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第二章「ⅩⅠ 力」 五日目

【あらすじ】

舞台は現代日本のとある地方都市。

「原初の魔女」は自らの悲願を達成するために禁断の儀式に手を染める。彼女は自身の魔力と魔法を二十二枚のタロットカードに分割し、何も知らぬ少女達へと投げ渡した。カードを手にした少女は魔女となり、互いに殺し合う宿命を背負う。勝者が絶大な魔法の力を手にするバトルロイヤルが始まった。


【第一章】

タロットカード「Ⅹ 運命の輪」を手にした女子高生、日野崎麻衣の視点で物語は幕を開ける。


【第二章】

物語の中心はタロットカード「ⅩⅠ 力」を手にした千尋沙織へと移った。

熾烈を極める戦いの中、悲劇は連鎖する。

「やあ、力の魔女。昨日はだいぶ苦戦してたみたいだね」

「ふん。たまにはそういうこともある。だがアイツには昨日のツケを払わせてやる。まあ見てろって。オレの本気ってヤツを見せてやっからよ」


 時刻は正午ジャスト。

 オレは市内で一番高いビルの屋上にいた。

 編みこまれた髪が強い風に吹かれてバタバタと波打つ。

 今日もいい天気だ。オレの魔法を使うにはちょうどいい。

 昨日の戦いの後、オレは下水道の中を数キロメートルほどランニングしてから地上へと戻った。さすがの敵もそんなところまではチェックしてなかっただろうさ。オレはそのまま適当なホテルの一室で一夜を明かした。もちろん正面からチェックインなんてできないから少々乱暴な方法は使わせてもらったがね。

 とりあえず十分な休息と食事は摂れた。よって今は絶好調だ。

 血だらけになった服も着替えてある。動きやすい軍パンに長袖のTシャツ、その上に袖無しのサバイバルジャケットを着込んでる。今日の天気だとちと暑いが、それでも素肌をさらすよりはマシだ。何があるか分からねえからな。

 気力も体力も十分。それならやることはたった一つだ。

 昨日のリベンジ。それしかねえ。


「ねえ、力の魔女。一応聞いとくけど、こんな場所に来ているってことは君は魔法を使うつもりなのかな?」

「そうだよ。ヤツの居所をすぐに突き止めるにはそれしかねえだろうが」

「忠告しとくけどね。君は魔力を使い過ぎているよ、力の魔女。君らに与えられた魔力の器はあの方の五パーセントに満たない小さなモノだ。毎日毎時間ちょっとずつ回復するとはいえ、今のペースで使っていたら、今日中にでも底を尽きかねないよ?」

「ふん。別に構わねえよ。アイツをぶっ殺してから二、三日ゆっくり休めばいいだけの話だろ。それよりも、やられっぱなしにしとく方が問題だぜ」

「……まあ、ボクちゃんは司会進行役だからこれ以上は何も言えないけどね。忠告はしたから、ここから先は君自身の問題だ。健闘を祈るよ、力の魔女」

「ふん。言われるまでもねえよ」


 オレは屋上に据えつけられたフェンスに手をかけ、オレの住む街を見下ろす。この街のどこかにヤツがいる。

 今日は昨日とは逆の立場だ。

 オレが狩る者で、ヤツが狩られる者。

 オレは銃を構えるハンターで、ヤツはビクビク逃げ回る野ウサギだ。

 待ってろよ。すぐに見つけ出して、ぶっ殺してやる。

 ふっと目を閉じて、頭の中でイメージを形作る。

 そうだな。今日は狼がいい。犬っころが大嫌いなオレだが、狼は嫌いじゃねえ。ヤツらには野性がある。人間には決して懐かない誇りがある。


「さあ、出て来い! オレのかわいい霊獣どもっ!」


 そう叫んで目を開ける。屋上はオレの創り出した霊獣で埋め尽くされていた。

 霊獣魔法。

 百獣を従える力を持つ者のみが行使することを許される古代の魔法。

 それが『力』のカードに込められた本当の魔法だ。身体能力強化や自然治癒はどっちかというとオマケだ。面と向かっての戦いならそのオマケの方が頼りになるが、それ以外の戦いではこの魔法が力を発揮する。

 霊獣の見た目は透き通った狼ってとこだな。もっとも、細かいディテールは結構ずさんだ。これはしょうだねえよな。オレは狼なんて見たことねえからな。

 コイツらはオレの命令に従い、忠実に行動する。元が幽霊みてえなモンだから魔女との戦いでは使えねえが、形によっていろんな使い方が出来るのがウリだ。

 鳥なら空を飛べるし、魚なら水の中まで入り込める。

 今回、オレは狼を模した霊獣を創り出した。

 コイツらに期待するのはその「鼻」だ。森の中で狼が獲物の匂いを嗅ぎ分けられるように、この広い街の中でもコイツらは魔力を嗅ぎつけることが出来る。一昨日もそうやってあの高校にいる魔女を見つけたわけだ。

 しかも、オレは昨日の戦いでコガネイの魔力を感じている。だからコイツらはコガネイの魔力だけを正確に嗅ぎ分けてオレに伝えてくる。

「待ってろよ、クソヤロウ。すぐに見つけ出して、ハラワタ引きずり出してやる」

 オレが右手を一振りすると、霊獣たちは音も無く一斉にビルを滑り降りていった。ヤツがこの街を離れてでもいない限り、小一時間ほどで居場所は突き止められるだろう。

 そのときがヤツの最期だ。



 魔法を使ってから約三十分後。

「まさかまたここに来ることになるとはね」

 霊獣たちが伝えてきたヤツの居場所、それはなんと一昨日と同じ葡萄ヶ丘高校だった。

 まさかとは思うが、あのヤロウは魔女のゲームの最中にも関わらず普段と同じように学校に通ってんのか?

