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第三章「Ⅱ 女教皇」 七日目

【あらすじ】

舞台は現代日本のとある地方都市。

「原初の魔女」は自らの悲願を達成するために禁断の儀式に手を染める。彼女は自身の魔力と魔法を二十二枚のタロットカードに分割し、何も知らぬ少女達へと投げ渡した。カードを手にした少女は魔女となり、互いに殺し合う宿命を背負う。勝者が絶大な魔法の力を手にするバトルロイヤルが始まった。


【第一章】

タロットカード「Ⅹ 運命の輪」を手にした女子高生、日野崎麻衣の視点で物語は幕を開ける。


【第二章】

物語の中心はタロットカード「ⅩⅠ 力」を手にした千尋沙織へと移った。

熾烈を極める戦いの中、悲劇は連鎖する。


【第三章】

魔女のゲームは半ばを過ぎ、残る魔女は半数以下となった。

そんな中、「Ⅱ 女教皇」のカードを持つ中学生、緒方早月が暗躍する。

 とある廃ビルの二階。ホコリ臭い空気と薄暗闇に支配された閉鎖空間。

 普段なら誰も出入りするはずのない場所に私は一人でぼんやりと立っています。さっきまでは一人ではなく二人だったんですけど、その人はもう人ではありません。

 人間の服を着ている肉の塊。真っ赤な液体を地面に垂れ流すだけの有機物。

 死んだ人間はもう人間とは呼ばれません。生きている間に人として扱われているモノは死んだ瞬間に失われてしまう。私は過去の経験でそれをよく知っています。

 だから、私は何の迷いもなく手を下すことができます。


「昨日の今日でこれかい、真理の魔女。君は君で本当に容赦がないねえ」


 後ろから耳障りな声が聞こえました。無視してやりたいところですが、ぐっとこらえて受け答えをしてやります。

「いいから無駄口を叩く前に後始末をつけてください。いい加減この光景は目に毒です」

「よく言うよ。自分の手でここまでしておいて」

 黒猫がいやらしい声で私に語りかけてきます。まあ、確かに今のこの光景を生み出したのは私です。言い返すと言い訳がましくなってしまうのでやめときます。

 ちらっと目を下にやります。制服は隣の市にある有名なお嬢様学校のものです。いまどき珍しい古風な女子高で、セーラー服の裾は膝よりもだいぶ下です。純白のセーラー服は純潔の証、とかなんとか学校のHPに書いてあった気がします。今は真っ赤に染まってますけどね。ざまあみろ、と思います。

「そうだね。さしずめ処女の破瓜ってところかな?」

「……」

 私はくるっと振り向き、無言で右足を振り抜きました。その爪先が黒猫の腹にバッチリ突き刺さります。昨日と同じ手応え。柔らかいお腹の肉に爪先が刺さる感触が、苛立った私の心を少しだけ癒してくれます。ちなみに今日履いているのはスニーカーです。昨日の二の徹は踏みません。

