表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第17章 フレッシュ大学将棋:1日目(2016年5月28日土曜)
83/486

82手目 日本人形

 しばしの静寂――最初に口をひらいたのは、敗者の下妻しもづまくんだった。

 右手で頭をかかえて、ちょっと悔しそうなポーズ。

「いやぁ、あかんわ。ええとこ決めたろ思うたのに」

 下妻くんは8六の地点をゆびさした。

「金打つんやったか?」

 感想戦が始まった。索間さくまさんもメモ帳をとりだした。

 火村ほむらさんは緊張したようすもなく、あっさりと答えた。

「それは自信ありね。後手勝ちだと思うわ」

 ふたりは局面をもどした。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「7九銀と打って、7六金、8八銀成、同玉、7六金。先手は7七に打つ歩がないから、簡単に受からなくない?」

「せやな……7九銀に同銀は、同飛成、7八銀打のあとが殺し切れん」

「ほかに受ける方法もないから、この時点ではあたしがいいんじゃないかしら」

 羽生はぶさんと対照的な受け答え。自分の形勢判断をはっきり言うタイプ。

「ほな、7三金と攻めたんは正解やったんか……けど、負けにしとるな」

「すみませーん、ちょっとよろしいですか?」

 索間さんはボールペンを持ったまま、ふたりに話しかけた。

「せっかくですから、おふたりに軽くインタビューさせていただきたいのですが」

 インタビューという言葉に、下妻くんと火村さんは顔を見合わせた。

「感想戦を載せればいいんじゃないの?」

 火村さん、敬語しっかり。

「もうしわけないのですが、紙面の関係上、数ページなんですよ。できれば、みなさんの個性あふれるコメントをいただきたいかな、と……」

 やっぱりね、という感じではある。

 『将棋ワールド』は、中開きのカラーページで特集を組むことが多い。

 多くて10頁くらいだ。大学将棋ならもっと短いはず。

 そこに5局収めるとなると、そうとう記事を絞らないといけない。

「んー、いいけど、セリフの捏造とかはナシよ」

「大丈夫です。ご安心ください」

 索間さんは、火村さんに中飛車が得意なのかとたずねた。

「ま、だいたいこれしかしないわね」

「中飛車が好きな理由は、あったりします?」

「パパッと手軽にできそうだったから」

 火村さん、どういう経緯で覚えたのかしら。

 このあたりを質問して欲しいけど、索間さん、あんまり手慣れてないわね。

 いかにも新人記者って印象だ。

「なるほど、なるほど……では、下妻さんに質問です」

「なんでも訊いてぇな」

「火村さんの棋風、事前に調査してありましたか?」

 おっとっと、西日本陣営の戦略にれる質問だ。きわどい。

 案の定、うしろのほうで藤堂とうどうさんが眉間にシワをよせていた。

 いっぽう、下妻くんはあんまり御構い無しという感じだった。

「ちょいと調べさせてもろうたで、さすがに」

「棋譜並べなどは?」

「いやぁ、わい棋譜マニアちゃうし……写真だけばっちり拝んどいたわ」

 いやいやいや、どっから見つけたんですか。連合のHPにも載ってないわよ。

 つっこみどころが多すぎる。

「ふむふむ……本局、中飛車で来られたわけですが、予想通りだった、と?」

「中飛車言うても、いろいろあるさかいな……中盤の折衝で、7六飛を見落としたんは痛かったわ。もし気づいとったら、手ぇ変えとったで。8九金はお見事やね」

 索間さんは、パパッとメモをとった。

「ありがとうございました。それでは、2局目に入りたいと思います」

「感想戦、まだ終わってへんで?」

 下妻くんのクレームに、索間さんはにっこりと返した。

「ご安心ください。このあと、懇親会を予定しています。そこでやりましょう」

「おっしゃ、ほな、火村はん、おおきに」

「おおきに?」

「ありがとうございました、って意味やで」

「じゃ、あたしもおおきに」

 ふたりは一礼して、カメラマンさんのシャッターが光った。

