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第一章「Ⅹ 運命の輪」 三日目

【あらすじ】

舞台は現代日本のとある地方都市。

「原初の魔女」は自らの悲願を達成するために禁断の儀式に手を染める。彼女は自身の魔力と魔法を二十二枚のタロットカードに分割し、何も知らぬ少女達へと投げ渡した。カードを手にした少女は魔女となり、互いに殺し合う宿命を背負う。勝者が絶大な魔法の力を手にするバトルロイヤルが始まった。


【第一章】

タロットカード「Ⅹ 運命の輪」を手にした女子高生、日野崎麻衣の視点で物語は幕を開ける。

「相沢由香里は『月の魔女』だよ」

「月の魔女?」

「そう、君が『運命の輪』を受け取ったから『運命の魔女』になったように、相沢由香里は『月』のカードを受け取った。だから『月の魔女』さ」

「あいつの魔法、全然月っぽくなかったけど。一体どのへんが月なの?」

「うーん、タロットカードは本来占いに用いられるものだからね。名前が『月』だとしても空に浮かぶ月そのものを表しているわけじゃないんだ」

「じゃあ、何を表してるのよ」

「『月』のカードが表しているのは曖昧さ、形の定まらないもの、不安、といった類のものだね。もともとあんまり良い意味を持つカードではないかな。正位置でも逆位置でもマイナスの印象を受けるね」

「ふーん。そりゃ運が悪いことで。でもそう聞くと、その『月』のカードは確かにあの子にぴったりだったかもしんない。やっぱりそのへんも考えて魔女って選ばれてるの?」

「さあ、どうだろうね。そこまでは君に教えることは出来ないな。ボクちゃんはあくまでもこのゲームの司会進行役だ。あんまり滅多なことは言えないよ」

「ふーん、残念」

 こんな会話をしながら、あたしは今日も通学路を歩いていた。今あたしの手の中には二枚のカードがある。一枚はあたしが最初から持っていた『運命の輪』のカード。もう一枚は相沢由香里が死んだ後に回収した『月』のカードだ。

 昨日の戦いのあと、教室は目も当てられない状況になっていた。部屋中に存在していたありとあらゆるものが、見るも無残に切り刻まれているのだ。もしそのままにしておいたら大変な騒ぎになっただろう。

 ところが、戦いが終わったあとでひょいっと現れたこの黒猫が「ニャー」と一鳴きした瞬間、教室は何事もなかったかのように元の様子を取り戻していたのだった。今さらこの程度のことじゃ驚きはしないけど、魔法というものはやはり人知を越えていると再認識させられた。

 ただ、ひとつだけ元に戻らなかったものがある。

 相沢由香里だ。

 教室が修復されたあと、彼女の死体はどこにも無かった。その代わりに一枚のタロットカードが落ちていた。それがこの『月』のカードというわけだ。

 このカード、見た感じはどう見ても月には見えない。犬が二匹にザリガニが一匹。よく知っている人が見ない限り、わけのわからない構図のわけのわからない絵にしか見えないと思う。実際、あたしにはわからなかった。

 そこで、このタイミングで黒猫にたずねてみたというわけだ。

「このカード、あたしが持ってていいの?」

「というよりも、君が持っていなくてはいけないものだよ。勝者は敗者の死を背負わなければいけない。これは古今東西、あらゆる戦いに共通するマナーだ。あ、それを持っているからといって君が使える魔法が増えるわけじゃないからね。一応言っとくけど」

「わかってる。あたしはあたしのやり方でやり通せってことよね」

「その通り。以前にも言ったけど、そういう意味で君は最も勝者にふさわしいと思うよ。なにせ、他のだれよりも自分の魔法の使い方を心得ているからね。昨日の戦いも素晴らしかったよ」

「また口から出まかせを。あのね、いいことを教えてあげる。戦いに『素晴らしい』なんて形容詞は絶対にふさわしくない。戦いは何も産み出しはしないの」

「じゃあ、君はもう戦いたくないのかい?」

「当たり前よ。昨日のでもうたくさん。少なくともしばらくは関わりたくもないわ」

「そううまくいくかな?」

「運が良ければ、ね」

 そこであたしは話を切った。黒猫もムリに話しかけようとはしない。

 あたしは運命に祈る。どうか戦いに巻き込まれませんように、と。

 しかし、運命というヤツはだいたいのケースにおいて残酷である。その祈りは十分後に破られることになるのだった。しかも、この上なく最悪の形で。


「おはよう、日野崎さん」

 あたしが三年A組の教室に入ると、前の席から挨拶の声が飛んできた。あたしに挨拶をするような人間はこの教室には一人しかいない。

 あたしは挨拶をしようとして……硬直した。

「お、おはよう、小金井」

 少しの躊躇のあと、なるべく平静を装って返事をした。

 彼女は小金井恋子。恋に子でレンコと読む。コイコと呼ぶとちょっと怒る。

 このクラス……いや、この学校においてあたしが友達と呼ぶ唯一の存在だ。なんでも知ってる事情通で、特に恋愛沙汰に関しては非常にくわしい。あの相沢由香里の情報も小金井から聞いたものだ。小金井は学校内のプライベートな情報をどこからともなく集めてきては、あたしに洗いざらいしゃべっていく。

 なぜあたしに言うのかと聞いたら「日野崎さんは友達いないから誰にもしゃべらないでしょ?」と返された。まったくもって否定できない。

 チャームポイントは可愛らしく切り揃えられた前髪。身長の低さと合わせて、まるで二本人形のような印象を受ける。もしくは座敷童。これも言う度にぷりぷり怒る。その様子はちょっとかわいい。