 蹴飛ばされた黒猫はコンクリートの壁に打ち付けられて地面にべたっと落ち……そして何事もなかったようにすくっと立ち上がりました。

「やれやれ。君は本当に乱暴だな」

「私、下品な冗談は大嫌いなんです」

「いやいや、下品とは酷いなあ。耽美で官能的だと言ってほしいね。真っ白なキャンパスに真っ赤な絵の具を塗りたくるがごとく。容赦のない君にはぴったりな光景だよ」

「……早くしてください。また蹴りますよ」

「しかたないなあ。にしても、女のヒステリーは見苦しいだけだよ」

 黒猫はトコトコと真紅の池のそばまで歩み寄り、「ニャー」と一声鳴きました。

 目の前に転がっていた紅白に染まったセーラー服がふっと消え失せます。代わりにコンクリートの床に残ったのは二枚のタロットカードだけです。

 しゃがんで拾い上げます。

 一枚は『皇帝』、もう一枚は『吊るされ人』。

 私が今殺したのは『皇帝』のカードを持つ『支配の魔女』です。ということは、もう一枚はきっと支配の魔女がすでに倒した魔女のものなのでしょう。ラッキーです。

 ……まあ、実を言えばあらかじめ知ってたんですけどね。

 さっきまでここに転がっていたモノの生前の名前が真木芽衣子であることも。

 真木芽衣子が『皇帝』のカードを渡されて魔女となったことも。

 『皇帝』のカードに込められた魔法が『支配魔法』であることも。

 『支配魔法』が重力を自在に操る魔法であるということも。

 その強力な魔法を真木芽衣子がまったく使いこなせていないことも。

 そして、真木芽衣子が毎朝このビルの前を通って学校に通っていることも。

 全部分かっていた私にとって、この結果は必然です。自分の得意なフィールドに相手を引き込んで一方的に殺すのが私のやり方。私の魔法の正しい用途です。

 卑怯ではありません。非力な私はこうでもしないと生き残れませんから。

「本当に君には恐れ入るよ、真理の魔女。幼馴染の友達をこうも無残に殺し切ることが出来るとはね。君ほど立派な魔女はそうはいないさ」

 不愉快なので無視します。

 さて、用件も済んだことですし、とっとと引き揚げるとしましょう。

 今日はもう一つやらなければならないことがありますから。


 タロット占いで『女教皇』がどんな意味を持つのか調べてみました。

 私は知らなかったのですが、タロットのカードには正位置と逆位置という二種類の置き方があり、それによって意味が変わってくるのだそうです。カードが普通に置かれているときが正位置、逆さに置かれているときが逆位置です。

 正位置での意味は「英知」「知性」「理解力」「洞察力」「処女」など。

 逆位置での意味は「激情」「無神経」「不安定」「ヒステリー」など。

 どちらかというと、正位置の方が私のことをよく表している気がします。でも今まで自分がやってきたことを考えると、逆位置もそんなに外れてはいないかもしれません。

 なぜ私がこの「魔女のゲーム」のプレーヤーに選ばれたのかはよく分かりませんが、とりあえずこのカードがふさわしいと言われれば納得できます。

 十三番目のあのカードじゃなくて良かったです。ある意味、私にはそっちの方がふさわしかったかもしれませんから。

 私は「誰にでも出来るタロット占い」と書かれたその本を棚に戻します。なんとなく気になったので調べただけです。借りる必要はありません。

 そのまま書棚の間を抜けて、入り口の自動ドアをくぐります。一歩外に出ると、初夏らしいほどほどの熱気が私を包み込みます。

 私が今までいたのは市営の中央図書館です。

 市営公園の中にある建物で、私専用のパワースポットである芝生の広場もこのすぐ近くにあります。昨日あんなことがあったので寄っていきたいところですけど、今日は平日なので制服を着ています。芝生の上に座って万が一にも汚れたら、クリーニングに出さなくてはいけません。それは少し面倒なので、残念ながら今日はパスします。

 今日も特に用事は無いので、公園内の遊歩道をぶらぶらとお散歩します。

 そういえば、魔女はあと何人いるんでしょう?

 ふとそんな疑問が頭に浮かびました。

 ゲームが始まってからすでに一週間が経過しています。他の魔女がどの程度のペースで戦っているのかはわかりませんけど、それなりに数は絞られているはずです。力の魔女のように好戦的な魔女もいますから、意外と残りは少ないかもしれません。