「クソうぜえ。オレ、そういうヤツ大嫌いなんだよね」

 オレは学校へと続く坂道を登りながらブツブツとつぶやく。

 だいたい舞台がこの学校というのがあまり良くねえ。何を隠そう、この学校は一応オレの母校なのだ。まあ、通ったのはたった三日だけどな。三日坊主ならぬ三日退学。きっと記録モンだ。

「ま、三日で退学してやったけどね。あんな堅っ苦しい場所、息が詰まって死んじまうっつーの。制服がオレ好みじゃなかったら、一日だって行かねえよ」

 その制服も、昨日の戦いで血まみれになったので捨てちまった。ちょっと惜しいことをした。せっかく来たわけだし、購買から新品をありったけパクッて行こうか。

「さーて、到着っと」

 坂を登りきったところで校門に至る。

 魔力を温存するために霊獣たちはすでに回収してしちまったから、ヤツの具体的な位置はわからねえ。すげえ便利な霊獣魔法だが、魔力の消費が大きいのが弱点だ。猫に言われるまでもなく、力の温存は考えておかなきゃならねえ。

 ただ、ここまで来ればオレにも分かる。ヤツの魔力の気配がここまでうっすらと漂ってくる。まあ、どこにいるか分からねえ相手を狩るのもまた一興だ。

「じゃあ狩りに出かけるとしようか。待ってろよ、クソヤロウ」

 オレは校門を踏み越えて昇降口へと向かう。

 

 校内は不気味なほど静まりかえっていた。

 腕時計で時刻を確認する。午後二時十五分。

 普通の学校なら午後の授業中のはずだ。今日は平日だし。

 なのに、どこからも人の気配がしねえ。手近な教室を片っ端からのぞいてみたが、どこもかしこも空っぽだった。隣も、そのまた隣の教室も空っぽだ。

「おやおや。ってことはアレか、オレの襲撃くらい予想してたってことか」

 前言撤回。ヤツはきちんと真面目に学校に通うようなタマじゃねえ。同級生を駒として使ってもなんとも思わねえ、そんなクソヤロウだ。絶対に仲良くなれねえな、オレは。

 だとしたら、ここはヤツが逃げ込んだ森の隅っこじゃねえな。

 ここはヤツが立てこもるための要塞だ。この学校のどこかで、ヤツはオレが来るのを息を潜めて待っていやがる。そこにはきっとウジャウジャと雑魚どもが群れていて、昨日と同じ戦法を取ろうとしているはずだ。めんどくせえことをしてくれる。

「ちっ、しゃあねえなあ。あんまりやりたかねえんだが……」

 さすがにオレも馬鹿じゃない。昨日と同じ消耗戦に持ち込まれたら自分が不利なことくらいは分かっている。ヤツがオレのことを待ち構えている以上、こっちも本気でかからねえとダメだろう。

 オレは目を瞑った。

 思い浮かべるのは……コウモリだ。

 ほら、魔女がコキ使う動物は狼かコウモリだって決まってるだろ?

 目を開けると、オレを数百匹の透明なコウモリが取り囲んでいた。

 オレがこいつらに与える役割は二つ。一つはさっきと同じように敵の位置を突き止めること。もう一つは、雑魚を始末すること。

「この学園の敷地内にいる全ての生徒と教師、その他の関係者ども全員の魂を喰らって来い。いいか、生徒と教師を1人残らず全員だぞ」

 右手を振ると、コウモリどもは四方八方に散っていった。

 魔女相手には非力な霊獣どもだが、人間の魂を喰らって気絶させることくらいならコイツらにでも出来る。昨日もヤツが後ろから狙ってさえいなかったら、コイツらを呼び出してアッという間に鎮圧してやったものを。さすがにあの状況で目を瞑っている余裕はねえからしょうがねえけど。

「……ふーん。旧校舎方面に人間を固めてたわけか。そりゃ結構なことで」

 コウモリどもの動きはオレに全部伝わってくる。今オレがいるのはわりと最近建てられたばかりの新校舎。その奥に、旧校舎って木造の建物がある。築何十年経ってるのかわからないくらい古い、三階建てのヤツだ。オレは入ったことはねえけど、外から見てもだいぶヒドい状態だったのを覚えてる。つーか、まだ壊してなかったのか、アレ。

 なんでそこにいるのかはわからんが、オレは戦いづらい場所ではあるな。ボロい建物でオレが本気出したらブッ壊れそうだ。建物を壊す趣味はねえぞ。

「だけど残念。オマエが頼りにする人間どもは、オレのコウモリどもが食べちまったぜ。オマエ一人で何ができるのか、楽しみだ」

 ほどなくして、旧校舎とその周辺の鎮圧は終わった。オレは新校舎から一歩も動いていねえ。オレのコウモリどもがこの学校の関係者を全員ブッ倒してくれたはずだ。ついでにヤツの居場所もしっかりと押さえてある。

 旧校舎の三階。そこにヤツがいる。

 オレは右手を振り、コウモリどもを呼び戻す。コイツらの使いづらいところは一匹だけ残すとか、そういう細かい設定ができないところだ。オールオアナッシングなので、一度引き上げるとまたヤツの位置がわからなくなっちまう。

 まあ、コウモリが魂を喰らっている最中もヤツの位置に変化はなかった。きっとその最上階でオレのことを待ち受けているんだろうさ。

 コウモリどもが全部戻ってきたところで、オレは旧校舎へと向かう。道中にはたくさんの人間が転がっていた。かわいそうに。どいつもこいつもオレの霊獣に魂を喰われたもんだから、半日は目が覚めないだろう。もっとも、ヤツに操られていても状況は大して変わらねえし、じっとしてた方が安全ってこともある。

 昨日、アイツは二人ばかり人間を撃ち殺してるしな。ロクでもねえ。

 オレは違う。オレが殺すのは魔女だけだ。

 首を洗って待っていやがれ、クソヤロウが。


 旧校舎の三階。

 そこにはやけに大きな教室が三つ並んでいた。階段はオレが登ってきたのが一つと、廊下の反対側にもうひとつ。右側は全部窓で、左側が教室だ。一部の窓はガラスが割れていて、その破片が廊下に飛び散っている。廃墟って言葉がピッタリだな、こりゃ。

 オレは周囲に気を配りながらゆっくりと歩みを進める。

 さっきコウモリで調べた限りだと、ヤツがいるのは手前から三つ目の教室、つまりオレから見て一番遠くの教室だった。

 ここに来るまでに、オレは一階と二階のすべての教室や便所を調べている。中は思っていたよりもキレイだった。多少ホコリっぽいが、建物のボロさと比べるとキレイなように感じる。そこら中に制服を着た生徒や教師っぽい連中が転がっていたが、ヤツの姿はそこにもなかった。

 ヤツが入れ違いで逃げてでもいねえ限り、残されているこの階にヤツはいるはずだ。

 たぶんヤツは逃げねえ。そんなタマじゃねえ。オレはなんとなく確信している。

 三階も割と人通りが激しかったらしい。床はうっすら付いた人の足跡でいっぱいになってやがる。どの教室にも足跡はつながっているものだから、どこに誰が隠れているかわからねえ。

 もっとも、ヤツ以外の人間はすべてブッ倒れているはず。警戒する敵はヤツ一人だ。

 とりあえず手近な教室からチェックしてみるとするか。

 オレは一番近くの教室のドアをガラッと開け放った。普通の教室の二倍はある大きな空間に、紫色の制服が十人ほど転がっていた。全員もれなく倒れている。ここにはヤツはいなかった。

 続いて隣の教室も開ける。さっきの教室と同じく、十人ほどの生徒が転がっているだけだ。ヤツの姿はねえ。

 ここまでは予想通り。やはり本命は一番奥の教室か。

 オレは二番目の教室の黒板に耳を当て、向こう側の教室の気配を探る。特に激しい物音だとか、しゃべり声とかはしねえ。まあ、この階に上がってきたときから分かっていたことだ。おそらく、この奥にいるのはヤツ一人だけだ。

 そのことがちょびっと気にかかる。

 ヤツの手は封じてある。なのになぜヤツは逃げない?