「昨日はごめんなさい。少し体調が優れなくて、お休みしてしまったんです。今日はもう元気ですから、お気になさらず」

「……そう」

 落ち着け、落ち着け、あたし。

 あたしは自分に一生懸命語りかける。そんなあたしを尻目に、小金井は平然と話を続ける。

「……あら、どうなさったんですか? 日野崎さん、少々顔色が優れないですよ。今度は日野崎さんがお風邪ですか?」

「別に、そういうわけじゃない」

「そうですか。それならいいんですけど……」

 小金井は小首をかしげて、こっちの目を覗きこんでくる。その動作は幼い外見の小金井

にとてもよく似合っている。でもその目で何を見ているのか、あたしにはわからない。

 鞄を机の上に下ろしつつ、あたしは慎重に言葉を選びながら小金井に話しかける。

「それより小金井。少し話があるんだけど、今いいかな?」

「お話、ですか? 全然かまいませんけど……もうすぐホームルームが始まってしまいますよ。放課後とかではダメですか?」

「そういうわけにはいかない。……それは小金井だって分かってるだろ」

 あたしは必死に言葉をつなげる。カマを掛けるのにも限界がある。小金井が何を考えているのか。もしくは実は何も考えていないのか。小金井の腹の底がまったく読めない。捉えどころの無さに、イライラを抑えられない。

 そんなあたしを見ていた小金井が、何か思い出したかのようにポンと手を打った。

「あ、ひょっとして……日野崎さんが連れてる黒猫さんのことですか?」

 その一言で、あたしの頭の中は急速に冷え切っていく。やはりそうか。悪い予感が当たってしまったようだ。

「分かってるなら話は早い。小金井、今すぐ外に出てくれ」

 とりあえず場所を変えるよう小金井に提案する。ここでは場所が悪い。昨日とは違い、今日は周りにたくさんの人間がいる。彼らを巻き込むわけにはいかない。

「どうしてですか? お話なら、ここで聞きますけど」

「分かるだろ、小金井。周りを巻き込むわけにはいかないんだ」

 小金井はなおも納得しかねているようで、再び小首をかしげて考え込む。

 そして、ふっと微笑みを浮かべて答えた。

「あ、そういうことですか。それなら心配ないですよ」

 いつもはかわいらしい小金井の笑顔が、今日のあたしには不気味で薄気味悪く映る。

「……どういうことよ」

「その心配は無用ですよ、日野崎さん。つまり、こういうことです」

 小金井がパン、と手を叩いた。

 その瞬間、あたしと小金井以外の全員――三十一名の生徒と担任の教師――が一斉にあたし達の方を向いてきた。

 六十二個の瞳がすべてあたし達に集中する。誰一人目を逸らさず、瞬きすらしない。

 なんだ、これ?

 あたしはその光景に戦慄を覚えた。しかし、そんなあたしの心境を知ってか知らずか、小金井は平然と言葉を続ける。

「皆さん、とっくに私の言いなりですから。ここでお話しても、全然問題ないですよ」

 小金井はそう言ってにっこり笑った。その肩には、ちょこんと黒猫が乗っかっている。

「……最悪だね」

 あたしは小金井に聞こえないよう、口の中で小さく呟いた。


 その五分後、あたしと小金井は五メートルほど間を空けて対峙していた。

「日野崎さんって意外と頑固ですよね。別に教室だっていいと思うんですけど?」

「あたしはあたしのルールに従ってるだけ。あたしは普通の人を戦いに巻き込むつもりは無いから。そこんとこよろしく」

「うふ。そうですか。まあ、日野崎さんがそうおっしゃるなら、私もそれに従いますよ。私、別に日野崎さんと争うつもりはありませんから」

 あたしは小金井を連れて校舎の裏庭に来ていた。

 ここは校舎の建物が影になっているため、日中でもほとんど日が射さない。だから真っ昼間だというのに、少々薄暗くて不気味な雰囲気を醸し出している。この学校ではかなり人通りの少ないエリアの一つであるのは間違いない。本当は現在使われていない旧校舎の方が都合が良いけど、あそこまで行く手間が面倒なので妥協した。

「心配しなくても、誰か来たら私の魔法で帰ってもらえますよ?」

「そういう問題じゃないんだってば、小金井。あたしは小金井にその魔法を濫用して欲しくないからこそ、こんなとこにまで来たの」

「そう言われましても……。私は魔女ですから。魔女が魔法を使わないでどうしろとおっしゃるんですか、日野崎さんは」

 確かに一理ある。魔女は魔女だ。魔法を使うのは魔女の領分だ。

 でも、だからこそ、あたしにはわからない。小金井が一体何を考えているのか、さっぱり見当もつかない。

 何を隠そう、ここに来るまでの間にあたしは小金井からすべての話を聞かされたのだ。 

 どれくらいすべてかと言うと、これくらい。

 曰く、小金井は『恋人』のカードを持つ『恋の魔女』である。

 曰く、用いるのは人心を自在に操る『魅了魔法』である。ただし魔女には効かない。

 曰く、スォードは弓矢。素人の小金井が使っても、適当に狙えば適当に当たるらしい。

 困惑するあたしをよそに、魔女にとって生命線ともいえる自分の情報をすべてしゃべってきたのだ。頼んでもいないのに、自分から。

 ついでに言うと、すでに葡萄ヶ丘高校の全教員、全生徒は無意識的に小金井の支配下にあるそうだ。指先一つで靴の裏を舐めさせるくらいたやすいらしい。そのたとえはどうかと思ったけど、そんなことにいちいちツッコんでいる場合じゃない。

