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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第18章 フレッシュ大学将棋:2日目(2016年5月29日日曜)
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88手目 成らせた判断

挿絵(By みてみん)


 磯前いそざきさんは銀をあがった。

 チェスクロが押され、室内はふたたび静まり返る。

 6五歩か、それとも、6五桂か。

 大河内おおこうちくんはメガネをはずして、目薬をさした。

 そして、ひとこと。

「2五の桂馬が釣り上げられそうだ」

「お、釣りするのか?」

「昔、父さんに教えてもらった」

 磯前さんは破顔一笑。

「釣りはいいよなぁ。潮風に吹かれて」

「地元のN野に海はないけどね。6五桂」


挿絵(By みてみん)


 桂跳ねだッ! 磯前さんも、マジメな表情にもどった。

「そっちか……見かけによらず過激だな」

「ひとを見かけで判断するのは危険だよ」

 それは、そう。

「おっと、悪い悪い。これは同桂だ」

 同歩、4五銀、2六飛。

「こいつが痛いんじゃないか? 2四歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 土御門先輩は、パチリと扇子を鳴らした。

「これはよい手じゃ。3四銀、6五桂、同桂、同歩、2五銀ならば9五角や8六角が有効じゃが、このかたちでは先手もいそがしい」

「8六角に同飛、同歩、2五歩、同飛、1四角の王手飛車がある……ってことですか?」

「うむうむ、裏見うらみも早見えじゃのぉ」

 褒められた。けど、大河内くんを応援してる身としては、喜べない。

 さすがにこの状況で相手陣営に肩入れするのはアウトだ。


 パシリ

 

 ん? 大河内くんの反応が早い?


挿絵(By みてみん)


 これは……意味深長な手だ。同歩なら4三歩と叩いて、同金は3五桂。金の逃げ場所がむずかしい。角ではなく桂馬を活かす手に、私は思わず感心した。

「空中に拠点ができそうですね」

「じゃが、通るかの……4四同歩、4三歩、同金、3五桂と打って、3四金と出られたときに寄りまで持っていけるかどうか……」

「細いと言えば細いですけど……完切れってことはなくないですか?」

「うむ。例えば、3四金と出られた瞬間に4三歩と打って、5二玉、6四歩はある」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「これを同銀は3一角と打てる」

「3二金、6四角成は寄りですけど、銀を逃げられたときは微妙ですね」

「2二角成、2五歩以下、どれくらい後手が速いかじゃのぉ」

 私は盤面を確認した。磯前さんは腕組みをして、首をかしげている。

 対局者にとっても難解なようだ。

 大河内くんも、完璧に自信があるようにはみえなかった。

 土御門先輩は扇子を2、3度ひねって、自分の肩をポンとたたく。

「ふぅむ……さきほどの順には、ならん気がしてきたぞい」

「4四歩を手抜きですか?」

「3五角があるのではないか?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ん……これは痛い。

「歩を抜かれちゃいますね」

「いやいや、先に4三歩成とすればいいだけの話じゃ。もっとも、3五の地点に角がおるから、3五桂とは打てん。追撃の手段が必要になる」

「追撃するまえに飛車を逃げないといけませんよ。2九飛か6六飛で……あ、6六飛は4四角がありますね。2九飛です」

「……2八じゃな。2九飛は銀を打たれたとき挟撃になる」

「そこで後手がなにをしてくるか……ですか」

 土御門先輩は、反対側の肩をたたいた。

「ヌルい手は、7三角と反撃される。先手は香車があれば攻めが広がるわい」

 私たちは局面を見守ることにした。

 後手の残り時間が10分を切ったところで、磯前さんはようやく着手した。

「3五角」

 大河内くんはノータイムで4三歩成。

 以下、同金、2八飛と進む。

「これが一番キツいと思うんだがなぁ」

 磯前さんは桂馬を空打ちして、6六に据えた。


挿絵(By みてみん)


「これが釣りびとの答えか……厳しい」

 土御門先輩は、口もとで扇子をパタパタやった。

「どう逃げます?」

「7七じゃろう。8八は5六銀と出られたときにプレッシャーがかかる。あるいは、いきなり6七歩と垂らしてもよい……しかし、7七金でも6七歩かもしれん」

「6七歩単体だと寄りませんよね?」

「先手の受け方次第じゃな」

 こんどは大河内くんが長考。

 ここで時間を使うために、早指しをしていたようだ。

 6六桂が好手だと、この作戦は裏目に出ちゃうけど――

「7七金」

 大河内くんは金を立った。

「6七歩」

「4六歩」


挿絵(By みてみん)


 この手に、磯前さんは帽子をかたむけた。

「ほほーん、同角は4四歩、同金、6二角ってか?」

「ノーコメントで」

「同銀で王様が危なくなるぜ。同銀」

 6六金(!)、4七歩、3九銀、8七飛成。

 ひ、飛車を成らせた。

「7八銀」

「6七歩が邪魔か……いったん引く。8一龍」

「6七金」


挿絵(By みてみん)


