表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第18章 フレッシュ大学将棋:2日目(2016年5月29日日曜)
94/487

93手目 放蕩息子

 パシリ


挿絵(By みてみん)


 2八歩――とりあえず叩いた。

「同飛」

 氷室ひむろくんは、すぐに払った。横に逃げる順はなかったのだろうか。

 宗像むなかたくんは、追撃するように5五歩と打つ。

 4五歩、5六歩、4四歩。

 取り込み合いが終わり、宗像くんが長考に入る。

「8七銀コースのようじゃな」

 土御門つちみかど先輩は、扇子せんすを閉じて口もとに当てた。

「となれば、さきほどの局面が詰むかどうかじゃ。ここからは一直線じゃろう」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 私たちは詰将棋を始めた。

 まず、2四飛が第一感よね。2四飛、同銀、4三歩成と開き王手して、王様が逃げるのは全部詰みだから(1三玉は2二銀、1二玉、1一銀成と突っ込んで行けば詰むし、それ以外の逃げ方は金打ちからもっと簡単に詰む)、3三に合駒が必要。香、桂、銀打ちは2三金、同玉、3二銀、1二玉、2三金までの詰み。かと言って、飛車合いは3二金、1二玉(1三玉は2二銀、1二玉、1一銀成、1三玉、1二金、2三玉、2二金左で詰み)、2三銀、1三玉(同玉は3三と、同銀、同角成、同桂、2二飛、1三玉、2三金まで)、1四銀成、同玉、1五香、同銀、同歩、1三玉、1四銀、1二玉、2二金打まで。残された手段は、駒を打たずに3三銀引で受ける手だけど、これは3二金、1二玉、2三金、同玉、3三と、2四玉、2五銀で詰み。

 つまり、2四飛、同銀、4三歩成は先手の勝ちだ。となると――

 

【参考図】

挿絵(By みてみん)


 こっちのほうが本命かなぁ。2四飛、2三歩の受け。

 第一感、詰ませるのは困難な気がする。

「2三歩で受かってませんか? 継続手がないような……」

 私のひとりごとに、ほかの先輩たちも反応した。

「詰み筋は、いろいろあるぞい。3二金捨てが有力じゃ」

「3二金ですか? 1三玉だと……あ、1四飛で詰みますね。1二玉で?」

「1二玉は1三銀、同桂、2二金打、同銀、同金、同玉、4三歩成じゃ」

 なるほど、桂馬を退かせれば、開き王手で詰むわけか。

「単純に3二同玉だと、どうですか? 駒が足りなくありません?」

「わしもそれを読んでおるのじゃが……もこっちは、どうじゃ?」

 土御門先輩、速水はやみ先輩に丸投げ。

「4三歩成が有力だと思うわ」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 このコメントを聞いて、藤堂とうどうさんは眼鏡のつなぎ目部分を押し上げた。

「それは詰まんな。2二玉と逃げると、さっきの1三銀、同桂、3三角成の順で詰んでしまうが、同玉と強く取って問題ない。以下、4四香なら安全に5二玉と引いていい。先手玉は駒の渡し過ぎで、寄せを解除できない」

「オールバック眼鏡、ダウト。3三角成は?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 藤堂さんは、眉間にシワを寄せた。

「角捨てだと……?」

 私も今の順を読んでみる。

 5四玉と上に逃げるのは、6四金の一手詰み。だから5二玉と逃げて……ん? 簡単に詰みそう? 5三銀と打ち込んで、6一玉、6二銀成、同玉、5三歩成、同玉、6四金、6二玉、6三金打、7一玉、7二銀、8二玉、8三歩成、9一玉、9二香までだ。香車が余っているから、打ち歩詰めを回避できている。

 だったら、3三の馬を取るしかないわね。3三同桂か同玉で……同桂の場合は、一瞬5三金と打ちたくなるけど、それは3二玉から逃げられる。4四歩と叩くのが急所。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 以下、同玉なら4五香と打って、同桂(5四玉は6四金、5五玉、6六銀打、4六玉、4七銀まで)、3五銀、5四玉、3四飛と飛車が進出して終わり。5四玉のところで4三玉は2三飛成。3三玉は3四飛で、いずれにしても助からない。例えば、4三玉、2三飛成、3三合駒、5三金、同金、同歩成、同玉、3三龍、4三合駒、4四銀とか、3三玉、3四飛、4二玉(2二玉は3三銀、1二玉、1三金、同玉、1四飛、同玉、1五歩、1三玉、1四歩、1二玉、1三歩成、2一玉、2二とと押し込んで詰み)、5三金、同金、同歩成、同玉、3三飛成とか。

