草津温泉連続殺人事件
11月・・・・これから本格的な寒さが始まる。そんな時期である。街路樹は葉を落とし、数か月前の暑さなど幻の様。誰もがそう感じる、寂しい季節である。しかし、その男は有頂天の様に軽やかな足取りだった。ご機嫌なその男、飯田 豊は、現在通学している広島県船越大学の1年生だ。飯田はこの船越大学の映画研究会というサークルに所属しており、映研での取材も兼ねてという事で、草津温泉への旅行合宿の打ち合わせの帰りであった。飯田には心を寄せる女性が同サークルにいた。その女性は、安田 やよいという。
安田は昔から映画が好きで、大学に入学してすぐ映研に所属した。飯田は安田と大学ですれ違った時、マッハで一目惚れをした。瞬殺だった。それから飯田は安田の事を調べ上げた。キモかろうが何だろうが調べ上げた。時に張り込み、時に裏を取り。アンパンをかじりながらホシの動向を抑えた。ベテランの刑事の様だった。映研に所属している事を知り、後追い入会した。飯田は映画なんて全く無知だった。借りてきた映画を半分寝ながら早送りで見潰した。映研に入会する時の自己紹介では
「僕は本当に映画が大好きでいつも見ています。監督のシナリオのイメージと、キャストの演技力や表現力の具現性。背景の選択等、隅々まで構成を研究して見ています」
と、練習通りの事が言えた。話す時の表情の練習までした。その甲斐あってか、安田とお近づきになれたのだ。この旅行のチャンスを必ずものにする。負けられない戦いがそこにはあった。この恋愛超人、恋の狩人が男と女の方程式を解き明かす。恋の狩人は、道端で愛の告白の練習を始めた。
「あのっ!僕とおしょ、おしょ、お食事に、いきいき!」
違うな・・・ピュアを演じても逆効果かもしれん・・・・
「俺が映画の中だけじゃない。君をシンデレラにして見せる。」
いや、これも違うな。これでは、「あまーい!」と言われるだけだ。
ならば、どうすればいい?飯田は苦悩した。メモを取り出し、有効打を綴り始めた。
「もし俺が、走れメロスなら、君の為に世界新記録を樹立する」
「もし君の喉が渇いたなら、俺の涙で潤してやるぜ」
等、恥ずかしい呪文を書き並べた。その後も飯田は画期的な策を弄し続けた。
結局、愛のフォーメーションは組み立てられなかったが、着々と準備は進み、合宿旅行の当日になった。
本日は晴天なり。ここは群馬県吾妻郡草津町草津。現場直行の集合という事で、草津駅に付いた。
13時集合。30分前到着。完璧だ。男女8名の青春ドラマが始まる。2泊3日の青春旅行だ。サークルの部員は全部で8名。全員の参加となった。草津駅はやはり観光名所という事もあり、大いに賑わいを見せた。
駅の周辺には、お土産屋や名物などの店が立ち並び、色とりどりの提灯が飯田の心を弾ませた。そこに
「よっ!」
と、現れたのはサークルの先輩、斎藤 タケルである。斎藤もまた、華やかな景色にご機嫌の様だった。
「言っておくが、俺もこの合宿で、決めるぜ」
と親指を立てた。ここにも恋の狩人がいたのだ。同志の共同戦線が結ばれた。
「お前はどうせ、新入の安田だろ?俺は滝川、行くぜ」
初めてそんな話を聞いたが、心強い味方が出来た。滝川というのは、飯田にとっては3年生の先輩女子で、テニスサークルも掛け持ちしている、爽やかスポーツ女子だ。確かにあの輝く様な汗と笑顔は人を惹きつけるものがある。そこに部長の添島と機材担当の竹田が現れた。部長の添島は、それはもう頼れる相談役といった感じで見るからに好青年だ。機材担当の竹田は、カメラや照明、大事な道具等に精通していた。
飯田からしてみれば皆、上級生の先輩だ。
「これで男子は全員揃ったな」
部長は確認した。丁度そこに
「はいはーい!お待たせー」
と、女子4人が固まって登場した。こういう時は、女子は遅れて来るものだ。新入の安田とスポーツ女子、
滝川、そして、眼鏡をかけた知的な2年生、睦 ひろみ、ギャル風の3年生、土田 いくみである。
恋する飯田と斎藤は、たちまち笑顔になった。
「よーし。これで全員だな。チェックインする前に街の散策でもするかね」
と、部長が指揮をとる。
「はーい!」
と女子達が元気よく返事をした。飯田はもう幸せいっぱいだった。こんな楽しい企画を考えてくれた部長に
感謝の雨あられだった。機材の竹田は重そうな荷物をヒョイと持ち上げる。いつもの事なのだろう。どれだけ歩きまわっても文句一つ言わない。やはり体つきも屈強だった。将来は映像関係の仕事に就きたい。
そう言っていた。軽々と荷物を持つ竹田に女子達は
「やっぱり男はこうでないとねー」
と盛り上がる。飯田と斎藤は、それが面白くなく、心の中で舌打ちをして竹田を睨んだ。竹田は
「ん?」