 さて、果たして小金井は何をしたいんだろうか。あたしは途方に暮れて、小金井に直接問いかけてみることにした。

「小金井。あんた、何がしたいのさ?」

「うふ。何を、とは?」

 小金井は薄い微笑みを浮かべて小首をかしげる。かわいい動作なんだけど、こういう場面ではちょっと怖い。黒髪おかっぱ和風美人の小金井がこういう仕草をすると、なんとなく和風ホラーっぽい気がする。

「なんであたしに全部しゃべっちゃうのさ。あんたも勝手にあの黒猫に魔女にさせられたんだよね? 噂によると、あたしたち殺しあわなきゃいけないらしいよ」

「あら、そんな噂があるんですか? うふ。びっくりです。初めて知りました」

「こらこら、適当なこと言わないで。ちなみにあたしは昨日すでに襲われたよ。一年B組の相沢由香里。知ってる?」

「ええ、よく存じ上げてます。以前に日野崎さんにお話したこともあったかと思います。むしろ日野崎さんこそよく覚えてらっしゃいましたね。ほとんどご一緒したことのない方だと思いますけど」

「無駄に記憶力いいからね、あたし」

「なるほど。ちなみに、こうして日野崎さんが無事でいる、ということは相沢さんは?」

「死んだ」

「そうですか。やっぱりそういうことなんですね。話には聞いてましたけど、やはりそういう運命になるんですね」

 小金井は目を伏せて悲しそうに言った。

 悲しい、か。あたしはそんなに思わないけど、やっぱりこれはあたしの方がおかしいんだよね。普通は自分が死ぬってわかったら悲しむ。それが人間として当然のこと。

「あたし、魔女に向いてんのかなあ?」

「うーん、どうでしょうか。日野崎さんは全体的なスペックはとても高いですけど、少々優しすぎる気がします。なにしろ、他人のために平然と自分のことを犠牲に出来る方ですから」

「そんなんじゃないよ、あたしは」

 小金井はいつもそう言ってくれるけど、少々的外れだ。

 あたしのこれは謙遜じゃなくて本心。あたしはそんなにいい奴じゃない。自分のことを犠牲にできるんじゃなくて、自分に何の興味もないだけ。いつか死ぬ自分のことを大切にしたって空しいだけだ。そこに意味なんてない。

「うふ。ご謙遜を。私、日野崎さんと初めてお会いしたときのことは今でも忘れられません。あのとき、私は日野崎さんに一目惚れしてしまいましたから」

「よせやい、照れるぜ」

 あたしと小金井が初めてあったのは葡萄ヶ丘の入学式の日だ。あの日も一人でのんびり通学路を歩いていたあたしの目に、ふと一匹の猫の姿が映った。で、後ろからは通学バスが迫ってくると。あとはお決まりのパターン。あたしは鞄を放り投げて猫に走り寄って拾い上げた。タイミング的には危なかったけど、結果的には通学バスのブレーキが間に合ったおかげであたしは助かった。小金井はそのバスの先頭に乗ってて、一部始終を見ていたのだと、そのあと教室で聞いた。

「ちなみにマジですから」

「え? 何が?」

 昔のことを思い出してたら、小金井の言葉を聞きそびれてしまったようだ。

 マジです? 何がマジなんだろう。

「私が日野崎さんのことを大好きだってことです」

「……はい?」

「日野崎さん、私と付き合ってください」

「付き合うって、どこまで?」

「そんなボケはいりません。男の人と女の人がするようなお付き合いです」

「あたし、男子によく『日野崎さんはオレたちよりよっぽど男らしいっす。兄貴って呼んでもいいっすか!』とか言われるけど、それでも一応女よ」

「うふ。知ってます。ちなみに、私は男っていう汚らしくて頭の悪い生き物は大嫌いです。女の子の方がずっと好きです」

「小金井、いつも男子としゃべってんじゃん」

「あれは社交辞令です。それも分からず、あの程度の気遣いを好意と勘違いして愛の告白をしてくるんですよ。あんな軽薄な生き物、好きになれるわけないじゃないですか」

 まあ、小金井のあの「うふ」って微笑みを見せられたら、男どももそりゃ勘違いの一つや二つくらいはするって。女のあたしでもかわいいって思うもん。

「……もう一回聞くけど、マジ?」

「マジです。日野崎さん……いえ、麻衣さん!」

「は、はい!」

 小金井の真剣味に押されて思わず返事をしてしまう。

「私と……私と結婚を前提にお付き合いしてくださいっ!」

 ツッコミどころが多すぎる。多すぎてどこからツッコんでいいのかわからない。

 ちなみに、あたしはお笑いには意外とうるさい。

 テレビでお笑い番組を見ているとき、春ちゃんに「腰が入っていないツッコミはダメ」とか熱弁を振るってる。

 でもいつも春ちゃんは「お姉ちゃんはボケだと思うよ。天然ボケ」と返してくる。いまいち納得しかねるけど、今はそんな評価を覆すチャンスだ。

 春ちゃんはいないけど、小金井相手にあたしのツッコミ技術を見せ付けてやる。

 あたしはキュッと腰をひねり、裏拳の要領で何も無い空間に向かって平手を繰り出す。

「さすがに結婚は無理だってっ!」


 ベシッ


「ぐえっ!」


 ドンッ。


 ……あれ?

