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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第17章 フレッシュ大学将棋:1日目(2016年5月28日土曜)
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86手目 キョウジ

「みなさん、おつかれさまでした。まずは、乾杯したいと思います」

 姫野ひめの先輩は、グラスを視線の高さまであげて、私たちに目配せした。

「乾杯」

「乾杯」

 おしゃれな音楽と、おしゃれな照明。

 木目のうつくしい流線型のテーブルを、私たちは囲んでいた。

 姫野先輩行きつけのジャズレストラン

 デイナビを出たあと、まさかこんなところに案内されるとは思っていなかった。

 私の位置から、カウンターでお酒をたしなむカップルの背中が見えた。

「姫野先輩、今日はありがとうございました」

 私は、となりに座っている先輩に話しかけた。

「わたくしは、特になにもしていません」

 いや、まあ、社交辞令ということで。

 東日本陣営も西日本陣営も、2年生は指示をほとんど出していない。自由放任ってことなのかしら。女子だけで集まる提案にも、文句は言われなかった。速水はやみ先輩だけは「居酒屋のほうがいい」ということで別行動。そのまま夜の繁華街に消えてしまった。

「姫野先輩、こちらでの生活は、いかがですか?」

「変わりなく過ごしています。裏見うらみさんは?」

「私のほうも特には……」

「ねえねえ、香子きょうこ、これアルコール入ってなくない?」

 火村ほむらさんはグラスを持ち上げて、透明な薄黄色の液体を電灯にかざした。

「ルーマニアが何歳で飲酒OKか知らないけど、日本は20歳よ」

「でもこれ、味はシャンパーニュなんだけど」

「ベルギー産のノンアルコールスパークリングワインです」

「あ、ふーん」

 姫野先輩の回答に、火村さんはもうひとくち飲んだ。

「なんか変な感じ」

「さあ、料理がまいりました。みなさん、召し上がってください」

 蝶ネクタイをしたボーイのひとが持って来たのは、海産のオードブル。

 白身魚のカルパッチョに、香草とパプリカが盛られていた。

 ナイフとフォークかぁ。テーブルマナー。

 さすがにこういうのは、火村さんのほうが手慣れていた。ちゃちゃっとしている。

「ところで、姫野、だっけ?」

 やめてぇ。さすがにそれはない。

 今度という今度は注意するわよ。

「火村さん、もうちょっと敬語を勉強したほうが……」

「つかぬことをおうかがいしますが、わたくしより年長のかたでしょうか?」

 姫野先輩の質問に、私は「エッ?」となった。

 1年生だって分かってるはずなのに。姫野先輩は2年生だ。

 ところが、火村さんは口の端をニヤリとゆがめた。

「あら、よく気づいたわね。日本人だと、あんたが初めてな気がするわ」

「なんとなく、そのように感じただけです」

 姫野先輩は、そこで言葉をくぎった。

 具体的に何歳、と訊くつもりはないようだ。

 えぇ……意外過ぎる……いや、でも、よくよく考えたら、大学1年生イコール私と年齢が一緒、というのは間違いなわけで……浪人してたら、違って当たり前……それに、火村さんは背が低いから幼くみえるだけで、なんか先入観があったような気がしてきた。

 でも、何歳? 肌年齢からして、20歳を大きく超えていることはないと思う。化粧が厚いわけでもないし……どっちかっていうとかなり薄いような……2年生の速水先輩や姫野先輩にタメ口なところをみると、20、21あたりかなぁ。3年生に対してどういう口の利き方をしているのかは、確認できていなかった。