と、目を丸くした。その筋骨隆々な太い腕を目の前にし、飯田と斎藤はすぐ目を背けた。
余りにも気が合う斎藤に、飯田は驚いて斎藤の事を見ていたが、斎藤は
「なんだよ!」
と、突っぱねた。
「頼りにならない同志だな」
飯田は心の中で悪口を言った・・・・
街を散策していると、温泉の湯を混ぜる大きな木の板がパタンパタンとしていたり、そこらじゅうから湯気が溢れ雲の様になっていたり、極めつけは、テレビでよく見る温泉の湯が、いくつかの長いレーンで供給されている光景だったり、もう見るもの全てが珍しかった。その度に女子達は
「すごーい!」
と、黄色い声を上げる。これには、男性陣もテンションが上がってしまう。
飯田は、これを好機だと捉え思いを寄せる安田に近づいた。
「自由時間さ、一緒に土産屋にでも・・・・」
安田はプイと聞こえない振りをして
「部長ー。お土産見ませんか?」
と、かわした。失敗したか・・・・と、飯田は肩を落とした。いつもこうだ。俺の気持ちなら分かってるはずだろう。避けられていては告白もクソもない。後ろから斎藤が飯田の肩をポンと叩き、目を閉じて首を横に振った。それに対して飯田は
「余計な事すんなよ。首を横に振るって、どーゆー意味だよ。」
と、また、心の中で悪口を言った。
さて、街を散策した一行は、タクシーで旅館へ行く事にした。部長が言うには、ここの旅館は穴場中の穴場で知る人ぞ知るスポットらしい。旅館の事は任せてくれとの事だったので、皆、異論は無かった。
まして、人望のある部長の事だ、皆の事を考えてくれるに違いない。誰もがそう思った。
タクシーに乗り、街中を移動する。しかし、何故かタクシーは山へ山へと登って行く。気さくなタクシーの運転手は話の流れでこんな事を言った。
「へー。いいねー。大学のサークルでー。若いってホントいいわー。で、オカルト研究会だっけ?
好きな人は違うわー。自分から行っちゃうんだからなー」
と言った。何を言っているのか良く分からなかった。皆、顔を見合わせ首を傾げる。
運転手はブレーキを踏んだ。
「あー。あれ見て。なんかの骨が転がってるでしょう。この辺り、野犬やら熊やら出るからね。夜は出歩かない方がいいよー」
と、指さした。そこには、獣の骨が転がっていた。不意に不穏な空気が流れた。ギャルの土田が口を開く。
「えー?何ー?ちょっとやめてよ、怖い所とか無理だからー。」
と不安がる。皆、同調し始めた。すかさず部長は
「いや、大丈夫だから。いい所なんだよ。運転手さん、車、進めて下さい」
と促した。タクシーは車を走らせ山の頂上辺りで車を止めた。麓を見下ろしたが、歩いて戻れる場所でもない。ここでタクシーとは別れ、歩いて旅館を目指す。山道はしっとりと濡れ、ギャアギャアとカラスが一行を見張る。自販機も無ければ街灯も無い。夜に出歩くと大変な目に合うだろう。ホントに大丈夫なんだろうか?スマホも、もう圏外になった。皆、不安を喉に押しとめていた。その時、目の前が開けた。
目の前に現れたのは、綺麗でオシャレな旅館だった。ロッジ風の建物は周りとの自然を味方に付け、暖かみを演出していた。そのロッジ風の建物は、いくつか立ち並び一つの集落のようだった。宿泊する者は、ロッジの王様になれるのだ。これには、皆、大喜びだった。一番大きな建物には、名物の草津温泉、フルコース巡りといった、いくつもの温泉が設置してあり、360度の大パノラマ温泉浴場を水着着用で移動できるといった施設である。まさかの混浴である。売り場にも水着があり、女子たちは
「えー、なんか恥ずかしいー」
と黄色い声ではしゃぐ。部長!なんて素晴らしい人だあなたは!飯田と斎藤は、顔を見合わせ強く頷いた。
夜になると店の者達は、勤務時間外の為誰もいなくなるらしい。それで何年も経営してる位なので、何の問題もないだろう。何かあった時の為、緊急連絡先を渡された。そしてそのまま女将に旅館を案内された。
立派な建物内には温泉施設の他、くつろぎのスペースもあり、食堂や大広間もあった。外にはキャンプもできそうな調理場もあり、楽園に思えた。ただ、その時、あるものが目に止まった。
目に止まったのはいくつか並べられた、大き目の石だった。少し目立たない所にあったが、気になり始めたらつい見てしまう。飯田は女将に尋ねた。
「あれは、何ですか?」
女将は気付いてしまったかというように、動きを止めた。
「あれは、お武家のお墓でございます。言い伝えではこの地で眠る守り神でございます」
守り神。聞こえは良いが、墓には違いない。皆、神妙な空気を共にした。その時、眼鏡の睦が口を開いた。
「そういえば、さっきのタクシー、好きな人は、自分から行っちゃうって・・・・」
重い空気が流れ始めた。そんな空気を遮るかのように女将は