 これは……どうなの。先手が苦しいと思う。

「まとめきれますか、これ?」

「大河内としては、まとめるつもりなのじゃろうが、見当がつかん」

 そう言っているうちにも、磯前さんは6六歩と打った。

 7七金、3七銀不成、5八飛、2五歩。

「やっと取れたな。釣果1。これで攻めの拠点はなくなったぜ」

「河岸を変えるよ。3六歩」

 この手に、磯前さんは右目を細めた。

「その手があったか……4六角」

 大河内くんは3五桂と打ちなおした。


挿絵(By みてみん)


「いちおう食らいついてますね」

 私は安堵のタメ息を漏らした。

 だけど、土御門先輩の表情は変わらなかった。

「後手は龍が強い。ひとまず8筋をどうにかせんといかん」

 たしかに。っていうか、現状では角筋が利いてて7九玉と寄れない。

 磯前さんは、攻めるか守るか迷っている。敵陣と自陣を交互にみくらべていた。

 彼女のほうは、あんまり時間がない。

「……4四金。むりはしない」

 4三歩、5二玉。

 磯前さんは、むりやり先手陣に迫るようなことをしなかった。

「8六歩」

 大河内くんも安全策をとる。龍の筋を消した。

 あとは角の筋をなんとかしないと。

「さすがになにかあるだろ、これ……」

 磯前さん、最後の長考。

 1分、2分と過ぎ、いよいよ秒読みになった。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


 自分から角筋を止めた。

「その手は……」

 大河内くんはひたいに手の甲をあてて、5七の地点をみつめた。

 先手は、まだ5分ある。

 ノータイムで7九玉としては危ない。罠にみえるからだ。

「普通に考えたら、7九玉に4九桂成の狙いですよね?」

 私は小声で土御門先輩にたずねた。

「どうも直接的過ぎる……7九玉、4九桂成、6八金、3九成桂は、銀得ではあるがなんとも言えんぞ。8八に入った王様は広いし、成桂がそっぽじゃ」

 大河内くんは、かなり迷ったあげく、7九玉と寄った。

「8七歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 よ、4九桂成としなかった。

 でも、これはいい手だ。放置はこんどこそ4九桂成でどうにもならない。

 銀を入手後に8八銀があるから。

「同金」

「へへ、そうこなくっちゃな。大物はあっさり釣れちゃ困る。4八歩成」

 磯前さんは、開き王手の順を放棄した。別ルートで迫っていく。

 大河内くんはこれに最後の3分を投入して、同金と取った。

 同銀成、同銀、6七金。

「6四桂ッ!」


挿絵(By みてみん)


 攻め合いになった。後手は2三の地点が封鎖されてるから、広いようで狭い。

「6二玉」

「4二……ちがう。8八玉」

 大河内くんは王様を安全圏ににがした。

 5八金、5三歩、6九桂成、5二歩成、同銀、同桂成、同玉。

 内心でエールを送るくらいしかできない。将棋観戦の宿命。

 6四角が入れば……と言いたいけど、6四角は詰めろになってるわけじゃないし、角交換後の6四同歩が詰めろになってるわけでもない。金がどこかで1枚必要だ。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「5七歩」

 大河内くんは角筋を止めた。

 磯前さんは両手を組んで、指の骨を鳴らした。

「筋に入ったな。6八成桂」


挿絵(By みてみん)


 ぐッ……単純だけど痛烈。大河内くんの顔色も悪い。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 8九銀――8九銀打じゃない。なんで? 駒を節約した?

「土御門先輩、この手は?」

「駒の節約じゃろ」

 それは見れば分かる。駒を節約してどうするのか、という話だ。

 銀銀角じゃ、どのみち寄らない。

 磯前さんもトラップだと思ったのか、すぐには指さなかった。

「なにかあるのか……?」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「6九飛ッ!」

 大河内くんは静かに4七銀と進めた。


挿絵(By みてみん)


 連続で不可解な手だ。

 磯前さんは7九飛成としかける。

「ん……待てよ……」

 すこしばかり顎をあげて、自陣を確認した。

「……そういうことか。手前でのがすところだったぜ。5五角」

 角を引いた? ……あ、そっかッ! 7九飛成、9八玉、5五角は、5八銀に6七歩成が王手じゃないから、6四角が詰めろになるッ!


