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第二章「ⅩⅠ 力」 四日目

【あらすじ】

舞台は現代日本のとある地方都市。

「原初の魔女」は自らの悲願を達成するために禁断の儀式に手を染める。彼女は自身の魔力と魔法を二十二枚のタロットカードに分割し、何も知らぬ少女達へと投げ渡した。カードを手にした少女は魔女となり、互いに殺し合う宿命を背負う。勝者が絶大な魔法の力を手にするバトルロイヤルが始まった。


【第一章】

タロットカード「Ⅹ 運命の輪」を手にした女子高生、日野崎麻衣の視点で物語は幕を開ける。


【第二章】

物語の中心はタロットカード「ⅩⅠ 力」を手にした千尋沙織へと移った。

熾烈を極める戦いの中、悲劇は連鎖する。

「やれやれ、やっと見つけたぜ」

 オレは一軒の家の前に立ち、肩をすくめた。ちらっと表札に目をやる。

 日野崎。

 間違いない。俺が昨日ぶっ殺したヤツの家だ。名前しかヒントが無いもんだから、あれから半日以上かけてやっと探し出したわけだ。まったく、大した手間をかけさせるぜ。

「『今日は帰りが遅くなる。晩御飯は先に食べてていいよ』か……」

 最期に伝える言葉にしちゃ随分とまあ平和なもんだ。すでに晩御飯って時間でもないわけだが、それでも聞いたからには伝えないわけにはいかねえよな。

 約束は絶対に守る。それはオレが何よりも大切にしている誓いだ。

 オレはどうしようもねえクズだ。親や世間からすればケンカばかりしてるバカ娘だろうさ。でもよ。そうかもしんねえけど、オレにだって守るべきものくらいはある。それを捨てたら、オレはオレでなくなっちまう。

 オレはもう一度表札を確認し、インターホンを押した。

 ピンポーン。

 ……。

 ……。

 反応が無い。

 腕時計で時刻を確認する。午前六時ジャスト。この時刻に家に誰もいないってことはまずないだろう。だいたい、メッセージの届け先は妹だろ。きっと学生だろうから家にいるはずだ。まさか、まだ寝てやがんのか?

 ピンポーン。

 ピンポーン。

 ピンポーン。

 ピンポーン。

 近所迷惑などオレの知ったことじゃない。オレは連続してインターホンを鳴らし、反応を待つ。すると、キィっとう細い音を立てて、ゆっくりと玄関のドアが開いた。

 出てきたのは一人の女子だった。身長は百五十くらい。ワンピースの上にピンク色のエプロンを掛け、手にはミトンを付けている。雰囲気とかは中学生くらいに見える。髪型が違えもんだから一瞬迷うが、顔はアイツによく似ている。

 間違いない。コイツがあの嬢ちゃんの妹だ。

 オレは遠慮なく門を開け、玄関の前に立つ。コイツはオレよりも頭一つ分背が低いもんだから、ちょうど見下ろす感じになる。

「……おはようございます」

 妹はオレのことを見上げ、まったく覇気を感じさせない声で挨拶してきた。

 コイツ、目の焦点がオレに合ってねえ。目の下にクマが出来てるところを見ると、全然寝てねえようだ。もしかして一睡もしないで姉の帰りを待ってたのか?

 どんな妹だよ、いったい。

「おう。おはよーさん」

 一応、返事をする。初対面の相手にきちんと挨拶をするとは良い心がけだ。オレはこういう礼儀正しい子は嫌いじゃない。うちのヤンチャな妹と弟にも、これくらいの礼儀正しさってヤツがあればかわいいのにな。まあ、オレに言えた義理じゃねえけどさ。

 のんきに立ち話をしに来たわけじゃねえし、手早く用件を済ませてしまおう。

 オレだって夜中ぶっ通しで探してたモンだから、眠くてかなわねえしな。

「お嬢ちゃん、アンタの姉から伝言を預かってるぜ」

「お姉ちゃんから……ですか?」

 オレの言葉を耳にして、妹の目に急に光が灯った。オレを見上げる表情も、どこかぼやけてたのが、血色を帯びてくる。なんだ、ちゃんと反応できるじゃねえか。

「いいか、だいたいそのまんま伝えるからな?」

 オレは一呼吸置いて、ゆっくりと伝言を告げた。

「『今日は帰りが遅くなる。晩御飯は先に食べてていいよ』だそうだ」

 その言葉を聞いても、妹はピクリともしなかった。

 血色のわずかに良くなった表情にも、光の灯った目にも変化はねえ。

 なんだか気まずくて、オレは頬をポリポリかきながら言い訳がましく付け加える。

「あんなあ、その伝言、ホントは昨日の昼くらいに聞いてたんだよ。でもアイツの家の場所を聞いてなくてさ。一生懸命探したんだけど、こんな時間になっちゃったんだわ。すまねえな。文句があるならアイツに言ってくれ」

 妹は少しだけ首の角度を上げ、オレの目をのぞきこんでくる。にごりの無い、深く染み込むような瞳に思わずたじろく。

 なんだ、コイツ。

 もしかして、ちょっと頭おかしいのか?