「触らぬ神に祟りなし、ですから。立ち入らなければ問題ないですよ」
と言った。竹田も
「そりゃそうだ、わざわざ行く必要もないだろ」
と明るく振舞った。滝川も
「もー、小さい事気にして」
と、せっかくの楽しい空気を取り戻そうとした。
「あ、ごめんごめん」
と、飯田は誤魔化し、場の空気を和ませた。
それで、案内は終了した。部長は皆にミーティングを軽くしようと言った。
皆、ロビーに移動した。
ロビーでは部長から口を開いた
「この後、食事にしてそれから温泉に行こう。水着は部費で出すから、選んでくれ。後、今日は貸し切りで予約したから、僕たちだけだ」
部長は皆に伝えた。土田が飛び跳ねた
「貸し切り?そんで、水着も部費?やるじゃん!部長!」
まさに至れり尽くせりだった。でも、そんなの部費で賄えるものなのか?そんなもんなのか?飯田は少し違和感を覚えた。だが
「さすが部長!ヒュー!」
と、拍手がおこった。飯田も慌てて拍手した。
食事は、外で作ろうという事になった。キャンプ風に皆で作るというのは、とても楽しいものだ。
また、飯田は有頂天になった。その際に飯田はメモ帳を落としてしまった。それを安田が拾い上げた。
「飯田君、メモ帳、落としたわよ。・・・ん?もし、君の喉が渇いたら、僕の涙で・・・・」
あの恥ずかしい呪文を読まれそうになった。飯田はバク宙3回転ひねり大車輪でそのメモ帳を奪い取った。
今なら金メダルが狙えそうだった。
「はい!何でもなーい。何でもなーい」
と、飯田は誤魔化したが、安田は
「変な人」
と、呆れてそっぽ向いてしまった。何もかも裏目に出てる気がした。
食事は本当に美味かった。だが、この後の温泉の事が頭から離れず、ソワソワした。食器を片付け、よし!
と気持ちを切り替えた。男性陣はババっと着替えて先に風呂場で待機した。遠い麓では、揺らめき輝く草津の灯りが見えた。様々なお湯が用意された露天風呂には、血の池地獄や熱湯地獄等、妖怪チックな名が付けられていた。部長は言う
「ほれ、そろそろ女子が来るぞ」
と、アゴで促した。男性陣はこの状況を作り出してくれた部長を拝んだ。タイ人の様に手を合わせて拝んだ。部長は
「拝むなよ」
と、困った顔をしたが、感謝の形を現したかった。そこへ
「じゃーん!」
と女性陣が現れた。・・・・衝撃的な光景だった。水着で登場した妖精たちが、男達の視線を支配した。
「ワーオ!」
と言ってポーズを決めていたのは、ビキニを付けたギャルの土田だった。こういう感じの自己主張系女には
特に何も感じなかった。その後ろの安田はワンピース型の水着だったが、ハイレグが効いていた。
安田は飯田の視線を感じて
「嫌だ。そんなに見ないでよ」
と体をくねらせた。スポーツ女子の滝川は、健康的な体を主張し、それでもある意味露出はあった。
文才系の睦は眼鏡を外し、慣れないビキニを着ていた。
「こういうの、やっぱり恥ずかしいですね」
と、後ろに手を組んだ。初めて眼鏡を外した顔を見る睦は、なんだか可愛らしくもじもじとしていた。
部長は余り興味がないのか、ガシガシと頭を洗っていた。他の男達はエライ事になっていた。
飯田は腰が引け、心の中で
「お、俺のお子様が俺様になって、ナニ様のつもりで神様の様なデカい態度をとるのか・・・」
と、動けないでいた。安田はまた呆れた様に、ほら、温泉入るよと飯田の手を引いた。
飯田は、数学の公式を解いていた。動けるように。いつの間にか、飯田は安田と二人で話をしていた。
「綺麗・・・」
濡れた髪をオールバックにした安田は、草津の街並みを眺めていた。初めて見るその姿を飯田はとても愛おしかった。この奇跡の時間を止めたかった。二人の白い息が空に舞い上がり一緒になった。飯田と安田は、
これからの自分の将来の展望を語り合った。安田の将来に自分の姿があって欲しい・・・・飯田は切にそう願った。皆、一通り体を洗い、ロビーで集まる事にした。
温泉から上がった一行は、眠る前、ワイワイと盛り上がっていた。他愛のない会話である。
「さっきの男達の顔、だらしなかったわー」
と、土田がからかった。嫌な事を蒸し返す。飯田も困って苦笑いした。その時
「ふえー」
と、声を上げたのは、文学系の睦だ。何やらスマホで調べていた睦は、スマホを皆に見せた。
「ほら、ここの旅館、紹介されてる。この旅館には言い伝えがあって、昔、侍の処刑場だったらしいよ」
と言い始めた。この手の話が得意なのだろう。目がキラキラしていた。睦は続けた。
「首塚とかいうやつ?さっきのアレ、多分そうだねー。」
と、言わなくていい事を言い始めた。飯田はあの並べられた石を思い出した。
「侍達は、今も無念を残して・・・・きゃあああああ!!」