 最初の戦いのときに、オレ相手に勝ち目がないのは分かっているはずだ。

 少なくとも正面からぶつかり合ったら間違いなくオレが勝つだろう。

 なのに、なぜヤツは逃げない?

 何か罠を張っている、という可能性が一番高い。ヤツは最初からずっと、この旧校舎の三階、一番奥の教室から動いていない。ただの一度もだ。ならば、この教室に何かしらの罠が仕掛けられていると考えるのが自然。

 ならどうする?

 霊獣を一匹創って隣に送り込むことは出来る。だが、コイツらに出来るのはせいぜい魔力を感じ取るか人間の数を見極めるかくらいだ。隣の教室に何があるかを細かく調べることまではできねえ。

 正面から入らずに、この黒板をぶち砕いて突入するか。

 悪くは無いアイデアだ。相手が仕掛けている罠の正体が分からない以上、少しでも相手の意表を突いた方が優位に立てるはずだ。まあ、オレは昨日ヤツの前で金属製のマンホールを叩き割ってるから、そのへんもすでに考えられている気はするがね。

 しかし、こうして考えていても何も始まらねえ。

 オレは覚悟を決めた。黒板から一歩、二歩と距離を取り、右手を後ろに大きく引射た構えを取る。オレの渾身の一撃、捻りを加えての右フックを繰り出す構えだ。

 ふう、と呼吸を整える。


「オラっ!」


 掛け声とともに、右の拳を思いっきり黒板に叩きつけた。古びた黒板は木製の裏板、さらには後ろの壁ごと砕け散り、人間が立って抜けられるほどの大きな穴が開いた。

 壁に空いた大穴によって、隣の教室の光景が丸見えになった。

 その様子を見た瞬間、オレは絶句した。


「なん、だと?」


 一番奥の教室に確かにヤツはいた。昨日と同じように薄気味悪い笑みを浮かべて、教室の真正面、教壇の上に立ってやがる。

 それはいいとして……この教室にいたのはヤツだけではなかった。

 四十代くらいの男女が一人ずつ。

 十歳に満たないであろう小さなガキが男女一人ずつ。

 髪をやたらと派手な色に染めた二十歳前後の若い男が五人。

 計九人の人間が、ヤツを取り囲むように立っていた。全員、目は虚ろで生気は感じられない。ヤツの魔法で操られているのは間違いねえ。

 なぜ霊獣に魂を喰われて立っていられる?

