チャプター2
〜コッペパン通り・竜の紅玉亭前〜
「あの……今片付けをしてる最中で、中で友達も待たせてるんで、少しだけ待っててもらえますか?」
「かしこまりました。それでは、こちらで待たせていただきます」
これはどういう風の吹き回しだろうか。これまでの呼び出しとはまるで違う。兵士の態度はあくまでも丁寧だし、確認の時など、『殿』までつけてくれた。
とはいえ、今までの経緯が経緯なので、素直に喜ぶのは早計だ。
(あやしい……)
呼び出しの目的がわからない以上、一切油断はできないが、悪い気はしなかった。とても気になる豪華な馬車も、中からは誰の気配も感じない。とすると、もしかしたら、これに乗ってお城に行くのかもしれない。
(やっぱりあやしい。けど、案外楽しみ……かも?)
とにかく、今は片付けを終えて、中にいる二人にあれこれ言付けておかなくてはならない。
「それじゃ、少し待っててください」
パタリと静かにドアを閉め、、店の奥に戻っていった。
「誰だったの?」
「お城の兵士」
「げ! それって、まさかまた何かあったってことか?」
予想通りの反応だった。こうしてお城に呼び出されるのは三度目のこと、驚きも疑いも当然である。だが、それだけに慌てたりはしない。少なくとも、ゲートムントもツァイネも、今のエルリッヒに思い当たる節がないのは承知している。正体の件が落着し、封鎖されていた外門を無理矢理突破して帰国した件も、それを利用したスケープゴートに仕立てようとした企てごと片付いている。
であれば、なぜ。
「私の中じゃ、何にもないんだけどねぇ。それがさ、何か妙に兵士の人が丁寧だったの。それがありがたいんだけど何だか不気味で。豪華な馬車も待ち構えてるし。とにかく、王様の呼び出しってことで行かないわけにはいかないし、兵士の人たちも待たせてるから、ちゃっちゃと厨房の片付けを終わらせなくちゃなんだ。二人も、フロアのお掃除手伝ってくれるよね?」
「とりあえず、行ってみるしかないってことだね。王様の呼び出しってのが本当でも、誰かの偽装でも。フロア掃除くらい、いくらでも手伝うよ」
「おう! こう見えても俺たちそういうのも得意だしな」
二人は自信満々にホウキとちりとり、それにモップなどを手に取った。三人いればかなり捗る。ダメ元というほどではなかったが、とてもありがたい。エルリッヒは厨房を、男二人はフロアを、それぞれ片付け、掃除し始めた。
「よーし、なんとかなったね。それじゃ、別れしなに少しだけ言付けておくんだけど、もしまた私に何かあったり、帰ってこれないようなことになったら、お客さんに説明だけよろしくね。誉れ高いことにお城からお呼び出しを受けて舞踏会に行っていますって」
「任せて!」
「な、なあ、舞踏会ってのはさすがに冗談が過ぎねぇか? いや、でも、そうだな、その方がエルちゃんらしいか」
掃除が終わり、簡単に身支度を整えると、フロアで待っててもらっていた二人に出発前最後の申し送りをする。一応、何があるかわからない以上、念には念を押しておかねばならない。
「まー、実際の所何が待ってるかさっぱりだからねー。無事に帰れるといいんだけど。それじゃ、行こうか」
「え、俺たちも一緒? な訳ないか」
「一緒に出ないと、戸締まりできないでしょ。ゲートムントって、時々そういう抜け方をするよね。あ、そうだ、正面から出たら兵士たちと顔を合わせちゃうな。鉢合わせになって話がこじれても嫌だし、ゲートムントと裏口から出ようと思うんだけど、いいかな」
必要以上の警戒。今までのことを考えればこれもまた当然だった。城内の人間に顔が利くということは、今回の呼び出しが何かの陰謀だった場合、一層エルリッヒの立場を悪くしてしまうかもしれない。そう思えばこそだった。
そんなことまで気を遣ってくれることに、言いようのないありがたさがこみ上げてくる。力一杯抱きしめてあげたくなるのを必死にこらえ、裏口の鍵を開ける。