 4四歩に5四玉と逃げるのは、4三銀と後ろから打って、6三玉に6四歩が好手。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 取るのは5四金、6五玉、6六銀打で詰みだ。よって、7二玉と下がるけど、6三銀、同金、同歩成、同玉をもう一回6四歩と叩いて勝ち。以下、7二玉、6三金、8二玉、8三金、9一玉、9二香まで。打ち歩詰めにならないという寸法(6四歩のところで6三香は、7二玉、6二香成、同玉、5三銀、7一玉、6二金、8二玉、8三金、9一玉で打ち歩詰め)。

 ふぅ、疲れた。ここまで、時間を使って読んでみた。詰み筋は多い。

 でもでも、3三同玉と取っちゃえば、終わりなのでは?

 藤堂さんもおなじ読みをしたのか、不敵な笑みを浮かべた。

「3三同玉で問題ない。まさか飛車も捨てるというのか?」

「そのまさかよ。3四飛、同玉、3五香で詰むわ」

「3四飛、同玉、3五香か?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 え? これで詰むの? 左が広すぎて……いや、そうでもないか。

 歩の拠点が2箇所あるし、肝心の7八馬は5六歩が邪魔で働いていない。

 藤堂さんも真剣に考え始めた。

「4三玉は5三金、同金、同歩成、同玉、6四銀で、ぴったり足りているわけか……しかし、4四玉は、どうだ? 4五銀なら4三玉、5三金以下でバラバラにしても詰まん。4六歩もあるが、5五玉と逃げて、6四銀、5四玉なら詰ま……待てよ」

 藤堂さんは、あごに手をあてて黙り込んだ。

「……4四銀と逆から打てば詰むか」

「そうね。4四銀、5四玉、6四金までよ」

「4六歩に4三玉は、5三金と打って当然に詰む……5四玉のスライドだな」

「たしかに、それなら詰まないわね……じゃあ、4四玉に5三銀は?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ああッ! 詰んでるッ!

 同金、4五銀、4三玉、5三歩成、同玉、5四銀だッ!


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 同玉は6四金、4三玉、5三金打、4四玉、5四金引まで。

 6二玉は6三金、7一玉、7二金打で普通に詰む。

 最初の5三銀に5四玉は、4四金、5五玉、4五金、6五玉、5四銀までだ。

 藤堂さんの眼鏡がズレた。

「詰む……のか……」

「ここまで一直線じゃぞ。東日本勝利への参拝道さんぱいどうじゃ」

 参拝してどうするんですか。でも、これは大きい。

 宗像くんから変えられる手は、ほとんどない。

 

 パシリ

 

 私たちは一斉にふりむく。


挿絵(By みてみん)


 キタ〜ッ! 会場が盛り上がる。

 ところが、対局席の空気は、どこか異なっていた。

 椅子にふんぞり返る宗像くんと、前のめりになる氷室くん。

 氷室くんは両手をテーブルについて、身じろぎもしなかった。

「おい、京介きょうすけ、もう気づいてるんだろ? ……これは先手の負けだ」

 え? 先手の負け? ……盤外戦術に出た?

 さっきのは明確に詰んでたわよ。

 氷室くんは1分考えて、同金と取った。

 残り時間は宗像くんが10分を切っている。圧倒的な差だ。

 私たちが詰みを検討しているあいだ、けっこうな長考をしていた。

 それに、無駄話が多いから、そこで時間がけずれたのもある。

 宗像くんは、そんなことも気にせずに、また関係のない話を始めた。

「あるところに、ふたりの息子を持つ父親がいた。弟は父親からもらった財産で遠い国に出かけたが、すべてを使い果たして豚の世話をして暮らしていた。ある日、悔悛して、ふらりと父親のもとへ戻ってきた。父親はこれを喜び、祝宴をひらいた。父親のところで勤勉に働いていた兄は言った。『わたしは幾年も父に仕え、一度も言いつけに背いたことがなかったのに、子ヤギの一匹もくださったことはありませんでした』……京介なら、これが何の話か分かるだろう?」

「『ルカの福音書』にある放蕩息子の話だ……日本人にはウケが悪い」

「そう、そして俺にもウケが悪い。大いにねッ!」


 パシーン!

 

 宗像くんは、駒音高く8七歩成とした。

 同玉、6九角、7八銀、9七金、同香、同歩成、同桂、同香成。

 私たちの読みどおりに進んでいる。

「同玉」

「7八角成」


挿絵(By みてみん)


 先手玉に詰めろがかかった。

 でも、後手玉は詰む……ん?