「ちょっと、なにじろじろ見てるの?」

「な、なんでもない」

「あたしが勝っちゃったから、あした自分が負けると困るなぁ、とか?」

 違うけど、そういうことにしておきましょう。

 今日で1勝1敗だから、プレッシャーがないと言えばウソになる。

「ところで、香子と姫野って、どこで知り合ったの?」

「出身地が一緒なのよ」

「高校も?」

 それは違うと、私は答えた。

 私の出身高校は市立いちりつで、姫野先輩は地元のお嬢様学校だ。

「女子校って、少子化なのに大丈夫なのかしら」

 またそういうきわどいツッコミを。

「H島は進学校が男子校と女子校で分かれてるのよ」

「神学校があるの? 変わってるわね。やっぱりプロテスタント?」

 なにを言ってるんですか。宗教の話なんてしてない。

 私があきれていると、姫野先輩が口をはさんだ。

「火村さんは、日本でお生まれなのですか?」

「ノー」

「日本語がほぼ完璧におできなようで……」

 私とおなじところを突っ込んできた。けど、火村さんは暖簾に腕押し。

 全然気にしていないようすで、カルパッチョを口に運んだ。

「語学の天才だから」

 毎回その返しなのね。なにかしゃべってくれればいいのに。

「聖ソフィアとおうかがいしましたが、なにをご専攻に?」

「神学部」

 え? そうなの? ……はじめて知った。

 てっきり、外国語かなにかと勝手に思い込んでいた。

「火村さんはキリスト教徒なの?」

「そうよ。ナンマンダ〜ナンマンダ〜」

 もぉ、全部冗談に聞こえてきた。

 じつは大学生っていうのもウソで、聖ソフィアに籍がないんじゃないでしょうね。

 仮にそうだとしたら、あとで大問題になる。

「火村さん、どういう経緯で将棋部に入ったの? 明石あかしくんとの関係は?」

「ちょっと、ひとのこと詮索しすぎじゃない?」

 火村さんはそう言って、不満そうな表情を浮かべた。

 いやいや、詮索してるのは火村さんのほうじゃないですか。おまいう。

 もういちど尋ねようとしたところへ、メインの肉料理がはこばれてきた。

 厚切りのレアステーキだった。

「いやあ、こいつはうまそうですね」

 磯前いそざきさんは、そう言って手揉みをした。

「ところで、裏見、大河内おおこうちってのは、どういう指し手だ?」

「それは答えられないわよ」

「友だちのよしみで教えてくれてもいいと思うんだがなあ」

「じゃあ、山城やましろくんがどういうタイプか、先に教えてくれる?」

 磯前さんは笑った。

「一本取られたな。さすがに教えられない」

 でしょ。席は一緒でも、おたがいにライバル陣営なんだから。

「ひとつだけ言っとくと、山城はそこそこ強いぜ」

「それは油断させるための表現?」

「自分の目で確かめてくれよな」

 はぐらかされてしまった。私はステーキを細かく切って、口にはこんだ。

 ほぉ、しょうゆ味ですか。変わっている。

「ジャズレストランなのに、料理は和風なんですね」

 私たちはしばらく将棋の話題をうちきって、食事に舌鼓をうった。


  ○

   。

    .


「いやあ、食べた食べた」

 レストランを出たところで、磯前さんはお腹をぽんぽんとはたいた。

「先輩、ありがとうございました」

 私たちは、姫野先輩にお礼を言った。かなりの額を支払ってくれたからだ。ほんとうは全額おごりたいけど、女子だけおごるのは良くないので、みたいなことを言われた。事実だと思う。けど、支払ってくれた額だけでも、万は確実に超えているような……財力。

「まだ7時ですが、暗くなってまいりました。帰りはお気をつけて」

 姫野先輩はタクシーを呼んで、市松いちまつさんと一緒に姿を消した。

 遠ざかるテールランプをしりめに、私たちは解散の挨拶をする。

「それじゃ、また明日な」

「磯前さん、ひとりで大丈夫?」

「このあたりはよく知ってる。駅はすぐそこだ」

 姫野先輩は、交通の便にも配慮してくれたらしい。私と火村さんが使う路線も、すぐ近くにあった。私は磯前さんに「また明日」と言って、お別れした。

 ネオン街を、火村さんとふたりでゆっくり歩く。

「やけに魚くさくなかった?」

「え? レストランが?」

「いまちょうど別れた女よ」

 全然。磯前さんは釣り好きだから、釣り用のジャケットを普段着にしている。

 でも、ちゃんと洗ってあったような。火村さん、鼻がいいのかしら。謎。

「このまま行くと駅?」

「じゃないかしら。あそこに案内図があるし」

 ちょうど橋の付け根に、駅名を書いた案内図があった。右手には電車が走っている。

 減速してるっぽいから、橋を渡ったむこうがわに駅があると予想。

「腹ごなしに、歩いて帰らない?」

 えぇ……知らない町を女ふたりはイヤだ。

「明日は午前中から試合だし、まっすぐ帰りましょう」

「んー、これじゃ観光する時間がなくない?」

「観光しに来たわけじゃ……」

「そこのお嬢さん」

 私は、あたりを見回した。

 声をかけられたからじゃない。その声に聞き覚えがあったからだ。

 でも、人影は見当たらなかった。

 私たちは、橋の中央にいるマイクやスピーカーもない。空耳?

