チャプター24
〜ルーヴェンライヒ邸 応接室〜
思いもよらないエルザの返答に、誰もが我が耳を疑った。
「お、お嬢様。旦那様はこれからエルリッヒお嬢様と大事な話があるのです。少しの辛抱ですから、さ、参りましょう」
ハインツが狼狽えながらも咄嗟に連れ出そうとする。しかし、エルザの態度は揺るがなかった。強い表情を崩さず、しかとソファに座っている。
「いいえハインツ、わたくしはここを離れません。あなたお一人で席をお外しなさい。お父様、わたくしがいてはいけない理由はなんですか。確かに、なんの話をするのかは聞かされていません。ですが、伯爵であるお父様がわざわざ平民のエルリッヒさんを呼びつけて話をするというのですから、ただ事でないことだけはわかります。ですが、わたくしもこの家の人間です。この国の人間です。そして何より、エルリッヒさんの友人です! 同席してはならない理由はないと思いますが、いかがでしょう」
「ぬ、ぬぅ……」
凛々しい物言いに、すっかりたじたじだった。王城内でも知られた伯爵といえど、強くは出られない。厳しく追い出すこともできないではないのだが、それは道が違うような気がしていた。
騎士団をまとめる者の一人だからこそ、力で押さえつけるような真似はしてはならないと考えていた。
「伯爵様、私もどんな話があって呼ばれたのか聞かされていません。だから、一概には判断できないですが、エルザさんはきっと伯爵様が考えるよりもしっかりした女の子です。もう、大切なお話から遠ざけるのはよしませんか? 私からもお願いします」
伯爵の迷っている様子を見て、咄嗟に口を挟んでしまった。でも、ここは助け舟を出す場面だと思った。話の詳細を聞かされていないのは本当だし、どんな話であっても、一介の小娘である自分が主役なのだ、エルザが参加してもいいはずだ。それに、もし本当に聞かせたくないような話なのだとしたら、その時に席を外して貰えばいい。
「エルザさんと私からのお願いじゃ、ダメですか? それなら、竜族の王女としてエルザさんの同席を願いましょうか。ルーヴェンライヒ伯爵、エルザさんを同席させなさい?」
冗談半分で、本来の立場を持ち出し、少しばかり尊大な言い方をしてみた。少しでも場が和めば、それで少しは話も通しやすくなるだろう。もちろん、逆効果になって怒り出してしまうかもしれないのだが、何もしないよりは、迷っている伯爵の背中を押せるだろう。
「むむむ……」
「お父様!」
「伯爵様!」
二人は手を取り揃って見つめる。それが最後の一押しになった。
「や、やむをえまい。秘密にせよとも言われておらぬし。……よかろう、いたいなら居れば良い」
「やったー!」
「お父様! ありがとうございます!」
二人は抱きつかんばかりの勢いで喜ぶ。普段接する機会のない若い娘というものは元気なものだ。見ているだけで何かエネルギーをもらえるような気がする。
「全く、かなわんよ。……それでは、そろそろ本題に入っても良いか?」
「それでは、私はお茶の手配をして参りましょう」
話が本題に入るというところで、その気配を察したハインツが部屋を出て行った。パタンと扉が閉じられたのを確認すると、伯爵は咳払いをしてから口を開いた。
「さて、わざわざ手紙で呼びつけて驚かせてしまったことだろう。悪かったな」
「いえ、驚きはしましたけど、それは全然気にしてません。それよりも、詳細が書いてなかったことの方が困惑しました。やましいことはないはずですが、こないだのこともありますから、またよからぬ陰謀にでも巻き込まれたんじゃないかって、心配になりました」
「まぁ! 先日の件はわたくしもお父様から伺っています。辛かったですよね。本当に、無事に解放されて良かったです。それで、今日はどのようなお話をするために?」