 現在、私が所持しているカードは全部で十三枚。

 『Ⅱ 女教皇』

 『Ⅰ 魔術師』

 『Ⅳ 教皇』

 『Ⅴ 皇帝』

 『Ⅵ 恋人』

 『Ⅶ 戦車』

 『ⅩⅠ 力』

 『ⅩⅡ 吊るされ人』

 『ⅩⅤ 悪魔』

 『ⅩⅥ 塔』

 『ⅩⅧ 月』

 『ⅩⅨ 太陽』

 『ⅩⅩ 審判』

 これに加えて、タロットカードの大アルカナにはあと九枚のカードがあります。

 『  愚者』

 『Ⅲ 女帝』

 『Ⅷ 正義』

 『Ⅸ 隠者』

 『Ⅹ\\ 運命の輪』

 『ⅩⅢ   』

 『ⅩⅣ 節制』

 『ⅩⅦ 星』

 『ⅩⅩⅠ 世界』

 十三番目のカードには名前がついていません。昔はその名を口に出すことすら禁忌とされていたからだそうです。今は関係ありませんから、市販しているタロットカードの多くには前が載っています。もしかしたらこの魔女のタロットにもちゃんと名前が書かれているかもしれません。

 この九枚のカードのうち、二枚については持ち主の目星はついています。

 番号のついていないカード『愚者』を持っているのは間違いなくあの黒猫です。

 ゲームの初日に私が調べたので間違いありません。始める前にまずルールの公平性を確認するのは、どんなゲームでも当然の行為です。敵と審判とがグルだったらどうしようもないですから。とにかくアレは無害です。気にしなくてもいいでしょう。

 あと、タロットの最後のカードである『世界』を持っているのは、恐らくこのゲームの主催者たる「とある魔女」です。どう考えても二十二枚のカードの中で最も強い意味を持っていますから。他人に明け渡すことはまずないでしょう。

 だとすれば残るカードは七枚。このうち、すでに他の魔女に殺されていたり、「とある魔女」に殺されたりしているであろう魔女がいるはずです。そう考えると残るは数人。

 もしかしたらすでに私と「とある魔女」だけしか残っていないかもしれません。そう考えると、そろそろこのゲームの黒幕について調べておくべきでしょう。

 私は遊歩道の脇のベンチへと向かいます。ハトの糞が少し気になったので、下にハンカチを引いてから腰掛けます。私、こういうところは潔癖主義なんです。邪魔な通学鞄は足元に置きます。膝の上は空けておきたかったからです。

「スォード」

 誰にも聞かれないようにそっと呟きます。

 ズシリとした重さとともに、膝の上に本が出現しました。巨大で分厚い本。これが私の武器です。もしかしたら誰かに見られたかもしれませんが、別に気にするほどのことではありません。他の魔女のように危なげな外見のものはありませんから。

 私はさっき図書館で見た本に載っていた『世界』の図柄を思い浮かべます。今までも名前だけでやっていたので大丈夫だと思いますが、念のためです。

「『世界の魔女』について書かれたページを」

 そう呟きながらおもむろに本を開きます。ページは適当です。この本にはページという概念が存在しませんから。そういうものなんです。

 宇宙のすべての真理が書かれている『トーラの書』と呼ばれる書物。

 その模造品が私のスォードです。武器としての性能は低いですけど、こうして魔力を込めてページをめくると、私が欲しい情報を何でも教えてくれます。ただし、ページをめくれるのは一日に一度だけ。一度使うと、そのあと二十四時間は白紙のページしか表示されません。

 今までは敵に襲われてから、もしくは敵を見かけてから、その魔女についての情報を検索していました。でも、今回は先んじて最後の敵の情報を引いておこうと思います。次に出会ったときに調べている時間があるとは限りませんから。

 さて、ありました。

『世界の魔女』という項目がきちんと存在しています。

 その名前は、シンデレラ?

