79手目 顔合わせ
「俺が西日本代表チームの学生幹事、藤堂だ。よろしく」
スーツにネクタイを決めたメガネの青年は、滑舌のよい口調でそう名乗った。
オールバックの髪型が後ろに流れている。
目元はキリッとしていて、知的な印象を受けた。
そして、そのとなりに立つ、ひとりの令嬢――
「副幹事の姫野咲耶ともうします。よろしくお願いいたします」
きたぁ。姫野さん、いつか会えると思ってましたよ。
予想以上に早かったけど。
彼女は私と同郷で、H島出身の女流強豪だ。
実家は有名な大企業で、つまりは正真正銘のお嬢様。
黒髪ロングが美しい。白を基調としたスカートに濃紫のブラウスを着ていた。
「えーと……こっちはだれが挨拶する?」
矢追くんは、私たちのほうに小声で話しかけた。
「てきとうでいいんじゃないですか」
「だったら言い出しっぺの勉からね」
大河内くんは、全然かまわないという様子だった。
「大河内勉、治明大学1年生です。よろしくお願いします」
私たちは、順番に自己紹介していく。
「電電理科大学1年、矢追康一です。よろしくお願いします」
「都ノ大学1年生、裏見香子です。よろしくお願いします」
「聖ソフィアの火村よ。よろしく」
火村さん、態度しっかり。
全員が自己紹介を終えたところで、藤堂さんの目が光った。
雰囲気からして上級生だし、これは怒られる流れ?
「4人しかいないようだが……5人目は?」
私たちは顔を見合わせた。藤堂さんの顔がくもる。
「まさか、東日本は4人しか出していないというオチか?」
これには、矢追くんがあわてて否定した。
「あ、ちがいます。ちゃんといます」
「誰だ?」
「帝大の氷室くんです」
藤堂さんは、眉間にしわを寄せた。
「やはり氷室か……」
そんなにイヤがること、ないんじゃないかしら。
まあ、氷室くんがめちゃくちゃ強いから、そこで1敗確定って読みなのかも。
「氷室はどこにいる?」
この質問にも、私たちは困ってしまった。矢追くんは頬をかいて、
「いやあ、じつは一緒に行動してないんですよ」
と白状した。
「一緒に行動していない? 東日本の学生幹事はだれなんだ?」
「土御門先輩と速水先輩です……たぶん……」
「たぶん、というのは?」
「あ、いえ、引率というのは聞いてますが、学生幹事かどうかは……」
矢追くんは言葉を濁した。
藤堂さんと姫野さんは、おたがいに顔を見合わせる。
「まいったな。あのふたりか。どうする?」
「いつものことですし、しばらく待ってみてはいかがでしょうか」
常習犯かい。
「とはいえ、このまま突っ立っていても、しょうがない。西日本も顔合わせといこう」
藤堂さんは、デイナビ出版部の控え室へ姿を消した。
そして、すぐにもどってきた。西日本代表の新人が、ぞろぞろと出てくる。
そのなかのひとりを見て、私はアッとなった――知り合いがいたからだ。
「こちらの端から順番に頼もう」
藤堂さんの指示で、一番左端の男子からあいさつすることになった。
ひとりめは、いかにも初々しい1年生、という感じの少年だった。
ちょっと緊張しているのか、両腕をサイドにぴったりとくっつけて、
「機内大学1年、山城謙吾ですッ! よろしくお願いしますッ!」
と元気よく挨拶した。
次に、髪を短く刈り込んだ、ちょっとチャラそうな男子。
「堺大学1年生の下妻千や。よろしゅ」
シモヅマくんは、親指をうえに立ててウィンクした。
こんどは、前髪ぱっつんの、まつ毛が長い日本人形みたいな少女。
「古都大学1年、市松菊と言います。よろしくお願いします」
ほほぉ、ということは、姫野さんの後輩ですか。姫野さんも古都大学だ。
東の帝大、西の古都。それぞれ東日本、西日本のトップに君臨している。
次に、釣り用のジャケットに帽子をかぶった少女がまえに出た。
「西日本水産大学1年の磯前良江だ。よろしく」
磯前さんは、私のほうをちらりとみて笑った。
アイコンタクトで「おひさしぶり」と返しておく。
「以上だ」
藤堂さんのコメントに、東日本陣営は目を白黒させた。
矢追くんが代表して、
「4人しかいらっしゃらないんですか?」
と尋ねた。
「こちらもまだ合流していない」
あのさぁ……どっちもどっちじゃないですか。
この藤堂さんというひとがどういう性格かは分からない。でも、几帳面な姫野さんがいるのにこういう不手際があるのは、解せなかった。氷室くんについて詰問したのも、人数が足りないからじゃなくて、別な理由があるのかもしれない。私はそんなことを思った。
ここで、デイナビ記者の索間さんが口をひらいた。
「えー、それでは、スケジュールを決めたいと思います。今回は協賛企業さまから、十分に資金が出ております。2泊3日ですので、今日指していただいてもけっこうですし、明日指していただいてもけっこうです。ただ、時間的な都合から、最大でも30分60秒将棋を5局とさせていただきます」
うーん、主催者側でもなにも決まっていないのか。