「優しいんですね」

「あ?」

 妹が口を開いた。それがあまりにも突然だったんで思わず聞き返しちまった。

「優しいんですね、あなたは」

「よしてくれ、オレはアンタの姉を……」

 思わず口が滑りそうになったのをぐっとこらえる。

 これは言っちゃならねえ。魔女は魔女、人間は人間だ。

 オレは魔女だ。別に望んでこんなモンになったわけじゃねえが、オレはこういうのは決してキライじゃない。人知を超えた存在? 上等じゃねえか。そんな強さはまさにオレにふさわしい。

 魔女は魔女を殺さなくてはならねえが、それは人間とはまったくかかわりのない話だ。

 巻き込むわけにはいかない。

 オレが殺すのは魔女だけだし、オレを殺すのも魔女だけだ。

「お姉ちゃんがどうかしたんですか?」

「いや、なんでもねえよ。オレは伝言を預かったからそれを伝えに来ただけだ」

「そうですか、ありがとうございます」

「おうよ。それとな、これはアンタに渡しておもうと思う」

 少しどころじゃなく罪悪感を感じたオレは、思いつきでスカートのポケットから一枚のカードを取り出した。

 『運命の輪』のカード。

 オレはそれを妹に向かって差し出した。

「これはオマエの姉のなんだけどさ。オレが持ち歩いててもしょうがねえし、オマエが預かっといてくれねえか」

 この行動に意味は無い。それどころか、カードを持っていることでコイツを危険にさらしちまう可能性だってある。

 ただ、なんとなくオレはそうしなければならないような気持ちになった。

 目の前のコイツには、この一枚のカードですら心の支えになるんじゃないか。

 そう思ったのだ、なんとなく。

 妹は少しの間、オレとカードの間で視線を往復させた。やがておずおずと手を伸ばし、オレからカードを受け取る。

「あの、ありがとうございます」

 そして、もう一度オレに向かって礼を言った。

「ああ。それじゃあな」

 オレはそれ以上コイツのことを見ていられなくなって、くるりと背を向けた。そのまま振り向くことなく、この家を後にする。

 どんなつもりで顔見せてるんだよ、オレは……。

 約束を守るためとはいえ、オレがした行為はひどいもんだ。

 自分が殺した相手の妹に、その遺品を手渡しする。

 その上でお礼の言葉までもらってやがるんだ、クソッタレめ。

「……帰って寝るか」

 オレもたまには弟や妹の相手をしてやるか。

 なんとなくそう思った。


 オレの名は千尋佐織。

 名字はこれでセンジンって読む。たまに間違えてチヒロとか呼ぶヤツがいるが、そういうヤツには鉄拳制裁で応えてる。名前ってのは大事だ。間違えるのはアウトだ。

 歳は十八歳。高校はおろか、中学にもろくすっぽ通った記憶はねえ。

 オレを一言で表すなら「不良少女」ってとこだろうね。これ上なくピッタリな表現で、たっぷり反吐が出るぜ、まったく。

 趣味は格闘技とシティバウト。格闘技はいろいろ手を出してるが、今もやっているのはキックボクシングだけだ。実戦的だからな。

 シティバウトってのは別の言い方すっと「ストリートファイト」ってやつだな。そういうの好きなヤツが夜中に街中でガチで殴り合う。ルールはただひとつ、武器を使わないってことだけだ。他には何もねえ。正真正銘の人間と人間の勝負だ。

 ちなみに、オレはそれで負けたことはねえ。これまで五十四戦五十四勝だ。無敵すぎて最近だと相手してくれるヤツがいねえのが悩みの種だ。

 そんなオレを魔女とやらに選ぶとは、随分と悪趣味なヤツもいたもんだ。

 まあ、別に構わねえけど。

 『力の魔女』なんて通り名は結構カッコいいしな。体の治りが早いのもありがたい。

 そして何よりありがたいのは、オレが本気で戦える機会をくれたってことだ。

 正直、オレは餓えていた。つまらない日常ってヤツに飽きていた。ヤベえ魔法を使う魔女同士の殺し合い。こんなに楽しいゲームに参加できるなんてラッキーすぎるぜ。

 オレは戦う。そして勝つ。

 そのあとのことは勝ち残ったあとで考えればいいさ。今はただ戦うだけ。強い魔女と戦い、ソイツを倒すのが今のオレの生き甲斐だ。最終的な目的なんてどうでもいい。大事なのはなにをやるかだ。