 今になってオレは命令を間違えたこ気が付いた。

 オレは「この学校の生徒、教師、その他の」関係者」をターゲットにした。

 だからこの学校に関係の無いヤツは当然魂を喰われねえし、平然としていられる。最初から「敷地内にいるすべての人間」にしておけばよかった。これはオレのミスだ。

 だが、オレが驚いたのはそこにじゃねえ。

 今ここに立っている連中、その全員がオレの関係者……身内だったからだ。


「あなたのことだからどうせそうやって入って来るんじゃないかと思ってましたけど……予想通りでしたね、野蛮人」


 ヤツは平坦な声でオレに声を向けてきた。

 オレは必死に動揺を抑え、なるべく自然に聞こえるよう、軽口を叩く。


「よう、おかっぱ頭。そろそろ観念してオレに殺される気になったのか?」

「ええ、そうですね、それもいいかもしれません」


 ヤツは先ほどと同じく、まったく声色を動かさずにしゃべる。おかっぱ頭に薄気味悪い微笑みと合わせて、本当に妖怪なんじゃないかと思えてくる。


「でも、その前に私にはやらなきゃいけないことがあるんです」

「ほう、なんだ。言ってみな。冥土の土産に、辞世の句くらいは聞いてやるぜ」


 オレはビシッと指差しながら言った。

 人質のつもりだろうが、残念だな。身内を殴る蹴るくらい、オレにとってはなんでもねえこった。こいつらを兵隊として使ったところで、オレには全然関係ねえ。

 だが、オレの考えは甘かった。

 オレが思ってた以上に、目の前のコイツは魔女だった。


「私が言うより、実際にご自分の目で見てもらった方が早いですかね」


 ヤツはすっと右手を横に振った。

 すると、すぐ横に控えていた茶髪の男の一人が、ゆっくりと手に持っていた金属バットを振り上げた。

 男が何をするつもりか分かった瞬間、オレは思わず叫んでいた。


「やめろっ!」


 男が金属バットを思いっきり振り下ろした。その下には、小さな女の子が一人。

 ドグッという鈍い音がして、その女の子は倒れた。

 頭を金属バットにカチ割られて、その女の子は……オレの十歳下の妹は死んだ。

 オレはその光景を目にして一歩も動けなかった。唇を噛み締め、叫び声を上げることしかできなかった。

 なぜならオレは理解していたからだ。ヤツには同じことがあと八回できることを。

 親父、お袋、弟、それに可愛がっていた舎弟が五人。

 オレの大切な人たちは、最悪の形で全員がヤツの人質にされていた。


「まずは一人、ってとこですね。どうですか、気分は?」

「……オマエ、自分が何をしているのかわかってんのか?」

「ええ、よく分かってます」


 ヤツは眉一つ動かさずに平然と答えた。

 普通じゃねえ。コイツはすでに、普通じゃねえ。


「これは復讐です。私の大切なあの人を殺したあなたへの復讐です」

「魔女のクセに一般人に手を出すのか? クズめ」

「関係ありません。魔女とか一般人との間に差なんてないです」

「関係あんだよ! 魔女は魔女を殺す。そのゲームに人間を巻き込むんじゃねえ!」

「うるさいですね、あなた」


 ヤツが再び手を振るう。

 今度は舎弟の一人が、自分の手で自分の腹にナイフを突き刺した。ソイツは少しの間だけバタバタと手足を動かしたあと、動かなくなった。

 これで二人目。コイツもまたオレのせいで犠牲になった。


「こんな風に自殺させることもできますからね。あんまり滅多なことは言わない方がいいと思いますよ」

 ヤツは相変わらず平坦な口調でしゃべる。そのしゃべり方がオレを腹立たせる。

「テメエ、いい加減に……」

「ハイ、どうぞ」


 ヤツがまた手を振る。

 親父がお袋の頭をゴルフクラブでぶっ叩いた。お袋が倒れた後も、ゴルフクラブの柄がひしゃげるまでその頭を叩き続けた。

 もうオレは何もしゃべることが出来なかった。

 怒りはすでに頂点を越えてるが、オレが何か行動を起こせば、オレの大切な人が死ぬ。

 その状況に置かれて、オレはただただ黙って立っていることしか出来なかった。

 最悪だ。最悪過ぎるぜ、コイツ。


「あら、どうしましたか? 顔色が優れませんけど」

 抜け抜けと言いやがる。オレはその言葉にガンを飛ばして返す。

「そうですか。でしたら、元気が出るように面白いショウでもお見せしますね」

 まだ六歳の弟が、包丁を持って舎弟の一人に襲い掛かる。その腹に何度も、包丁を差し込んでいく。舎弟が膝を折り、身を横たえても弟は止まらない。返り血を全身に浴びながら、ザクッ、ザクッと包丁を突き刺し続ける。

 ふざけんな! それ以上見ていることが出来ず、オレは目を逸らした。

「それはダメですよ。千尋沙織さん。ちゃんと見てないと、楽しいショウはあっという間に終わっちゃいますよ」

 ウィーンという機械音が部屋に鳴り響いた。おそるおそる前に目をやると、舎弟の一人がチェーンソーを弟の頭の上に乗せたところだった。

「やめっ……」

 声にならない声をあげるオレを尻目に、チェーンソーは振り下ろされる。弟は物言わぬ肉の塊へと変えられていった。オレは目を逸らすことも許されず、その光景を目に焼き付けることになった。

「あと四人ですね。私としたことが、少々先走り過ぎましたね」

 ヤツは薄気味悪い笑いを浮かべたまま、オレのことをじっと見てくる。オレは身動きひとつせず、黙りこくる。

 しばしの間、教室に沈黙が訪れる。

「意外と簡単でしたよ、あなたのことを調べるのは」

 やがて、ヤツが一人でなにやら語り始める。

「あなた、葡萄ヶ丘の制服を着てましたから。もしかしたらと思って、教師たちに聞いてみたんです。そしたら、三年前に中退した生徒にあなたそっくりな生徒がいたんですよ。ね、千尋佐織さん?」

 あらかじめオレのことを調べ上げていたというわけか。クソッタレめ。名前なんて名乗らなけりゃ良かった。制服なんて着て来なきゃ良かった。

 激しく後悔するが、今になっては後の祭りだ。後悔は何の役にも立たねえ。

「でね、後はそこからたどっていろいろ調べたんです。あなたはどうしようもない5穀潰しですけど、自分の舎弟には優しいとか。妹と弟には優しいとか。意外と親孝行者だとか。調べたらいろいろと出てきたんです」

 役に立たないとわかっていても後悔は絶えねえ。こんなことなら、舎弟なんて作るんじゃなかった。親兄弟とは縁でも切っとくんだった。

 これが魔女に選ばれたヤツの宿命か?

 ふざけんなよ。アイツらには全然関係ねえだろうが!

「私だって本当はこんなことしたくないんですよ? でも、仕方ないんです。私の大切なあの人を殺したあなたに復讐するには、こうするしか無かったんです。目には目を、歯には歯を。愛する者の死には、愛する者の死をもって報いないといけないんです」

「……気持ち悪いんだよ、レズビアンどもが」

 我慢しきれずに憎まれ口を叩いてしまった。

 舎弟の一人が、窓ガラスを割って下に飛び降りた。一秒経たずにグシャッという果物が潰れたような音が聞こえた。これで人質はあと三人。

「私はともかく、麻衣さんへの侮辱は許しませんよ、千尋佐織さん」

 ヤツの表情が少しだけ動く。微笑みがわずかに崩れ、代わりに瞳に怒りが宿る。

「私が一方的に彼女のことを愛していただけです。次に彼女のことを侮辱したら、残った三人には今まで以上にむごたらしい死に方をしていただきますよ」

 ヤツは怒りを抑えた口調でそう告げると、静かに「スォード」と呟いた。その右手に、ハートの飾りのついた魔法の弓が出現する。

「これは罰です。避けたらどうなっても知りませんよ?」

 ヤツが左手で弓を引いた。構えた右手との間にピンク色の矢が出現する。そっと左手が弓から離れるとともに、その矢はオレに向かって飛んで来た。

 真正面からの攻撃。避けようと思えば避けるのはたやすい。だが、今のオレには避けることは許されねえ。

 放たれた矢はオレの左肩を撃ち抜いた。

「昨日の様子を見る限り、矢が刺さったままだと回復できないようですね。そのまま刺しておいてください。もし抜いたら、また一人殺します」

 ヤツはさらに二度、三度、四度と次々に弓を引く。

 その度に右肩、左すね、右すね、左腕、右腕、左もも、右ももと撃ち抜かれていく。

 体中に痛みが走るが、今のオレにはまったく気にならねえ。そんなものよりも、親しい人たちの死に様を見せられた心の傷の方がよほど痛かった。


「あはっ」


 オレの方を見ながらヤツは笑っていた。

 さっきまで浮かんでいたような薄気味悪い微笑みじゃねえ。

 その顔に浮かぶのは喜び。抑えきれないほどの喜びにまみれた笑いだ。

「あはははははははははははは。死ね! 死ね! 死ねっ!」

 ヤツは満面の笑みを浮かべながら、オレに向かって呪いの言葉を投げかけてくる。

「死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ!」

 ヤツが九本目となる矢をつがえた。

「あはははははははははははははははは」

 狂気にまみれた笑みを浮かべながら、ヤツは矢と言葉を同時に放つ。


「死ねっ!」


 その矢は今までの矢とは違っていた。

 向かう先はオレの心臓。

 まさに、オレを殺すために放たれた殺意そのもの。

 避けようにも、体が動かない。当たり前だ。心がこんなにも潰されているのに、体だけ自由に動くわけなんてねえ。

 オレはここで死ぬのか。

 そう思った瞬間、オレの頭に一つの会話が思い浮かんだ。

「あんたは、どうなの?」

「死ぬの、こわい?」

「そう。そうかもしんないわね」

「じゃ、よろしく」


 『運命の魔女』はダチをかばって死んだ。

 生き抜くこともできたはずなのに、その運命を自ら放棄した。

 自分が死んでもいいと思える場所を見つけ、そこで死ぬ。

 本当にそれでいいのか?