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 同角、同歩がまた詰めろ(6三金、4一玉、4二銀、3二玉、4一銀打、同龍、同銀不成、同玉、3一飛、同玉、5三角、3二玉、4二角成まで)。

 起死回生の罠だったけど、回避されてしまった。

「タモですくうまえが一番危ないんだよな。針がはずれやすい」

「……」

 大河内くんは目を閉じた。

「逆転の芽はなしか……負けました」

「ありがとうございました」

 投了――チェスクロが最後の秒を読んで、自動的に止まった。

「あたしならもうちょっと指すけどなぁ」

 火村ほむらさんのぼやき。まあまあ、投了は個人の自由だから。

 それに、いくら粘っても後手は詰みそうにない。手順が長引くだけだ。

「どこが悪かったかな? 8六歩のところで8七歩のほうが良かった?」

 ふたりは局面をもどした。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「8六角狙い?」

「そう」

「正直、8六角は見た目ほどキツくないと思うんだよな」

 磯前さんはそう言って、帽子のつばを前方になおした。

「6四歩に7二銀と我慢すれば大丈夫ってこと?」

「そうだね。さすがに6四同銀は4六角がどいたときに危ないから、我慢かな」

 大河内くんは腕組みをして、天井を見上げた。

「……8七歩と打っても、5七桂、7九玉、4八歩成、同金、同銀成、同銀、6七金で、8六角と打ってもインパクトがないか。9七角は8六歩だし」

「それよりも、8七飛成って成らせた判断は、どうだったんだ?」

「あれは無理に8筋を守ってると、玉頭が薄くなって寄ると思ったんだよ」

 磯前さんは、やや納得したような顔で、

「ああ、そういう……でも、あれは後手を楽にしてるような……」

 と言葉をにごした。そこへ、ススッと索間さくまさんが割り込む。

「おつかれさまでした。感想戦のところ申し訳ありませんが、インタビューを」

 索間さんはメモ帳をとりだして、磯前さんへ顔をむけた。

「本局、ふりかえってみて、いかがでしたか?」

「どこで良くなったのか、正直分からないんですけど……攻める途中で金を渡さずに済んだのは、助かりました。渡すと6三金から一気に寄るんで。投了図なんですけど、5六歩と突かれて、もうちょっと続くかな、と思いました」

 磯前さんは、本譜全体についてあっさりと感想をのべた。

 索間さんもササッとメモをとり、大河内くんへ視線を転じた。

「おつかれさまでした。なにか特にコメントしておきたいことなどは?」

「終わってみると、飛車を成らせたのはマズかった気がしています。が、ほかにどういう手があったかというと難しいですね。もっとまえから悪いのかもしれませんし、あるいはそのあとの攻めが緩かったのかもしれません。投了図ですが、5六歩は8五歩、同歩、8六歩と叩かれて崩壊するというのが僕の読みです」

 こちらもあっさりとしたコメントだった。

「なるほど、なるほど……ありがとうございました。以上で終わりにします」

 ふたりはもういちど礼をして、席を立った。

 大河内くんは、すたすたとこちらにもどってくる。

「いやぁ、裏見さん、ごめん、負けちゃった」

 なんで私に名指しで謝るの? 慰めないわよ?

「べつにお祭りイベントだし……」

「ゆるしてくれる?」

 ゆるすもなにも怒ってないけど?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ん、これでチームは1−2? 全部で5戦……ゆるさんッ!

場所:デイナビ主催 東西対抗フレッシュ大学将棋 三将戦

先手:大河内 勉

後手:磯前 良江

戦型:横歩取り8四飛型


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩

▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩

▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲3六飛 △8四飛

▲2六飛 △2二銀 ▲8七歩 △5二玉 ▲6八玉 △7二銀

▲4八銀 △7四歩 ▲1六歩 △7三桂 ▲1七桂 △2三歩

▲5九金 △4二玉 ▲6九玉 △6四歩 ▲9六歩 △6五歩

▲5六歩 △6三銀 ▲5五歩 △5二金 ▲5六飛 △2四歩

▲2五歩 △同 歩 ▲同 桂 △4四角 ▲4六歩 △2三銀

▲4五歩 △2二角 ▲5四歩 △同 歩 ▲2二角成 △同 金

▲7七桂 △3三歩 ▲6六歩 △3四銀 ▲6五桂 △同 桂

▲同 歩 △4五銀 ▲2六飛 △2四歩 ▲4四歩 △3五角

▲4三歩成 △同 金 ▲2八飛 △6六桂 ▲7七金 △6七歩

▲4六歩 △同 銀 ▲6六金 △4七歩 ▲3九銀 △8七飛成

▲7八銀 △8一龍 ▲6七金 △6六歩 ▲7七金 △3七銀不成

▲5八飛 △2五歩 ▲3六歩 △4六角 ▲3五桂 △4四金

▲4三歩 △5二玉 ▲8六歩 △5七桂 ▲7九玉 △8七歩

▲同 金 △4八歩成 ▲同 金 △同銀成 ▲同 銀 △6七金

▲6四桂 △6二玉 ▲8八玉 △5八金 ▲5三歩 △6九桂成

▲5二歩成 △同 銀 ▲同桂成 △同 玉 ▲5七歩 △6八成桂

▲8九銀 △6九飛 ▲4七銀 △5五角


まで118手で磯前の勝ち

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