なかなか話は本題に入らない。しかし、いきなり手紙で呼び出されたと言う事の起こりがあればこそ、回りくどくなってしまうのも無理はない。
それに、言うほど深く気にしてはいないのだ。いざとなったら大暴れしてしまえばいいと考えると、案外気楽な心持ちでいられる。それでも、エルザを安心させるために強く手を握った。
「そうだな、いい加減本題に入らなくてはな。そなたは先日、陛下の前で直々の誘いを断ったそうだな」
「あー、やっぱりその件ですか。ええ、断りました。騎士団の一員みたいな形で国を守るのは荷が重すぎますし、全軍の指揮を取れだなんて言うんですから」
直接説明を聞き、伯爵は顔に手を当ててため息をついた。国王から聞いていた話の通りだった。国王は、その立場でもって、市井の娘に無茶なお願いをしたのだ。
自由さは魅力でもあるが、やはり頭痛の種にもなりうる。
「はぁ……」
「やっぱり、断ったことは問題視されているんでしょうか」
「お父様?」
その肩から疲れの滲んだ表情は、二人の心配を煽るのには十分だった。一体どのような心情でこのような顔をするのだろうか。話を進めなければならない。
二人は、伯爵の言葉を待った。
「いや、断ったことは問題ではない。むしろ、断ってくれて正解だ。それよりも、陛下の勝手な思いつきに付き合わせてしまって申し訳ない。臣下として、陛下に変わってお詫びする」
頭を下げる伯爵の様子に、驚きを禁じえない。然るべき立場のある人間が、娘の見ている前だというのに一介の小娘に頭を下げている。伯爵は先日の召喚を”思いつき”と言ったが、それほどまでに国王のしでかしたことは異例だったのだろうか。なんとなく、大臣をはじめ家臣たちからあれこれ言われている姿が浮かぶ。
「そんな、頭を上げてください! 迷惑してるわけじゃありませんから! でも、私にお詫びするために呼んだんですか? それならわざわざ呼ばなくても……エルザさんと会う機会ができたのは嬉しいですけど」
「まぁ! わたくしも嬉しいです!」
「うむ、わざわざここまで来てもらったのは他でもない。先日、陛下の前でこの街のことは守る、というようなことを申したそうだな」
もしや、本題はそこなのか。大方その言葉の本気度を確かめるために呼んだのだろう。伯爵の独断か国王の差し金か、どちらにせよこの街を大切に思ってのことだろう。
それならば、しかと本気を見せつけてやろうではないか。と考えた。
「はい。言いました。私にとっても、この街もこの国も、もちろんここで暮している全ての人たちは、とっても大切な存在ですから。数百年生きてきて、一番と言ってもいいくらいに」
「そうか。それは心強い。それでだ、そなたはこの街をどのように守るつもりなのかね? 陛下はそれをいたく気にしておられるのだ。好奇心か国防上の作戦立案に使うのかはわからないがな。又しても陛下の気まぐれで申し訳ないが、教えてはくれぬか?」
外した。瞬時にそう思った。
実際の本題は、頭の中で想定したものとはいくらかズレていた。想定していない質問には、すっと答えが出てこない。それでも、ここでしどろもどろになったのでは、みんなを不安にさせてしまう。返答には気をつけなくては。
何しろ、今目の前にいる伯爵はもちろん、隣で手を握っているエルザに、果ては国王までが、自分の言葉に注目しているのだから。
「ごめんなさい、ノープランです」
「なんだと!」
「それって、何も考えてないってことですか?」
やはり、正直な回答は波紋を呼ぶ。しかし、言葉はここで終わりではない。
「考えてみてください。どんな魔物がどのくらいの数襲ってくるかわからないんですから。来た魔物に応じて、臨機応変に戦う予定です。何しろ、私には最強のフライパンがありますから!」
「???」
「フライ……パン?」
自信満々に答えたというのに、二人はきょとんとした顔を浮かべていた。
〜つづく〜




