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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第18章 フレッシュ大学将棋:2日目(2016年5月29日日曜)
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89手目 背水の陣

 うぐぅ……食事が喉をとおらない。悶絶する。

「なに? こんどは香子きょうこがダイエットしてるの?」

 火村ほむらさんは、トマトジュースをチューチューしながら、そうたずねた。

 ちがうがな。なんでそういう解釈になるかな。

「ごめんね。男性陣が不甲斐なくて」

 矢追やおいくんは、もうしわけなさそうな顔をした。

 ここはデイナビの近くにあるファミレス。

 4回戦を前にして、腹ごしらえというわけだ。

 私のまえには、ラザニアが置かれていた。けど、スプーンは進んでいない。

「こりゃこりゃ、だれが戦犯などと言うことはないぞ。安心せい」

 土御門つちみかど先輩は、パタパタと扇子で顔をあおいだ。

 あなたは指してないから気楽でしょ。速水はやみ先輩はなにも言わないし、どうも当事者と保護者のあいだで温度差があるようだ。まあ、火村さんみたいに当事者で気にしてないのもいるけど。

山城やましろくんって、どういう棋風なんですか?」

 私は思い切ってたずねてみた。土御門先輩は、すこしばかり口をつぐんだ。

「背水の陣じゃから、さすがに教えんといかんな……居飛車党で、矢倉を得意にするタイプじゃ。見た目のとおり、正統派で定跡を重んじておる」

「矢倉党ってわけですね? 受けたほうがいいと思いますか?」

 土御門先輩は、パチリと扇子を閉じた。

「これは1年生の皆に言っておきたいのじゃが、大学での先輩後輩関係は、高校までとは違う。わしらは関東将棋連合のスタッフであって、おぬしらの監督ではない。どうするかは自分たちで考えてみい」

 そんな無責任な。個人競技になってるじゃないですか。

 いや、将棋は個人競技だけどさ。団体戦ですよ、団体戦。

 私が反論しかけたところで、スマホが振動した。

 ちらりと見ると、松平まつだいらからだった。

「ちょっと失礼します」

 私は席を立って、迷惑にならないようにファミレスを出た。

 駐車場のある裏手に回った。

「もしもし」

《もしもし、裏見うらみか?》

「どうしたの? 今、O阪なんだけど?」

《さすがに知ってるぞ。どうなってるか気になってな》

 個人的電話――ま、いっか。

「お昼休憩よ」

 私はここまでの経過を説明した。

《1−2か……やっぱ向こうも強いんだな》

「勝敗が決まるかもしれないところで私の番だから、プレッシャー」

《山城の名前は、聞いたことがある。学生将棋新聞に載ってた。研究家だから、矢倉は受けないほうがいいと思う。最近は進化が早すぎて付け焼き刃じゃ危ない》

「なに? 私の矢倉が付け焼き刃ってこと?」

 松平は、いやそういう意味では、と謝った。私はクスリとした。

「アドバイス、ありがと。ちょっと考えてみる」

《ところで、西日本の大将は誰なんだ? こっちは氷室ひむろなんだろ?》

 えーと……誰だっけ? 私はよくよく思い出そうとした。

「そうだ、宗像むなかた恭二きょうじよ。名前からすると男子だけど、まだ顔も見せてないの」

《ムナカタ・キョウジ? ……聞いたことないな》

 松平の声が遠ざかった。うしろにいる誰かに話しかけているようだ。

三宅みやけ先輩も知らないって言ってる》

「じゃあ、大学デビュー組?」

《大学から西日本代表って無理が……でもないか。小池こいけ重明じゅうめいは大学デビューだな》

 まあ、だれでもいいといえば、だれでもいい。こう言っちゃ悪いけど、宗像くんの相手は氷室くん。彼ならどんな相手でも動揺しないでしょ、多分。

「とりあえず、目の前の対局に集中するわ」

《いい連絡を待ってるぜ》

 

  ○

   。

    .


「対局者のおふたりは、席についてください」

 東日本陣営から私が、西日本陣営から山城くんがまえに出た。

 椅子を引いて着席。盤駒は並べなおしてあった。

「食後でたいへんかもしれませんが、がんばってください」

 索間さくまさんはチェスクロをセットして、テーブルのうえにおいた。

 ちらりと視線をあげる。山城くんのうしろには藤堂とうどうさんたち。

 相手陣営が見えるのは緊張する――けど、条件は山城くんも一緒だ。

 私のうしろには、関東の仲間がついてくれている。

「振り駒をお願いします」

 私たちはおたがいにゆずりあって、私が振ることになった。

「歩が3枚。私の先手です」

「チェスクロの位置は変えなくてもいいですか?」

 私はうなずき返した。索間さんは、コホンと咳払いする。

「それでは佳境に入ってまいりました……第4局、スタート!」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 私たちは一礼して、対局が始まった。

「2六歩」


挿絵(By みてみん)


 この手に、室内の空気が揺らいだ。

 山城くんは、すこしばかり身じろいでから、

「矢倉は受けない、ということですか」

 と丁寧語でかえした。そして、8四歩と突き返した。

 2五歩、8五歩、7八金、3二金、3八銀、7二銀。

「3六歩」

「8六歩」


挿絵(By みてみん)