と睦はふざける。皆、引いてしまったのか、黙り込んでしまった。部長がたまりかねて、空気を変えた。
「よーし、今日はもう遅いから寝よう。各自、部屋に戻ってー。」
と、お開きにした。それぞれのロッジに戻る時、安田の方から飯田に近寄って来た。先程の風呂の余韻が残っているのだろうか。飯田は今しかないと意を決し
「今度、どこかに行かないか」
と、言った。それが精一杯だった。安田は口をつぐんだ後
「考えとく」
そう答えた。おやすみと別れ、個室のロッジで夜を明かした。
2日目の朝
「ドンドン」
飯田のロッジのドアを叩く音が聞こえた。ドアを開けると、斎藤が
「おはようさん、もうすぐ朝食だぞ」
と、呼びに来てくれた。さすがに先輩なので
「おはようございます。すいません」
と、答えた。しかし、朝食の予定は8時、まだ7時である。斎藤は
「いや何。ちょっと話があってな。中に入れてくれよ」
と言う。飯田は、斎藤を自分のロッジに招き入れた。ロッジの中にはベッドとテレビ、テーブルとイス、簡素なキッチン、そしてトイレといったどこにでもある家具付きの仕様だった。二人はイスに腰かけた。
斎藤は切り出した。
「ここの温泉な、自分でも穴掘って作れるんだぜ」
と言って来た。飯田は斎藤が何が言いたいのか不思議そうな顔した。斎藤が続ける
「わかんねー奴だな。男が一生懸命作った温泉に女を誘ってみろよ。惚れるぜ?」
と言って斎藤はドヤ顔を向けた。飯田は考えた。確かに女は額に汗する男をカッコいいと言う。ましてそれが自分の為にしてくれたサプライズならば感動ものだ。飯田は立ち上がった。斎藤も立ち上がった。
「やりましょう!!」
「お前ならそう言ってくれると思ったよ!!」
2人は固く手を掴み合った。
一行は、食堂で朝食を済ませた。今日は、夕方まで自由時間との事だった。職員がロッジの清掃の為、夕方まではロッジには出入り禁止の旨を、部長が皆に伝えた。明日は朝一で麓に下り、また草津の街を散策して、昼過ぎには解散の予定。ここで思い残す事が無い様に、羽を伸ばしておく様に言われた。自分で掘れる温泉システムがある為、ショベルやツルハシ等のレンタルもしていた。飯田と斎藤は必要な道具を借り、絶好の温泉ポイントを探しはじめた。もちろん、サプライズの為、女子達には内緒の作戦だった。他のメンバーは、バドミントンをしていたり、写真を撮影していたり、読書していたりと、それぞれ自由に過ごしていた。
「よし、ここにしよう」
飯田と斎藤は絶好のポイントを探し当てた。2人は作業内容を確認した。
「ここをこうして、ここをああして、夜にはライトアップしよう。ムード満点ってやつだ。草津の温泉らしく、レーンでお湯を引っ張ろう。」
と、なんと斎藤は図面まで作成していた。夜のうちに綿密な計画を立てたのだろう。凄まじい意気込みだった。女子達にはバレない様に、少し離れた場所を掘り進めた。2人は妄想を膨らませた。
飯田の頭の中では
「見てくれ。この温泉、君の為に作ったんだ。君の為なら何だってできる」
それを聞いた安田は
「すごいわ!もう結婚して!私たち、もう夫婦よ!こんな水着いらないわ!どうにでもして!」
と、そんな設定。一方、斎藤の頭の中では
「滝川、この温泉、お前の為だけに作った。俺はお前の事が、そう!大好きなんだー!!」
それを聞いた滝川は
「バカね。こんなに手をケガして。私、こんなに胸がドキドキしてる。触ってみて。胸だけじゃなくても・・・・いいよ」
と、そんな設定。2人のショベルが唸りを上げた。2人のお子様も俺様のナニ様だった。
「くっ!」
飯田が、膝をついた。
「うっ!」
斎藤の手の豆が潰れた。負けられなかった・・・負ける事など出来なかった・・・・飯田は叫んだ。
「ファイトー!!」
合いの手が帰ってきた。
「イッパーツ!!」
飯田は、その合いの手に驚き斎藤を見た。斎藤もまた、飯田を見ていた。互いに微かに口角が上がった。
その微かな笑みは、互いを強者と認めたライバルにのみ、許される表情だった。手掘りの温泉はどんどん
その姿を形成する。事情を知る竹田が近寄って来た。
「おっ、進んでるな」
と、塩梅をうかがった。斎藤は吠えた。
「うっせー!!近寄んじゃねー!!キシャアアアア!!!」
驚いた竹田は
「何だよ。判ったよ。」
と、退散した。いつの間にかこの温泉は、飯田と斎藤以外の男は立ち入れぬサンクチュアリになっていた。
・・・・・・傾いた太陽が、時間の経過を示していた。手作り温泉の完成である。2人の匠が、夢を叶えた。長いレーンが温泉を引っ張り込み、掘り込んだ穴の周りには大きな石を設置した。幻想的な空間を演出出来る様にイルミネーションを施した。汗とドロで体は汚れ、手はもうグズグズになっていた。
