84手目 懇親会
「それでは、あらためておつかれさまでした」
索間さんは腰のまえに手をあて、丁寧に頭をさげた。
「おつかれさまでした」
私たちも頭をさげる。
「おもてなしというほどではありませんが、とりあえず食べてください」
索間さんは、チップスやポップコーンのふくろを開け始めた。
私たちも手伝って、紙皿に出していく。
ペットボトルのジュースを紙コップに注いで、全員に回ったことを確認した。
「では、乾杯ッ!」
「かんぱーいッ!」
紙コップをあげると、袖をひっぱられた。火村さんだった。
「なにに乾杯してるの、これ?」
さぁ……存じ上げません。
索間さん、いいひとだけど、なんか説明不足な気がする。エレベーターでも、上と下のボタンを間違えていた。おっちょこちょいなのかしら。
「記者に向いてないわね。愛人枠ってやつ?」
こらこらこら、なんということを。聞こえたら、どうするんですか。
「火村さん、マニアックな日本語を知ってるのね」
「語学の天才だから」
ほんとぉ? 日本語以外で話してるところ、ほぼ見てないんだけど。
海外出身っていうの、じつは作り話なのでは。
「火村さん、もともとはどこ出身なの?」
「ルーマニアよ」
ん? ルーマニア? それは予想してなかった。
「東欧なのね。高校のときも、ひとりいたわ」
「どこ出身?」
「ポーランド」
火村さんは、ふぅんとだけ言って、紙コップのジュースを飲んだ。
……………………
……………………
…………………
………………え? 続きは?
身のうえ話をしてくるかと思ったら、なんにも反応がなかった。
食いついてきそうなネタを選んだのに。
こうなると、こちらからは切り出しにくい。ポップコーンをつまむ。
私は手持ち無沙汰になって、話題をきりかえることにした。
「聖ソフィアって、どんな感じ?」
「どんな感じっていうのは?」
「雰囲気とか、講義とか、施設とか……いろいろ」
火村さんは、肩をすくめた。
「べつにどうってことないわよ。雰囲気も普通だし、講義も普通だし、施設も普通」
身もふたもない返事。っていうか、どこと比べてそう断言してるのか分からない。
「香子こそ、大学のほうはどうなの?」
「まだ始まったばかりだから、なんとも……」
質問が自分に返ってきて、たしかに答えにくいことに気づいた。
「あの後ろ髪を結んで肩にかけてるやつ……えーと……」
「風切先輩?」
火村さんは、パチリと指を鳴らした。
「そうそう、あいつ、何者なの? やたら注目されてるじゃない?」
この質問――どう解釈したらいいのかしら。
知ってるうえで、探りを入れてきてる? ……火村さんの性格からして、なさそう。
聖ソフィアは大学将棋界で孤立してる? ……明石くんは情報仕入れてるわよね。
火村さんはひとの話を聞いていない? ……一番ありえる。
「風切先輩は、都ノ将棋部のエースよ」
「注目されてる理由の説明になってないでしょ。エースなんてどこにでもいるし」
あのさぁ……火村さん、その調子だと大学生活で苦労しますよ。
うちの穂積さんと若干通じるところがある。
「そこはプライバシーだから……」
「風切先輩は、僕たち学生将棋指しのアイドルなんだよ」
うわッ! びっくりしたッ!
肩越しに声が聞こえて、私はふりかえった。
「ひ、氷室くんッ!」
「裏見さん、火村さん、お待たせ」
氷室くんは、にこやかに挨拶した。
「なーにがお待たせよ。あんた、どこ行ってたの?」
火村さんは、氷室くんの胸をこづいた。
今回ばかりは、火村さんに完全に同意。私の心情を代弁してくれている。
「僕よりも風切先輩に興味津々なんじゃないの?」
「ん? あんた、あいつと親しいの?」
「まあ、何度も同じ駒を触りあった仲だからね」
気味の悪い言い方しないでください。
火村さんもイヤそうな顔をした。
「あんまり同じ駒を触ってると、バイキンが移るわよ」
そう簡単に移ってたら、将棋指しは滅んでるわけで……っていうか、論点はそこじゃないでしょ。リベルタタワーのときもそうだったけど、このふたり、会話が明後日の方向で成立していない。私は仲介することにした。
「まあまあ、ふたりとも、チップスでも食べて落ち着きましょう」
「あたしは飲み物だけでいいわ」
えぇ……私は困惑した。
「火村さん、おせっかいかもしれないけど、過度な節食はよくないんじゃないかしら」
「過度な接触? だれと接触してるの?」
「その接触じゃなくて……ダイエ……」
「僕は風切先輩と、いろいろ接触があるよ」
もぉ、氷室くん、さっきから会話を乱さないでちょうだいな。
……………………
……………………
…………………
………………待って。今の発言、聞き捨てならない。
「氷室くん、風切先輩と付き合いが長いの?」
「先輩とは、小学校の大会以来の間柄」
うーん、それでやたらと絡んでたのか。ただ、絡みすぎのような気も。
「先輩は、僕たちの世代の憧れだよ。僕が先輩と初めて指したのは、小学校4年生のときでね。こてんぱんにされちゃった。あれ以来、ずっと先輩の背中を追いかけてるのさ。今度、都ノに遊びに行くね」
なんかイヤな予感。
なんと返事をしたものか。迷っていると、別方向から声をかけられた。
「裏見さん、火村さん、おつかれさまです」
索間さんだった。私たちは立って挨拶をする。
「おつかれさまです」
「おつかれぇ」
こら、火村さん。私がたしなめるまえに、索間さんは先を続けた。
「火村さん、第1局の将棋はおもしろかったですね」
「でしょ。あの金打ちは決まったって感じ。ね、香子?」
「ん、まあ、そこは認めたいわね」
「もっと素直に驚きなさいよ。ジェラシー感じてるんでしょ?」
「あのねぇ、なんでいちいち他人の将棋に……」
私と火村さんが掛け合いをやっていると、索間さんは笑った。
「関東勢は、ずいぶんと仲がいいんですね」
仲がいいって言うのかなぁ、これ。
一方、火村さんは自慢げに胸を張った。
「まあね……ところで、あんたは将棋指せるの?」
火村さんのぶしつけな質問に、索間さんはガッツポーズをした。
「はい、指せます」
あら、意外――でもないか。将棋を指せないひとに将棋の企画を任せるわけがない。
「あ、そうなんだ。じゃあ、一局指さない?」
「僕も指したいなあ」
氷室くんが割り込んできた。
「あたしが先に声をかけたのよ」
「声をかけたら優先ってわけじゃないだろう。ね、裏見さん?」
まあ、そういう取り決めはしてないし……ん? なんで私に話を振ってきたの?