 家に帰って一眠りしたあと、オレはまた狩りに出かけた。

 街のどこかにいやがる魔女どもをこの手でブッ殺してやるために。


 家を出たあと、オレはほどなくして魔女を発見した。ソイツが人気の無い路地裏に入ったところを見計らって襲いかかる。

「ふ、フリーズランサーっ!」

 敵の魔女は意味不明な掛け声とともに木の杖を横に振った。その動作と同時に、オレに向かって鋭く尖った氷の塊が向かってくる。ツララを横向きに飛ばしてる感じだ。

 もうちょっとこう、力強く叫べねえのか?

 そう思うが、これはこれで結構シャレにならねえ。ツララの一本一本はかなり鋭い。

 しかも戦場はビルとビルの狭間の細い路地。つまり左右に逃げ場はない。

 全部避けるのは到底無理。

 なら、最短ルートで突っ切るまでだっ!

 オレは身を屈めながら敵に向かって真っ直ぐ走る。その途中、オレの体にはたくさんのツララが刺さっていく。頭に一本、左肩に二本、右肩と左脇腹と右腿に一本ずつ。ザクザクと身を貫かれる感触は最悪だが、こんな程度じゃオレの足を止めるには足りねえ。

 あらかじめ覚悟してればこの程度の痛みには耐えられる。

 全然足りねえよ。足りなさ過ぎて笑っちまうぜ。

 ツララの雨をくぐった先にソイツはいた。ゴテゴテした黒いワンピースに赤いカチューシャ、赤い靴。いわゆるゴスロリ服ってやつか? そんなのを着た魔女が、オレの目の前にいる。

「オラっ!」

 ソイツに向かって、渾身の右ストレートをお見舞いする。

「ふ、フローティングウィンド!」

 ゴスロリ服の魔女は木の杖を振りながらまた妙な掛け声を叫んだ。

 突然周囲に強風が吹き荒れ、オレは思わずひるむ。体が飛ばされそうになるのを前傾姿勢で耐える。ヤツはその風に乗ったかのように低く素早く、後方へと飛びすさった。

 なんだ、コイツ。オレなんかよりもよっぽど魔女らしい魔女じゃねえか。

「甘えよっ!」

 ヤツが十メートルくらい離れたところに着地しようとするのをオレは見逃さねえ。

 ぐっと力を込めて地面を蹴る。

 たった十メートルとは笑っちまうね。それで避けたつもりかよ?

 魔女の力で強化されたオレの脚力なら二歩で追いつける十分な間合いだ。

 コンマ二秒で五メートルを詰め、さらにコンマ二秒で敵に肉薄する。

 相手の魔女の顔が驚きと恐怖に歪む。イイね、その顔。オメエは別に楽しい相手じゃねえけど、その顔はそそるぜ。

 冥土の土産に教えてやるけどよ、戦いってのは跳んだら負けなんだぜ? 着地地点はモロバレだし、行動の選択肢も大きく狭まっちまう。覚えときな。

 こんなにしゃべるヒマはないから、目で伝えてやった。オレとしては親切に伝えてやったつもりなんだが、コイツに伝わったかどうかはわからん。

 なにせ、オレが実際に告げた言葉はたった一言だったからだ。

「死ね」

 オレの左フックが敵の首を直撃し、そのままビルの壁へと叩きつける。

 ボギン。

 骨が折れる鈍い音がして、ゴスロリ服の魔女は地面に崩れ落ちた。カランという軽い音とともにその手から木の杖が地面へと落ちる。

「……しょうもねえ」

 オレは死体を見下ろしながら、自分の体の具合をチェックする。さっきツララが刺さっていた部分はすでに治りつつある。何の問題も無い。

 オレは力の魔女。自らの肉体のエキスパート。オレの体は魔法によって守られている。しかも、ちょっとやそっとの傷ならすぐに完治する。他にどんな魔女がいるんだか知らねえけど、正面に立ってオレに勝てるヤツなんかいやしねえよ。