2人は夕焼けに染まった昼の番人を見送り、そして、夜を迎える。斎藤は言った。
「行くか。姫を迎えに・・・・」
2人のナイトは満を持して、目当ての姫を捜した。厳かに・・・・
丁度タイミングよく安田と滝川を見つけた。先に口を開いたのは、安田だった。
「あれ?どうしたの、2人とも。ドロまみれじゃない。何してたの?早くお風呂に入って来なさいよ。
私たち、もう入って来たわよ。」
と、血の気が引く様な事を言い出した。
「な・・・な・・・」
斎藤は愕然とし、ブルブルと震え出した。
「それじゃ、また後でね。」
と、安田と滝川は去ってしまった。・・・・神はどこにもいなかった。
幻想的に輝くイルミネーション中、飯田と斎藤は向かい合って、自作の温泉に浸かっていた。瞬きもせず。
労働の後の風呂が、こんなにも悲しいのは初めての事だった。
「これ・・・・」
飯田は声を捻り出した、
「言わなくていい!言わないでくれ!」
と、斎藤は叫ぶと、顔を洗い始めた。延々と顔を洗い始めた。泣いているのだろうか?飯田は察した。
飯田もまた、延々と顔を洗った。
風呂が終わり、皆、食堂に集まった。土田の姿は無かった。
「土田は、具合が悪いらしい。ロッジで休んでいる。もうロッジにも入れるぞ」
部長が言った。皆は夕食を済ませ、ロッジに戻った。だが飯田は、ロッジには戻らず、自作の温泉の方に向かった。温泉の墓を作ってやりたかった。それを遠巻きに見ていた安田は不思議そうに飯田を追いかけた。
「どうしたの?・・・わ!すごい!これ、温泉!?作ったの!?」
と、飯田に尋ねた。
「うん・・・安田と一緒に入りたかったけど・・・無意味だったね・・・」
と飯田は力無く答えた。
「言ってくれれば良かったのに・・・」
安田は手を胸に当て、真っすぐ飯田を見つめた。胸キュンしたのだろうか?以外な所で効果があった。
飯田と安田、2人の間に甘い空気が流れた。
しかし、2人の間を引き離すかの様に、事件は起きてしまった。
飯田と安田は、自作の温泉の前にいた。その時、長いレーンから流れ落ちる湯に変化が起きた。
上の方から流れる湯が、紅く染まってゆく。そして、下で溜めた湯に煙のように侵入した。
「きゃあああああ!!」
安田は悲鳴を上げた。飯田は固まっていた。
「どうした!!」
悲鳴を聞きつけた何人かが集まった。部長、滝川、睦が走って来た。
「これは!!」
部長が声を上げた。
皆、レーンの上流を見上げた。
「調べに行こう」
部長は先頭を歩き、皆、後に続いた。上流へ進んだ先に原因を作った主がいた。その主を見て皆、戦慄が走った。レーンの先端に体を突っ込んだその人間は、首から上を失い、血を垂れ流して絶命していた。
その服装は、竹田だった。屈強な肉体は力を失い、頼りがいのある面影は何処にも無かった。
「そんな・・・そんな・・・」
安田は震えていた。
「あれ・・・あれ・・・」
滝川が声を震わせて指さした。そこには血の文字で
「我等ノ怨ミ未ダ消エズ」
と、石垣に書かれていた。皆、その場から動けないでいた。
「とにかく皆を集めるんだ!」
部長は冷静だった。下流へと急ぐ。血の温泉はその紅みを一層色濃くしていた。それぞれ散らばってロッジに走った。
「いやあああああ!!!」
今度は睦が悲鳴を上げた。そこには、首から血を流して死んでいる、斎藤がいた。
「そんな・・・さっきまで一緒に温泉作ってたのに・・・」
飯田は、これは斎藤の冗談かと思ったが、その死体は、明らかに斎藤のものだった。
「皆、落ち着くんだ・・・落ち着くんだ・・・」
部長は自分に言い聞かせる様に深呼吸した。
「いくみは!?いくみは!?」
滝川は土田がロッジにもいない事を確認するとパニックになり始めた。
「探そう!」
飯田は冷静さを取り戻し、ロビーを指さした。
5人は固まってロビーへと足を進めた。恐怖で支配された心は何もかも危険に感じた。
土田はどこだ?固まったままで施設を回る。恐ろしくて手分けして探すなど、到底出来なかった。
食堂、大広間、調理場、どこにもいない。
「お風呂は?」
滝川は言った。こんな時に風呂場にいるなど、最悪の事態しか想像できなかった。
悪い予感よ外れてくれ。誰もがそう思いながら大浴場に向かった。扉を開けると、ヒヤリと濡れた床に、足跡がついた。
「何て事だ・・・」
悪い予感は的中した。最悪の事態を迎えた。文字通り真っ赤に染まった血の池地獄でその体は浮いていた。
顔は無残にも切り刻まれ、長い髪は根元から断ち切られて辺りに散乱していた。
「いくみ・・・」
もはや叫ぶ程の力もないのか、滝川はへたり込んだ。
可哀想だが死体現場を荒らす事も出来ず風呂場を後にした。この時、飯田はようやく気付いた。そうだ、警察に連絡しないと!パニックで気付かなかった!