 生きるのを諦めてもいいのか?

 「じゃ、よろしく」って。それだけ言って死ねるのか?

 オレは……オレは生き残りたいっ!


 矢が胸を貫こうとする瞬間、オレは無意識に体を逸らした。矢は心臓を外れて右胸に突き刺さった。たまたまだが昨日貫かれた場所と同じところだ。

 そういえば、昨日オレはこんな言葉を叫んだ気がする。

 景気付けにひとつ叫んでおくとするか。


「オレは生きるっ!」


 体に九本の矢が刺さったまま、そして人質を三人取られたままで、オレは叫んだ。

 血反吐を吐きながら、ありったけの声を振り絞って叫んだ。

 オレは生きる。何があっても生き延びてやる。

 それがオレの魔女としての生き方だと、オレはやっと気付いた。

「あーあ。動いちゃいましたね、バーカ」

 親父が死んだ。

 ……ごめんな。いつも迷惑ばかりかけて。オレ、ロクデナシだったよな。

 オレは右胸の矢を力任せに引き抜いた。

 次いで、体中の矢も一本一本引き抜いていく。

「誰が動いていいって言ったっ!」

 舎弟が一人死んだ。

 ……ごめんな。オマエ、最近新しいカノジョができたばっかだったよな。

 それに構わず、オレは矢を抜き続ける。ほどなくして、オレの体に刺さっていた矢はすべて消え去った。

「もういい。早く死んでくださいっ!」

 最後まで残っていた舎弟が死んだ。

 ……ごめんな。オマエはオレのこと、一番慕ってくれてたよな。

 オレは教室中を見回す。

 親父お袋、弟、妹、舎弟たち、みんなオレの戦いに巻き込まれて死んだ。

 その事実はもう変えられない。オレはみんなに心の中で謝ることしかできねえ。

 知らず知らずのうちに、左右の頬を涙が伝っていた。

「ごめんな、みんな……」

 オレは前に一歩を踏み出した。

「ふざけんなっ!」

 ヤツの表情が変わる。狂気の笑顔から、憎しみに満ちた顔へと変わる。

「何いまさら泣いてるんですかっ。私はもう、涙も涸れ果ててますっ!」

 十本目の矢が飛んで来るが、オレは軽く身を逸らしただけで避ける。この程度の攻撃、オレに避けられないはずがねえんだよ。

 何事もなかったかのようにオレは歩を進める。

 倒すべき敵へ向かって。目の前の魔女へ向かって。オレはゆっくりと歩く。アイツらの死を胸に刻みつけるように、一歩ずつ床を踏みしめて前へと進む。


「アナタに私の気持ちが分かりますかっ? 自分が魔女になった日、日野崎さんの心も体も魔法で手に入れられる……そう理解したときの私の喜びと絶望がわかりますかっ?」

「わかんねえよ、そんなもん」

 さらに一歩、足を進める。

「あの人が欲しかったっ! その心も、肉体も、そのすべてを私のモノにしたかったっ! でも、魔女になった私が手に入れられるのは肉体の悦楽と偽りの心だけ。本当の心はもう二度と手に入らないっ。このときの私の絶望がわかりますかっ?」

「だからわかんねえって」

 また一歩、足を進める。

「麻衣さんが魔女だと知ったとき、私は本当に嬉しかったっ! 私は麻衣さんになら殺されても良かったっ。あの人の手にかかるのなら、それであの人の心に永久に居られるのなら、それで私は幸せだったっ! なのに……なのにアナタがそれを壊したんだっ!」

 ヤツは次々と矢を放つが、そのすべてを身をよじるだけで避けて、さらに進む。全身の痛みはまったく収まらねえ。心は修復不能なくらいにボロボロだ。それでもオレは、生きたいという意志に従って行動する。

 ついにヤツの目の前にたどり着いたとき、ヤツの目にはすでに光が無かった。

 もしかしたら、最初から無かったのかもしれねえな。だとしたら、この結果は当然だ。生きる意志のねヤツに、勝利の女神は絶対に微笑えまねえ。

 オレが手を伸ばせば届くところに、敵の魔女の首があった。

「あなたが……あなたが日野崎さんを殺したんだっ!」

 敵が矢をつがえるより前に、素早く左手を動かして右手首をつかんだ。思いっきり力を込めたら、ピシッという乾いた音が鳴ってヤツは弓を教壇の上に落とした。

 ヤツはオレのことをあらん限りの憎しみを込めてにらみつけている。その瞳から感じられるのは底の知れない憎悪と、それ以上に深い悲しみ。

 いいだろう。その程度の憎悪、オレが受け止めてやるよ。

 涙はいつの間にか止まっていた。

 オレは左手で敵の右手をつかんだまま、今度は右手で相手の首をつかむ。相手は抵抗しようとするが、魔女の力で強化されたオレの力の前では無力だ。

 ヤツの腕を押さえ込んでいた左手を離し、右手だけで相手の体を空中に吊り上げる。

 背の低いヤツの体が教壇から十センチほど浮かぶ形となった。相当苦しいのか、首をつかむオレの右手を必死に引きはがそうとする。


「地獄でアイツに謝れ、クソヤロウ」


 右手にぎゅっと力を込めると、ゴキンという鈍い音がした。

 暴れていたヤツの体が、急に抵抗を止める。

 オレは動かなくなった魔女の死体を、無造作に地面に投げ捨てた。

 コイツはバカだ。アイツが……日野崎麻衣が命がけで自分を救ってくれたというのに、その命を平然と投げ捨てやがった。しかも周りのすべてをぶち壊してまで、オレを追いかけてきやがった。

「それでダレが喜ぶんだよ、クソが」

 もうオレは迷わないだろう。生き抜くことに迷いはねえ。

「オレは生き残りたい。ただそれだけだ」

独り言が多いな、オレってヤツ。ダセえ。


「なかなかどうして、君たちは本当に面白いものを見せてくれるね」


 独り言に返事が返ってきた。どこからともなく猫が現れていた。

 いつもは憎まれ口のひとつでも叩くところだが、今日はそんな余裕もねえ。


「おい、とっとと片付けてくれ」

「いいのかい? 別れの挨拶とかさ?」

「いらん。すぐにでも目の前から消してくれ」

「ま、君がいいならいいけどさ」


 猫が「ニャー」と一鳴きする。教室の中は一瞬にして元踊りになった。周りに転がっていた死体はすべてキレイに消え去っていた。戦いの跡は壁に残った大穴だけだ。

 オレは黒板にもたれかかるようにしてドサッと体を沈めた。さすがのオレも、今回は疲れた。座り込みたくもなる。ついでに足元に転がっていたカードを拾い上げる。

「猫、コイツは何のカードだ?」

「それは『恋人』のカードだね。愛とか恋、もしくは嫉妬や失恋を表すカードだ」

「ふん。ソイツはいくらなんでもピッタリ過ぎるぜ。やっぱり恋愛ってのは恐ろしいもんだねえ」

 愛は人を狂わせるってか?