「いやあ、君は本当に容赦がないなあ」

 不意に後ろから声がした。

 振り向くと、そこには一匹の黒猫がちょこんと座っていた。

 コイツはこのゲームの司会進行役だそうだ。オレはどっちかというと猫派だから、別に猫に仕切られることに依存は無い。犬っころだったらぶっ殺してるところだ。

「オメエか。とっとと後始末してくれよ」

「言われなくてもするさ。それがボクちゃんの仕事だからね」

 黒猫はトテトテと死体の前まで歩くと、「ニャー」と一声だけ鳴いた。すると、さっきまでそこに在ったゴスロリ服の死体は、ぐにゃぐにゃ溶けるように歪み、そして跡形もなく消え去った。残されたのは一枚のタロットカードだけだ。

 オレはしゃみこんで、ソイツをひょいと拾い上げる。そして座ったまま猫にたずねる。

「コイツは何のカードだ?」

「それは『魔術師』のカードだね。人類の英知と限りない才能を示すカードだ」

「ふーん、人類の英知ねえ。それにしてはずいぶんとショボかったぜ?」

「それは彼女が魔法を使いこなせていなかったからだよ。そのカードの主に与えられる魔法は『元素魔法』といってね、火・水・風・土のマナを自在に操って自然現象を操作することができるんだ。そういえば、あの方が一番使っていた魔法だったね」

「ふん。宝の持ち腐れってヤツか。くだらねえ。自分のこともわかってねえのに敵に挑むなんざ、愚か者のすることだぜ」

「愚か者、ねえ。まあ、孫子の言葉にこういうのがあるしね。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』ってね」

「あん? なんだそりゃ。ソンシってのは人の名前か? 有名人?」

「……いや、なんでもないよ。気にしないでほしい。ボクちゃんが言いたかったのは、君はちゃんと自分の力の使い方を心得ているから強いってことだけさ」

「だろーね。じゃなきゃこんなに簡単に魔女どもを狩れるはずがねえ」

 オレはスカートのポケットをまさぐり、タロットカードを取り出す。

 『Ⅰ 魔術師』

 『Ⅳ 教皇』

 『ⅩⅠ 力』

 『ⅩⅥ 塔』

 『ⅩⅧ 月』

 『ⅩⅨ 太陽』

 全部で六枚。ホントはもう一枚あったが、今朝手放してきちまった。このうち『月』のカードは『運命の輪』のヤツが倒した分だからオレの勝ち星じゃねえ。オレが倒した魔女は今の『魔術師』で五人目だ。足りねえ。全然狩り足りねえ。

「この中だと、やっぱ『運命の輪』のヤツがダントツで強かったな。他のヤツらが雑魚過ぎて話にならないってのもあるが、オレを驚かせたのはあの嬢ちゃんだけだった」

 そう、アイツは強かった。

 見た目はただの女子高生なのに、いざ戦いとなったらどうしてかオレの動きを常に先読みしてきやがった。オレを肉弾戦で圧倒してくるヤツが他にいるとは思えねえ。アイツはオレにとって間違いなく最強の敵だった。

 だが、アイツはそんなオレとの戦いをあっさり捨てやがった。

 理由はわからなくもない。ダチを守るため。それは誰がどう見ても正当な理由だろう。それを否定する気はオレにもねえ。むしろ、それにつけこんでアイツを殺したオレの方が責められていいんじゃねえかと思う。

 しかしまあ、それはそれとして納得はできねえ。人間は死んだらおしまいだ。たとえダチを救うためだからといって、自分の命を捨てられるわけがねえだろ。少なくともオレには絶対に無理だ。

 どういう神経してたらあそこであんな選択が取れるんだ?

「死ぬのが怖くなかったのか、アイツは」

「ん? 何か言ったかい?」

「いーや、別に。ただの独り言だ。気にすんな。それより、やるべきことが終わったんならとっとと消えな。おしゃべりしてる時間がもったいねえ」

「そうかい。それじゃあ健闘を祈るよ、『力の魔女』」

 そう言い残して、猫は消えた。

 それを確認してから、オレはさっきの独り言の続きを呟く。

「死を恐れない魔女。もしかしたらアイツこそ勝者にふさわしいのかもしんねえな」

 オレは死ぬのは怖い。死にたくない。

 これは心の底からオレの本音だ。

「さて、じゃあ次の魔女を探しに行くとすっかね」

 オレは次のターゲットを探すために立ち上がった。


 ダシンッ。


「……なっ!」

 突然、腹のあたりを強い衝撃が襲った。ぐらりと体が傾いて倒れそうになるのを、グッと踏ん張ってこらえる。

 顔を下げずに目線だけ下にやる。左の脇腹からピンク色に輝く矢みたいなモンが突き出しているのが見えた。どうやら背中から腹へ貫通しているっぽい。

 左の脇腹。ってことは、今立ち上がらなかったらオレは心臓を貫かれてた。

 そうしたらオレは死んでいた。

 その事実に気付き、オレの頭が真っ赤に染まる。

 少し遅れて激痛が体を走り抜ける。だが、それに構わずオレは走り出した。後ろを決して振り向かず、一気に路地の入り口まで駆け抜ける。止まるわけにはいかない。止まったらおしまいだ。