いずれにせよ、最大5局ということは――
「全員を当てるなら、やはりチーム戦ということになりそうです」
姫野さんのコメントに、藤堂さんもうなずいた。
「トーナメントでは、東日本と西日本に分けた意味がない。チーム戦にしよう……索間さん、30分60秒で5局ということは、15分30秒なら10局ですか?」
「そう単純に計算はできないので、即答は困難ですが……ただ、掲載する棋譜はこちらで選別しますので、10局程度なら許容範囲です」
索間さんの返答に、藤堂さんは腕組みをしてあごを引いた。
「ふむ……先後1局ずつという手もあるな……東日本は、どう考える?」
どう考えると言われましても。私たちは困ってしまった。
とりあえず相談してみる。
「やっぱりMINEで先輩たちに連絡したほうがいいんじゃない?」
私の提案に対して、大河内くんはスマホをいじりながら、
「さきほどから何回も送っているのですが、既読がまったくつきません」
と答えた。私は電話してみるようにアドバイスした。
「……ダメです。電波は届いているようですが、出てくれません」
大河内くんはスマホを耳から離した。そして、こう言った。
「氷室くんを大将にするはずだったので、彼さえいてくれれば……」
「え、そうなの?」
「傍目先輩だけでなく土御門先輩たちにも同じことを言われたので、まちがいないと思います。先輩たちは、氷室くんが指揮ってくれるから大丈夫だと思っている可能性もありますね」
うむむ、まいった。西日本陣営の視線が痛い。
私は、氷室くんと連絡がとれないのかと尋ねた。
「ムリですね。彼はだれにも連絡先を教えてないんですよ」
「帝大の知り合いは? そのひとから間接的に連絡してもらえないかしら?」
「帝大の将棋部員も、氷室くんのアドレスや電話番号は知らないと言っていました」
「え? ……それはないでしょ。だったらフレッシュ戦自体連絡できないじゃない」
「氷室くんと連絡するには、帝大のだれかにメッセージを送って、それを大学のキャンパスで直接伝えてもらうそうです。でも、氷室くんは今、O阪にいますから……」
連絡手段がないってことじゃないですかッ!
これには、聞き耳を立てていた藤堂さんが反応した。
「東日本はこちらに丸投げということでいいのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
矢追くんは、しどろもどろになる。
藤堂さんは、索間さんのほうへふりむいた。
「索間さん、東日本の幹事と協議して決めないといけませんか?」
「そのぉ……できれば……」
「東日本の幹事はいませんし、仮に5局だとしても、今日と明日で2回に分けたほうが合理的です。感想戦なども含めると、1局で2時間近くかかりますからね。5局を10時間連続でやるというのは、関係者の負担が大きすぎます」
ぐぬぬ、このひと、見た目どおり頭が回るみたい。
索間さんが押し切られそうになったところで、姫野さんが口をひらいた。
「藤堂さん、そうあせらずに。今日指すとしても、時間は十分にあります」
「しかし、姫野くん、東日本は事実上の監督放棄だ」
「土御門さんはともかく、速水さんはもうすこし信頼なさってもよろしいのでは」
つ、土御門先輩の評価って、こっちでもそんな感じなんだ。納得してしまう自分。
藤堂さんは腕を組み、こぶしであごを支えた。
「速水くんか……彼女は酒好きだろう。二日酔いで来られないんじゃないか」
「速水さんが二日酔いになるとは思えませんが……」
「たしかに……去年の七将戦の打ち上げはバケツで飲んでいたからな……」
えぇ……聞かなかったことに。
ああだこうだと議論(?)が続いて、藤堂さんはパンと手をたたいた。
「埒が明かないな。東日本に幹事がいない以上、こちらで決めるしかあるまい」
藤堂さんは、索間さんに三度話しかけた。
「今からおたがいの代表2名で2局、明日の午前中に1局、午後に2局でどうですか?」
「みなさんがよろしいなら……それで……」
索間さん、さっきから主体性がなさすぎでしょ。
担当記者なんだから、索間さんが仕切ってもいいくらいなのに。
「では、索間さんもよろしいようなので、さっそく……」
「待て待て待てぇい!」
突然の呼び声――私たちは一斉にふりむいた。
事務所のいりぐちのところに、ふたりの人影がみえた。
「この土御門公人をさしおいて密議するとは、不届き千万。神妙にするのじゃ」
土御門先輩は啖呵をきって、扇子をパチリと閉じた。
スーツ姿の速水先輩もとなりにいた。
藤堂さんは、いかにも感心しないといった表情。
「おまえたち、遅れて来ておいて、ずいぶんと横柄な態度だな」
「なにを言っておる。今が1時半じゃぞ。フライングするでない」
そ、そういえば、ミーティングは1時半からだ。
西日本陣営の口車(?)に乗せられるところだった。
土御門先輩は扇子をふたたびひらいて、パタパタとあおいだ。
「というわけで、東日本幹事のおでましじゃ。協議に入るぞ」
