チャプター20
〜王城 謁見の間〜
「陛下。その、あまり直接的すぎる行動はお控えになさった方がよろしいかと。この国は治安はいいですが、有事を想定して万全を期すのが騎士団の務め。行くとなれば全力でお守りしますが、やはりそれは最後の手段にしていただきますと……」
またしてもお城に呼ぶ、自分が直接赴く、という手段が最初に出てきた。国の最も上層にいる人間が庶民相手にも分け隔てなく接することは良いことだが、それがどれだけ大変なことか、十分に理解していないようだった。
「う、うむ」
「そのあたりのこと、理解していないとは思えませぬが、咄嗟に口に出る手段は、無意識にそれが最善と考えておるから。ですが、まずは私が出向きましょう。手紙で彼女の店に行く旨を伝えることといたします」
本来であれば、伯爵の地位にある者が直接出向くことですら大変なことだ。平民と貴族では、居住区行きも分かれており、触れ合うことはほとんどない。
「私は面識もありますから、警戒されることもないでしょう。それで、彼女の意向を聞く場を設けます。それで良いですな?」
「……任せよう」
本音で言えば、王は自分が直接赴きたかった。それは、元来の性格もあるが、これが国の一大事に関わる内容だからである。だからこそ、まるで絞り出すような一言になった。
とはいえ、臣下としてそれなりに付き合いの長い伯爵も、このような反応が出ることは承知の上だった。
「はい。お任せください。必ずや、陛下の良きように計らいましょう」
「うむ。余はいずれ、あの者とは直接会って話をせねばと感じておる。その繋がりだけは、断ち切らんでくれよ?」
国王の執心が十全には理解できないでいたが、それでも、今この場でその心を理解できるのは自分しかいない。そう感が手の伯爵の行動は、確実に国王の気持ちに響いていた。
「わかっております。とはいえ、いかに陛下といえど、御しきれる相手ではないやもしれませんがな」
「それも、織り込み済みだ。竜の女王殿下は決して気むずかしくはないが、親しみやすい顔の裏に、窺い知れぬ気高さが見て取れるでな。伊達に数百年もこの世界で暮らしてはおらぬのだろう」
話に聞いただけで、具体的なことは何一つ聞いていなかったが、何百年も生きているとあらば、人間には到底押し計れぬことも多いのだろう。そう考えた。
それは、国王なりの察しと言ってもよかった。
「何と。あの姿で数百年というのは、いささか信じがたいですな」
「うむ。だが、よしんば後五十年、未だこの世に誕生してすらおらぬ余の孫が即位する頃になっても、きっとあの若い姿のまま、あの場所で食堂を続けておるだろうよ。エルリッヒとは、そのような娘だ」
話の流れに合わせるように、遠い目をする二人。決して見ることが叶わないその時のことを思い、無事と平和を願うのだった。
「しかし、今日はそちと話せてよかった。主立った者を手当たり次第招集した御前会議であったが、そこにそちが含まれておったのは、余にとってはまさに僥倖であったぞ」
「勿体無いお言葉です。ですが、てっきりいざとなった時の助け舟要員で呼ばれたのだと思っておりましたが、そのようは意図はありませんでしたか。いえ、それならば、あそこで声をあげたのは、何よりの働きでしたな」
家臣があれだけざっくばらんに意見を言うことができるのは、あの円卓会議が持っていた不思議な空気のなせる技だったが、だからこそ、国王を責めるムードになっていたのも事実だった。意図したことではないにせよ、そこに助け舟を出したのは、結局のところルーヴェンライヒ伯爵一人だった。それがどれだけありがたかったか、国王は恥ずかしくてとても口には出せなかった。
「とにかく、エルリッヒのことは、頼んだ」
「はい。しかと承りましたぞ」
カップを大きく傾け、程よく冷めた紅茶を飲み干すと、伯爵は席を立った。向かう先は王城内にある私室だ。このような流れになったので、早急に手紙をしたためなければならない。