「警察!警察!」
飯田は皆に言った。皆、同じくパニックで気付かなかった。フロントの電話に走りよった。
「これは・・・」
電話線は引き抜かれて丸めてあった。どこかへ繋ぐ部分は複雑で難解だった。職員が余計な事をしてくれたのだろうか?これでは埒があかない。
「ケータイケータイ」
飯田はケータイを取り出したが、圏外だった。皆も圏外らしい。
「あ、睦。昨日スマホ見てたな。繋がるか?」
部長が睦を見た。
「それが・・・スマホ、行方不明なんです。昼過ぎにロッジに戻っても見当たらなくて・・・」
これでは緊急連絡先も使えない。完全に孤立してしまった・・・
5人はロビーに腰を下ろし、議論していた。
「何が起きているんだ?」
部長は言う。当然、皆もそれを考えた。
「もう分かんないよ!」
滝川が泣きながら叫ぶ。
飯田と安田は、オロオロとするしか出来なかった。その時、睦が口を開いた。
「我等ノ怨ミ消エズ・・・」
皆、はっとした。まさか!?侍の霊が殺したってのか!?
「いやいや、まさか!そんな・・・」
飯田はその可能性を否定した。
「だって一気に3人も殺されたのよ!?人間ができる事じゃないじゃない!」
滝川が声を荒げる。
「侍の怨みって言っても、現代の僕たちに何の怨みがあるんだ。あの土田の殺され方は、尋常じゃない・・・」
部長がため息をつく。皆、それ以上言葉を発する事はなくなった。
また、あのタクシーの運転手の言葉がフラッシュバックした。
「わざわざこんな所に自分から・・・」
「好きな人はやっぱり違う・・・」
何度もその言葉は頭の中で反芻した。静寂が、黒く周囲を塗りつぶした。
「私、お守りがロッジにあるの・・・それ、身につけていたい」
滝川が震えながら言った。気持ちは分かるが、今、単独行動は危険だ。
「お願い部長・・・付いてきて・・・」
滝川は懇願した。同じ男性の飯田よりも頼りになる部長に言うのは当然だろう。
「分かった。行こう」
部長と滝川はロッジへと向かった。
残された飯田、安田、睦の3人は未だ静寂の中にいた。
「こんな事になるなんて・・・・」
睦が頭を抱えた。安田は睦の背中にそっと手を差し伸べた。
飯田はその2人を見守る位しか出来なかった・・・・
「バタンバタン!!」
その音に3人は飛び上がった。何かがドアから転がり込んだ。
それは、腕から血を流して苦しんでいる部長だった!
「ぐっう!滝川が・・・滝川がやられた!」
飯田と睦は、滝川のロッジへ飛び出した!安田は部長のそばにいた。滝川のロッジへと駆けた2人は、またしても悲惨な光景を目の当たりにしてしまった。
頸を掻き切られ、うつ伏せになって死んでいる、滝川だった・・・
手元には、お守りが無意味に転がっている。
「もう・・・嫌だ・・・・」
睦がその場にへたり込んだ。
「部長に、何があったか聞きましょう!」
飯田は、ふらふらと泣きながら歩く睦を支えて、ロビーに戻った。
ロビーでは、部長と安田が座って二人を待っていた。部長は腕を抑え、その手は真っ赤に染まっていた。
「何があったんですか!?」
飯田は部長に詰め寄った。部長は皆を見て答えた。
「皆・・・気を確かにして聞いてくれ・・・僕たちを襲ったのは・・・あれは、侍の亡霊だった!」
皆、まさか、というか、やはり、というか、複雑な表情をした。
「刀を持った侍が僕たちを切り付けてきた!この地には、祟りがあるんだ!!」
部長は続けた。
「逃げる事しか出来なかった!情けない!!」
ドンドンとテーブルを叩き部長は、憤りを表にした。
「部長、手当しないと・・・私のロッジにサークルの救急箱があります。来て下さい」
落ち着きを取り戻した睦は、部長を心配した。
「あ、ああ・・・頼む・・・」
部長はカタンと立ち上がった。
「大丈夫ですか!?また、危険が・・・」
飯田は軽く遮った。
「・・・・君は、安田を守ってやってくれ・・・ここにいた方が安全かもしれん。」
部長にそう言われた飯田は、口をつぐんで何も言えなくなった。部長と睦の2人は、また外へ出て行ってしまった。・・・次に殺されるのは誰だ?それは、自分かもしれない・・・死ぬ前にやるべき事・・・・
飯田は安田の手を強く握った。安田は驚いて飯田を見た。
「安田には、絶対に死んで欲しく無い。・・・好きなんだ・・・大好きなんだ・・・俺が犠牲になってでも・・・」
飯田は強いまなざしを安田に向けた。死ぬ気になれば、何だってできる。誰かがそう言っていた。多分、それが今だろう。これが俺の遺言かもしれない・・・飯田は覚悟を決めていた。
「うん・・・・うん」
安田は2つ返事をした。目を閉じた時、雫が落ち、まつ毛が濡れた。
・・・・・・・2人は手を繋いだまま、静かに時が流れた。