 下妻くんは席を立ち、あたしたちにウィンクする。

「次のきくちゃんは、強いでぇ。心してかかりぃや」

 下妻くんは、西日本サイドにもどった。火村さんはあたしたちのほうへ踵を返す。

「おつかれさま」

 私は火村さんをねぎらった。火村さんは誇らしげに胸を張った。

「どう? やっぱあたし強いでしょ?」

「まあ、今回は認めざるをえないかな」

香子きょうこもツンデレねぇ」

 どういう意味ですか。べつにツンツンしてないし。

「それじゃ、康一こういち、あたしに続きなさい」

「な、なんか、いきなり下の名前で呼ばれてるけど、がんばるよ」

 矢追やおいくんは、まえに出た。ところが、相手は出てこない。

 っていうか、あのおかっぱ頭のおとなしそうな子、姿が見えないわね。

「お待たせしました」

 カチャリとドアが開いた。黒に金糸の着物を着た少女が入室した。

 西日本陣営の次鋒、市松いちまつきくさんだった。

「うげぇ、ドレスアップし過ぎでしょ」

 火村さんの小言こごとが聞こえたらしい。市松さんはこちらへふりかえった。

「もうしわけありません。対局時は和服と決めておりますので」

 それはスゴい。姫野ひめのさんとおなじで、いいところのお嬢さんなのかなぁ。

 そんな憶測をしているうちに、ふたりは席についた。

 索間さんが司会をつとめる。

「それでは、第2局に入りたいと思います。先に決めるのを忘れていましたが、振り駒はその都度でよろしいですか? それとも、先後反転させますか?」

「僕はどっちでも」

「私も先輩方にお任せします」

 索間さんは、2年生陣に相談をもとめた。

「振り駒でいいだろう。勝敗にはどうせ関係しない」

 藤堂さん、あっさり自分の意見を開陳。

「そうじゃの。わしらも振り駒でよいぞ」

 土御門つちみかど先輩もOKした。あんまり揉めたくなかった気配がある。

「では、矢追さん、市松さん、お好きなほうが振り駒をお願いします」

「市松さんでいいよ」

「分かりました」

 市松さんは袖をうまく調整して、振り駒をした。

「歩が1枚。私の後手です」

 駒が所定の位置にもどされた。チェスクロもリセットされた。

 ふたたび室内に重苦しい空気が流れ始める。

「それでは、第2局……始めてください」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 ふたりは一礼して、市松さんが軽くチェスクロを押した。

 7六歩、8四歩、6八銀。

 おっと、矢倉の出だし。

 3四歩、7七銀、6二銀、2六歩。

「7四歩」


挿絵(By みてみん)


「ん、もう7四歩?」

 矢追くんは、この手に首をかしげた。

「そちらの2六歩も早いように思いますが」

 市松さんの反論。矢追くんはちょっとだけ笑って、

「いやあ、用意してきた研究があるんだけど、これは外されちゃったかな」

 と白状した。たしかに、8手目7四歩は、あまり想定しないと思う。

 市松さんは、この会話にくすりともしなかった。クール。

「ま、こうなったら手なりだよね。2五歩」

 3二銀、2四歩、同歩、同飛、2三歩。2八飛。

 力戦になりそう。飛車先を交換できたから、悪くはないかも。

「7三銀」

「んー、速攻か。5六歩」

「手筋ですね。6四銀」


挿絵(By みてみん)


 これは難しい。構想力が問われる。

 私は速水はやみ先輩に話しかけた。

「市松さんって子、棋風はどうなんですか? 本局は奔放ですけど?」

「典型的な腕力タイプよ。力戦が得意」

 げげっ、完全にハマってるじゃないですか。

「矢追くんには伝えてあります?」

「いいえ、かえって緊張するでしょ」

 力戦は避けられないから、と速水先輩はつけくわえた。

 【知らぬが仏】理論のようだ。

「彼女は近畿連合主催の個人戦で準優勝だから、マークしてあったの」

「マーク、というのは?」

「関西七将の次期有力候補ってこと」

 うーん、速水先輩、自分のために情報収集してる感がある。

 とはいえ、局面はどんどん進んだ。

 7九角、4二玉、3六歩、3一玉。


挿絵(By みてみん)


