出会い~物ってなんで燃えるんでしたっけ
※物語の中で起こる化学反応は主人公達に都合よく進むことがあります。
魔法世界ゆえとご了承ください。
茂介は困惑していた。
物置小屋の裏口の扉を開けた先に青空はなかった。夜になっていたわけではない。建物の中なのだ。
それにしても凄い埃だ。建物内部の構造もわからない程、全てがそれに覆われていた。
息ができない…。その時直線上にまた扉があることに気がついた。扉の隙間からは一筋の光が差し込み、埃の絨毯を照らす。
光に誘われるように扉に向かって走った。早く外に出たい。
息がしたい。今空気中にはN₂よりO₂よりも埃の割合の方が多い…気がする。
扉を蹴破るようにして外に出た。かなり脆くなっていたようでそれは簡単に砕け散り、破片が宙を舞った。
アクション俳優の登場シーンとしてはまずまずの出来だっただろうが残念ながら観客は誰一人いなかった。まぁ、こんなところを家族に見られたら歓声ではなく罵声を浴びるだろうが。
しかし家族に見られる心配はなかったようだ。そこは実家の敷地内ではない。目の前には小高い丘、周りは木に囲まれ先が見えない。
なにが起きたのかわからない不安と家族に見つからなかった安心が混ざりあい、僕の知らない感情が生み出された。冒険心だ。
小屋に戻ろうかとも思ったが、出来ることならあの埃の絨毯を踏まずに帰りたい。
まずは丘を登り地形を確認することにした。どう考えても家の周辺にこんな別荘感のただよう風景はない筈だが、僕が知らないだけかもしれない。
運動はあまり得意ではない。息を切らしながら丘を登る。傾斜は緩やかだが、距離がある。まだ丘の先が見えてこないがだいぶ歩いた気がして小屋があった方を振り返ると小屋周辺の景観を知るには充分の高さまで登っていた。
そこにあったのは木だった。正確に言うと木しかない。
どこまで続くかわからないこの森を通り抜け帰宅するというのは無謀に思えた。既に僕の体力は残り僅かだ。
諦めて小屋に戻るべく、とぼとぼと歩き出したのだが先程生まれたばかりの冒険心はまだ自分の立ち位置がわかっていないらしく、どんどん前へと出てくる。
丘の先がどうなってるのか見てから帰ろうか。そう思い立ち、つま先の向きを180度変えた。
残り僅かな体力を使いきり丘の先が見えるところまできた。
その光景を見て茂介は興奮した。見たことのない町並み。明らかに自分の生きてきた町とは違う。大きな風車がゆっくりと回り、木造の建物がまばらに立つ。牧場のようなものや、学校のグラウンドのような場所もあった。
町並み以上に嬉しかったのは人がいること。まだ豆粒ほどにしか見えないが明らかに人影が動いているのがわかったのだ。
本来、人と関わることは好きではないが道を尋ねるくらいは僕にだって出来る。
興奮と喜びから茂介は人影に向かって走り出した。登った分今度は下る。転がるように走った。いや、実際に何度か足が縺れ転がった。それでも走った。
自分でも驚くほど早く町までたどり着いた。先程見えた牧場まできたが、ここには誰もいなかった。家畜すらいない。皆で散歩の時間?だろうか。
牧場の柵に沿って町の中心へと向かうと遠くに人がいることに気がついた。その人物はなにやら人を呼んでいるように手招きしているように見えた。声はよく聞こえないが、なにか慌てている。
その人物を目指し歩きだしたが、足が思うように動かない。ゆっくりゆっくりと歩いている間にその人物のいたところに5~6人の人間が集まってきていた。そこ中心にはなにか、うねうねと動く物体があるように見えた。
話し声が聞こえるところまできて足が止まる。
「おい、村長はまだか!」
男の太い声が聞こえてくる。
「今呼びにいってる」
先程の男より若そうだ。二人とも穏やかではない雰囲気だ。
他におばさんの声も聞こえたがかなりヒステリックになっており、何を言ってるのかわからなかった。
なにか忙しそうなので今帰り道を尋ねるのは悪い気がして、落ち着くのを待つことにした。
そこに若い男と一緒に白い髭を蓄えたおじいちゃんが走ってきた。年のわりに僕より足が速い。
少々の敗北感。きっとあの人が村長だろう。
先程見えた動く物体を見て、白い髭をゆさゆさと揺らしながら村長が言う。
「これは西の村を丸呑みにしたという植物じゃ」
「あの伝説の?」