 何も無い空間をはたいたら、なにやら人間の体を叩いたみたいな手応えがした。

 同時にすぐ後ろで聞き慣れない人間の声がして、何かが地面にぶつかったような音と衝撃があたしに伝わってくる。

 目の前では小金井が目を丸くしていた。

 そこから読み取れる感情は、驚きと……恐怖?

「う、う、後ろです、日野崎さんっ!」

 小金井が叫んだ。あたしはおそるおそる振り返って自分の後ろを確認する。

 変な格好をした女性が、手で顔を押さえながら地面の上に転がっていた。

 何が変って、まず髪型が変だ。黒と茶と金とが入り混じった長い髪が、たくさんの細い編み込みにまとめられている。いわゆるドレッドヘアに近いけど、それにしては長い。肩甲骨くらいまである。ケアをサボっているのか、あちこちほつれかかって枝毛も多い。なんとなく、ライオンのタテガミを思わせるものがある。

 ついでに言うと、服装もだいぶ変だ。着ているのは葡萄ヶ丘高校のセーラー服なんだけど、そもそもサイズが合っていない。やたらと大きな胸に引っ張られておへそが丸見えだ。それに加えて、どんな着方をしたらこうなるんだろうってくらいに汚れてボロボロになっている。全体的に布が擦り切れている上に、キレイな紫色のはずの襟とリボンは全体的に黒っぽい汚れに覆われている。よく見るとその汚れはセーラー服のあちこちに飛び散っていた。あたしはその正体に気付いて戦慄を覚える。

 これ、もしかして……返り血?

 さらに気付いたことがある。女性の足元に、一匹の黒猫がちょこんと座っていた。

 私は自分が思ったよりはるかに危険な状況に陥っていることを理解した。

「スォードっ!」

 車輪を召喚してじりじりと後退する。車輪は私の隣に浮かび上がり、すぐに高速回転を始めた。私の焦りが表れてるみたいに鋭い回転を見せる。

 女性は地面に転がったままウンウン唸っている。すぐにでも襲いかかってくるような気配は無い。だが、油断はできない。

 あたしは小金井のそばまで下がり、彼女をかばうように前に立つ。

「……小金井、こいつどっから出てきた?」

「あ、あっちです」

 小金井の手はおずおずと上を指差した。

 上を見上げる。左側の校舎は四階建て。その屋上のフェンスの一部が、奇妙な形に歪んでいた。あそこから音も無く落ちて……いや、降りてきたのか?

「い、いきなり降りてきたんです。そ、それで、気が付いた瞬間には日野崎さんの右手があの人の顔を叩いてたんです」

 小金井は相当混乱しているようで、しゃべり方がしどろもどろになっている。

 つまり、こういうことか。

 あたしがたまたまツッコミを入れてなかったら、あたしは不意打ちされて為す術もなくやられていた、と。そういうことか。

 冗談にしては悪趣味すぎる。いくら強運だからって、これはないだろう。

「……恐れ入ったわ。あたしのツッコミスキルがここまでとは知らなかった。お笑い芸人の道にでも進もうかな」

「なあにが芸人だ? あ? まったく油断も隙もねえ嬢ちゃんだ」

 女性がむくりと起き上がった。

 デカい。身長が百六十あるあたしよりもさらに頭ひとつ高い。きっと百八十くらいはあると思う。こんなに背が高い女の人を、あたしは初めて見た。バレーボールの選手とかにならいそうだけど。

 その顔には獰猛さを全面に押し出した恐ろしげな笑みが浮かんでいてる。

「ひ、日野崎さん……」

 小金井があたしの服の裾をつまんできた。手がカタカタ震えている。無理もない。

 無駄に肝が据わっているあたしと違って、小金井はごく普通の女の子だ。こんな修羅場に出くわしたことなんてないんだろう。

 守らなくちゃ。

 何があっても小金井のことは守ってみせる。

 あたしはその決意とともに、目の前の魔女をにらみつけた。

「あんた、何者?」

「あん? 嬢ちゃんよぉ。人に名前聞くんなら、先にテメエから名乗れや。オレ、オマエらより年上だぜ?」

「……あたしは三のAの日野崎麻衣よ」

「オレは千尋佐織ってモンだ。なんなら『力の魔女』って呼んでくれてもいいぜ。ちなみにここの生徒じゃねえからよろしく」

 センジンサオリ。

 まったく聞いたことの無い名前だ。ちらっと小金井に目をやったが、彼女もふるふると首を振った。事情通の小金井が知らないということは、少なくともウチの生徒ではない。そもそもこんな格好していたら校則でアウトだしね。

 しかし、小金井もそうだけど最近は魔女の間で情報公開がブームなのだろうか。自分からカードを明かしてくれるなんて、誰も彼もまっすぐで善人すぎる。少しは相沢由香里を見習うべきだと思うね。あの子はカードはおろか、姿すら明かしはしなかった。

「いやー、ヤベえヤベえ。上から降りて不意打ちかましてやろうと思ってたんだけどよ、さすがに反撃されるとは思ってなかったわ。なかなかやるねえ、嬢ちゃん」

「降りて? 落ちての間違いじゃないの。思いっきり地面にぶつかってたじゃない」

「オメエに体勢崩されたおかげで着地に失敗したんだよ、ボケ。おかげでほんのちょっとだけ痛かったじゃねえか」

 ほんのちょっと?