 ショウにしては出来すぎだぜ、コンチクショウ。

「君にだって好きな異性の一人や二人くらいいるんじゃないの、力の魔女」

「普通は二人もいねえよ。ま、好きな相手ならいるけどね。片思いで終わらせといた無難だってことを思い知ったよ」

「どうしてだい?」

「オレは魔女。アイツは人間。存在が違う者同士は仲良くできねえよ、やっぱり」

「その言い方は君らしいね。ボクちゃんはそういうのは嫌いじゃないよ」

「けっ。オマエに言われても嬉しくもなんともねえよ」

 オレはふうっとため息をついた。

 そして立ち上がろうとして……異変に気付いた。

「傷が回復してねえ、だと?」

 今回オレが受けた矢傷は九つ。

 そのうち、後になって矢を抜いた部分がまったく治り切ってねえ。特に左ももに至ってはいまだに出血が止まっていねえ。なんでだ? この怪我じゃろくすっぽ戦えねえぞ。

「あーあ、だから言ったのに。君は人の話を聞かない子だねえ」

「どういうことだ」

「魔力切れってことさ。まだゲームが始まって五日目だというのに、君は霊獣魔法を計六回も使用している。しかもそのうち四回が街全体を対象とした広域探索だと言うのだから恐れ入るよ。それに加えてあれだけの戦闘数をこなせば、スォードの消費も激しいものになる。今回の魔力枯渇は当然の結果だね」

「二、三日で治るんだっけか?」

「そうだね。数日間安静にしていれば、スォードは問題なく運用できるくらいには回復すると思う。でも霊獣魔法を使うのはちょっと厳しいかな。カラスを一匹創るとかならまだしも、広域探査はしばらく控えた方がいい」

「しばらくってどれくいらだよ」

「うーん。最低一週間はかかるかな」

「げ、マジかよ。じゃあ、その間はオレに徒歩で魔女を探せって言うのかよ」

「ちなみに、一週間ってのはあくまでも最短時間だからね。その間にスォードを派手に行使するような戦闘があれば、魔力回復にはさらに時間がかかるからね。とりあえずしばらくは大人しくしていた方がいいと思うよ」

「けっ、テメエは医者かなにかか。アイツらもオマエと一緒でさ。いつもしばらく安静にしてろ、としか言わねえんだよ。まったく頭にくるぜ」

 オレはとりあえず動けるようにするために、怪我の手当てを行う。ジャケットのポケットから止血剤の袋を取り出し、左ももにバサバサふりかける。それをさらにガーゼと包帯でぐるぐる巻きにして出来上がり。ケンカは日常茶飯事だったし、この程度の傷の手当てなら医者に行くまでもなく出来る。あくまでも応急処置だけどな。

「まあ、ともかくアレだ。とっとと引きあげるとしようぜ。二、三日だか一週間だか知らんけど、まずは休まねえことには始まらねえ」

 オレはよっこいしょとつぶやききながら、体を持ち上げようとした。


「それは出来ない相談ですかねー」


 背後で声がした。ちょっと間延びした感じの若い女の声。

 素早く振り返ると、初めて見る女子が一人、教室の後ろに立っていた。

 身長はおよそ百五十五くらい。年は昨日会った日野崎の妹と同じくらいに見える。あの紺色のブレザーは近所の二中のモンだ。ってことは、コイツは中学生か。やけに長い前髪をヘアピンで左右に分けている。そこからのぞく顔は結構かわいいが、オレの経験上こういうガキは絶対よろしくねえ性格をしてやがる。前髪が長いヤツは自分の心を隠しているヤツだ。

 コイツは見た感じだけならどこにでもいそうな普通のガキだ。だが、普通のガキがこんなところに来るわけねえ。そもそもコイツには二つ普通じゃねえところがある。

 一つ、その後ろに一匹の黒猫を連れていること。

 一つ、胸に一冊の本を抱えていること。

 まず黒猫についてはいまさら言うまでもねえ。このシチュエーションだけでも間違えようがねえけど、コイツが魔女だってことの証明だ。

 本はもし普通のモンだったらなんてことはねえ。読書好きのおとなしい女子中学生ってことで話がつく。だが、コイツが持っている本は大きさがおかしい。画板くらいの大きさで広辞苑くらいの厚さがある。それを普通の本を抱えるかのように抱えているもんだから、上半身のほとんどは本に隠れて見えねえ。

 間違いねえ。アレはヤツのスォードだ。どんな効果があるかはわからねえが、とりあえずあんなデカいもんで殴られたら、痛いじゃすまねえだろうよ。当たれば、だけどな。

 表情はやけに楽しそうだ。さっきの恋の魔女とはまた違う薄気味悪さを感じる。コイツは自分が何をやってるのかよくわかってねえタイプのガキだ。力の怖さをなんにもわかってねえ子どもは、他のどんなヤツよりもタチが悪い。

 ヤベえな。

 魔力を切らしている以上、今のオレはただケンカが強いだけのチンピラだ。

 逃げるか、戦うか。どちらにしても勝算は低い気がしてならねえ。

「私、朝からずっと貴女のことを見てたんです」

 ソイツはオレの方へゆっくり、ゆっくり歩み寄って来る。

 オレは即座に立ち上がり、とりあえず形だけの構えを取る。今のオレは満身創痍。一人のケンカ屋としても全快には程遠いコンディションだ。体に全然力が入りやがらねえ。それでも、まずはヤるしかねえ。

「いやー、強いですね、お姉さん。あ、これはお世辞じゃないですからね? 私が戦ってきたどの魔女よりもずっと強いですよ」

 ニヤニヤしながらしゃべるところがヤケにムカつくガキだ。だいぶ年下のガキのクセに妙に落ち着いてやがるし。全っ然かわいくねえ。

「へえ、ってことはアレか。オマエもすでに魔女を殺して来たってわけだ。オレは今殺したコイツで六人目だぜ。オマエは何人殺してきた?」

「三人ですね。どの人も別に弱くはなかったけど、お姉さんはその誰よりもはるかに強いですよ。なんかこう、自分の魔法の使い道をよく分かってるって感じですかね。能力値とスキルが噛み合っているってところです」

 能力値? スキル? コイツは何言ってやがる?