「ふふふ、ここだよ、ここ」

 私は、上方から声が聞こえたことに気づいた。

 ふりあおぐと、意外な人物が欄干らんかんのうえに立っていた。

「あ、あなたは昼間のッ!」

 帽子をかぶった陽気そうな少年は、欄干のうえで両手を広げた。

 そのまま右手を胸元に、左手を腰にあてて、お辞儀をする。

「これはこれは将棋姫、ごきげんうるわしゅう」

「あ、危なくない? 降りたほうがいいわよ?」

 私がそう言った途端、少年はパッとその場で宙返りをした。

 私は悲鳴をあげる。

 少年の体は欄干の幅10センチくらいを舞って、そのまま片足から着地した。

「こうみえても、バランス感覚はいいんだよね」

 お願い、降りて。心臓に悪い。

「あ、それならあたしにもできるわ」

 火村さんが欄干にあがろうとした。私はあわてて引き止める。

「大丈夫だって。見てなさいよ」

「ダメ。絶対ダメ」

 私は火村さんをひきずりおろした。少年はそれを見て笑った。

「将棋にスリルを求めても、現実にスリルは求められないのかな?」

「香子、こいつあたしたちのことナメてるわよ」

 べつに舐めてもらっていいから、すぐにこの場を離れたい。

 この少年、昼間も感じたけど、ちょっとおかしい。

 へたしたら、ここで再会したのは偶然じゃない可能性まであった。

「仲間が待ってるから、私たちはこのへんで……」

「きみたち、今ふたりでしょ?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「この先の駅で待ち合わせしてるの」

「駅にはだれもいないんじゃないかな?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………なにこれ。

 いきなり焦る展開になった。声を出したほうがいい?

 でも、襲われてるわけじゃないし……いや、先手必勝……。

 私は火村さんの手を引いて、その場から逃げようとした。

恭二きょうじ、おまたせっとわっ!?」

「キャッ!?」

 走ろうとしたとたん、だれかとぶつかった。

 起き上がると、氷室ひむろくんが橋のうえにばったり倒れていた。

「だ、大丈夫?」

「ハハハ、王子様登場、失敗ッ!」

 欄干のうえの少年は、お腹をかかえて笑った。

 私は無視して氷室くんを起こす。

「いたた……お待たせ」

「迎えに来てくれたの?」

「いや、そこの恭二に呼ばれたんだよ」

 キョウジ? ……少年の名前かしら。

 氷室くんと知り合いだった? どういう繋がり?

 混乱する私のまえで、氷室くんはやにわに立ち上がった。

 ズボンの砂もはらわずに、欄干の少年をみあげる。

「呼ばれて来たけど、用件は?」

「さて、なんでしょう?」

 キョウジと呼ばれた少年は、澄まし顔でたずねかえした。

 氷室くんは、マジメに考え込んだ。

「そうだなぁ……自然対数の底を不等式で評価するため?」

 キョウジくんは、右足を高々とあげて、欄干のうえでバランスをとった。

 夜空を見上げたまま、静かに質問を重ねる。

京介きょうすけは、俺との約束、忘れてないよね?」

 氷室くんは、なんだそんなことか、という顔をした。

「もちろん、守ってるよ」

「その確認がしたかった」

 キョウジくんは宙返りして、すたりと橋のうえに着地した。

 私はまた悲鳴をあげかけたけど、我慢した。

 雰囲気が重い。会話の軽さに反して、どこか重々しさがあった。

 キョウジくんはポケットに手を突っ込み、目を閉じた。

「聖なるものを、犬に与えてはならない……そうだろう、京介?」

「……」

 キョウジくんは右手を出して挨拶すると、そのまま駅とは反対の方向へ消えた。

 呆然と見送る私を正気にもどしたのは、快速電車の車輪の音だった。

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