 四階から落ちて着地をミスしたら、どう考えてもほんのちょっとじゃ済まないような気がするんだけど、あたしの気のせい?

 でも、確かにこの女性にはどこかを痛めた様子はない。ピンピンしている。

 こいつはそういう魔法を遣う魔女なのだろうか?

 あんまり良くない相手だ。こいつはお世辞にも善良な一般市民って感じには見えない。特攻服を着て暴走族のレディースにいてもあたしは驚かない。そんな奴に真正面から格闘戦を挑まれたら、あたしと小金井じゃ太刀打ちできない。

 あたしは小声で小金井に声をかける。

「小金井、あんた逃げなさい」

「そ、そんな。そんなことできませんっ」

 裏返った声で小金井が返事をしてくる。声がデカいっての。

「いいから聞きなさいって。あんたがここにいたって出来ることなんて何もない。むしろ足手まといなの」

「で、でも……」

「あたしのことは心配しないで。とりあえずあんたが逃げるくらいの時間は稼げる自信はあるから。あんたはここを離れて……遠くから援護してちょうだい。あんたのスォードは弓矢なんだよね? なら、それに合った動きをしなさい。でないと、死ぬだけよ」

 最後だけ声を低くして告げる。小金井は今にも泣きそうな顔をしながら、こくりとうなづいてみせた。

「いい子ね。あー、そうそう。あんたへの返事はこれが終わってからってことでいい?」

「し、死なないでくださいね、日野崎さん」

「人の心配する暇があるなら自分の心配をしなさい。ほら、早くっ!」

 あたしは小金井の胸をドンと押した。小金井はちょっと体勢を崩したあと、こちらに背を向けて走り出した。

「おいおい、誰も逃げていいなんて言ってねえぜっ!」

 サオリと名乗った女性が動く。

 ぐぐっと深く身を沈めたかと思うと、その低い姿勢のままで猛然と走り込んできた。

 その動きにあたしの頭も体もはまったくついていけない。格闘技に全然興味の無いあたしでも、この動きが相当人間離れしていることは分かる。人間というより、犬とか猫とかが獲物を襲うときの体勢に近い。

 サオリはその低い姿勢のまま、あたしの足元まで一歩で距離を詰めてきた。

 マジで? 今、一歩で五メートルはあったじゃん!

 びっくりして、思わず半歩下がる。

「あっ」

 退いた左足が小石か何かを踏んづけた。つるっと足が滑って上半身が後ろへと傾く。

 まずい。

 そう思ったあたしの目の前を、ブオンと風切り音を立ててサオリの左足が通り過ぎた。まさに紙一重。前髪が何本か千切れ飛んだ。

 地を這う姿勢から繰り出されるハイキック……だと思われる。動体視力が良くないあたしには正確にはわからない。

 偶然小石を踏んづけていなかったら、この長い足はあたしの頭を直撃していたはず。

 当たってたら間違いなくノックアウトだったろう。避けようと思っても、こんなの普通なら絶対に避けられない。

 あたしは体勢を立て直すことを諦め、そのまま上半身を後ろにぐいっと倒した。右足は踏ん張ったまま、体を反らせて両手を地面に突いた。体操のブリッジをするような姿勢になる。

 その反動を利用して、今度は左足を思いっきり振り上げた。

 振り上げたつま先が、サオリの顎に突き刺さる。

「ぐあっ!」

 サオリがうめき声を上げてよろめく。

 これ、なんて言うんだっけ? 確かプロレスの技にあった気がする。うちのお父さんは格闘技が好きだから、昔はよく見せられたもんだ。最近は春ちゃんとの兼ね合いもあって控えてるけどね。