 姓も名もなく、ただそれだけ書かれています。どういう意味でしょうか。童話に興味はないんですけど……。正直、判断しかねます。まあ、敵は数百年を生きている魔女です。名前くらいで疑問を感じていては始まりません。

 経歴の欄には細かい字でびっしりと説明が書き込まれています。全部読むのは大変なので、大まかにまとめられた略歴のところだけ読みます。本当に便利な本です。

 「原初の魔女」シンデレラは十五世紀にフランスで生まれました。魔女狩りが頻発していた中世ヨーロッパです。そんな中で悪魔と契約を結んで魔女となったシンデレラは。キリスト教勢力から逃げ回りながら次第に力を付けていきました。そんな彼女にとって転機となったのが「魔女のゲーム」でした。

 当時ヨーロッパにいた二十二人の強力な魔女が、お互いのすべてを賭けた殺し合いをしたのです。敗者の魂と肉体は生け贄として悪魔に捧げられ、勝者は敗者の魔法、知識、力のすべてを継承します。さらに他の二十一人の生け贄によって、己の魔法を極限まで進化させることができたそうです。シンデレラはその戦い二勝利し、『原初の魔女』の名と力を手にしました。

「……あれ?」

 ひとつだけ気になる記述を発見しました。前回の魔女のゲームの際、シンデレラが使用した魔法は『世界魔法』ではありません。彼女が使っていたのは『運命魔法』。象徴となるべきカードは『運命の輪』であったとあります。

 彼女は前回自分を勝利へと導いた魔法を捨て、別の魔女の魔法にその身を任せているということになります。これはつまり……その魔法がその信頼に足るだけの力を持っているということでしょう。そういえば、まだ『運命の輪』のカードは手に入れていませんね。世界の魔女が運命に足元をすくわれてくれると良いのですが。

 私はさらに読み進めます。

 『原初の魔女』となったシンデレラは一つの野望を持ちます。人間の頃の自分を救わなかった神の不在を証明すること。そのために、自らを神に近い存在へと昇華させること。

 そのための力を求めて、彼女は二度目の魔女のゲームを引き起こします。すべては神への復讐を果たすため。神の存在を否定し、神を殺すため。

 ……なんとも凄まじい野望ですね。スケールが大きくてついていけません。

 ゲームの仕組みはだいたい分かりましたけど、納得はいきません。むしろ、余計に腹が立ってきました。そんなくだらない……少なくとも私にとってはくだらない理由で、私をこんなゲームに巻き込んだというのですか。

「生け贄というわけですか、私達は」

「そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるよ」

 いつの間にか、私の隣に黒猫が座っていました。不愉快なので蹴ってやりたいと思いますが、膝の上に本があって動けません。ページを閉じるわけにもいきません。

 それに今日は少しだけ、コレとお話しても良い気分でした。

 でも積極的に話しかけるのは絶対に嫌です。そこは譲れません。

 私が黙っていると、黒猫は本の上へとよじ登ってきました。まったくもって図々しいことこの上ないです。よりにもよって開いたページの上にちょこんと座り込んできます。

 頭に来たので、手で払いのけようとしたら、その前に勝手にしゃべり出しました。

「確かに君たちは生け贄に違いないけど、それはあの方も同じだ。あの方が負けて他の誰かが勝ち残ったなら、その誰かがすべての魔法をその手に収め、さらに強大な魔法の力も手に入れることができる。別にアンフェアなことをしているわけじゃない」

「こちらに拒否権がない時点でフェアとは言えません。ギャンブルは双方合意の上で行われるのが鉄則でしょう」

「それだけは申し訳なく思うよ。でもね、魔女の資質を持つ者はそんなに多くはない。選り好みする余裕なんてないのさ実際、君が相手にしてきた魔女の中にも魔法をまったく活かせていない者たちもいたはずだ。準備期間も短かったし、頭数を揃えるのが第一だったんだよね。質については目を瞑ってもらうしかない」

「話を逸らさないでください。私は一方的にこんな力を押し付けられたことに腹を立ててるんです。心の底から不愉快に感じているんです」

「ちゃんと一言謝ったじゃないか、真理の魔女。別に君にとっても悪い話とは限らないんじゃないかな。勝ち残れば、人知を超えた力はすべて君のものになるわけだし」

「黙ってください。……『愚かな魔女』ヘンリエッタ」

 その名を出した途端、饒舌にしゃべっていた黒猫が口を閉じました。膝の上から私の顔を覗き込んでくるその瞳には、驚きと憎悪が表れています。さぞ痛いところを突かれたのでしょう。いい気味です。