「先輩たち、どうしました?」

「……」

 土御門先輩も速水先輩も、返事がない。


 パシリ

 

 ふたたび駒音――2四飛、2三歩、3二金、同玉、4三歩成、同玉、3三角成。

 ここで何かあるの? 同桂も詰むわよ。

「同玉」

 氷室くんは、黙って3四飛と寄った。

 宗像くんは、ゆっくりと王様に指をそえる。

「放蕩息子を受け入れる気はないね……2二玉」


挿絵(By みてみん)


 え? これは即詰みでしょ。

 3二金、1三玉なら1四飛、同玉、2五銀以下だ。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………1二玉だと?

 1三香、同桂……あれ……? 詰まない……?

「しもうたのぉ……盲点じゃった。駒の組み合わせが悪い」

 金銀銀じゃなくて金金銀か金銀桂なら詰むのに……持ち駒が不運すぎる。

「これで詰まないなら、5四歩と角道を開けた時点で悪いわ」

 速水先輩は、同情気味につぶやいた。

 一方、藤堂さんは、

「ははは、やはり西日本勝利の道だったか。先手はもう寄せを回避できん」

 と笑った。宗像くんも笑って、

「京介、どうする? 投了か?」

 とたずねた。氷室くんは右手でこぶしを作り、自分のあごを支えた。

「と言いたいところだけど、チーム戦なんだよね、これ」

「はん、京介らしくないな。俺に負けるのがイヤ、ってだけだろ?」

 氷室くんは黙って3二金と指した。

 盤上に宗像くんの手が伸びる。

「いや、さっきの話で、ひとつ思い出したことがあってね」

 氷室くんの唐突な発言に、宗像くんは手を引っ込めた。

「なにをだ?」

「放蕩息子が帰って来たんだよ」

 なにを急に――ん? 宗像くんの顔色が変わった。

 血の気が引いたように青くなっている。

「おい……まさか……」

 氷室くんは、いかにも申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

「いやぁ、そのまさかなんだよね。帰って来たんだよ、風切先輩が、将棋界に」

 パーンと盤を叩き上げる音がした。駒が飛び散る。女子の悲鳴があがった。

「負け犬の監視はしとけって言っただろぉがああああああああッ!」

 宗像くんは氷室くんの胸ぐらをつかんだ。

 けど、周囲の視線に気づいたのか、ハッとなって手をはなした。

 そのまま藤堂さんのところへ駆け寄る。

「退学するぞ。手続きを教えろ」

「退学ッ!? なにを言い出すんだッ!?」

「東京へ行く」

 肩を怒らせて退室する宗像くん。それを追う藤堂さんと姫野ひめの先輩。

 ドアが閉まり、あたりを静寂が包んだ。


 ピッ

 

 床にころがったチェスクロが鳴る。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! プッ

 

 氷室くんはチェスクロを広あげ、液晶画面を索間さんにむけた。

「時間切れ勝ちみたいですね」

場所:デイナビ主催 東西対抗フレッシュ大学将棋 大将戦

先手:氷室 京介

後手:宗像 恭二

戦型:角換わり腰掛け銀


▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3二金

▲7八金 △3四歩 ▲8八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀

▲3八銀 △7二銀 ▲3六歩 △6四歩 ▲6八玉 △6三銀

▲4六歩 △4二玉 ▲3七桂 △7四歩 ▲4七銀 △3三銀

▲9六歩 △9四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲2五歩 △7三桂

▲4八金 △8一飛 ▲5六銀 △6二金 ▲2九飛 △5四銀

▲7九玉 △6三銀 ▲6六歩 △5二玉 ▲8八玉 △4二玉

▲6七銀 △5四銀 ▲5六歩 △4四歩 ▲5九飛 △3一玉

▲5五歩 △4三銀 ▲5六銀 △2二玉 ▲2九飛 △6五歩

▲同 歩 △8六歩 ▲同 歩 △9五歩 ▲6六角 △5四歩

▲2四歩 △同 歩 ▲2三歩 △同 金 ▲2五歩 △8五歩

▲2四歩 △同 金 ▲4五歩 △8六歩 ▲8四歩 △9六歩

▲4四歩 △同銀直 ▲5四歩 △2八歩 ▲同 飛 △5五歩

▲4五歩 △5六歩 ▲4四歩 △8七銀 ▲同 金 △同歩成

▲同 玉 △6九角 ▲7八銀 △9七金 ▲同 香 △同歩成

▲同 桂 △同香成 ▲同 玉 △7八角成 ▲2四飛 △2三歩

▲3二金 △同 玉 ▲4三歩成 △同 玉 ▲3三角成 △同 玉

▲3四飛 △2二玉 ▲3二金


まで105手で氷室の時間切れ勝ち

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