「よっとっと」

 足を振り上げた勢いを止められず、あたしの体は逆立ちしながら宙を一回転した。まるで体操選手みたいな華麗な動きを見せる自分にびっくりだ。。

 着地は無事成功。あたしは元通り二本の足で地面に立つ。

「テメエ、なんて動きしやがる。今の蹴り、普通の人間だったらKOされてるぜ」

 サオリは顎をさすりながらこっちを睨みつけてくる。

 どう考えてもそれはあたしのセリフじゃん。

 そうツッコミを入れたいのをぐっと堪えて、ハッタリをかます。

「ほら。あたし、こう見えても格闘技やってるから。結構強いんだな、これが」

「そんな貧弱な体でか? 何やってんだよ」

「あんたに教える義理なんてないわ」

 ちなみに、あたしの格闘技経験はゼロであるのであしからず。あと、そうそう。さっきのはサマーソルトって言うんだっけか。なんでそんな変な名前なんだろーね。

 チラッと後ろを見ると、ちょうど小金井が校舎の角を曲がるのが見えた。

 よしよし。これであの子はとりあえず安心だ。あたしはサオリに目線を戻す。

「そういやよお、その横にあんのはなんだ?」

 サオリがあたしの横で回っている車輪を指差して聞いてきた。まあ、普通は疑問に思うよね、これ。何の役に立ってるか分かんないだろうし。

「これ? これは幸運のおまじないよ」

「ふーん。まあ、どうでもいいんけどなっ!」

 ぐっと身を沈めて再び突進してくる。

 あたしは無造作に右足を振り上げた。適当に繰り出された蹴りは、偶然にもサオリの右目を直撃する。

「痛えんだよっ!」

 サオリは一瞬だけひるみ、今度はそのまま右足のかかとを両手でつかんでくる。

 つかまれた瞬間、靴がすぽんと外れた。

「おっとっと」

 あたしは体を捻って、掴まれかけた右足を地面に下ろす。そんでもって、今度は左足を後ろ向きに思いっきり振り抜いた。

 手応えあり。左足の踵がサオリの頬を打ち抜いた。

「クソッタレがっ!」

 サオリは一瞬だけ地面に手を突き、すぐに跳ね起きた。

 あたしはそれを見て三歩ほど下がる。

 三メートルほどの距離を挟んで、あたしたちはまた正面から対峙する。

「意味わかんねえなあ、オメエ。よくもまあ、ここまでオレの攻撃を防げるもんだ」

 どうやら感心されているようだ。

「オレの攻撃をここまでさばけるヤツなんて、シティバウトでもそう多くはいなかった。魔女ってのはすげえなあ、おい」

「シティバウトって何?」

 聞きなれない単語に、思わず聞き返す。

「シティバウトってのはようケンカだよ、ケンカ。武器を使わねえで、自分たちの拳だけでやる正々堂々のタイマンだぜ。いつもそのへんでやってんじゃねえか。知らねえのか、嬢ちゃん?」

「全然。あたし、ケンカとか嫌いだし」

「でも格闘技は習ってんだろ?」

「護身術程度にね。他の人を傷つけて喜ぶような趣味、あたしには無いから」

「よく言うぜ。オレの顔面に二回も蹴りをくれやがったクセに」

「それはあんたの自業自得じゃん。正当防衛ってやつよ」

 そう、これは正当防衛だ。

 あたしは襲い掛かってくる相手に対して、なんとなく抵抗を試みているだけ。それだけで、相手は勝手に自滅してくれる。

 あたしの隣に浮かぶ運命流転の車輪。あたしが運命に身を委ねる限り、あたしには自分に都合の良い結果しか起こらない。あたし1人なら、あたしは誰にも負けない。

「やっぱオメエはいいな。嬢ちゃん。今まで三人の魔女をぶっ殺してきたけどよ。オメエがダントツでいいぜ」

「そんな褒め言葉はいらないんだけど」

 三人か。まだゲームが始まって三日目だから、これはかなり早いペースだと思う。偶然出会うのを待っているにしては多すぎる。こいつ、魔女の位置を見つけられるセンサーか何かを持ってるのかもしんない。

「まだまだ行くぜ、嬢ちゃん。オレを退屈させんなよ?」

 性懲りもなくサオリが突進してくる。

 あたしはその攻撃を、なんとなく思うがままに動いて跳ね返す。

 正面からの右ストレートはちょっと首をかしげたら避けられた。勢いのまま、密着した相手の脇腹に思いっきり膝を叩き込んでやる。

 こめかみ狙いの左フックはすっと身を逸らして避けた。そのまま肘鉄を返す。

 前蹴りに至っては、繰り出した瞬間に相手が勝手に転んでくれた。ローファーの踵でその足を思いっきり踏んづけてやった。

 楽ちん、楽ちん。あたしには緊張も不安も何も無かった。小金井を守ろうとするならともかく、あたし一人の身を守るだけでいいならあたしは無敵だ。運命に身を委ねて立ち回れば、常に最善の結果しか起こらない。

 こいつのタフさには呆れるばかりだけど、こうしてやり合っている限り、先に音をあげるのはこいつの方だろう。あたしは何も考えずに体を動かし続けていればそれでいい。

「ちくしょうめっ! なんなんだよ、オメエっ!」

 またパンチを空振りしたサオリが叫ぶ。あたしがトンと胸を押してやったらバランスを崩して倒れた。しかし、こいつはすぐさま立ち上がり、ファイティングポーズを取る。

 本当にタフな奴だ。これだけ立ち回っても息一つ切らせていない。力の魔女と名乗るだけのことはある。もしかしたら肉体が強化されてるのかもしれない。

 別に関係ないけどね。絶対に攻撃をもらわない以上、持久戦ならあたしに有利だ。

 あたしは肩の力を抜き、ゆったりと構える。

「もしかしたら、あたしって強い?」

「……その根性はキライじゃないぜ、嬢ちゃん。もしここが街角なら仲良くのんびり茶でも飲めるかもしんねえ。だが、悪いね。今のオレは魔女で、あんたも魔女だ。殺さないと、生き残れねえんだ」

 生き残りたい? ふーん。こいつもやっぱりそう思ってるのか。

 まあ、思想は人によって違うものだ。あたしがどうこう言ういわれはない。

「さーて、まだまだこれからだぜ、嬢ちゃん? 今のオレはちっとばかしタフだからよ。オメエの足が止まっ……」


 ザクッ。


 そんな音がして、サオリの動きと声が止まった。

 サオリの左の脇腹から、ピンク色の輝きを放つ棒状の何かが突き出ていた。

「なんだ、こりゃ?」

 棒状の何かが刺さっているところからは、鮮血がドクドクと流れ出す。サオリの上半身がぐらっと傾き、しかし、ぐっと踏みとどまる。

「ひ、日野崎さんっ!」

 あたしはサオリの後ろに目をやった。

 そこには短い弓を構えた小金井が立っていた。小金井のスォードは弓矢。それはすでに聞いている。向こう側にいるということは、きっと校舎の中を突っ切って反対側から出てきたんだろう。そして、あたしの援護をしてくれた。

 そこまでは問題ない。作戦としては間違ってない。

 だけど、小金井。

 今のはまずい。その位置はまずすぎる。

 そこでは……そこでは、敵に近すぎるっ!