「ガタン!!」
飯田が急に立ち上がった。
「・・・・・悲鳴が聞こえた・・・・」
飯田は呟いた。
「え!?私には聞こえなかったよ!?」
安田は戸惑った。
「行こう!全部分かった!もう事件は起こらない!!」
飯田はそのまま安田の手を引き、部長たちの所へ向かった。
「ガチャッ!」
飯田は睦のロッジの扉を開けた。
「やっぱり・・・・・・」
飯田は睨みつけてさらに続けた。
「やっぱり、全部、仕組んだ事だったんですね!!・・・・・・部長!!!」
そこには、ナイフを持った部長が、啞然として立ち尽くしていた。
「なぜ・・・・分かったんだ?ロビーにいる様に言ったじゃないか・・・・」
尻もちをついた睦は、まだ無傷だった。部長の腕には、しっかりと包帯が巻かれていた。
「僕は耳が良いんですよ。他人が聞こえないような周波数も、聞き取れます」
飯田は睦を見ながら言った
「参ったなこりゃ、バレバレだ。大誤算だ。睦を殺してこのまま消えるつもりだったんだがな・・・
さあ、何か聞きたい事はあるかい?」
些か開き直った部長に、飯田は苛立ちを覚えた。
「なぜ、こんな事をしたんです?」
飯田は自らを落ち着かせた
「ああ、そこからか・・・では、話そう。こいつらはな・・・このサークルはな・・・僕の恋人を大学から追放したんだよ!!」
今度は部長が怒りを表にした。
「僕がこの大学に入った時、石谷 ゆかりという女子がこのサークルにいたんだ。僕と石谷は高校の時から付き合い始めて、一緒にこのサークルに入った。もちろん新入りの僕は部長などではなかった。新入りの僕の言う事など、誰も聞かなかったよ。ゆかりはな、将来、映画監督になるのが夢だったんだよ・・・」
部長はトツトツと話し始めた。
「夢なんてそう簡単に叶うもんでもないからな。ゆかりは就職活動が始まる前に、その夢の足掛かりになる何かを探し回っていたよ。いつも悩んでた。サークルなんてただのお遊戯会だからな。皆とよく衝突していたよ。ゆかりは敵だらけだった。そして、疎ましく思ったサークルの連中は、ゆかりを攻撃し始めたんだ。
そのいじめは、サークルの外まで広がり、ゆかりは大学に来れなくなった。」
皆、黙って聞いている。
「そのゆかりさんは、今は?」
安田が尋ねた。
「ああ、死んだよ。交通事故でな・・・」
「交通事故・・・・」
部長は続ける。
「事故にあってしまったのはどうしようもない事だ。だがな、このままでは終わらせられないんだよ!
僕はどうしても皆を許せなかった。長い時間をかけて報復の時を待った。日本中で最適な場所を探したよ。
見つけたのがこの施設さ。いわく付きっていうのも魅力的だった。侍の亡霊が殺したって言っておけば良いんだからな。部長という立場も実に便利だったよ。誰もが僕の言う事を受け入れた。この施設の職員が、夕方までロッジの清掃するという話も、土田が体調を崩してロッジで休んでるという話も、全て嘘だったからな。計画通りに事が運んだ」
部長は得意げに語る。
「僕が怪しいと気付いた所は、そこですよ」
飯田はそこで口を開いた。
「確かに部長の言う事は、誰でもすんなり受け入れました。部費でこの施設を貸し切った事、殺人が起きても部長だけは常に冷静だった事、そして、水着の部員を見ても動じなかった事、今考えると、全て辻褄が合う」
部長は、かっと目を見開いた。
「当然だ!!今から殺す女共に欲情するか!良し、何なら、殺した方法まで教えてやろうか」
部長は悦な表情を見せた。飯田は、ゴクリ、と唾をのみ込んで頷いた。
「先ず土田だがな、アイツは夕食の時には既に殺しておいた。アイツは、イジメの主犯だったからな、この上ない殺し方をしてやった。後、斎藤はな、ロッジに仕掛けをしておいた。扉を開けるとワイヤが頸を切り裂く様にな。その後、ワイヤは窓から逃げる仕組みだ。僕が日中、清掃員のふりして仕込んでおいた。
次に竹田だ。君たちが作った温泉の、レーンの先端まで付いてきてくれと言ったら、ホイホイ付いて来たよ。実に殺しやすかった。これで、同時に3人死んだ様に感じただろ。亡霊様の仕業に見せかける為にな。
最後に滝川か。アイツも僕にロッジまで付いて来てくれなんて自分から言い出したからな。悲鳴を上げれない様に後ろから喉を掻き切ったよ。この腕も自分で抉ったものだ。復讐を成す為なら何の事でも無かったさ。また、亡霊様のご登場ってわけだ」
「ひどい・・・」
安田が胸に手を当てる。
「僕は復讐を遂げる為に、ずっと誠実な人間を演じて来たんだ。どうだ?鬼畜に見えるだろう?」
部長は両手を広げた。
