう踏んでいた。
「この人形もですけど、フライパンも、ですよ?」
「何?」
「ちょっと! お嬢さん何言ってるんだ! 手荒な扱いをしたら許さねぇって言ったじゃないか! ……でも、お嬢さんの細腕で壊すなんて、無理に決まってるけどな」
オットーは驚いた様子を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻した。いくら思い切り殴ったところで、何があるわけでもあるまい。木人形に凹みくらいはできるかもしれないが、それだけだ。
オットーもまた、たかをくくっていた。
「その様子、どっちが壊れても、許可をもらったってことで、いいでですね? それじゃ、行きますよ! せーのっ!」
フライパンを両手で構えると、勢いをつけ、思い切りスイングした。威勢のいい、派手な音が響く。
「っ!」
「まぁっ!」
「っ!」
「な、なんてこった!」
木人形は凹むでもなく、吹き飛ぶでもなく、木っ端微塵になっていた。そして、柄から外れたフライパンは、大きく宙を舞った後、鈍い音を立てて芝の上に落下した。
「な、なんてことだ……」
伯爵は、開いた口がふさがらなかった。
〜つづく〜