「お前は前回の魔女のゲームの唯一の敗残者。『原初の魔女』に命乞いをして『愚者』のカードに封印された中世の魔女。違いますか?」

「……そんなことまで書いてあるのかい、その本には。昔の恥を暴くものじゃないよ」

「私、猫は嫌いなんです。だから遠慮しません」

「ああ、そうかい。なら犬にでもすれば良かったかね」

「すみません。私、犬も嫌いです。というより、動物は全部嫌いです」

「そいつはどうしようもないね」

 コレが毒づくのは初めて見ました。

 自分の正体を暴かれたのがよほど悔しかったのでしょう。本当にいい気味です。

 私の調べたところによると、『愚かな魔女』ヘンリエッタは前回のゲームで自分の師を手にかけ、さらに友人のシンデレラを裏切って闇討ちしたそうです。卑怯極まりない奴ですね。しかも最終的には返り討ちにされてしまい、命乞いをしてかろうじて救われようです。なんて無様なんでしょう。プライドという言葉に縁の無い私ですら、コレに対しての軽蔑を隠せません。

 人間であることをやめ、魔女であることもやめ、ただの概念として生き続ける。そんな存在になってまで生き長らえようとする気持ちは、私にはまったく理解できません。世界の魔女が死ねば封印から解放されるとありますけど、もしそうなっても私の敵ではありません。対処策はすでに組み上げ済みですから。

 他にも必要と思われる項目を読み込んだあと、私はバタンッと本を閉じました。

 不意に閉じてアレを挟み潰してやろうと思ったのですけど、アレは寸前に姿を消してしまっていました。残念です。

 とりあえず分かったことがいくつか。

 まず、『世界の魔女』の使う『世界魔法』は非常に強力ですが、その弱点を突けば私でも勝てなくはないということ。これは大きな収穫です。もしどうやっても勝ち目が無いようなら、私には最早打つ手はありませんでしたから。これで運命を悲観して自ら命を絶つ必要は無さそうです。

 もう一つ。『世界の魔女』がすでに三人の魔女を殺していること。

 『Ⅲ 女帝』  『Ⅸ 隠者』    『ⅩⅣ 節制』

 これらのカードを持っていた魔女はすでにゲームから敗退していました。つまり、残っている可能性がある敵は四人だけ。

 『Ⅷ 正義』  『Ⅹ\\ 運命の輪』 『ⅩⅢ   』 『ⅩⅦ 星』

 今も生きているのはこのうちの何人でしょうか。多くて二人くらいだとは思いますが、油断は禁物です。傾向と対策を練ること。これが私が勝ち残る唯一の術です。

 とにかく情報戦にかけて私の右に出る魔女はいません。

 ですから、あと四日。

 あと四日だけ私はじっとしていようと決めました。今まで通り、いざというときに逃げ込める先を用意しつつ、真理の書を使って情報収集しましょう。四人残っている可能性があるなら、四日かけて全部のカードについて調べれば良いだけの話です。その上で、自分が戦いやすい状況を作って戦えば、相手が誰であろうと負けません。たとえ世界の魔女であろうと、完全に状況を固めてしまえばなんとかなると分かりました。

 私の勝利はそう遠くないかもしれません。

 長い思索を終え、私はベンチから立ち上がりました。

 西の空はすでに真っ赤に染まっています。真っ暗になる前に家に帰りましょう。

 足元の通学鞄を拾い上げ、私はいつもより少しだけ早足で家路を行きます。


 帰り道の途中でスーパーに寄り、お豆腐とネギを買いました。

 今日は湯豆腐を食べたい気分だったので。


 私の家があるのは街外れ。すぐ近くを高速道路が通っています。周りは田んぼや空き地が多くて、車や人はあまり通りません。子どもの頃は結構怖かったんですけど、今はもう気にならなくなりました。田んぼが多いので、夏になるとカエルの大合唱が聞こえます。あれだけは勘弁して欲しいです。

