7手目 え、部員が足りない?
「個人戦が来週から?」
ここは都ノ大将棋部の部室――フローリングの床に白い長テーブルが並べられた、すこし古めの建物。窓の外から、駅前の町並みが見えた。棚には、将棋の本がたくさん。OBが買い集めたものでしょうね。タダで引き継ぐのは、ちょっと後ろめたい。でも、これがないと将棋の勉強ができなかった。
贅沢な設備に囲まれて、私たちは、今後の予定を話し合っていた。第一回のミーティングというわけだ。三宅先輩を中心に、テーブルを囲んでいる。そのとき、私の口から飛び出たのが、さっきの台詞だった。
「そうだ。来週の日曜日からだ」
三宅先輩は、スケジュール表を丸めて、ポンと手を叩いた。
私も、受け取ったプリントを確認する。
4月17日(日) 個人戦1日目
24日(日) 個人戦2日目
5月 1日(日) 個人戦3日目
8日(日) 団体戦1日目
15日(日) 団体戦2日目
22日(日) 団体戦3日目
29日(日) 新人戦1日目
6月 5日(日) 新人戦2日目
「ずいぶん、詰め込んであるんですね」
「大学将棋界は、4、5月が忙しい。毎週大会がある」
うぅむ、ってことは、休みなしか。思っていたよりも大変だ。
私の動揺を感じ取ったのか、三宅先輩は、
「大学は夏休みと春休みが長いから、高校よりは自分の時間があるぞ」
と付け加えた。実感が沸かない。
それと、もうひとつ――スケジュール表を見ながら、疑問に思ったことがあった。
「王座戦っていうのは、いつあるんですか?」
私の質問に、三宅先輩は、
「王座戦というのは、関東2校、関西2校、中部、北信越、東北、九州、北海道、中四国からそれぞれ1校が出場して日本一を決める団体戦のことだ。12月に開催される」
げげッ、日本一決定戦だったのか。
三宅先輩が安請け合いしなかったのも納得。
関東から2校だなんて、出場枠が狭過ぎる。
「出場枠2校ってことは、団体戦のAクラス優勝校と準優勝校ですか?」
「ひとつはAクラス優勝校だが、もうひとつの枠は違う……これに関しては、まだ気にしなくていい。王座戦の出場選抜トーナメントに出られるのは、Cクラスからだ。春の団体戦で昇級して、秋にCクラス優勝、そこからさらに選抜で優勝が、最短コースになる」
なるほど、私は納得した。
「当面の目標は、Cクラスに上がることなんですね。昇級枠は?」
「どのクラスも上位2校だ。Dにはうちを含めて10校いる。簡単じゃない」
むむむ、高校の市代表決定戦よりシビア。当たり前か。
三宅先輩は、ほかのメンバーにも質問はないかと尋ねた。
松平と大谷さん、風切先輩は、ないと答えた。
「それじゃ、次の話題、部員集めだ。大学将棋は、高校全国大会の3人制とは違い、7人制でやる。オーダー表に書き込めるレギュラーは14人まで」
14人って、めちゃくちゃ多い……って、あれ?
「私たち、5人しかいませんけど?」
「そうだ。現状だと、毎回不戦敗2からのスタートになる」
ちょっとちょっと、ダメダメじゃないですか。
私の不信感を察知したのか、三宅先輩はすぐに先を続けた。
「だからこそ、部員を今から集めたい。最低でも7人。オーダー表をずらすことも考えると、できれば10人は欲しい。集め方は……」
話が終わらないうちに、松平が口を挟んだ。
「待ってください。ここで寄せ集めるなら、最初に厳選した意味がないですよ?」
そうそう、弱いひとを入れても、不戦敗2が黒星2になるだけだ。
そんなことをするなら、最初から数合わせで入れておけという話。
「もちろん、寄せ集めはしない……ただ……」
三宅先輩は、風切先輩を盗み見た。
風切先輩はテーブルに右肘をつき、こめかみをこぶしで支えて黙っていた。
「風切と相談した結果、『部員は1年生と2年生の実力者』から集めることになった」
これには、1年生3人が顔を見合わせる。最初に口をひらいたのは、松平。
「ハードル上げ過ぎじゃないですか? なんで2年生以下なんです?」
「ちゃんと理由がある。まず、王座戦云々を言い出したのは、俺たち1、2年生だ。これから入る新入部員の了承を取っているわけじゃない。大学にも上下関係はあるから、3年生以上が入ってきて、アットホームサークルなんて言い出されたら、そこで王座戦出場は難しくなってしまう」
うーん、なんだかナマナマしい理由で、気が滅入る。
