8手目 格付け
3四歩と5四歩を同時に助ける手はない。
風切先輩は、綺麗な手つきで2五歩と打った。消極的。
私は3四角と出て、4二金の受けに8八玉と入る。
序盤はまずまず。
「終盤バカってわけじゃないのか」
「どういう意味ですか?」
「大学将棋だと、序中盤がメチャクチャな終盤型もいるからな、っと」
時間が切れそうになって、風切先輩は松平のほうを一手指した。
ふたたびこちらに取りかかる。
「……3三金」
むッ、この受けは強い。かたちに囚われない手だ。
私は59秒まで考えて、4五角と引いた。
「4四金」
うーん、追撃してくるのか……これは、ちょっと予想外だった。
てっきり、6三銀くらいで受けてくるものかと。
私は1八角と撤退した。すこし軌道修正が必要ね。
「3三銀」
「6八飛」
私は勢いよくスライドさせた。
2六歩に2八歩と受けておく。
さて……6三銀と受けられなかったから、そこを狙ってみたわけだけど……正直、かなり微妙だと思う。2面指しなのに、ここまで序盤を対処されるとは、トホホ。
気を取りなおして、6三銀に7六銀。攻めの拠点を変更する。
「2五飛」
ぐッ……こんな受けがあるのか。5五金は読んでたけど、これは読んでなかった。
4六歩、5五金、4八銀。遅れていた右銀を進出させる。
風切先輩は4二銀左と引いて、いったん陣形を整えた。
ここで4七銀……いや、その必要はないわね。今は5五金が6筋を支えているから、むしろ4六金と出て行ってもらったほうがありがたい。その隙に攻撃しましょう。
「7七桂」
風切先輩は、私の桂跳ねの音を聞いて、こちらを振り返った。
5三銀と指して、ふたたび松平のほうに向きなおる。
4六金と上がってもらわないと、攻められないのよね。
私は5八金として、もう一手待った。
三たび振り返った風切先輩は、
「へぇ、攻めて来い、か」
とつぶやき、59秒まで考えて4六金と上がった。
「6五歩ッ!」
待ってましたとばかりに、6五歩と突いた。
同歩なら8四歩、同歩、8五歩、同歩、同銀と出て、玉頭を圧迫する。
6六歩と飛車の横利きを回復した瞬間、同飛が4六金当たりという寸法だ。
風切先輩は、次の手に時間を使った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3三桂ッ!」
さすがのチェスクロさばき。
6五歩で横利きが止まっているのは変わらないから、私は8四歩と突いた。
同歩、8五歩。
「7四歩」
え? 後手から突いてくるの?
意外だったと同時に、チャンスだとも思った。
同歩で……私は7四歩としかけて、手を引っ込めた。
……………………
……………………
…………………
………………
放置のほうがいいか。後手から取ってもらって、7五同銀の進出。
次に6四銀で後手陣は崩壊だ。
私は手待ちをするため、8七金と上がった。桂頭の強化。
スッと風切先輩の手が伸びて、角を置いた。
……………………
……………………
…………………
………………
「あッ」
私の喫驚に、風切先輩は一瞬だけ振り向いて、また松平のほうへ向きなおった。
松平は両腕を組んで、タメ息。どうやら、形勢が悪いらしい。
そして、私もまた、この一手で先手がかなり悪いことに気がついた。
7七の桂馬を跳ねられなくなってしまったのだ。これまでの作戦が瓦解する。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「は、8四歩ッ!」
私は59秒ギリギリで歩を取り込んだ。
風切先輩はノータイムで6五歩と取り返す。
これを同銀? 以下、7五歩、6四歩……いや、こんなにうまくは行かないか。6六歩と飛車先を封鎖して、7四銀(後手は次に6五飛、同桂、6七歩成の王手飛車を狙っているから、これしかない)、同銀、同歩、6七銀、同金、同歩成、同飛、6六歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
うッ……これは終わってる予感。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7四歩ッ!」
私は、玉頭の厚みを崩さない方針に決めた。
だけど、6四銀左とされて、はたと困ってしまう。
私は口もとにこぶしを当てて、前傾姿勢で考え込んだ。
「……7八玉」
角筋から逃げた。おそらく最善のはず。
風切先輩も軽くうなずいてから、3六歩と軽快に打った。
角が封印された……でも、さっきよりは勝ち目がある。
3六歩は、私が攻勢に転じるのを恐れた手だ。猛攻のチャンス。
まず4七歩、4五金と下がらせて、飛車の横利きを再度遮断する。
6五銀とぶつけて、6六歩(同銀は同桂〜7三歩成だから当然)、7六金と上がり、6六歩を直接咎めに行った。この手には、風切先輩もしばらく考えた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6五銀」
ぶつけ返してきた。私は同桂。
こっちの方針は、分かりやすい。とにかく玉頭に殺到。
それは風切先輩も承知のうえだから、7四銀で拠点の歩を払ってくる。
「7五歩ッ!」
6三銀と下がらせにかかる。狙い筋は6三銀、7四銀、同銀、同歩だ。
「んー……これは、こっちが良くなったかな」
「え?」
風切先輩は、音もなく5五金とスライドさせた。
……………………
……………………
