表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第17章 フレッシュ大学将棋:1日目(2016年5月28日土曜)
82/487

81手目 華麗なる金打ち

「よっしゃッ! 攻め合いやなッ! 1二角成ッ!」

 下妻しもづまくんは速攻で飛車をとった。

 読みどおりという顔をしている。

 火村ほむらさんもだいぶ時間を使ったから、はノータイムだった。

「同香。飛車角交換がそんなにうれしいの?」

「おたがいに最善手できとるからな」

 なるほど、いい勝負を楽しむタイプか。どうやらこの少年も将棋バカのようだ。

「ちゅーわけで、飛車の打ち場所も用意周到や。3二飛」


挿絵(By みてみん)


 下妻くんはチェスクロを押した。

「どや? こっちの狙いは、もう見えとるんやろ?」

「分かってるってば。切るつもりなんでしょ。ちょっと静かにして」

 火村さんは盤面をにらんだ。

 5七桂成は、7二飛行成、同金、同飛成となったときに困る。7一に打つ駒がない。

 7七歩成が本命だ。速水はやみ先輩が指摘してくれた順でもある。

「……7七歩成」

 よしよし、おそらく最善手。

「ほな、切るで」

 下妻くんは7二飛行成とした。同金、同飛成、8八と、同金までノータイムで進む。

 火村さんは大きく深呼吸をした。背筋を伸ばす。

「これで負けならしょうがないわ。7一歩」

 受け駒を節約した。

 下妻くんはポケットからティッシュを取り出して、軽く鼻をかんだ。

「失敬。こうみえてもデリケートやさかい」

「ほんとぉ? そういうのは、私みたいにデリケートな子が言う台詞でしょ」

 火村さんがデリケート? ほんとぉ?

「ほな、ちょいと考えさせてもらうで」

 下妻くん、ここで考えるの? タイミング的に変な気がする。

 悪いほうに見落としていたのか、好手を発見したのかは分からない。

 ギャラリーの速水先輩も、腕組みをして考えていた。そして、一言――

「龍を逃げない可能性があるわね」

 と、つぶやいた。私はおどろいた。

「逃げる以外になくないですか?」

「……チラッと思い浮かぶ手はあるわ」

 私はその手をたずねた。けど、速水先輩は、

香子きょうこちゃんも、すこし考えたら気づくと思うわよ」

 と答えて、それっきりだった。

 うーん、1二龍や6三龍じゃないとすると、龍にひもをつけないといけない。

 でないと、7二歩で龍が丸損になってしまう。

 紐をつけるには、6二金しかな……くもないか。7三歩もある。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 とはいえ、これで繋がるようにはみえ……ん? 同桂とできない?

 同桂だと8一金で詰んでしまう。

 すなおに7二歩、同歩成かしら。これを放置すると7一金(詰めろ)、同銀、同と。この段階では詰めろじゃない。次に7二金と打って詰めろで、8二金、7三歩(単に8二同金は同馬で切れそう)がまた詰めろ。これは7三同馬でしか回避できない。以下、同金、同金と取って……意外と繋がってるのかしら。ただ、今のは先手が手抜いたときの話だ。

 私は考えなおした。7二歩、同歩成、4九飛と仮定して、7一金じゃなくて再度7三歩もあるのよね。同銀は7一金に8二飛と受けるしかないから、さすがに寄る。後手はしぶしぶ7三同馬で、同と、同銀、7四歩の叩き。

 

【参考図】

挿絵(By みてみん)


 これは有力だ。6九飛成とされても、7三歩成のほうが圧倒的に速い。

 私は、チェスクロの画面をのぞいてみた。

 先手が8分、後手が10分。そろそろ指すんじゃないかしら。

 固唾かたずを飲んで見守る。

「……こっちやろなぁ」


 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 歩打ちだッ! 室内の空気が微妙にゆらいだ。

 関東と近畿の強豪ぞろい。おそらく、全員読みのうちにあったはず。

 火村さんはこの手を見て、いきなり席を立った。

 お手洗いかと思いきや、部屋のなかをうろうろし始めた。

 この光景には見覚えが――個人戦女子の決勝だ。

「あの子、集中するとじっとしていられなくなるみたいね」

 速水先輩が、小声でそうつぶやいた。

 カメラマンさんは、そんな火村さんを2、3枚ぱしゃり。

 火村さん自身は気づいている気配がなかった。

 むずかしい顔をして、窓際に歩み寄った。

「なんや、外から暗号でも送られとるんか?」

「……」

 下妻くんは、おどけた表情で肩をすくめてみせた。

 ほかのメンツは、誰も笑わない。ここが勝負どころだと分かっているから。

 下妻くんも、若干不安なのかもしれなかった。

 重苦しい雰囲気。私は耐えかねて、速水先輩に話しかけた。

「7二歩ですか?」

「7二歩は先手がいいわ。7三同馬が本線」

「馬と交換してあげるんですか?」

「寄る寄らないの問題だから、仕方がないわよね。相手もそれを承知の7三歩」

 ひそひそ話をさえぎるように、火村さんは着席した。

 私たちは私語をやめる。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ほんとに馬で取った。

 速水先輩の読みどおりなのは心強い。

 けど、先輩は、7三馬と取れば後手がいいとも言っていない。

 互角なのか、後手がいいのか、それとも、先手がいいのか。

 勝負の振り子は、まだ読み切れる位置にきていない。

「交換や。同龍」

 同銀、7四歩、8二銀、6四歩。


挿絵(By みてみん)