「それと、もうひとつ……実は、こっちのほうがメインだ。さっきも説明した通り、春はDクラスからやり直しで、王座戦への出場資格はない。秋はCクラス優勝で、出場枠争奪戦に進める……が、これはほとんど絶望的だ。本格的に狙うのは、来年度以降になる。すると、今年の4年生はいないし、そもそも就職活動で忙しい時期に声をかけても、入ってくれるわけがない。3年生はまだ大丈夫だが、肝心のBクラスのときに、就職活動で来てくれなくなる恐れがある」
なるほど、三宅先輩と風切先輩、ずいぶんと考えたうえでの結論なのね。
松平と大谷さんも、納得したようだ。
でも、問題はまだ解決していない。大谷さんが質問を放った。
「理由は承知しましたが……1、2年生だけで、さらに5人も集まるのでしょうか?」
これに反応して、風切先輩が口を挟む。
「ぶっちゃけた話、7人でもDクラスは何とかなる。5人は危ない。Dクラスって言うのは、選手全員がD級ってわけじゃないからな。それこそBクラスでレギュラーを張れそうなやつも、各校にひとりくらいはいる。最下位からの昇級は、ほぼ全勝条件だ。そうなると、不戦敗2だけは避けたい。事故があったら負ける」
どうやら風切先輩は、7人でもいいと思っているようだ。急募は2名。
でも、その2名の壁が厚かった。
「だれか、心当たりはないか?」
三宅先輩の質問に、私たちは首を振った。
「心当たりがあれば、最初から面子に入れています」
と松平。
「それも、そうか……とりあえず、周囲にいろいろ声をかけてみてくれ」
と三宅先輩。うーん、将棋で声をかけるのって、気が引けない?
「ほかにないなら、ミーティングはこれくらいにして、将棋を指そう」
異議なし。どういう組み合わせで行こうか悩んでいると、風切先輩が、
「裏見と松平は、俺と指してくれ」
と誘ってきた。
「大谷と三宅の実力は分かったが、おまえたちはよく知らないからな。棋力を把握しておかないと、オーダーを組むときに困る」
私は了解して、松平と順番を譲り合った。
「いや、2面指しでいい」
「……俺と裏見、ふたり同時ですか?」
風切先輩は手の平をうえに向けて、くいくいと手招きした。
掛かってこいというジェスチャーだ。
さすがにこれは、将棋指しの勝負魂に火がともる。
あんまり舐めないでちょうだいな。
テーブルにチェスクロ2つと盤2つを用意して、私と松平は並んで座った。
「棋力を見たいから、1分将棋でいいな?」
「私は、いいですけど……風切先輩がキツくないですか?」
そんなことはないと、先輩は答えた。松平は、何も言わない。
先輩も駒を並べ終えて、ふたつの盤の中間に座る。
振り駒は、私たちに譲ってくれた。
「……裏見、歩が4枚です」
「松平、歩が3枚」
「両方後手番か……混乱しなくていい」
チェスクロの位置をなおして、私たちは背筋を伸ばす。一礼。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
風切先輩は、順番にチェスクロのボタンを押した。対局スタート。
私は7六歩と突いた。となりを確認すると、松平も同じ手……っと、集中、集中。
奨励会2級ってことは、相当な実力者なんでしょ。半端じゃ勝てないわね。
だからって、負ける気もない。
3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5二飛。
大谷さんのときと、同じ戦型。
なんとなく予想していたから、私はノータイムで次の手を指した。
「2二角成」
丸山ワクチン。同銀に9六歩と突く。
「佐藤流か……ずいぶん古いな。9四歩だ」
温故知新ってやつよ。元奨励会員なら、どうせ最新形も知っている。
7八銀、6二玉、6八玉、7二玉、6六歩、3三銀。
「6七銀」
私は銀を上がって、木村美濃の亜種を目指した。
風切先輩は、松平のほうを一手指してから、8二玉とひとつ入る。
7八金、7二金、8六歩、6二銀、7五歩。
上部を圧迫していく。対ゴキゲン用に準備した、玉頭位取りもどきだ。
松平のほうは、オーソドックスな穴熊vs四間飛車になっていた。
純粋中飛車党じゃなくて、もっとカテゴリーの大きな振り飛車党みたい。
「となりを気にしてる場合じゃないぜ。6四歩」
それは予定通り。
私は7七玉として、さらなる高みを目指した。
風切先輩は、2二飛と振りなおしてくる。
「8五歩」
玉頭を制圧。
変則的な駒組みになったからか、風切先輩は、私のほうに時間を使い始めた。
「……攻めるか。2四歩」
逆棒銀。
対策がなければ、このまま2七銀成まで押し込まれてしまう。
でも、このかたちなら後手はスキだらけ。
「同歩」
「同銀」
私は持ち駒の角を、4五に放った。