 一歩踏み出すたびに痛みが走る。それを懸命にこらえ、今の状況を考える。

 この矢には見覚えがある。『運命の輪』と一緒にいたヤツ、アイツの攻撃だ。カードの名前は知らねえが、あのとき確かにこの矢を撃ってきやがった。

 おおかた運命の魔女の敵討ちってとこか?

 くだらねえ。オレがこの世で最も嫌いなものは、ほうれん草と犬っころ。そして気持ちの悪い同性愛者どもだ。こないだの告白とか、聞いてて背筋に鳥肌が立ちまくったぜ。思わず上から飛び降りるくらいには気持ち悪かったぜ。

 ああ気持ち悪い。今すぐブッ殺してやりてえ。

 だが、今この場はとりあえず逃げた方がいい。敵の場所がわからねえし、なにより場所が悪すぎる。もっと見通しの悪い建物の中とかに引き込まねえと。

 そんなことを考えながら、オレは路地を抜け、大通りへと出た。素早く身を翻して体をビルの裏側に張り付かせる。少なくとも、これであの矢からは逃れられるはず。

 さて、どうしたモンか

 脇腹の矢を力任せに引き抜きつつ、あたりを見渡した。

「あん?」

 オレは思わず自分の目を疑った。

「……なんだ、これ」

 ビルの隙間を抜けて出た表通り。そこにはオレの想像を越える光景が広がっていた。

 オレが出た先はこのあたりでは結構大きな通りで、昼間だとまず人通りが絶えることはねえ。若者から年寄りまで、いろんなヤツが歩いてる場所だ。オレはこういう街の喧騒ってヤツは嫌いじゃねえから、よくたむろしてたりする。

 だが、今オレの目の前には老若男女なんていやしなかった。

 紫、紫、紫、紫、紫……。

 大通りは葡萄ヶ丘高校の紫色の制服で埋め尽くされていた。

 平日の昼間だってのに、なんなんだ?

 その理由を考える前に、オレはそいつらの異常さに気付く。どいつもこいつも瞳に光は無く、やけにフラフラしてやがる。まるでヤク中のヤツらみてえだ。そして、その手には全員何かしらの凶器を構えていやがった。

 スコップ、金属バット、ゴルフクラブ、ナタ、包丁、草刈り鎌、角材、ハンマー……。

 ホームセンターで買えるような、人間を破壊するのが目的のブツが目白押しだ。本来の使い道と違いすぎて笑えねえ。

「……これがアイツの魔法ってわけだ。タチが悪いねえ」

 人を操る魔法。そんな魔法があったって別におかしくはねえ。むしろ一枚くらいはあると思うのが自然だ。だけど、実際にそれを目にするとちょっとどころじゃなく引く。ようはハッキリ言ってドン引きだ。

 そもそもアイツも葡萄ヶ丘の生徒のはずだ。同じ釜の飯を食った仲間を平然と駒に出来るってのは普通じゃねえ。頭がおかしいとしか思えねえ。

「どうやってもオレだけは殺すってことかい、え?」

 紫色の軍服を着た兵隊たちは、輪になってオレを囲んでくる。チラッと後ろを見ると、オレがさっきまでいた路地にもコイツらで埋まっていた。ざっと見たところ百人はいるだろう。コイツらを全員蹴散らしていくのは難しくねえが、それなりに手間がかかる。なにしろオレは人殺しをする気はねえからな。手加減するってのは意外と神経を使うもんだ。

 第一、そのうちにまたアイツの狙撃されたらたまったもんじゃねえ。

 しゃあねえな。あまり好みじゃねえけど、一度逃げるとすっか。

 オレは周囲を見回し、建物の高さを確認する。

 正面の雑居ビルが目に入った。あの三階あたりがちょうどいいか。

 オレは左手で脇腹に触れ、傷がふさがったのを確認する。ぐぐっと足に力を込めて、思いっきり跳び上がった。ビルの中に逃げ込んじまえば、とりあえず矢の狙撃からは抜けられる。あとは反対側に抜けるなりして、撒いてしまえばいい。