「というわけで、3人でじゃんけんして決めようか」
「3人? あたしとあんたの組み合わせができたら、どうすんのよ?」
「僕と火村さんと裏見さんで、挑戦権を賭けてじゃんけんするんだよ」
こらぁ、勝手に巻き込むなッ!
「「じゃんけん」」
ポンッ! ……勢いに任せて出してしまった。
「グー、グー、パー……香子の勝ちね」
しかも勝ってるじゃないですか。
「あ、裏見さんとですか。よろしくお願いします」
索間さんは、すぐに準備を始めた。盤駒チェスクロを持ってくる。
変な目で見られないかなぁ、と思ったけど、矢追くんも市松さんとリベンジ戦をしていた。それを観戦する大河内くん。どうやら、将棋部のメンバーが集まると、こうなってしまうらしい。
「振り駒は、裏見さんがどうぞ」
「は、はい」
私は歩を5枚集めて、念入りにかき混ぜた。宙に放る。
「表が2枚で、索間さんの先手です」
「30秒将棋でいいですよね?」
私はうなずいた。索間さん、けっこう自信ありげにみえる。
関東代表(と言っても1年生限定)に30秒将棋は、なかなか申し込めないと思う。
「それでは、裏見さん、お手柔らかに。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
私は一礼して、チェスクロを押した。
「いやぁ、大学生と指すのは、ひさしぶりですね」
索間さんは手もみをして、2六歩と突いた。
居飛車党っぽいわね。私は8四歩としかけた。
その瞬間、ふいに視線を感じた。
顔をあげると、山城くんがテーブル越しにじっと観戦していた。
……………………
……………………
…………………
………………
山城くんとは、明日当たる。手の内を見せる必要もないか。
「3四歩です」
2五歩、3三角、7六歩、4四歩、4八銀、3二銀、5六歩。
「4二飛」
振り飛車でいきましょ。高校1年生までは、こっちだったし。
「ふむふむ、四間飛車ですか。受けて立ちますよ。6八玉です」
7二銀、7八玉、9四歩、9六歩、6二玉、5八金右、7一玉、3六歩、5二金左。
ここで索間さんは、急に手をとめた。
「手なりで9六歩と突き返してしまいましたし……急戦でいきますか」
索間さんは6八銀と上がった。
左銀急戦だ。ひさしぶりにやられた気がする。
「8二玉です」
「昔読んだ定跡書どおりでいいですかね。5七銀左」
私も定跡を思い出すため、スローペースになった。
4三銀、4六銀、5四歩。
なんとか覚えているものだ。
「3五歩」
索間さんは開戦した。
これは取っちゃダメなのよね。3二飛と回らないといけない。
3二飛、3四歩、同銀、2四歩、同歩、3八飛。
「反発します。4五歩」
以下、3三角成、同飛、6六角、4六歩、3三角成。
たしか、このへんから古い定跡と違うのよね。
私は定跡書や棋譜並べを思い出す。
次の一手は――
パシリ
こう。3三桂、3四飛、4三金とガードするのが、古い定跡。
こちらは馬を取らないパターンだ。
「裏見さん、勉強してますね」
それほどでも。私はお茶を紙コップにそそいだ。
ちらりと索間さんを見やる。
このひと、左銀の定跡はちゃんと覚えてるし、手つきもしっかりしている。
適当な人事で将棋担当になった、ってわけじゃなさそう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
索間さんは黙って同飛。
私は3六歩と追撃する。
これは放置するんじゃないかしら。3七歩と3六歩の意味合いは、全然ちがっている。3七歩を放置して3四馬は、3八歩成でと金が残る。3六歩を放置した場合は、3七歩成に同銀か同桂とすることができる。前者は先手不利だ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3四馬」
私はノータイムで3七歩成とした。
次の手も、索間さんは時間ギリギリまで考える。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「こっちですか」
パシリ