図太い声の男が聞き返す。
「まだ子供じゃがな。放って置いたらこの村も…」
うねうねと動く物体は、村をも呑み込む植物だった。そんなことを素直に信じられるほど僕の頭は柔らかくはない。しかしあの動きは植物には見えない。怖くないと言ったら嘘になる。
「燃やしましょう。まだ間に合う!皆離れて!」
図太い声の男がそう言い右手を前につきだした。それと同時に赤々と炎が揺らめいた。いったい何をしたのか。一瞬の出来事に身がすくみ腰が引けた。
だが、炎の中でもその物体はうねうねと変わらず動いている。
「手伝ってくれ!」
周りの人間も手を前につきだし、物体を囲む。
炎はどんどん大きくなった。
植物と呼ばれるその物体は相変わらずうねうねと動いている。
「もっと炎を大きくするんだ!人を一人でも多く集めろ!」
その声を聞いて後退りした。面倒事に巻き込まれたくはない。
ポケットに入っていた100円ライターでは役に立てないだろうし。
そのとき視界の端に人影が移った。とっさにそちらを向くと女の子がこちらを見ていた。
目が合う。美人というよりはあどけなさの残る可愛らしい顔立ちだった。民族衣装のような服は大きな膨らみを強調していた。
じっとこちらを見ているその目の奥になぜか自分とと似たようなものを感じた。
彼女がふいに顔を逸らし、肩口ほどの長さの髪がさらさらと揺れる。
「おーい!こっちに来てくれ!」
しまった!女の子に気を取られていたら若い男に見つかってしまった。
仕方なく、騒ぎの中心に向かって歩き出す。ふと彼女の方を見ると、足取りが重そうに思えた。どうやら彼女も行きたくはないようだ。
熱い、炎に近づくにつれ肌を刺すような熱に襲われる。
「旅の人か、ありがたい。悪いが手を貸してくれ」
図太い声の男がこちらに気付きそう言ってきた。
“物を燃やすには可燃物、支燃物、点火源の「燃焼の3要素」が必要だ”
この状況でわからないことが2つある。
・支燃物は問題ない。燃焼反応を支えている酸素はある。
・点火源にはいったいなにを使ったのだろう。見ていたところ男が手をかざしたようにしか見えなかったが…。まぁ、実際火はついているのだからいいとしよう。
・一番の問題は可燃物にある。植物を一本燃やしただけでこんなに炎が燃え上がるとは思えない。
いくら炎を大きくしてもあの植物はびくともしなそうだった。
そこで炎の温度を上げるにはと考えて2つの方法を思い浮かべる。
①酸素の供給量を増やす。…うちわで扇ぐか
②可燃物を変える。…なにがある
この場合、可燃物を変えるのが手っ取り早い気がした。アセチレンなんてどうだろう。溶接バーナーなんかで使われている。2300~3000℃くらいになった筈だ。
まぁ、そんなもの持ち歩いているはずもなく机上の空論というやつか。
そんなことを考えていたら若い男が振り向き僕とは違う方向へと目をやった。
「マリー、お前も手伝ってくれ!火くらい出せるようになっただろ。」
マリーと呼ばれたのは先程の女の子だった。彼女は恐る恐る右手をつきだした。
………なにも変わらない…ように見える。
村人達が一瞬彼女を見る。その目にはどこか蔑みの感情が垣間見えた。
彼女は目を伏せた。
彼女は自分と似ている。1人ぼっちの僕に。そう思うといてもたってもいられなくなり、彼女に駆け寄り手を引き走り出した。
自分がそんな行動に出ること自体今までならあり得なかった。
それほど、僕は冷静さを欠いていた。怒りゆえ。こんなあどけない女の子に大人達があんな目を向けてはだめだ。
無理やり知らない男に掴まれた彼女の柔らかい手に少し力が籠った。
少し振り向き後ろを見ると、彼女は顔を伏せたままだった。
民家らしき家の近くまで走り見つからないよう家の影に隠れ彼女の手を放した。
「ごめん」
「…ううん、助かった」
そう言い僕の胸に頭を当てる。抱きしめられないへっぽこな自分を恨む。
彼女の声は震えていた。
このまま逃げる気はなかった。彼女の為にも。
見たところこの村はかなりの田舎だ。都市ガスがきてない可能性が高い。つまり、LPガスが各家に常備されてるんじゃないだろうか。LPガスも1900℃程まで熱くできる。
「ねぇ、ガスボンベってどこにある?」
「…」
彼女は必死になにか理解しようとしているようだった。
「…なにそれ?」