 そう思っての判断だった。

 だが、オレはアホだった。跳びあがったら遠くの敵からでも丸見えだっつーの。


 ダシンッ。


 再び衝撃がオレの体を襲った。

 空中で体勢を崩したオレはそのまま地面に向かって落下する。

 また撃たれた。そう思った次の瞬間には、オレはズシンッという感触とともに横っ腹から着地していた。呼吸が止まって意識が跳びそうに鳴るのを必死にこらえる。

「ちっくしょ……う……ゲホッ」

 すぐさま立ち上がろうとしたが、体がうまく動かねえ。口から真っ赤な血の固まりが飛び出してきた。泡まじりの血だまりが顔の下に広がる。

 おそるおそる体を見ると、右胸にピンク色の矢が突き刺さっていた。この位置だと、おそらく肺にまで達している。そりゃ血も吐くよな。

 それでもなんとか気力を振り絞り、立ち上がる。落下で受けたダメージはすでに回復している。この胸の矢さえ引き抜けばどうにでもなる。

 だが、敵はそれを待ってくれたりはしねえ。

 オレが地面に落ちるのと同時に、周囲に立っていた紫の兵隊たちが動き出す。

 まずは一番近くに立っていた男子学生が、スコップを振り上げて殴りつけてくる。何の感情も感じさせない目で、掛け声ひとつ上げずに襲いかかってくる高校生。こりゃホラーだね。ゾンビ系とかの。

「オラッ!」

 オレは右手で胸の矢が動かないように固定しつつ、左の拳でソイツのこめかみを撃ち抜いた。左フックの直撃をもらった相手は崩れ落ちるように倒れ、そのまま起き上がって来ない。なるほど、コイツらは別に強化されてたりするわけじゃねえんだな。ただ操られているだけの普通の人間。それなら、まだなんとかなる。

 続いて二人の女子が左右から襲ってくる。手に持ってるのはゴルフクラブとバット。

「ずいぶん短けえバットだな。ソフトのか」

 オレはあわてず対処する。二人が獲物を振り下ろす前にグイッと踏み込む。

 二つの鈍器は空振りし、オレはそのまま二人の脇腹にラリアットを繰り出す。俺がただの人間なら大した威力は出ないだろうが、魔女の力で強化されたオレのヤツは一味違う。二人は仰向けにひっくりがえり、ピクピク痙攣していた。

「ゲホッ、ゲホッ」

 再び血の塊が口から吹き出してきた。胸の矢から右手を離したもんだから、また肺のどこかを傷つけたらしい。クソッ、早く右胸のコイツを抜かねえとっ。

 ナタを持った男子が襲ってくる。まず右手を蹴り上げて獲物を手離させ、さらに追撃でレバーブローを入れてノックアウト。

 包丁を構えた小柄な女子が突進してくる。身を逸らして避けつつ、襟首をつかんで背負い投げ。相手は受身を取れずに失神したが、その反動でオレは再び血を吐いた。あんまり派手なアクションは控えた方が良さそうだ。

 草刈り鎌を両手に構えた男子には、動き出す前にこっちから右ストレートをお見舞いしてやる。先手必勝。いちいち相手の攻撃に対処してたんじゃ間に合わねえ。


 ダシンッ。


 三度目。オレの体をまた矢が貫いた。

 今度はさっきと違う方向からだ。大通りに面した建物のどこかから撃たれた。敵はこまめに位置を変えて、オレに位置を悟らせないようにしてやがる。マジでめんどくえ状況になってきたぜ。

 撃たれたのは左肩。激痛が走るが、ここまで来ると痛みはもう関係ねえ。ただ、これでオレの動きはさらに鈍くなら。雑魚どもへの対処がだんだん後手になっていく。コイツはヤベえな。

 大柄な男子が正面から工事用のハンマーを振り下ろしてきた。オレは相手の懐に潜り込んで避けて、敵の股間に思いっきり膝蹴りをぶちかます。相手は悶絶してぶっ倒れた。「悪く思うなよ、小僧」

 これもオレが生きるためだ。

 それ以降も、次から次へと雑魚が襲ってくる。それをオレは弾き、避け、なんとか防ぎ続ける。何がタチ悪いって、コイツらは最初からオレの急所しか狙ってこない。脳ミソや心臓をやられたら、いくらオレでも治すことはできねえ。即死だ。そのおかげでコイツらの動きを読みやすくもあるんだが、それにしても数が多すぎる。