 サオリが体を傾けたまま、右手で矢を引き抜いた。プシュッという音を立てて矢は空中に消えた。ゆっくりと体を起こしたサオリの目は凄まじい殺気を放っている。

「なんだこりゃ。痛えじゃねえか、ああ?」

 サオリはあたしとは目を合わせず、ゆっくりと振り向いた。

「なんだ、さっきの嬢ちゃんじゃねえか。後ろから不意打ちとはねえ。汚ねえ真似してくれるじゃねえか。そんなに早死にしてえのか?」

「ひっ」

 小金井が短く悲鳴を上げた。体がガチガチに強張っているのが、ここからでも見て取れる。まさにヘビににらまれたカエルの状態になっているのがわかる。

 鈍感なあたしでさえ緊張を覚える相手だ。あたしと同じくらいケンカ慣れしてなくて、しかもあたしよりも普通の女の子に近い小金井が戦えるはずがない。

 だから逃がしたのに……なんで戻ってきたのか。

 しかもこんなすぐ近くに!

「逃げてっ!」

 あたしの叫びも小金井の体の硬直を解くには至らなかった。小金井の足はガクガク震えている。無理だ。小金井は逃げられない。

 サオリがくるりと顔だけで振り向いて言った。

「ちょっと待ってろや、嬢ちゃん。先にそこの魔女をぶっ殺してから、またオメエの相手はしてやっからよ」

 サオリが一歩、小金井の方へと踏み出した。脇腹の出血はもう止まっている。

 ……迷っている暇はない。

「待ちなさいっ!」

 あたしは傍らの車輪に手を右手を当て、そのまま前へと駆け出す。

 回転する車輪を右手の手の平に収め、それをサオリの無防備な背中に打ちつける。

「アホか」

 あたしの攻撃はサオリにあっさりかわされた。左側に一歩動いたサオリは、そのまま身を捻って左の拳の甲をあたしの側頭部にぶつけてきた。

 ガツン、という音が頭に響く。殴られたことはわかったけど、それ以上はわからない。

 頭がクラクラして立っていられなくなり、ふらふらと体がよろける。

「日野崎さんっ!」

 小金井の悲鳴が耳に届いた。

 まずい。このままだと、あの子はこっちに来かねない。

 ここで意識を失うわけにはいかない。

 グッと歯を食いしばってこらえた。奥歯が割れるんじゃないかってくらい力を込めて、倒れようとする体を無理矢理押しとどめる。

 頭が痛い。意識が揺らぐ。

「おいおい、どうしたよ? 今のはずいぶんとあっさり入ったぜ」

 ぼやける視界の中で、サオリがこっちを向いた。

 私はありったけの気合を込めて叫ぶ。

「逃げろっ! 小金井っ! いいから逃げろっ!」

「……っ!」

 人間、危機的な状況に陥ると周りの言葉には素直に従うものだと聞いたことがある。

 今まさにそんな状況に置かれているであろう小金井は、一目散に後ろへ向かって駆け出して行った。その表情は見えない。今のあたしには、遠すぎて見えない。

 あたしは塀の前まで下がり、そこに肩を預けた。日陰で湿ったブロック塀の冷たさが、あたしに少しだけ冷静さを取り戻させる。

 あたしはサオリへと目を向けた。

 ギシギシと痛む頭を手で押さえ、必死に目の前にいる敵をにらみつける。

「いー表情だぜ、嬢ちゃん。そういう人間らしい表情が見たかったんだよ、オレは」

「何よ、あたしは人間らしくなかったっての?」

 あまりにもの痛みに涙がこぼれそうだ。ギリギリの線で耐え切り、軽口を叩く。

「カラクリが見えてきたぜ、嬢ちゃん」

「なによ、それ」

「オメエの使う魔法だよ。さてはオメエ、自分の身を守ることしかできねえな?」

「は? なにいってんの?」

「オレはバカだからよくわかんねえけど、たぶんオメエの魔法はオメエに攻撃した相手を返り討ちにするためのモンなんだろ。だから、自分から攻めたら発動しねえ。違うか?」

 正解だ。

 運命の魔女の駆使する『運命魔法』は自分のためにしか作用しない。あたしが宝くじを買えば一等に当選する。あたしが体を動かせば相手の攻撃は必ず外れて、あたしが適当に振った攻撃は必ず相手に命中する。

 そうやって自由自在に運命を動かすのが『運命魔法』だけど、それはあたしがあたしのために動いているときにしか作用しない。あたしの身を守るためにしか作用しない。

 友達を助けようとして自らを犠牲にする。

 そんな運命に逆らった行動を取る奴に、運命の女神は微笑まない。

「さて、どうするよ、嬢ちゃん」

 サオリはにやりと笑いを浮かべて言った。

「オメエには二つの道がある。一つはオレがさっきのヤツを追いかけるのを黙って見逃すこと。もう一つは、それを止めるためにオレに殴りかかること。さあ、どっちにするよ。オレはどっちでもいいぜ?」

 塀に体を預けたまま、あたしは必死に頭を巡らせる。

 あたしがこのままじっとしていたら、こいつは間違いなく小金井を殺しに行く。その間にこの場を離れればあたしは助かる。運命に身を委ねるというのはそういうことだ。自分からは決して動いてはいけない。あたしの中で、誰かがそう告げている気がする。

