チャプター25
〜ルーヴェンライヒ邸 応接室〜
「フ、フライパンですか?……」
「そ、それは……」
二人の表情からじゃ、明らかな戸惑いが見えた。自信満々に答えたのだが、何がおかしかったのだろうか。三人とも首をかしげることになった。
「あ、あれ? もしかしてフライパンご存知ないですか? こう、金属でできた丸いプレートに柄のついた調理器具で……」
身振り手振りで説明するが、いまいち要領を得ない。やはり、話が通じていないのか。
「い、いや、フライパンくらいは知っておるが……」
「え、ええ。そうではなくて、なぜフライパンなんですか? エルリッヒさんも今、調理器具だって仰いましたよね? フライパンはお料理を作るものですよね?」
「うん、そうですよ? 特製のフライパンです。このフライパンを使うと、料理がとっても美味しく出来るんです! ではなくて! いえ、その通りなんですけど、私のフライパンは特製ですから、魔物退治にも使えるんです」
右腕に力を込めてアピールする。料理人にとってフライパンは言葉通りに武器である。フライパンの自慢は最高の自己アピールなのだ。
「えーと、どういうことなのかね?」
「うん、わたくしにも教えてください。フライパンでどう魔物を退治するのか。まさか、フライパンで殴ったりは、しませんよね?」
「しますよ? このフライパン、って今持ってきているわけじゃありませんけど、私が旅をするときには、何度も窮地を救ってくれたんです! あ、別に素手で戦っても並の魔物なら絶対負けませんけど」
話を聞くにつれ、伯爵の頭はこんがらがるばかりだった。フライパンで魔物を倒す? 窮地を救う? フライパンで殴る? 完全に想像の世界の外だった。
どうやって街を守るのか、聞いたのは国王であり自分だったが、これではまるで理解できず、国王にも説明できない。もちろんこれでは説明したところで国王も理解できないだろうが、誰も納得できない。
納得できる答えを聞き出し、それを城に持ち帰らねばならないのだ。
「それで、もう少し具体的なところを聞かせてはもらえまいか。そのフライパンとやらでどう戦うというのだね」
「ですから、魔物をこう、ブン殴ってやります。並の魔物なら一撃でおしまいです。強靭な魔物でも、まぁ……昏倒くらいはさせられます。だから、後は煮るなり焼くなり好きなように。大体の魔物は美味しそうではありませんけどね」
いくらエルリッヒが強い力を持っていて、フライパンが頑丈だったとしても、殴ったくらいで魔物は倒せるものなのだろうか。騎士団の騎士達から、一匹退治するのにも手こずったという報告を受けている。人間相手を想定しているとはいえ、仮にも訓練を積んだ騎士達が苦戦したというのに、いくらなんでも楽観的過ぎやしないだろうか。
「それでは、高所にいる魔物はどうするのかね。空を飛ぶ魔物もいるではないか」
「そうですねぇ。フライパンを投げつけてやれば、まともに受け止められる魔物はいないですから、だいたいはそこでおしまいです。多少高いところからなら落ちても歪んだりはしませんし。避けられるほどゆっくり投げることもないですしね。もちろん、相手が剣とか斧とか、武器を持ってたら打ち合っちゃいますよ? 今までのケースだと、大概相手の武器がダメになっちゃうんですけど」
やはり、なんだかすごいことをサラリと語っている。そのフライパンというのは、そんなにすごいものなのだろうか。可能であれば、実物を見てみたい。冗談なのか本気なのかを見極めるためにも。伯爵の心は、次第に傾いていった。
「では、真の姿が救国のドラゴンだというのは、その噂はどうなのだ」
「言い難いことですけど、本当のことです。救国だなんて言われると、かなりおこがましいですけどね。私はただ、大切なこの街の人たちを守りたかっただけですから」
「エルリッヒさん! 感激です!」
一人感激しているエルザはともかく、伯爵にはある疑念が浮かんだ。
「それならば、なぜシンの姿とやらで戦わないのだね? 聞けば、あまりにも強大な力を持っているというではないか。そこまでする義理はない、ということか? それとも、理性を保てなくなる事情でもあるのかね?」
「そんな大したことじゃないですよ。ただ、あまり市街地で力を使うと、建物への被害も大きくなっちゃいますから。前に街区で戦ったときも、相当気を使ったんです。あ、そんな事情もあるので、今ここで元に戻って見せろと言われても、見せませんからね? お屋敷、半壊しちゃいますし」
広大な土地があるからそこでなら、と考えないでもないが、エルリッヒにとっては、この街の住人として戦う以上、やはり”それ”は最後の手段に取っておきたいのだ。
『旦那様、お茶でございます』
話が途切れたタイミングで小さいノックが聞こえてきた。ハインツがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
「わぁ、ありがとうございます!」
テーブルに置かれた紅茶とクッキーに目を輝かせる。貴族社会では定番の組み合わせらしいが、とてもいい香りなのだから心が沸き立つのも無理はない。
いっそ、お菓子の提供も始めようかと考えてしまうほどに。
「お話は順調ですかな?」
「いや、これがなかなか……」
伯爵の様子を見て、わかっていて敢えて尋ねるハインツ。それはとても強烈な皮肉だったが、ため息交じりの伯爵には、一瞬たりともいい気分転換になったようだ。
「そうですか。それでは、お茶でも飲んで、一服なさってください。それでは私はまた待機しておりますので」
「あ、ああ、心配をかけるな。それでは、休憩としよう」
規格外の話に理解が追いつかなくなっていたところでの温かい紅茶と優しいクッキーは、ふっと張った気持ちを解きほぐしてくれる。無邪気にその味に舌鼓を打つ娘たちの様子を見ると、これくらい気楽に構えることができればいいのに、と思ってしまう。
もちろん、国の守りを預かる騎士団の幹部としては、このように気楽に過ごすことはなかなかできない。
「エルザさんはいつもこんな美味しい紅茶とお菓子を食べてるの?」
「ええ、まあ。エルリッヒさんは、お店がお忙しいのでしたね。よろしければ、差し入れなどをお持ちしましょうか?」
嬉しい申し出。だが、貴族社会の人間があまり平民に肩入れするのはよろしくない。そこは、きっちりと線を引かねばならないだろう。
たとえ友人だとしても。
「貴族のお嬢様がそんなに気軽に平民の暮らしに立ち入ったらダメですよ。お気持ちだけで十分です。でも、伯爵様には貴族として、私たち平民もこの美味しい紅茶とクッキーを簡単に味わえるような世の中を作っていってください。簡単なことではありませんが、不可能ではないと思いますから」
「むう……」
平民と言っても何百年も生きているという。何気ない一言に込められた思いは強い。
「ま、それはそれとして、話を戻しましょうか。私は元の姿に戻るのを最後の手段にしています。ですから、それは極力見せません。でも、フライパンがあれば、負ける気がしないです! あ、さっきも言いましたけど、実際には素手でも勝ちますけどね」
「それを、私は陛下にどのように報告すれば良いのだ?」
「王様? お父様、王様のご依頼だったのですか? エルリッヒさん! これはすごいことです! これで我がルーヴェンライヒ家の家格はますます高まるに違いありません!」
興奮するエルザを諭すように、伯爵が口を開いた。
「そのような打算は捨てなさい。それに、父様と陛下は、茶飲み友達のようなものだ。それに、我が家は十分に高い格式を誇っている。安心しなさい」
「ですって。良かったですね。それにしても王様への報告ですか。じゃあ、少し考えさせてください」
腕組みをしてじっくりと考える。その様子は、美しいドレス姿とはあまりにかけ離れていた。
〜つづく〜