「そりゃ光栄だねえ。だったら、オレからは逃げた方がいいんじゃねえか。オマエ、死んじまうぜ?」

「いえいえ、そういうわけにはいかないんですよ。実はここだけの話なんですけど、私とお姉さんは魔法の相性が最悪でして。普通に戦ったらどうにも勝てそうにないんですよ。だから、卑怯なのは承知でこうしてやって来たわけです。力の魔女の千尋佐織さん。ここで私の手にかかって死んでください」

「……けっ。どいつもこいつも人の個人情報を調べすぎだぜ。プライバシーの権利って言葉知ってるか、おい」

 ちなみに、自分で言っておいてなんだがオレはよく知らねえ。

 どっかで聞いたことがあるだけ。

「今のお姉さんはかなり弱ってますよね? 包帯の巻いてある左足もそうですけど、割と全身傷だらけです。今のお姉さん相手なら、私が負ける可能性はありません。絶対に勝てます」

「ふーん。なかなか憎たらしい口を利くじゃねえか。このクソガキ」

 表面上は軽口を叩いてみせたものの、実のところオレは相当焦っていた。

 本格的にヤベえな、こりゃ。

 コイツはオレのことを見ていたと言った。ということは、昨日の戦いもさっきの戦いも全部監視されていた可能性が高い。オレが強いとわかっていて出てきたってことは、オレの魔力が切れていることをわかっての行動だってことになる。

 しかもすでに三人殺してきているとはね。オマエだって、十分強いじゃねえか。

 オレと敵との距離は少しずつ詰まっていく。コイツは相変わらずニヤニヤしたままで一歩ずつこっちに歩いてくる。

 あと四メートル……三メートル……二メートル……っ。

 距離が二メートルを切った時点でオレは動く。左足で踏み込むと同時に、まっすぐ右手を突き出す。無駄な動作を一切省き、最小限のモーションで右ストレートを敵の顔面へと繰り出した。

「オラッ!」

 今のオレの腕力は普通の人間と変わらねえ。それでも、小娘一人をノックアウトするには十分過ぎる威力がある。

 捉えたっ!

 相手は避けなかった。コンマ1秒後、ヤツは床に沈む。

「今のお姉さんは弱いです」

 ペチッ。

 そんなハエを叩いたような音がして、オレの右ストレートは敵の顔面に触れた。文字通り触れただけ。相手を床に沈めるどころか、オレは柔らかい頬に傷一つつけることが出来なかった。

「なっ」

 オレは本気で殴ったはずだ。それなのに……なんだ、この感触は。

 驚きを覚えつつ、すぐに次の一手を打つ。右手を素早く引き、軽くステップを刻みつつ左手でジャブを繰り出す。狙うのはヤツの右目。ジャブとはいえ、当たれば行動不能に追い込めるはず!

「シッ!」

 ペチッ。

 またもや軽い音だけが残った。相手は狙われた右目を閉じることもなく、オレの攻撃を黙って受け止めた。顔のニヤニヤがさらに増した気がする。気に食わねえ。

「今のお姉さんは弱いです」

 ヤツは繰り返し呪文のように言葉を告げる。

 ああ、そうさ。今のオレは確かに弱い。でも、こんなガキ一人を殴り倒すことくらい造作もねえはずだ。おかしい、何かがおかしい。

 オレはいったん距離を取り、相手の様子を観察する。

 相変わらずのニヤニヤ顔。胸の本を開いた様子もねえ。コイツはただ前に歩いて来ただけで、なのにオレの拳はダメージを与えることが出来なかった。

「クソッ! テメエ、何をしてやがる」

「私が何をしてるか、ですか? お姉さんには一生わからないと思いますよ。だって、お姉さんってあんまり頭良さそうに見えませんもん」

「けっ、ほざいてろ」

 敵がどんな魔法を使っているのかわからねえ以上、今この場で戦っても勝ち目はゼロに近い。オレは決断を下す。

 逃げるしかねえ。

 オレは全速力で敵と反対の方角へと駆け出した。背中が丸見えだが関係ねえ。もしコイツが飛び道具を持ってたら、最初に声をかけられる前にオレは死んでいたはずだ。だから、とりあえず走ればいい。追いつかれなければ逃げられる。

 傷の治らない左足に激痛が走るが、その痛みを無視して力任せに動かし続ける。

 逃げ切れれば、この場を逃げ切れればオレは生き残れる!

 オレはさっき空けた大穴を通り抜けようとして、その寸前にヤツの言葉を耳にした。

「お姉さんは絶対に逃げられませんよ。左足、怪我してますから。どうやったって私からは逃げられません」

 そうさ、確かにオレは怪我人さ。魔力による強化もねえし、一歩で五メートルを詰めるような真似はできねえよ。だが、そんな今のオレでも女子中学生と追いかけっこしたら負けがねえ。

 オレは隣の教室も一気に駆け抜け、後ろの扉から廊下に出る。このまま階段まで一気に走り抜けて、逃げ切ってやる。

 そう思った矢先、オレは足を止めた。

「そんな、バカな……」

 驚きのあまり、思わず声がもれてしまった。

「ほら、決して逃げられないって言ってるじゃないですか。今のお姉さんは弱いですからね。逃げることすら出来ないんです」

 いつの間に先回りしたのか、ヤツがオレの前に立ちはだかっていた。

 どうやったのかなんて考えている暇はない。

「チッ」

 オレは体を反転させ、反対側の階段へと走る。オレが足を踏み出すと、パリッ、パリッとガラスの割れる音がする。ちらっと足元を見て、窓ガラスの破片が飛び散っていたことを思い出す。

 階段までの距離を測ろうとして再び正面に目を向け、オレはまた足を止めた。

 向こう側の階段のすぐ手前に、ヤツが立っていた。

 ニヤニヤ笑ったまま、胸に巨大な本を抱えて。

 クソッ、どうなってやがる。

 首だけで振り返り、後ろを確認する。後ろの階段の周りには誰もいない。分身とかそういうような魔法ではなさそうだ。なら幻覚か、はたまた瞬間移動か。

 オレは再びスタートを切り、階段の前の敵に向かって助走付きの右ストレートをお見舞いする。オレの本気の右ストレートは、魔力を抜きにしてもブロック塀くらいなら粉々にする威力がある。これならさすがに防げまい!