「料理の時とか火を使うでしょ。お風呂のお湯とかも」
「魔法のこと?みんな魔法でやってるよ。子供たちも。私は出来ないけど…」
「…」
今度は僕が理解する番だった。しかし、理解に至る前に彼女の口から出た言葉に反射的に反応した。
「どうやったら火が出せるんだろう…」
「それは可燃物と支燃物が点火源(熱エネルギー)によって反応を起こして…」
しまった!これは人に引かれるパターンのやつだ。つい知ったかぶってしまったと後悔するが彼女は目を輝かせ「詳しく教えて」と言ってきた。
なるべく、解りやすく燃焼の3要素について説明してみたら彼女は興味深そうに聞いていた。
「熱源はライターがあるからいいとして、問題は可燃物と酸素だ。」
「アセチレンなんてないよね」
ダメ元で聞いてみる。
「それってどんなの?」
どんなの?と聞かれても…なにも返事をしないのも悪いので化学式を地面に指で書いてあげた。
(C₂H₂)
三重構造をもつ不飽和炭化水素だ。
ちなみに、
(O₂)
これが酸素。
この2つが熱エネルギーによって反応、酸化することによって酸化熱が発生する。
なーんて言ってても始まらない。筈だった。彼女の言葉を聞くまでは。
「なんだか、これ作れる気がする」
「どーいうこと?」
「手が…疼いてる、力が沸いてくる感じ」
そう言うと彼女は走り出した。さっきまで酸素も知らなかった子が化学式を見ただけでなにが出来るというのか。
僕も彼女を追い走り出した。
先程の場所に着いたとき、そこに炎はなかった。伝説の植物とやらは変わらずそこにいた。何事もなかったかのようにそこでうねうねしてる。この短時間でかなり大きくなっている。
周りの大人たちは皆汗だくになり、疲れはてている様子だった。
「マリー、なにしにきた。」
「お前が来たって仕方ないだろ、離れろ」
「もう無理だ、村を捨てて逃げよう」
先程感じた怒りが甦ってきた。一方、彼女の表情はなにか自信に満ち溢れているように見える。
白髭の村長はずっと黙って様子を見ている。
彼女は大人たちの間をかき分け、その中心にある植物の前までいくと地面になにか書き出した。
(C₂H₂)(O₂)
そうして両手をつきだした。
同時に凄まじい突風が彼女の手から出ているようだ。
彼女は僕の方を見て叫んだ。
「可燃物!支燃物!あとはー!」
まさか、本当にアセチレンと酸素を作り出したと言うのだろうか。しかし、考えている暇はない。
なにかに突き動かされ彼女の声に応える。
「点火源!」僕の100円ライターが火を吹いた。
ゴオオォォという音と共に彼女の手から青い炎が植物めがけ噴射される。
アセチレンは完全燃焼すれば3000℃を越える。植物なんてひとたまりもない筈だ。
実際、植物のうねうねとした動きはなくなりじっと熱に耐えているようだった。それでも耐えている植物の生命力には脱帽だ。
まだなにか足りないのか。
途方に暮れふと足元を見て思い付いた。
彼女の書いた化学式に少し書き加える。
(2C₂H₂+5O₂→4CO₂+2H₂O)
「これが完全燃焼だ!」
明らかに炎が勢いを増した。
日が沈み始め皆それぞれ家に帰り始めた。
先程まで植物が立っていた地面は丸裸になり土が恥ずかしそうに姿を見せている。
彼女は村人達に囲まれている。ヒーローインタビューでも受けているようだった。
まだ遠くでなにかを考えるように様子を見ている村長が不気味に思えた。
インタビューに応えきった彼女が僕に近づいてきた。
「ありがとう。あなたのおかげで村を救えたよ。初めて私も村の役に立てた。」
「それはよかった。ところであれも魔法なの?」
「わからない、でも作れる。あの時そう感じたの」
「あれは魔法ではない」
遠くで村長が独り言のように呟いた。彼女には聞こえていない様子だった。村長はそのまま帰っていった。
僕も帰らなきゃ。
「じゃあね」
ぐっと柔らかいものが僕の手を掴んだ。
「本当にありがとう。私の名前はマリー。またね」
「僕は茂介。またね」
冷静を装ったが僕の中でなにかが燃え始めた。これは化学式では表せない。恋の炎だ。僕のなかで燃え広がっていく。
マリーと別れたあと、埃まみれになりながら来た時に通った小屋を抜けた。
当初の目的など忘れ、シャワーを浴び、布団に潜り込んで目をつむるとマリーの手の温もりを思い出すのだった。