 いきなり激しい展開になった。

 8六同歩、同飛、7六歩、8二飛(7六同飛は8二歩で桂損になる)。

「指し慣れてる感あり、か……」

 山城くんは警戒し始めた。

 矢倉を避けるために不得手な戦法を使ってる、とは思ってくれないか。

 できれば、勘違いして欲しかったんだけど。

 かと言って、相掛かりの序盤をわざと不器用に指すメリットはない。

「8七歩」

 ここはいったん押さえる。

 山城くんは、ミネラルウォーターのペットボトルを鞄から取りだした。

 ひと口飲んで、すぐに次の手を指した。

「3四歩」

 角道が開いた。慎重に。

 3七銀、6四歩、4六銀、6三銀。


挿絵(By みてみん)


 さて、こちらが先攻できるかたちになったわけですが……攻めない手はないわね。

 相掛かりで後手に主導権を渡すメリットはない。

「3五歩」

 仕掛ける――この手に、山城くんは小考した。

「……同歩」

 同銀、8八角成、同銀、2二銀。


挿絵(By みてみん)


 後手は万全に構えてきた。2四歩なら同歩、同銀、5五角の打ち返しを狙っている。

 私としても、これは予想済みだった。対策は用意してある。一回5八玉と上がって、5四銀なら2四歩、同歩、同飛と指したい。このとき、王様が5九のままだと、1五角の王手飛車がある。相居飛車には、よくある筋だ。

 ちなみに、2四歩、同歩、同銀は、5五角、4六角、同角、同歩に3六角と王手で打ち直しになるのが激痛。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 5九玉は4七角成、4八玉は6九角成がある。これを嫌って4七角は、同角成、同玉に6九角で、こんどこそどうしようもない。5八飛以下、飛車角交換をしたあとで2八飛と打たれるくらいでおしまいだ。

「5八玉」

 私は王様をあがった。索間さんが出してくれた緑茶に口をつける。

 そのあいだも、山城くんの出方をうかがう。真面目に考え込んでいた。

「5四銀」

 ふむふむ、本命で来ましたか。

「2四歩」

「同歩」

「同飛」

 山城くんは持ち駒の歩を手にした。

 2三歩――かと思いきや、もうひとつとなりに打たれた。


挿絵(By みてみん)


 ほほぉ、そう来ましたか。

 同銀は5五角で、4六角、同角、同歩、3六角の筋に入ってしまう。

 かと言って、同飛は2七角(2八角は4六角で受かる)でめんどくさそう。

「……4六銀」

 安全をとって、私は銀を引いた。

 山城くんは、4四歩と盛り上がってくる。

 こちらとしても、指す手がむずかしい。いなされてしまった感じだ。

「3八金」

 陣形を整備しましょう。

 2三銀、2六飛、3三桂(?)、7五歩、2五歩。


挿絵(By みてみん)


 あぁ……押さえ込みなわけか……。

 この方針は、あんまり読んでなかった。どうりで7筋を突いてこないわけだ。

 7五歩で位を取っちゃったけど……うーん……悩ましい。2五歩は、単に押さえ込みを狙ってるだけじゃなくて、3七銀〜7六飛のスライドを牽制した手だ。2八飛と引っ込むと、先手はどうしようもなくなってしまう。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 3六飛で粘りますか。

「3六飛」

 私がチェスクロを押すと同時に、次の手が指された。


挿絵(By みてみん)


 ……積極的押さえ込み?

 3七銀と引けなくなった。とはいえ、後手もかなり突っ張っている。

 そうとう怖いはずだ。いきなり食いちぎる順だってあるんだから。

 実際、4五銀、同銀、8六飛に同飛って取れないでしょ。飛車の打ち場所は、後手陣のほうが圧倒的に多い。8六飛に8五歩と受けるつもり? それはそれで一歩使わせてるから、悪くない。7六飛と寄って……ん? 5四角がある?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 ここから3六銀〜2七銀成とか?

 いや、さすがに無理が……でも、うまい反撃が思いつかない。

 私はお茶を飲んで、しばらく考えた。3六飛の寄りで悪くしたとは思わないんだけど、どうもしっくりこない。8六飛〜7六飛がダメなら、直接7六飛もダメだ。結局5四角と打たれてしまう。6六飛と中途半端にスライドしても効果がないし、9六飛や1六飛は端を突かれる。っていうか、そこに飛車を移動させる意味が分からない。

 なにか見落としている感じもした。好手のほうを見落としているのか、悪手のほうを見落としているのかは分からない。

「んー」

 私は無意識のうちに息を止めていた。大きく深呼吸をする。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 相手の伸びすぎを狙いますか。

「7七銀」


挿絵(By みてみん)


 無理はしない。4五桂はそのうち負担になるはずだ。

「そうきたか……」

 山城くん、丁寧語なのは最初のほうだけなのね。

 別にいいんだけど。

「4三金」

 また盛り上がってきた。さすがに危ないんじゃないかなぁ。

 6八銀、2四銀――あ、これ、飛車を殺しに来てるんだ。やっと分かった。

 私の手が止まる。のこり時間は、私が20分、山城くんが19分。

 時間的には差がついてないのよね。どうしましょ。

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