「さ、今のうちに行っちゃって。二人とも、ありがとね。それと、何かあった時はよろしく。って、私からは何もサインを出せないんだけどさ」
「いざとなったら、俺の人脈で助けに行くから」
「その時は、もちろん俺も一緒に暴れに行くから、楽しみに待っててくれよな!」
最後まで元気で、不安にさせまいと振る舞ってくれる。何とありがたい友人たちだろうか。
「さ、行きますか!」
二人が出て行ったのを見届けると、裏口の鍵を閉め、再びドアを開けた。
「お待たせしました」
「いえ、突然お邪魔したのはこちらですから。それでは、参りましょう」
やはり、いつになく兵士の態度が紳士的だ。陰謀の類でないとすれば、何かちゃんとした理由があり、しっかりと情報が行き渡っているということなのだろう。
楽観視するのは早いとはいえ、高圧的な態度を取られるよりはよほどいい。
「あの、ちゃんと今日のうちに帰してくれますよね」
「さあ。我々も要件までは聞かされておりませんので」
兵士の言葉に嘘はなさそうだ。お城に軟禁されるのはもう飽きている。”ちゃんと”帰してくれるかどうかは心配が、ここは腹をくくるしかないらしい。
「後、この格好で大丈夫ですか?」
舞踏会に行く、などという冗談で飾ったのはあくまで言葉だけだ。要件が分からないのは兵士たちも同じなので、答えようがないかもしれないが、無理矢理連れて行かれるわけではないようなので、急に服装のことが気になった。
幸い、お城に上がるのに恥ずかしくないドレスも持ってはいる。
「申し訳ありません。重ねて言うようですが、我々は本当に何も聞かされておりませんので……」
「そう、ですよね。ごめんなさい、無理を言って。それじゃ、行きましょうか」
兵士はエルリッヒの手を取り数歩先の馬車まで連れていく。そして、もう一人の兵士が馬車のドアを開けてくれる。
(エスコートだ!)
まるでお嬢様、いやお姫様のような扱いに、思わず感動しそうになるのを必死にこらえ、馬車に乗り込んだ。
「それでは、出発します」
兵士の号令とともに、馬車はゆっくりと走り出した。
〜王都・中央通り〜
馬車に揺られること数十分。兵士の歩幅で進んでいくためゆっくりとした速度だが、四頭立ての馬車はどこまでも安定していて、ふかふかすぎる座席は石畳の上を走る衝撃をことごとく吸収してくれた。外装も白塗りに金の装飾と美しかったが、中もとても美しい。窓にカーテンが付いている馬車など、本当におとぎ話の世界でしか聞いたことがない。
「それにしても……これじゃあ本当にお姫様待遇だね。勘違いしちゃいそうだ。い、いや、待て待て。私は正真正銘お姫様だってば」
大きくかぶりを振って自分の認識を改める。それはとても大切な、忘れてはいけないことだ。竜族の王女という肩書きとプライドは、決して失ってはならない。
「はー、人間暮らしも長いからなー。気をつけないと」
別に、ドレスを着てティアラをつけて玉座で王様の隣におとなしく座っているような日常ではないが、あくまでも竜王の娘であることに変わりはないのだ。お姫様扱いされたとして、それは本来当たり前のことではないか。こうして町娘として暮らしている自分も本当の自分だが、幾万のドラゴンを束ねる一族にいることもまた事実。
この素敵な馬車は、そんなことを思い出させてくれた。
「エルリッヒ殿、お城に到着しました」
そうこうしているとゆっくりと馬車が止まり、またしても兵士の一人がドアを開けてくれた。
「ありがとう」
とても名残惜しかったが、それをおくびにも出さずに馬車から降りる。ここでもまた、別の兵士が手を取ってくれた。やはり、とても良いものだ。
ついつい、人間のお姫様のような所作振る舞いをしてしまう。
「それで、お城の中ではいつものように待っていればいいんですか?」
「いえ、すぐに陛下がお会いになります。玉座の間まで、ご案内しますよ」
それは予想外だった。
「えぇーーーーーーーーーーーーっっっ!!」
思わず叫んだその声は、跳ね橋を超えて、城内にまで響き渡った。
〜つづく〜