「オラァッ!」

 ……ペチッ。

 だが、その拳も敵にダメージを残すことは叶わなかった。指先にヤツの頬の柔らかさだけが伝わってくる。

 もしやスウェーバックとかで勢いを殺されているのか?

 いや、そんなはずはねえ。コイツは今微動だにしなかった。そんなテクニックを使った様子はねえ。そもそも、加速のついた右ストレートを無効化できるテクニックなんてあるはずがねえ。

 オレは右手を引き、一歩、二歩と後退する。

「だから無理ですってば、お姉さん。MPを使い切っちゃった上にHPもギリギリ。今のお姉さんってそういう状態ですよ。私にかすり傷ひとつ負わせられませんよ、きっと」

「どうやらそうみてえだな。理由は全然わかんねえけどよ」

 オレは必死に頭を巡らし、解決策を探る。

 窓から飛び降りてみるか?

 ……これは無理だ。この左足じゃマトモに着地が取れねえ。

 拳以外で攻撃してみるか?

 ……これも厳しい。敵に何をされているのかわからない以上、拳と蹴りで大差はない。

 どうする?

 どうすれば、オレはこの場から生き残れる?

「お姉さん、足を怪我していますよね。だから、私の攻撃は避けれませんよね?」

 今度は敵が動いた。

 胸に抱えていた本を両手で頭上に掲げ、そのまま一歩、二歩と近付いてくる。

「けっ。なめんな。足が動いてなくとも、テメエなんぞの攻撃が当たるわけねえだろ」

 オレは相手の歩調に合わせて、同じく一歩、二歩と下がる。

 だが、次の瞬間。

 オレの目の前で巨大な本が振り下ろされた。

「なっ!」

 唐突に視界を本の背表紙が覆い尽くす。

 そんな馬鹿な。オレじゃあるまいし、あの距離を半歩で追いつけるはずがねえ。

 だが、そんなことを考えているような余裕は今のオレにはねえ。

 オレはとっさに両腕を交差させて頭をかばった。

 バシンッという音が響き、巨大な本が両腕に打ち付けられた。重い一撃に耐え切れず、オレはしりもちを突いた。ケツの下でまたパリンという音がして、ガラスが割れた。

 上に乗せていた右腕が痺れて感覚を失う。打撲か、骨にヒビが入ったか。

 そんなオレを見下ろしながら、敵は再び本を振り上げた。

 オレはケツを床につけたまま、這うようにしてなんとか距離を取ろうとする。

 だが、そんなオレの努力をあざ笑うかのように、再び視界を本が覆った。

「クソッ」

 今度は左腕を上にして交差させ、敵の攻撃をブロックする。

 バシンッという衝突音とともに、体の内側でポキッという軽い音がした。左腕の骨が折れた音だ。これで両腕がイカレた。もう、オレは敵の攻撃を防ぐこともできねえ。

 痛みを必死にこらえ、オレは叫ぶ。

「テメエ、ブッ殺すぞっ!」

「わー、怖い。お姉さん、年下にはもっと優しくしなきゃダメですよ? もっと丁寧な言葉遣いとかしたらいいんじゃないですか?」

「そんなクソ生意気な言葉遣いをするくらいなら、オレは舌を噛み切って死ぬね」

「お姉さん、床に寝転がりながら言っても説得力無いですよ?」

「死ね、クソガキ」

「うーん。しょうがないなあ。じゃあ、これで終わりにしてあげますね。お姉さん、あなたは私の攻撃を避けられません。もう絶対に避けられません」

 三度本が振り上げられる。もう手で受け止めることはできない。オレは頭を守るため、敵に背中を向けて地面の上に丸くなった。

 バシンッ。

「ぐはっ」

 背中に衝撃と、ついで激痛が走る。背骨がズレたか、肋骨が折れたか。何かはわからねえが、とてつもなく背中が痛え。

 オレは丸まっていることもできず、地面の上を転がる。このオレがなんてザマだ。これじゃ、まるで芋虫みてえだ。なさけねえ。

「うーん、お姉さんってばずいぶん頑丈ですね。正直かなりカッコいいと思います」

「……けっ、何が、だよ。人のこと、散々ぶっ叩いておいて、よ」

 声が痛みに震える。

 ヤベえ。油断すると意識が飛びそうになるくらい痛え。

「いやー、実はですね。私が今まで倒してきた魔女の人たちはですね、こういう状態になると『助けてー』とか『死にたくなーい』とか言い始めるんですよ。その点、お姉さんはすごいです。命乞いどころか、悲鳴一つ上げないんですもん。カッコいいです」

「そ、そんなことかい。あ、当ったりめえだろうが。オレは、オレは誇り高く生きてやるんだ。魔女になっても、に、人間と変わらねえ。自分に、ウソはつかねえん、だよ」

 口の中に血が溜まってしゃべりづらい。呂律も次第に回らなくなってくる。

「わ、カッコいい。そういうセリフって一度は言ってみたいですよね。憧れます」

 クソ、余裕こきやがって。見てろ、一泡吹かせてやるぜ。

「でもまあ、だからこそお姉さんにはここで死んでもらわないといけませんね。ちょっともったいない気もしますけど、これも運命ってことで納得して下さい。どうせ避けられませんから、諦めて死んでください」

 敵はそう言って、また本を振り上げた。地面に転がっているオレには、もうあの攻撃を避ける手段は無い。ここらが年貢の納め時ってことか。

 だが、オレは生きるのを諦めたりはしねえ。

 たとえあとほんのわずか先に死が見えていたとしても諦めねえ。オレは最期の瞬間まで戦ってやる!

 本が振り下ろされる瞬間、オレはかろうじて動く右手で床に散らばるガラスの破片をつかみ上げ、それを敵の顔に向かって投げつけた。

 その鋭い切っ先は敵の頬をかすめ、ほんの一筋、血の線を作った。

「けっ。ざまあみろ。か、かすり傷くらい、つけて、やっ……たぜ」

 それだけ見届けた後、すぐに視界は本に覆われた。そして、凄まじい衝撃が頭を襲う。

 意識が途切れ行く中でオレが思ったこと、それは……。


 生き残りたい。



※「Ⅱ 女教皇」

名前…緒方早月。14歳。

ワンド…「真理魔法」 一日一度だけ任意の知識を得るが出来る。

ペンタクル…「未来予知」 他者の数秒先の行動を予知できる。

スォード…「トーラの書」 万物が記された稀代の予言書のコピー。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


当方、こちらのサイトでは初投稿です。

何かと拙い部分があるかと思いますが、何卒ご容赦くださいませ。


誤字脱字・改行ミスなどありましたら、都度ご指摘いただけると助かります。

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