 そんな場所にあるものですから、スーパーから家までは歩いて十五分ほどかかります。

 すっかり日が暮れた道を、私はスーパーの袋片手に歩きます。両側は田んぼです。街灯がところどころに立つ薄暗い道を、私は一人で歩きます。

 サワサワと柔らかい風が吹き、髪が揺らされます。

 前に髪を切ってから一ヶ月くらい経ちました。そろそろ美容院に行きたいところです。

 そんなことを考えていた矢先。


「キャーッ!」


 突然、女の人の悲鳴が聞こえました。すぐ近くです。

 続いてガラスの割れる音、金属同士のこすれ合うような音、そして男の人の怒鳴り声が聞こえてきて……またすぐに静かになりました。

 ……なんだか嫌な予感がします。

 悲鳴は私の右前方から聞こえてきました。

 五メートル先も見えない暗闇の中、そちらを向いて目を凝らします。

 よく見ると、田んぼの向こう側に一台の自動車がありました。さらにじっと観察していると、その隣で人影らしきものが動いているのに気が付きました。

 こんな時間に何をしているのでしょう?

 それに、さっきの悲鳴はいったい?

 私の失敗は街灯の下で足を止めてしまったことです。こちらから向こうは見えないのに、向こうからこちらは丸見え。動く人影がこちらに体を向けてからそれに気付きました。


 目が合いました。


 暗闇の中で相手が男か女かもわからないのに、バッチリ目が合ったことだけは分かりました。暗闇の中で光る相手の目を見てしまいました。

 私は次の瞬間には走り出しました。

 通学鞄もスーパーの袋も投げ捨て、田んぼの真ん中の道を走ります。この場所は良くありません。万が一あの人影が魔女かそれに類するものだとして、こんな開けた場所では戦いようがありません。

 頭の中に地図を思い浮かべ、戦いやすそうな場所を検索します。家までは全速力で走っても五分はかかります。それでは間に合いません。

 私は少しだけ迷ったあと、見えてきた曲がり角を左へと曲がります。一つにはなるべくあの人影から距離を取るため、もう一つにはここよりはまだ戦いやすいところへ逃げ込むためです。

 一分ほど走り、私がたどり着いた場所。そこは数年前に潰れた診療所の跡地です。

 そこまで大きな建物ではありませんが、外で戦うよりはマシです。何度か出入りしたこともありますから、中の構造もだいたい分かっています。

 私は裏手の駐車場を駆け抜け、裏口の前に立ちます。以前来たとき、ここの鍵を壊して中に入りました。修理したという話は聞きませんから、いざとなったらいつでも中に逃げ込めます。

 急に走ったので脇腹がズキズキと傷みます。呼吸もかなり乱れています。

 それでもゆっくりと息を整えながら、私は駐車場の入り口に目をやります。

 気のせいだったならそれで良いんです。私の早合点なら問題ないんです。

 でも、やはり気のせいなんかではありませんでした。

 私がここに到着してから一分と経たないうちに、ぬっと人影が現れました。街灯に照らされて、その姿が私の目に映ります。

 その人影は細身のスーツを身に付けていました。一瞬男性かとも思ったのですが、胸の膨らみが遠目にも見えたので、女性だと分かります。ショートボブの髪は明るい茶色に染められています。その足元には、一匹の黒猫。

 このタイミングで私は魔女に出会ってしまいました。真理の書が使えないこのタイミングで他の魔女と出会った不幸を呪います。恐らく……いえ、間違いなく相手も私が魔女であることに気付いているでしょう。私は街灯の下に立っていました。そばにいる黒猫の姿はくっきり見えていたはずです。

