乾坤一擲
マンションに向かって飛ぶドラゴンの鼻先を火球が通り過ぎる。突然の攻撃に空中で止まり、長い首を回し、下を見ると先程の人間がいる。咆哮を上げると力の差を弁えない小さな人間を蹂躙すべく飛翔する。
「……何やってんだろ俺、本当馬鹿だろ……まあ、やってしまったものはしょうがない。いっちょ、トカゲ退治でもやるか!」
震える足を叩いて気合いを入れ、迫りくるドラゴンに背を向けて走り出す。さっきまでいた所に雷撃が降り道路を爆砕する。コンクリート片が飛び散る中、後ろを振り向くことなく走り続ける。
連発して放たれる雷撃に的を絞らせないようにジグザグに走って躱し、窓を破り家の中を通り、一時的にドラゴンの視界を外れてまた次の家にと、何回も繰り返しひたすら逃げる。最初より一撃一撃の威力は弱いが、その代わり連発して撃ってくる。威力が下がったとはいえ、一撃でも受ければ即終わりだ。
とにかく走って逃げているが、別に戦うのが怖くて逃げ出しているわけではない。ちゃんと作戦があってのことだ。普通に剣で攻撃しても駄目だと言うことはさっきので理解した。俺の攻撃では鱗の上からではダメージを通すことができない。なら、どうするか。簡単な事だ、鱗の無いところを攻撃すればいい。狙うのは眼だ。
言うのは簡単だがあの巨体の頭にどうやって辿り着くか。ドラゴンの体を登るなんて馬鹿な真似はしない。高いところから跳びつけばいい。そのために高い建物の傍まで逃げている。
いくら作戦を立ててもドラゴンが地上に降りて来ない限り無意味だ。だから今はひたすら逃げて、ドラゴンがしびれを切らして降りて来るのを待っている。
「……ぐっ、……はぁ、……はぁ」
直撃だけは喰らっていないが、余波だけで体が焼け、破壊された破片が散弾のように飛んできて体を打ち据える。魔力を温存するために回復魔法の使用を最小限に抑えているので、常に息が上がり粉塵と血に塗れた体を引きずるように走っている。
回復魔法を使いすぎて魔力が尽きてしまえば、ほんの微かな勝機さえなくなってしまう。だが、回復魔法を使わなければ、刻々と傷が増える身体では避けられなくなり、直撃を喰らってしまう。そのさじ加減を少しでも間違えれば、待っているのは死だ。死の恐怖に耐えながらの綱渡りは闘真の体力と精神を擦り減らしていく。
闘真に休む暇を与えなかったドラゴンのブレスが止んだ。
「……ぜぇ、ぜぇ……っ」
足を止め膝に両手をつき、荒い息を吐きながら上を見ると――
ドラゴンが闘真に向かって落ちるように急降下してきている。空から巨大質量が落ちてくるだけで、息が苦しくなるような圧迫感に襲われ身動きができなくなる。
このまま動かなければ、圧し潰され、誰ともわからないミンチになるだけだ。
止まるな! 動けっ! 生きている限り最後まで足掻き続けろ!
自分を奮い立たせると、前へ走り出す。
ドラゴンは闘真の動きに合わせて、軌道修正して決して逃さない。
空を覆い尽くす程に大きく映るドラゴンに向け右手を掲げると、瞬時に火球を生成し放つ。
両者の距離は急速に縮まっていく中では回避することできず、火球はドラゴンの鼻面に当たり盛大に爆発する。爆炎が一瞬ドラゴンの視界を覆った隙に、全力で駆けドラゴンの下へ転がり込む。
闘真のすぐ後ろで大地震が起こったように地面を盛大に揺らす。ドラゴンが巻き起こした衝撃波に木の葉のように吹き飛ばされる。一瞬浮遊感を覚え、すぐに道路に叩きつけられ何度も転がる。
「つぅ……! ――――っ」
直ぐ様、回復魔法を使い跳び起きる。痛みに苛まれる中、集中を切らさず魔法が使えるのは、そうしないと生きられないからだ。魔法が使えないと死ぬ極限状態に追い込まれて、普通では到達しえない段階に足を踏み入れている。それは闘真の肉体と精神に多大な負担を掛け、強烈な頭痛が襲う
「は……?」
ぽつぽつと血が滴る。回復したはずの闘真の身体から出る血に手で顔を拭う。そこには赤黒い血が付いている。目と鼻から出血している。
どうやら、身体が限界に近いようだ。もはや、一刻の猶予もない。
やっとドラゴンが降りてきたのだ、決着をつけるために近くにある五階建てのアパートへと駆け込む。脇目も振らず、階段をただひたすら上へ上へと駆け上る。
ドラゴンが尻尾を叩きつけアパート全体が大きく揺れるが、何とか倒壊しないで保った。五階まで着くとすぐそこにドラゴンの頭があり、鋭い牙が並んだ口が目の前一杯に広がっていた。
身を投げ出して食われるのを回避する。足先を掠めて通り過ぎ、コンクリートでできた通路を豆腐のように容易く噛み砕く。
アパートに突っ込んできた頭が離れようとする。千載一遇の好機を逃さず、全身のバネを総動員して跳躍する。
「う、おおぉぉぉぉぉぉ!」
頭に跳びついて短剣を振りかぶり、ドラゴンの眼に渾身の力を込めた一撃を突き刺す。刀身が眼球に全部埋まる。
「ギィユアアアアアアアアアア!」
ドラゴンが叫び声を発し、闘真を引き剥がすべく、頭を滅茶苦茶に振るう。凄まじい力に離れそうになる身体に力を込めてしがみつく。
この時のために温存していた魔力が右手を伝わり、眼球に突き入れた短剣から、全てを焼き尽くす轟炎として解き放たれる――
眼球から侵入した轟炎がドラゴンの脳を焼く。
脳を焼かれても激しく暴れ、頭を闘真ごとアパートに叩きつける。
「がぁ……ッ!」
凄まじい衝撃が全身を襲い、意識が跳びそうになるが必死にしがみつき、一刻も早く焼き尽くすことだけに集中する。何度も何度も叩きつけられ、その度に全身が軋みを上げ、身体がバラバラに砕けるようだ。
何度叩きつけられた頃だろうか、遂に闘真の身体が宙を舞う。
地面に衝突するが、もう痛みも感じない。意識が朦朧とする中、霞む視界に全身の至るところから黒煙を上げるドラゴンの巨躯が映る。爆発するようにその巨躯が弾け黒煙を撒き散らす。それを確認すると――闘真の意識は途切れた。