 もう二十人はブッ倒したと思うが、一向に攻撃のやむ気配がねえ。ざっと考えただけでも百人くらいはいたはずだから、あと七、八十人ってところか。

 ……けっ、冗談じゃねえ。

「ゲハッ」

 また口から血が零れる。右胸と左肩に刺さった矢もヤベえ。コイツらのおかげで動きが鈍っているもんだから、雑魚に手を焼かされている。

 しかもまたいつどこから撃たれるかわからねえときたもんだ。

 集中してればなんとか避けられなくはねえが、ずっと集中しているのには限界がある。

 オレは自分の力を正しく理解している。決して過信はしねえ。

 これは一方的に不利な消耗戦だ。

 狩る者と狩られる者。

 ハンターと野ウサギ。

 今のオレは敵の魔女に狩られそうになっているウサギちゃんだ。

「クソッタレがっ!」

 オレはガリガリ鳴るチェーンソーの刃を左腕で受け止め、その持ち主の男子を右のハイキックで仕留めた。左腕はすぐに治るが、痛みは脳に響いて思考を削っていく。マトモな戦い方をしている余裕なんて、オレにはもうねえよ。


 ダシンッ。


 四発目の狙撃。

 今度は右足を射抜かれた。

 足を封じられてオレの戦況は一気に悪化する。ムダな移動をなるべく控えて、最小限の動きで敵を倒していくしかねえ。それよりも、次の狙撃を避けられる自信がねえな。

 死にたくない。

 この期に及んで、オレは初めて死の恐怖を覚えた。

 オレを殺そうとする雑魚の群れはいくら倒してもキリがねえ。どこからともなく飛んで来る魔法の矢は正確にオレの体を射抜いていく。オレは血を吐き、痛みに耐えながら腕を振るい続けるが、その抵抗はもうすぐ潰される。

「イヤだっ!」

 オレは思わずそう叫んでいた。

 角材の一振りを身を伏せて避け、起き上がりがてら顎に頭突きを食らわす。相手がひるんだ瞬間に、右手で相手の右目を殴りつける。気配を感じて振り返ると、すぐ後ろで背の高い女子が木刀を振りかぶっていた。

「オレは死にたくねえっ!」

 真っ直ぐ振り下ろされた木刀を、頭を逸らして左肩で受け止める。受け止めると言っても、ようは木刀が直撃しているわけだからマジで痛え。しかも矢が刺さったままのところに一撃入れられてるんだから、目ん玉が飛び出しそうになるくらい痛え。

 だが、オレはひるまねえ。すかさず一歩踏み込み、相手の襟首を右手でつかみ取る。女の顔に傷をつけるは趣味じゃないが、この際そうも言ってられない。グイッと右手を引き寄せて顔面に頭突きをぶちかます。相手がフラッとよろめいたところで脇腹に右膝を打ち込む。

「オレは死なねえっ!」

 タンッ。

 五発目の狙撃は身を捻って紙一重で避けた。たまたま正面から飛んで来たから回避が間に合った。狙いの外れた矢は、今まさにオレに襲いかかろうとしていた男子の胸に突き刺さった。たぶんソイツは死んだ。

 許せ。恨むなら、あのクソッタレを恨んでくれ。

 オレは矢の飛んできた先をにらみつける。

 さっきオレが飛び移ろうとしたビルの隣のビル。その非常階段に敵の魔女はいた。

 おかっぱ頭の座敷童みてえなヤツが、右手に短い弓を持って立っている。確かコガネイとか言ったか。ソイツが薄気味悪い笑みを浮かべてこっちを見ている。

 目が合った。

 その途端、オレを包囲していら連中が一斉に動きを止め、口を開いた。

「「「「「「「「「「「「死ねっ!」」」」」」」」」」」」

 周りにいる紫色の連中が、一糸乱れずに血を吐くような叫びを上げた。

 その叫びに、オレは思わず圧倒される。

 言葉ってのはある意味一番わかりやすい魔法だ。

 たった一言の言葉で、人間は幸せにも不幸せにもなれる。

 だとしたら、これだけの人間が同時に叫ぶ言葉にはどれだけのパワーが込められてるんだろうね。オレに対するヤツの殺意が何十倍にもなって襲いかかってくるように感じる。

 数十人の殺意に一瞬だけ圧倒される。

 だが、ただそれだけだ。

 コイツらの言葉は……言葉に込められた呪いは、決してオレには届かねえ。

 オレを殺すにはコイツらじゃ足りねえ。

「オレは生きるっ!」

 叫んだ。

 右の肺に矢が刺さったままであることも忘れて、全力で叫んだ。

 叫んだ後でまた血を吐いたが、かまうものか。

 声の大きさでは勝ち目はねえが、そんなもん知ったこっちゃねえ。

 重要なのは意志だ。

 オレは生きるのを絶対に諦めねえっ!