 5六歩〜7九角の組み合わせは、うまいと思った。

 7五歩と速攻して来たら、4六角と牽制するつもりだ。

 市松さんもそれが分かっているから、いったん3一玉と囲っている。

「このまま囲い合いですか?」

 私の質問に、速水先輩はなんともいえない表情を浮かべた。

「そうね。いろいろあるとは思うけど……」

「速水さん、裏見うらみさん、おつかれでしょうから、どうぞお座りください」

 索間さんは、私たちに壁ぎわの席を進めてきた。

 どうしようか一瞬迷ったけど、速水先輩がことわったから私もことわった。

 というのも、座ってしまうと盤面が見えないのだ。

「将棋指しには、足腰も必要よね」

 速水先輩に同意。学生将棋の観戦には足腰が必要。

 高校のときも、1時間以上たちっぱなしで観ていた記憶がある。

「矢追くん、ずいぶんと考えてますね」

「攻めるのかもしれないわ。3五歩はあると思うから」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「同歩、同角で、5三の地点が不気味でしょ」

「ガードするために5二金右ですか?」

「積極策なら5四歩のほうがいいわ。5二金右は7一の地点にスキができて、5四歩と突けなくなるの。もちろん、5二金右〜7二飛〜7五歩も考えられるけど、それはそれで4六角と引かれたかたちが受けにくいわよね」

 速水先輩は、5四歩を推しているようだ。私もそっちな気がしてきた。

 もちろん、矢追くんがそのとおりに指すかは別問題で――

 

 パシリ

 

 おっと、指した。

 

挿絵(By みてみん)


 ほんとに仕掛けた。

 これは、市松さんの情報を伝えなかった効果かもしれない。相手が力戦タイプだと、手が萎縮してしまうことがあるからだ。3五歩は積極果敢。情報戦で有利になることもあれば、不利になることもある。

「面白くなってきました。同歩です」

 市松さんは、あっさりと取った。

 同角、5四歩、6六銀、5二飛。

「うわぁ、中飛車か……さすがに居玉はムリだな。6八玉」


挿絵(By みてみん)


 市松さんは、はなやかな巾着きんちゃくから扇子せんすをとりだした。

 ひらいてパタパタと扇ぎ始める。

 小ぶりな女物おんなもので、菖蒲あやめの絵が描かれていた。5月だからかしら。

「そうじゃ、将棋と言えば扇子なのじゃ」

 土御門先輩も負けじとパタパタし始めた。

 そんなので張り合わないでくださいな。小学生ですか。

「土御門先輩は、どう指しますか?」

「そうじゃのぉ……力戦はあまり好きではないのじゃが……5五歩はありうる」

「5五歩、同歩、同銀、同銀、同飛が角当たりなんですよね」

「しかーし、それは4六角で困るのじゃ。攻めが単調であーる」

「5五同角は、どうですか? 4六角のぶつけに9九角成で良くなりません?」

「5五同角には4六角ではなく5八飛とぶつけたいのぉ」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 なるほど、9九角成、5二飛成、同金右、5三歩くらいで困るか。

 先手が5八金右で受けなかったのは、5八飛の余地を残す意味もあったようだ。

 矢追くんも、対局者だからこのあたりは読んでいるだろう。

「ひと工夫必要な局面じゃな、もこっち?」

 土御門先輩は、ちらりと速水先輩を盗み見た。

「そうね……工夫がないわけじゃないし」

 むむむ、このふたり、その工夫とやらがなんなのか、分かってる素ぶりだ。

 私も考えるわよ。ああして、こうして――

 

 パシリ

 

 指したのかと思いきや、市松さんが扇子を閉じた音だった。

 小ぶりなそれを口もとに添えて、人形のように小首をかしげた。

「成立するもしないも一興ですか……どうせお祭りです。7五歩」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