「では」
「うむ」
手短な挨拶を済ませると、そそくさと謁見の間を出て行った。残った王もティーカップを空にすると、残ったクッキーを手に抱え、玉座の間に戻っていく。
これは、後でおやつとして食べるのだ。
〜二日後の午後 コッペパン通り 竜の紅玉亭〜
「よーし、お肉の下味はこんなもんかなー。次はスープの準備をしてっと……」
その日もエルリッヒはいつものように夜の営業に向け仕込み作業を行っていた。
「今日は何をベースにしようかな〜」
出汁をとるための野菜を切りながら、味の方向性を考える。いつものことだが、これが楽しい作業なのだ。刻んだ野菜を湯だった鍋に投入ていく。
「よし、今のうちに方向性を決めるか」
朝仕入れた食材とにらめっこしながら、腕組みをして考える。と、扉を叩く音が聞こえた。音の様子は優しい。
「ん? お客さん? はーい」
営業中ではないので、必要以上に声を明るくしたり、笑顔を作ったりはしない。誰だろうかと扉を開けると、見慣れない青年が立っていた。
「エルリッヒさんですね?」
「はい……そうですけど……」
突然名前を尋ねられると、少し身構えてしまう。一歩身を引きながら答える。
「エルリッヒさんに郵便です」
「え? あ、はい。どうも」
青年は腰のポーチから手紙を取り出した。手渡されたそれを、しげしげと見つめる。
「……誰からだろう」
鍋はまだ放っておいてもいい。カウンター席に座ると、手紙を確認することにした。仕立てはとても良く、綺麗な字でコッペパン通りの住所と名前が書かれている。
封書の裏を見ると、こちらには立派な蝋判が押してある。そして、右下には、「ルーヴェンライヒ」の名前が手短に書かれていた。
「伯爵! でも、なんで? 私に何の用だろう。まさか、舞踏会のお誘いじゃ……ないよねぇ〜。もしかして、エルザちゃんに何かあったんじゃ!」
封を開けないことにはわからない。ペーパーナイフのような気の利いたものはない。包丁を巧みに使って封を開ける。そこには、これまた綺麗な字でしたためられた手紙が入っていた。
「えーと、何々?」
『突然の手紙に驚かれたことだろう。エルリッヒ殿とは一別以来だが、元気にしているだろうか。さて、今回このような手紙を出したのは他でもない。国王陛下がそなたの語る『この街を守る』ということについての詳細を気にしておられるのだ。甚だ迷惑な話かもしれぬが、一度我が屋敷にてその話を聞かせてはもらえまいか。もちろん、その場には陛下はおらぬ。ついてはーー』
その後は、屋敷に訪れてからの段取りが綴られていた。事務的な内容がいかにも伯爵らしい。だが、先日呼ばれた件はまだ尾を引いているようだった。魔物襲来が百年前のおとぎ話から今の出来事に変わったことで、国を守るということに対する波紋も大きくなっている、ということなのだろう。
「とりあえず、こっちの都合でお邪魔していいみたいだし、エルザちゃんに会えるのは嬉しいし、悪い話じゃなさそうだね。よかったよかった」
さすがに、ただ”会いたい”という理由で貴族のお屋敷にお邪魔することはできない。それに、そうそう臨時休業するわけにもいかない。お店の評判への影響は小さいが、生活していかなくてはならないのだ。以前手に入れた金貨などは、あぶく銭に近いので、できれば生活費としては切り崩したくない、という思いもあった。
お鍋の様子を確認して、香辛料やぶつ切りにした野菜などを投入すると、軽くかき混ぜる。これでまたしばらく煮込んで行く。少しの間、目を離しても大丈夫だ。
厨房を離れたエルリッヒは、階段を上がり自室に戻った。
「とりあえず、これは忘れないように置いておこう」
手紙をテーブルの上に置くと、再び厨房に戻って行く。階段を降りながら、いつお邪魔しようか、ワクワクしていることに気づくのだった。
〜つづく〜