「先手の攻め、すこし遅くなりました?」

 私は速水先輩にたずねた。

「これも厳しいわよ。6三歩成〜7三金が速いから」

 うーん、かと言って、取ったら取ったで打たれてしまう。

 なにか攻防で利かさないといけない。

「6四歩」

 火村さんは単取りを選択した。下妻くんは、残り5分から1分投入して6三角。

 金打ちかと思った。けど、打たれてみるとこの角はいい手だ。

 攻めてるだけじゃなくて、5四角成〜4五馬で自陣に利かせることもできる。

 攻防手が先手のほうに出て、私は内心あせった。

「ふーん……角か」

 火村さんは、ポンとひざを叩いた。

「金も考えたんやけどな」

「5四の歩が狙えるから、角のほうがいいと睨んだんでしょ?」

「せや」

 下妻くんの返答に、火村さんは口の端をほころばせた。長い犬歯がのぞく。

「じゃあ、これはどう?」


 パシーン

 

挿絵(By みてみん)


「7六飛……?」

 下妻くんは、かたちのよい眉毛をもちあげた。

「7五飛とちゃうんか?」

「7五飛は8六金で困るでしょ」

 火村さんは、8六金を喰い千切るか放置する順を考えているらしい。

 7五飛だとどちらもできない。

「せ、せやけど……」

 下妻くんは、なにかあると思ったようだ。

 目つき鋭く、読みを入れ始めた。

 一方、ギャラリーの反応はさまざまだった。

「5四角成が飛車当たりなのを見落としてる……ってことはないよね?」

 近くにいた矢追やおいくんは、心配そうにつぶやいた。

 これには、大河内おおこうちくんが反応した。

「さきほど5四角成を指摘していましたし、それはないでしょう」

「でも、5四角成〜4五馬は防げないよ、これ」

 大河内くんは、メガネの位置をなおした。キラリとレンズの奥が光る。

「この4五桂、撒き餌とみました」

「撒き餌?」

「ここから5四角成、7四飛、4五馬、4九飛と打つと、どうなりますか?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 矢追くんはアッとなった。

「そ、そっか、6九の銀が浮いてて、両取りになってる」

「7四の拠点も外れてますし、これは先手勝てませんよ」

 うむむ、これには私も感心してしまった。

 盤面のほうを見やる。下妻くんは、かなり険しい表情。

「あかん……この飛車は見落としとったわ……」

「投了する?」

「ちょい待ち。シンキングタイムや」

 下妻くんは、親指でくちびるを撫でた。無言で考え始める。

 火村さん、勝利寸前? 私は期待を膨らませた。

「速水先輩、うちが白星先行かもしれないですね」

「まだ安心するのは早いわ。7六飛自体は攻めるとは言えないのよ」

 むむむ、慎重な返答。

 それを証明するかのように、下妻くんの表情もだんだん好転してきた。

 ふんふんと何度かうなずいている。

「これでイケるんとちゃうか。7三金」


挿絵(By みてみん)


 火村さんは、30秒ほど考えて同銀と取った。

 のこり時間は、先手が2分、後手が3分。

 火村さんの離席長考で、差は詰まってきている。

「短時間なら攻めてるほうが有利やッ! 同歩成ッ!」

 同飛、7四銀、6三飛、同銀成、8二銀。

 ぐッ、ここで手を入れているようじゃキツいかも。

「わいが先着するでぇ、4二飛ッ!」

「甘いッ! 8五角ッ!」


挿絵(By みてみん)


 下妻くんは頭をかいた。

「かぁ、ええ手や」

「でしょ」

「せやけど、必至にもってけばわいの勝ちや。7二金」

 ゴリ押した。この時点で、下妻くんは1分将棋に突入。

 同歩、7二成銀、7一金、同成銀、同銀、7二歩。

 こんどは火村さんがあせりはじめた。額に汗を浮かべている。

「は、8二銀」

 下妻くんは50秒まで考えて、持ち駒の金に手を伸ばす。

「ほんまギリギリやな……6二金」


挿絵(By みてみん)


 これは2手スキだ(7一歩成が詰めろ)。

 でも、7筋に飛車を打てば受か――るけど、1二飛成でいい勝負っぽい。

 火村さんは、身じろぎもせずに考え込んだ。

 

 ピッ

 

 火村さんも1分将棋に。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「3三角ッ!」

 そ、そっち? 7筋に受けたほうが安全では?