 一度動きを止めた人形どもが、再び一斉に動き出す。それぞれが凶器を手に、オレの命を終わらせようと襲ってくる。上等じゃねえか。

 オレはさっきまでと同じように……いや、さっきよりも激しくソイツらをぶちのめす。

 パイプで殴りかかってきた女子には、左目に指を突き刺してやった。

 カギのついた長い棒みたいなのを振ってきた男子には、左肩の矢を引き抜いて腹にブッ刺してやった。

 タンッ。

 六発目の矢は余裕で避ける。

 さっきと同じ場所から撃ってくる馬鹿がいるか。さっきまではどっから飛んで来るかわからないから避けられなかっただけだ。見えてりゃ避けられる。

 その後も、襲ってくる敵をさらに一人、二人、と倒していく。

 気が付けば、最初は百人はいたであろう紫の輪は半分程度にまで減っていた。

 オレは矢の刺さったままの右足を引きずりながら、戦い続ける。左胸にも刺さったままだが、もはやそんなものは気にもならねえ。痛みの間隔はとっくにマヒしてる。セーラーもスカートも血でドス黒く染まっているが、そんなもん気にもならねえ。

 タンッ。

 七発目。今度は後ろから飛んで来たが、軽く身をよじっただけで避けてみせる。オレの代わりにまたかわいそうなヤツが犠牲になった。

 ……何度も言うが、恨むならアイツを恨めよ。

 永遠と思われたこの戦いにも終着点が見えてきた。

 野ウサギにハンターを殺すことはできねえ。

 でも逃げ切ることは出来る。

 オレは途中でここからの脱出法を見つけていた。群がる雑魚を追い払いながら、一歩すつその場所へと移動していた。敵にバレると先回りされるかもしれねえから、ゆっくり、じっくり。決して悟られないようにその場所へと移動していた。

 そして今、何人目だかわからねえ雑魚を左フックでノックアウトしたところで、ついにその場所へとたどり着いた。

 残る雑魚は二十人ちょい。戦ってなんとかならなくもねえが、次も魔女の矢を避けられる保証はねえ。ここは敵のフィールドだ。オレは絶対にハンターにはなれねえ。

 それなら取る方法はただ一つ。逃げるが勝ちってヤツだ。


 ダシンッ。


 本日、八発目の狙撃。

 左足を狙ったその一撃を、オレはあえて避けなかった。両足に矢が刺さった今、オレはもう敵の攻撃を避けられねえ。それを理解しているのか、雑魚が一斉にオレへと向かってくる。

 残念だったな。オレは逃げるぜ。

「オレを殺したかったら、オマエ自身が来いっ!」

 オレは最後にそう捨てゼリフを残してから、自分の真下を思いっきり殴りつけた。

 そこにあるのは……マンホールだ。

 オレの本気のパンチに、たかが金属のフタごときが耐えられるわけがねえ。フタは衝撃で三つに砕け、破片は穴の中へと吸い込まれていく。

「あばよ」

 オレもその破片と同じように、穴の中へと飛び込んだ。

 下水道へは、ものの一秒ほどで着地する。すぐさま上を見上げるが、同じように飛び降りてくる敵はいねえ。当たり前だ。普通の人間がそんなことしたら、頭でも打って死んじまうだろう。

 オレは無造作に右胸と両足の矢を引き抜いた。その傷はまたたくまに治り、オレは無傷の状態になる。

 このまま戻ってアイツをぶっ殺してやりたいところだが、さすがに今日は体力を消耗し過ぎた。体は無事でも、頭の中身はそうもいかない。神経をすり減らす戦いのおかげで、だいぶグロッキーしてる。おとなしく引き上げた方が無難だろう。

 オレは下水道をアテも無く走り出した。

 とりあえず、なるべく遠い入り口から上に上がるとしよう。

 この匂いは勘弁だが、それでもさっきまでの戦いを思えば屁でもないさ。


 今日の屈辱は百倍にして返してやるよ、コガネイ。



※「Ⅰ 魔術師」

魔女…椎平茜。16歳。

ワンド…「元素魔法」 火・水・地・風の力を操る。

ペンタクル…「魔力感知」 自身の近くで発生した魔力を感知できる。 

スォード…「蛇の杖」 古より伝わる魔法の杖。ケリュケイオン。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


当方、こちらのサイトでは初投稿です。

何かと拙い部分があるかと思いますが、何卒ご容赦くださいませ。


誤字脱字・改行ミスなどありましたら、都度ご指摘いただけると助かります。

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