「いいえ。部長はゆかりさんと無関係な新入生の僕達には手を出さないでくれた。本当に無差別殺人じゃなくてホッとしています。部長はやっぱり誠実な人なんですよ。さっき、部長と安田を2人きりにした時、
安田が無傷だったので、もう事件は起きないだろうと思いました」
飯田は言った。
「フン・・・・まあ、いい。しかし、僕も、もう少し時間稼ぎがしたかったな。逃げ切れるなんて思っちゃあないさ。行方をくらました後は、ゆかりの墓へ行って復讐を果たしたと報告するつもりだったのさ。その為に、侍の亡霊まで利用したんだがな。」
「あ、そうそう、睦、スマホ返すぞ。僕が昼前にお前のロッジから盗んだんだ。警察に連絡されるとかなわんからな。フロントの電話も、僕がコードを丸めておいた。部品を取っ払ってな」
部長はコトリとテーブルの上にスマホを置いた。
「睦は殺し損ねたが、仕方がない。バレたらおしまいだ。ゆかりの墓へ行った後、どうせ僕も死ぬつもりだった。今、死ぬよ・・・ああ、これでやっとゆかりに会いに行ける」
部長は持っていたナイフを自分の頸へ向けた。
「バカな事は止めて下さい!!」
飯田は叫ぶ。
「何がバカな事か!ゆかりは深い恨みを持ったまま死んで行ったんだ!!僕はゆかりの元に、死んで報告に行く!もう恨まなくてもいいとな!!」
部長の顔が、また鬼の様になった。
「部長!それは違います!!!」
横から口を入れてきたのは、睦だった。
・・・・・・・「違う?何が違うんだよ?」
睦が立ち上がった。
「私、ゆかりさんとは本当に親友でした。ゆかりさんは1つ年上だったけど、大学の外でも会っていました。」
「・・・・・・・」
部長は黙って聞いている。
「私の家は母子家庭で、大学へは奨学生制度で通っていました。でも、やはり生活は厳しかった。私は、万引きをしていまい、それを土田さんに見られました。土田さんには、これからゆかりさんを無視しろと脅されました。私は、ゆかりさんがいじめられているのを見てるしかありませんでした!」
睦の声が震え始めた。
「ゆかりさんが大学を辞めた後、それでも私たちはよく会っていました。ゆかりさんは何事も無かった様に私に接してくれました。ゆかりさんは事故に会ってしまう前、最後にこんな事を言っていました。」
睦が泣きながら大声を出した。
「私は大学を辞めてしまったけど、これからは部長といたいって!部長とずっと一緒にいたいって!
そう言っていたんです!ゆかりさんは!未来に希望を持っていたんです!!!」
部長が、2、3歩後ろに下がった。
「そ、んな・・・そんな事が・・・それじゃ、僕が今までやっていた事は・・・・」
部長が、崩れ落ちた。飯田は転がったナイフを拾い上げた。
「部長、もうこれ以上、手を汚すのは・・・・」
部長は激しく嗚咽した。
「ぐうううう!!ゆかり!!ぐううう!!アアああ!!」
・・・・・・・空は澄んで、星が綺麗だった。
3日目の朝。
天気はどんよりとしており、ハッピーエンドには似つかわしくない空模様だった。いや、どこがハッピーなのか。あの後は、部長がまた変な気を起こさぬ様に、皆で固まっていた。朝になって職員が来て大騒ぎだ。
部長は警察に連行され、睦は事情聴取の為、連れて行かれた。飯田はやっと落ち着いたかと、草津の景色を眺めていた。
「なんだか2人になっちゃったね・・・・ま、サークルはまた、探せばいいか」
安田が飯田の隣に来て、街を眺める。
「・・・・・・・」
色々ありすぎて、しばらく無言の時間が流れた。
だが、飯田は安田にどうしても聞きたい事があった。
「あの~、ところでところで安田さん?僕の告白の行方は、どうなったんでしょうか?」
「・・・・・・」
安田は飯田の顔を見ながら、そろりそろりと2,3歩下がった。そして、見たこともない様な笑顔を見せ、
「もし、飯田君が走れメロスなら、私の為に世界新記録出してくれるんでしょ!」
と言った。飯田はポカンと口を開けていたが、ヒクヒクと笑い始めた。
「こいつ!読みやがったな!」
と、安田を走って追いかけた。
その姿は、走れメロスの様だった・・・・・
終。
皆さん、おつかす。いやあ、意外と長くなりました。草津編。タイトルもベタなら、内容もベタ。
でも、ベタな話は大好きです。私自身、よく、こんな話は有り得ない。現実には起こりえない。と否定するんで、矛盾を消すのに苦労しました。何度も戻って、テコ入れしました。今時、連絡つかない孤立系殺人事件なんて、無理ありましたかね?何とかやりきりました。飯田と斎藤の、あほなやり取りが好きで、斎藤を殺すのが辛くなりました。あと、睦ちゃんの最後の奮闘、私、泣きながら書きました。この愛すべきキャラが誰かのお役に立てる様祈ります。と、いうか、べた過ぎて、誰かとエピローグ、ダブってないかな?心配です。