…………………
………………
しまった。7四歩、6五金、同金の取り合いは、同飛で先手が潰れる。
私は泣く泣く7三桂成と捨てて、同桂に7四歩。桂頭の叩きに切り替えた。
松平のほうも終盤のようだ。風切先輩の対応が、せわしなくなってくる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6五金」
7三歩成、同玉、7四歩、6二玉、7三銀、5二玉。
「つ、捕まらない……」
継続手がない。3六歩さえなければ、5四角で優勢なのに。
無慈悲に時間が過ぎていく。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5六桂ッ!」
角に当てる。
打った直後、6七歩成があることに気づいて片目をつむった。
でも、風切先輩は、もっと辛口に7六金。
入玉すら許さない指し方。
私は行きがかり4四桂で角を取ったけど、5三玉と立たれて、どうしようもない。
以下、6九玉の早逃げに6七銀、7二銀不成、7七桂、5九玉。
「5八銀成」
「…同飛」
風切先輩は10秒確認して、金を3八に張った。
……………………
……………………
…………………
………………
後手は詰まない。私のほうは必至。左に逃げても、最後は8五飛がある。
私は30秒まで読まれたところで、投了した。
「負けました」
「ありがとうございました」
風切先輩は椅子をずらして、松平のほうにつきっきりになった。
肩にかかった後ろ髪の先を、くるくると回し始める。なにかの癖かしら。
松平のほうも敗勢で、後手は美濃が丸残り、穴熊は崩壊寸前だった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
「ありがとうございました」
松平、投了。風切先輩、貫禄の2面指し勝利だった。
先輩はしばらく髪をいじってから、
「ふたりとも、なかなか強いじゃん」
と言った。お世辞かと思ったけど、ずいぶん真顔だった。
「今の状況だと、大谷>裏見>松平>三宅って感じかな」
合ってる。すくなくとも、私の印象と一致していた。
一局指して見抜くなんて、さすがは元奨励会員。
私たちは、感想戦に入る。
「まずは、裏見のほうからだな……構想は面白かったけど、さすがにムリだろう」
うーん、作戦を否定されてしまった。ショック。
「まあ、大学将棋なら、恐れずにチャレンジしたほうがいいかもな」
風切先輩はそう言いながら、仕掛けのところまで戻した。
【検討図】
「本譜は8七金だったよな。ほかに考えた手は、あるか?」
「7四歩もあるかなあ、と」
正直、そっちのほうが良かったかもしれない。4四角が痛過ぎた。
私がそう白状すると、風切先輩はそっちの読み筋も教えてくれた。
「7四歩は、7五歩、同銀、7六歩だ」
【検討図】
あ、そっか。歩が足りてる。
「先手は8四歩だが、そこで4四角と打たれて終了だ。次に7七歩成、同金、7六桂の王手飛車がある。6四歩と突いても間に合わない」
「本譜が最善だったってことですか?」
「結果的には」
読んでなかったから結果論だけど、ちょっとは勘がもどって来たのかしら。
風切先輩は、もうすこし遡ったところも検討して、松平に移った。
こうして指してみると、面倒見のいい先輩って感じ。
「裏見さん、そちらはいかがでしたか?」
三宅先輩と指していた大谷さんが、声をかけてきた。
「負けちゃった。そっちは?」
「拙僧の勝ちです」
県代表者と三宅先輩なら、順当ね。
三宅先輩は椅子に寄りかかって、天井を仰いでいた。
「くそぉ、俺が一番弱いじゃないか。事務方に徹してやる」
こらこら、5人しかいないんだから、それじゃ困りますってば。
と同時に、私はあとふたり足りていない事実を思い出した。全力で探しまわれば、なんとかなるかもしれない。でも、今週はオリエンテーションがてんこもりだし、来週からは講義も始まる。知り合いだって、全然いない。
5月までに実力者をふたり……ムリっぽくない?
場所:都ノ大学将棋部の部室
先手:裏見 香子
後手:風切 隼人
戦型:先手丸山ワクチンvs後手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲2二角成 △同 銀 ▲9六歩 △9四歩 ▲7八銀 △6二玉
▲6八玉 △7二玉 ▲6六歩 △3三銀 ▲6七銀 △8二玉
▲7八金 △7二金 ▲8六歩 △6二銀 ▲7五歩 △6四歩
▲7七玉 △2二飛 ▲8五歩 △2四歩 ▲同 歩 △同 銀
▲4五角 △2五歩 ▲3四角 △4二金 ▲8八玉 △3三金
▲4五角 △4四金 ▲1八角 △3三銀 ▲6八飛 △2六歩
▲2八歩 △6三銀 ▲7六銀 △2五飛 ▲4六歩 △5五金
▲4八銀 △4二銀 ▲7七桂 △5三銀 ▲5八金 △4六金
▲6五歩 △3三桂 ▲8四歩 △同 歩 ▲8五歩 △7四歩
▲8七金 △4四角 ▲8四歩 △6五歩 ▲7四歩 △6四銀左
▲7八玉 △3六歩 ▲4七歩 △4五金 ▲6五銀 △6六歩
▲7六金 △6五銀 ▲同 桂 △7四銀 ▲7五歩 △5五金
▲7三桂成 △同 桂 ▲7四歩 △6五金 ▲7三歩成 △同 玉
▲7四歩 △6二玉 ▲7三銀 △5二玉 ▲5六桂 △7六金
▲4四桂 △5三玉 ▲6九玉 △6七銀 ▲7二銀不成△7七桂
▲5九玉 △5八銀成 ▲同 飛 △3八金
まで100手で風切の勝ち