「ふむ、では、東日本の提案を言ってみろ」
「今日はおたがいの代表2名で2局、明日の午前中に1局、午後に2局じゃ」
「それは俺のアイデアだろうがッ!」
「わっはっは、相乗りというやつじゃ」
土御門先輩は、おどけてひょいひょいと踊りをおどった。
「それでは、代表を決めるぞい」
なんだか一瞬で決まってしまった。あきれるやら、感心するやら。
「して、クジにするか? それともジャンケンか? わしはどちらでもよい」
土御門先輩は、ほんとうにどちらでもいい感じだった。
ぶっちゃけ私たちも、どちらでもいい。
ところが、藤堂さんは難をしめした。
「そちらの大将は、氷室だと言ったな?」
「む、よく知っておるな」
「さっき1年生がそうしゃべっていた」
「ふむふむ、して、氷室が大将だとなんなのじゃ?」
藤堂さんは、この質問には直接答えなかった。
「おたがいの幹事が先鋒から副将までを決めて出すというのは、どうだ?」
「ほぉ、変わった風の吹きまわしじゃな。その意図は?」
「べつに意図はない。ただ、せっかく大将を決めたんだ。無意味にはしたくない」
土御門先輩は目をほそめた。扇子でくちもとをおおう。
「……ちと、もこっちと相談させてくれんかの」
「もこっち?」
「速水のことじゃ」
「ああ、それなら好きにしろ」
土御門先輩と速水先輩は、事務所のかたすみで相談をはじめた。
そんなに揉めることかしら。
もちろん、藤堂さんの提案もよく分からない。クジのほうが簡単だ。
せっかく大将を決めたんだから、というのも、なんだか言いわけくさかった。
たっぷり5分も相談して、土御門先輩たちはこちらにもどった。
「よろしい、受けて立つぞい」
「よし、では作戦タイムだ」
「わしらはもう決めておる」
藤堂さんは眉をひそめた。けど、すぐに真顔にかえった。
「なるほど、それなら話は早い。すこし待っててくれ」
こんどは、藤堂さんと姫野さんがはしっこに移動した。
ふたりは3分ほど相談してもどってきた。
「こちらも決まった。紙に書いて索間さんに渡すとしよう」
土御門先輩と藤堂さんは、それぞれメモ用紙に名前を書いた。
それを受け取った索間さんは、ホワイトボードに組み合わせを発表した。
5月28日(土)
〔午後〕
1回戦 火村カミーユ vs 下妻千
2回戦 矢追康一 vs 市松菊
5月29日(日)
〔午前〕
3回戦 大河内勉 vs 磯前良江
〔午後〕
4回戦 裏見香子 vs 山城謙吾
5回戦 氷室京介 vs 宗像恭二
ホワイトボードを見て、私たちはしばらく押し黙った。
私は山城くん、さっきの元気な子が相手だ。
とはいえ、それは明日の話。
先鋒と次鋒に選ばれたふたりのほうが深刻だ――と、思いきや。
「へぇ、あたしからなんだ。ちゃちゃっとぼこっちゃいましょ」
火村さんはニヤリと笑って、指の骨をポキポキさせた。
相手の下妻くんも、そこまで緊張感のない顔で苦笑した。
「あかん。強敵と当たってしもうたわ」
「あたしのこと知ってるの?」
「知らん」
火村さんは腰に手を当てて、ぷくっと頬を膨らませた。
「まあまあ、怒らんといてぇな。かわいい顔が台無しや……索間はん、ここで指すの?」
「え、あ、はい、部屋はとってあります。ご案内します」
私たちは、事務室のさらに奥の部屋に案内された。
豪勢な洋室で、取材に使っている雰囲気だ。
部屋のすみには、カメラやライトが設置してあった。
「それでは、盤駒をお持ちします」
索間さんは、てきぱきと準備をはじめた。
私たちも手伝って、アッという間に終わる。
カメラマンさんも入室した。いきなり呼び出されたのか、汗をかいていた。
索間さんはチェスクロをいじりながら、周囲に確認をとる。
「いいですか。30分60秒ですよ。千日手は指し直し。持将棋は24点法です」
ん、意外と詳しいのね。
火村さんと下妻くんは席につく。
「それでは、振り駒をお願いします」
「レディファーストや」
「じゃ、振らせてもらうわよ」
火村さんは勢い良くかき混ぜて、パラッと盤のうえに放った。
「ん、表が1枚」
「ほな、わいの先手」
火村さんは不満顔で歩をもとの位置にもどした。
「チェスクロは、あたしの右で」
「はい」
索間さんは、チェスクロを火村さんの右側においた。
「おふたりとも、対局準備はよろしいでしょうか?」
「はいな」
「OK」
「では、これより、東西対抗大学将棋フレッシュ戦を開催します……対局開始ッ!」
ここまでお読みいただきまして、まことにありがとうございました。
将棋部系列の本年の更新は、これが最後です。
来年はまた年始から更新していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
東日本と西日本の威信を賭けた戦いの行く末は?
ホワイトボードに書かれた名前の意味は?
今回はミステリ要素もありますので、いろいろ推理していただけるとさいわいです。
では、よいお年を^^