 女性はゆっくりと右手を掲げます。

 その手にはいつの間にか一本の剣が握られていました。ファンタジー小説とかに出てきそうな剣です。生で見ると、思ったより短いように感じます。

 距離がある上にこの暗闇です。女性の顔はよく見えません。どんな表情をしてこちらを見ているのかもわかるはずがありません。

 でも、不思議と私には彼女の表情が見えた気がしました。

 彼女は笑っています。何故だかわかりませんけど、私にはそれがハッキリ分かります。

 その女性は笑顔のままで、掲げた剣をすーっと振り下ろしました。それに気付いた瞬間、私は裏口のノブを回して建物の中へと逃げ込みます。

 急いで扉を閉め、鍵を掛けようとして……気付いてしまいました。

 右手が動かないことに。

 チラッと右に目をやると、制服の右腕が血で真っ黒に染まっていました。

「キャーッ!」

 私は思わず悲鳴を上げ、診療所の奥へと走り出しました。

 遅れて痛みがやってきました。右腕全体が燃えるように痛みます。傷を見るのが怖くて必死に左側を見て走ります。右手の感覚はまったくありません。腕はちゃんとくっついているのに、私の意思を受け付けてくれません。右肩は動きましたが、ほんのちょっと動かしただけで激痛が走りました。それ以上動かすことなんて出来ません。

 痛みと恐怖で両目から涙が零れ落ちます。

 痛いです、痛いです、痛いです。こんな痛み、生まれて初めてです。

 痛すぎて、全然頭が回りません。

 遠く後ろの方でガキンッという金属音がしました。そのあと、ドシンという音が暗闇に響きます。きっとあの剣で裏口の扉を切ったんでしょう。私は鍵を閉められなかったのに、それに気付いていなかったんでしょうか。でもそんなのどうでもいいです。

 痛いです。痛くて痛くて、意識が飛びそうです。

 私は右腕をだらんとぶら下げたまま、診療所の中を駆け抜けます。

 少しでも時間を稼がないといけません。今の状態で追いつかれたら、私は間違いなく殺されます。痛すぎて何の抵抗もできません。

 せめてこの痛みに慣れるまで時間を稼がないと。

 こぼれる涙を拭きもせず、私は暗闇を駆け抜けます。


 最終的に私が逃げ込んだのは、診療所跡の二階にある一つの部屋でした。

 薬品を保管していた倉庫だったのか、放置されて数年たった今でも独特の薬臭さが残っています。窓は無いので真っ暗闇ですが、この部屋にはあらかじめ私が用意しておいたサバイバルキットが置いてあります。万が一の備えとして、家に近いこの診療所に準備しておいたものです。左手で袋をまさぐり、中から懐中電灯を取り出します。

 光が外に漏れないよう注意しつつ、懐中電灯のスイッチを入れます。こんな頼りない明かりでも、あると無いとでは大違いです。

 続いて袋の中からガーゼと包帯を取り出し、右手の止血を開始します。まずは傷口にガーゼを当て、その上から包帯を巻いていきます。左手だけでは不可能なので、片端は口で咥えます。右手はぴくりとも動きません。腱を切られたのかもしれません。唯一の救いは傷が縦に入っていることです。もし横に切られていたなら、私の腕は根元から切り落とされていたでしょう。考えただけでゾッとします。

 とにかく血だけは止めないと出血多量で死んでしまいます。気が狂いそうな痛みに耐えながら、なんとか包帯を巻きつけます。

 ピチョン。ピチョンという血の滴る音が暗い部屋に響きます。

 足元に目をやると、すでに血だまりが出来ていました。

 ここに来る途中でブレザーとブラウスを脱ぎ捨ててきたので、私の上半身はほとんど裸に近い状態です。右腕が動かないので脱ぐのひとつも一苦労でしたが、右腕部分の布地が綺麗に裂けていたのが不幸中の幸いでした。一応、進行方向とは逆に放り投げましたが、焼け石に水でしょうね。そんなに広い建物ではありませんし。