 でも、そんなのは嫌だ。無様に長生きしたいなんてあたしは思わない。

 あたしには、自分が生き残るために友達を見捨てるなんて出来ない。

「選ぶまでもないわ」

 塀から身を離し、二本の足で立つ。

 頭がぐわんぐわん唸りを立てている。痛みはいつまで立っても止まらない。

 それでも、あたしは目の前の敵に向かって一歩前に出る。

「あたしの友達には、指一本触れさせないわ」

「……ホントに最高だぜ、嬢ちゃん。オメエ、最っ高にイケてるぜ」

「あっそう。どうでもいいわ」

 あたしは再び無謀な突進を試み、そしてなす術もなく塀へと叩きつけられた。

 当たり前だ。運命の加護が無ければ、あたしはただの非力な女子高生に過ぎない。街中でケンカしているチンピラに勝てる道理はない。そんなことはわかっている。

「うぐっ」

 ビチャッという音がして口から血が出てきた。セーラー服の襟元が真っ赤に染まる。

 あーあ、春ちゃんに怒られるな、これ。

「さーて。どうだい嬢ちゃん。オレはそろそろあっちを追いかけてもいいかい?」

 サオリが指で小金井が逃げた方向を指す。小金井はどうしているだろう。さすがに今度こそ遠くへ逃げていると信じたい。また戻ってきたりしたら絶交してやる。

「冗談。あんた、バカ?」

 あたしは三度目の無謀な突進を試みて、今度は地面へと叩きつけられた。

 サオリはそんなあたしを見下ろしながら、決して追撃をして来ようとはしない。

 こいつ、賢いな。あたしに攻撃を加えるには、あたしが自分から動いているときを狙うしかない。そのことをよく理解している。お世辞にも勉強が出来るようなタイプには見えないけど、頭の回転は早いのかもしれない。まったくもって性質が悪い。

「どうした、もうお終いか?」

 上から降ってくる言葉に反抗したくて、立ち上がろうとした。でも、あたしの体は思うように動いてくれない。手足がバタバタ動くだけで、それ以上に力が入らない。

 全身を襲う痛みはあたしの限度をとっくに越えて、最早感じなくなっている。自分の体が今どういう状態なのか、まったくわからない。

 たった三回の攻撃で、あたしは息絶えようとしている。

 ほら、やっぱり最初に思った通りだ。あたしなんかが勝ち残れるわけがない。だって、この期に及んでなお、あたしには「生き残りたい」って意志がないんだもの。生きようとする意志を持たないあたしが、このゲームで勝てるわけがないんだ。

 そんなこと、最初から分かっていた。

 まあ、いいや。友達のために死ぬのなら、それはそれで構わない。

 悪くない死に場所だよね、これ。

「あー、こりゃもうダメかね、嬢ちゃん?」

「……無理ね。もう助からない」

「ずいぶんとまあ冷静なことで。オメエ、死ぬのが怖くねえのか?」

 怖いわけがない。人はいつか死ぬ。早いか遅いか。ただそれだけの違い。

「あんたは、どうなの?」

「あん?」

「死ぬの、こわい?」

「ああ、怖いね。オレは死にたくなんかねえよ。人間は死んだらそこで終わりだ。汚ねえ坊主どもがなんと言おうと、あの世に救いなんかねえよ」

「そう。そうかもしんないね」

 意識が遠のいていくのがわかる。夜寝る前にふっと意識が薄れていくのに近い。

「あー、嬢ちゃん。まだしゃべれる元気があるかい?」

「……なに?」

「何か言い残すことがあるなら聞いといてやるよ。オマエは何もかもが最高にイケてた。だから、せめて最期の言葉くらい聞いてやるよ」

 さいごの、ことば。

 あたしは消え行く意識をぐっと捕まえて、口を開く。

「じゃあさ、伝言」

「あん?」

「伝言、お願いしてもいい?」

「伝言だあ? まあ、いいぜ。言ってみな」

 死ぬことに未練は無い。

 でも、たった一つだけ……たった一つだけ思い残すことはある。

「妹にね、伝えてほしいの。今日、あたしは帰りが遅くなるって。だから晩御飯は先に食べていいよって。そう伝えて欲しいの」

「おいおい、それだけか?」

「春ちゃん……あたしの妹はね、あたしが帰ってくるまでずっと玄関で待ってるの」

「なんだそりゃ」

「かわいそうだから、それだけ伝えてあげて」

「なんだかよくわからんが……まあ、いいだろう。オメエの頑張りに免じて、ちゃんと伝えてやるよ。約束だ」

「ありがと。あんた、優しいんだね。見かけによらず」

「一言余計だ、クソヤロウ」

 あたしはつかんでいた意識を手放した。

 さよなら。


※『Ⅵ 恋人』

魔女…小金井恋子。十七歳。

ワンド…「魅了魔法」 魔力を持たない人間を自身の意のままに操る。

ペンタクル…「心の壁」 自身の精神に作用する魔法を無効かする。

スォード…「矢要らずの弓」 魔力の矢を生成し、放つ弓矢。


※『ⅩⅠ 力』

魔女…千尋佐織。十八歳。

ワンド…「霊獣魔法」 魔力を使い、自律活動できる霊獣を生み出す。

ペンタクルス…「回復」 自身の怪我・病気を瞬く間に治す。

スォード……「鋼の身体」 人間離れした身体能力が武器である。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


当方、こちらのサイトでは初投稿です。

何かと拙い部分があるかと思いますが、何卒ご容赦くださいませ。


誤字脱字・改行ミスなどありましたら、都度ご指摘いただけると助かります。

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