 下妻くんはノータイムで3二飛成とした。時間攻めだ。

 先手は駒を1枚もらえば、後手玉に一気に迫れる。

 火村さんは右手をくちもとにあてて、敵陣と自陣のあいだで視線を往復させた。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


 せ、攻めた……これには両陣営の顔色が変わる。

「さすがに詰めろね」

 まっさきに判断をくだしたのは、速水先輩。

 私もこれが詰めろであることに気づく。

 7一歩成なら8八銀成、同玉、7七金打、同桂、同金、同銀、同角成、同玉、6七飛、8六玉、6六飛成、9七玉(8五玉は8四金の一手詰みで7六に合駒は意味なし)、9六銀、8八玉、7七金、7九玉、6九龍、同玉、6八銀まで。5八には角が効いている。現局面で3三龍なら詰まないけど、先手の攻めも遅れるから8八銀成、同玉、7六歩くらいでいい。

 さすがに下妻くんも手をとめた。59秒まで考える。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同桂ッ!」

 同金、同銀、同角成、同金。


挿絵(By みてみん)


 どっちが勝ってるの? 後手の攻めは続いているようにみえた。

 けど、これで決まらなかったら負けだ。先手に駒を渡してしまっている。

「7六歩」

 詰めろ。8八銀、同玉、7七歩成以下、さっきと似た順になる。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 下妻くんは黙って金を引いた。

 7七金か7七銀と突っ込むのが第一感。

 30秒を過ぎたところで、火村さんは金のほうを手にした。

「第1局からこんな綺麗な棋譜ができるなんて……ステキじゃない?」


 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 金捨て? 同玉で……あッ! 7七桂ッ!

 8八玉は9九銀、7九玉(同玉や9七玉は飛車打ちで即詰み)、8九飛、6八玉、6九飛成……4五の桂馬が利いて詰んでるッ! まさかの全軍躍動ッ!

 ど、同金なら詰まないけど、同歩成で必至っぽい。

「ハァ……ほんまに綺麗やな」

 下妻くんは、あきらめたようにタメ息をついた。

 すっきりした笑顔で、眉毛をなでた。

「投了する?」

「せやな。この金はわいには取れん……投了」

場所:デイナビ主催 東西対抗フレッシュ大学将棋 先鋒戦

先手:下妻 千

後手:火村 カミーユ

戦型:ゴキゲン中飛車


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛

▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲3六歩 △4二銀

▲3七銀 △5三銀 ▲4六銀 △4四銀 ▲5八金右 △6二玉

▲7八玉 △7二玉 ▲6六歩 △8二玉 ▲6七金 △9二香

▲7七角 △9一玉 ▲8八玉 △8二銀 ▲9八香 △7一金

▲9九玉 △4二角 ▲8八銀 △5一金 ▲9六歩 △6二金左

▲9五歩 △7二金寄 ▲7九金 △7四歩 ▲3八飛 △5三角

▲6五歩 △7五歩 ▲6六角 △7六歩 ▲7八飛 △4二角

▲1六歩 △5三銀 ▲5五角 △3三桂 ▲7六金 △5四銀

▲6六角 △4五銀 ▲5五銀 △5四銀 ▲4六銀 △4五銀

▲5五銀 △5四銀 ▲4六銀 △4五銀 ▲5五銀 △5四歩

▲4六銀 △同 銀 ▲同 歩 △6七銀 ▲7七飛 △7六銀成

▲同 飛 △6七金 ▲7五角 △同 角 ▲同 飛 △6六角

▲7六飛 △5七角成 ▲5三歩 △1二飛 ▲6九銀 △6六金

▲7五飛 △7六歩 ▲6八銀打 △4六馬 ▲2一角 △4五桂

▲1二角成 △同 香 ▲3二飛 △7七歩成 ▲7二飛上成△同 金

▲同飛成 △8八と ▲同 金 △7一歩 ▲7三歩 △同 馬

▲同 龍 △同 銀 ▲7四歩 △8二銀 ▲6四歩 △同 歩

▲6三角 △7六飛 ▲7三金 △同 銀 ▲同歩成 △同 飛

▲7四銀 △6三飛 ▲同銀成 △8二銀 ▲4二飛 △8五角

▲7二金 △同 歩 ▲同成銀 △7一金 ▲同成銀 △同 銀

▲7二歩 △8二銀 ▲6二金 △3三角 ▲3二飛成 △7七銀

▲同 桂 △同 金 ▲同 銀 △同角成 ▲同 金 △7六歩

▲7八金 △8九金


まで140手で火村の勝ち

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