 なんとか包帯を締め終わりました。包帯はすでに真っ赤に染まって滴る血も止まりませんが、それでも出血の量はだいぶ減ったように感じます。

 私はいつでも動けるように身構え、敵の到来を待ちます。待ち伏せしたところで何ができるわけでもありませんけど、心の準備はしておかないといけません。

 出血はある程度なんとかなりましたが、痛みはまったく止む気配を見せません。むしろ次第に酷くなっている気がします。

 油断していると痛みで意識が飛びそうになります。

 でも、ここで意識を切るわけにはいきません。奥歯が割れるんじゃないかってくらい、グッと力を込めて痛みに耐えます。

 今思えば、力の魔女はこれをはるかに上回るであろう痛みに耐えていました。

 彼女は体中を打ち据えられ、体が動かなくなっても悲鳴一つあげませんでした。それどころか、その状態からかすり傷とはいえ私の魔法を上回ってみせました。あんな真似、私にはどうあがいても出来そうにありません。

 部屋の端にうずくまり、じっと待ちます。

 痛みに耐え、死の恐怖におびえながら、私は敵を待ちます。

 ただひたすら待ち続けます。


 ……。

 ……。


 おかしい、です。

 さすがに遅すぎます。私がここに逃げ込んでからすでに十五分以上経っています。のんびり歩いていたとしてもこの建物を三周は出来る時間です。

 私に希望を持たせておいて、出て来たところで絶望の底に叩き落すつもりでしょうか。だとしたら良い趣味の持ち主です。絶対に友達にはなれそうにありません。


 ……。

 ……。


 さらに数分が経ちました。動きはありません。さっきから必死に耳を済ませていますが、私の耳に入ってくるのは血の滴る音だけ。あとは私の身じろぎするわずかな音以外何もしません。そよ風が木の葉を揺らす音が時たま聞こえるくらいの静寂です。静か過ぎて気味が悪いです。

 息が詰まって今にも叫びをあげたくなるのをグッとこらえます。

 敵がこの部屋の前に立ち、私が出てくるのをじっと待ち構えているのだとしたら大したタマです。お友達になれないを通り越して、道ですれ違うのも嫌です。

 罠を警戒しているとか?

 確かに私は狙ってこの建物に入りました。敵が罠を疑うのは自然な流れでしょう。

 でも、それにしても静か過ぎます。罠かと勘繰っているのであれば、敵は余計に周囲を警戒しながら進むはずです。場合によっては者を投げてみたり、扉を開けてみたりくらいはするでしょう。

 なぜでしょう。わかりません。

 どちらにしても、今の私に出来ることはこうして隠れて敵を待ち受けることだけです。

 勝機があるとすれば、たった一つ。

 私は暗闇の中でひたすら時が経つのを待ちます。

 日付が変わるまで粘れれば、真理の書を使用できます。敵の魔女のカードはすでに予想がついていますから、その詳細を検索して弱点を探る。私に残された大逆転の目はそれだけです。

 時計は持ち歩いていません。窓の無い部屋なので、月の位置もわかりません。時間を計る術の無いまま、私は待ち続けます。敵の魔女がなぜ襲ってこないのかについては、もう考えないことにします。

 痛みと恐怖に負けて死ぬのが先か、夜明けが先か。

 これはもう、私自身の戦いです。

 夜は静かに更けていきます。


※「Ⅴ 皇帝」

魔女…真木芽衣子。17歳。

ワンド…「支配魔法」 重力を支配し、自在に操作する。

ペンタクル…「自己矛盾」 自身は支配魔法の効果を無視できる。

スォード…「王芴」 豪奢な金属の棒。重量超過のヘヴィメイス。 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


当方、こちらのサイトでは初投稿です。

何かと拙い部分があるかと思いますが、何卒ご容赦くださいませ。


誤字脱字・改行ミスなどありましたら、都度ご指摘いただけると助かります。

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