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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第17章 フレッシュ大学将棋:1日目(2016年5月28日土曜)
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77手目 御堂筋の賭け将棋

挿絵(By みてみん)


「あかん、詰んどるな。わいの負けや」

「ありがとうございました」

 火村ほむらさんが一礼して、対局終了。

 負けたおじさんは、くわえタバコをニヤニヤしながら揺らした。

「姉ちゃん、えらい強いなぁ」

「でしょ?」

「旅行客やろ。このへんじゃ見かけん顔やさかい」

 火村さんは、東京から来たと答えた。

 おじさんは、自分が東京へ出稼ぎに行っていたときの昔話を始めた。

 私はたこ焼きをつつきながら、あたりを見回した。

 ここは、御堂筋みどうすじのど真ん中。

 大きなイベント用の将棋盤が並んだスペースだ。

 暇をもてあましたおじさんたちと、小・中学生が目立つ。

 そんななかで、私と火村さんはかなり浮いていた。

「せやから、そこで今の家内と……」

「あんたッ! なに昼間っから将棋指してんのッ!」

 おじさんが連行されて、ゲームセット。

 火村さんは大きく背伸びをした。

「これで3連勝。調子がいいわねぇ」

「わざわざ御堂筋で将棋指すことなくない?」

「東日本と西日本の将棋のちがいを研究してるのよ」

 そんなのないと思うけどなぁ、このインターネット時代に。

 指そうと思えばH海道とO縄のメンツでも指せる。

「東日本と西日本の確執って、今でもあるわけ?」

「確執?」

升田ますだ幸三こうぞう木村きむら義雄よしおって、仲が悪かったんじゃないの?」

 いつのことですか。私はあきれて、たこ焼きをほおばった。

 たこが大きくてグッド。噛みごたえがある。

「それ、美味しいの?」

「食べたことない? 一個あげるわよ?」

「んー、どうしよっかなぁ……」

 たこ焼き一個で迷うとか、そうとうなダイエッターと見ました。

 だけど、観光地でグルメに走らない手はない。はふはふ。

「男子はどこへ行ったの?」

「あべのハルカス。有名な観光スポットよ」

「打ち合わせのあとで行けばいいのに」

 どうかしら。観光の時間があるかどうか。

 組み合わせが決まったら、それこそ練習になると思うんだけど。

 それとも、お祭りイベントでぶっつけ本番なのかなぁ。

「今度はだれと指そうかしら」

 火村さんは、会場の物色を始めた。

 ほんとに将棋好きねぇ。お世辞抜きで感心しちゃう。

「あいつにしよっと」

 火村さんは、長い爪で会場のすみっこを指差した。

 すると、ひとりの少年が、テーブルに両足を乗せてふんぞり返っていた。

 ずいぶんとオシャレなかっこうだ。頭には茶色のニュースボーイキャップ。

 服は白のポロシャツにジーンズ。うえにはグレーのジャケットを羽織っていた。

 顔立ちは整っていて、ウルフカットの前髪がキャップからのぞいていた。

「ちょっと感じが悪くない?」

 私は前かがみになって、火村さんに耳打ちした。

「そう? べつにイヤな匂いはしないけど?」

 そりゃ10代だから加齢臭はしないでしょ。日本語が通じていない。

 問題なのは、ほんとに将棋客なのか、ってことだ。休憩してるだけの可能性も。

 私は引き止めようとしたけど、火村さんは駆け寄って話しかけてしまった。

「ねえねえ、私と指さない? 空いてるんでしょ?」

 少年はテーブルに足を乗せたまま、ちらりとこちらを見やった。

「……空いてないよ」

 火村さんは、この返答にムスッとした。

「さっきからひとりでしょ?」

 少年は軽くタメ息をついた。足をテーブルからおろして、トンと立ち上がった。

「なかなか来なくてね。もう3年近く待ってるんだ」

 えぇ……? なにそれ? 宿命のライバル?

 いや、断る口実だとは思うんだけど……なんか、口調が真に迫っていた。

「だったら、今から来る保証もないじゃない。あたしと指しなさいよ」

 んー、命令できる立場じゃないと思うんですが。

 ところが、少年は逆にくすり笑った。

「じゃあ、なにか賭けようか」

 賭け将棋――私は危険を感じた。

「火村さん、日本で賭博は禁止よ」

「飴玉一個でも?」

 ダーメ。法律には詳しくないけど、めんどうごとは勘弁。

「べつに物は賭けなくていいさ」

 少年は、いきなり手のひらを返してきた。

 火村さんは、なにを賭けるのか尋ねた。

 少年は帽子を持ち上げて、空を仰ぐ。

「そうだなぁ……『負けたら将棋を2度と指さない』ってのは、どう?」

 沈黙――さすがの火村さんも、すぐには答えなかった。

「な、なんでそんなこと言い出すのよ?」

「ハハッ、将棋に対しては真摯なんだね。将棋を指せなくなるのは怖いかい?」

「まあ……好きだし……でも、なんでそんなギャンブルなの?」

 火村さんの質問に、少年は「さぁ」と答えた。

「今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹くのさ」

「……ははぁん、さては、あたしに負けるのが怖いんでしょ?」

 火村さんは、挑発しかえした。

 少年の顔から、スッと笑みが消えた。

「そうだね……怖いよ」

 予想外の回答。火村さんは返事に窮した。

 少年はふたたび帽子をさげて、悲しそうな表情を浮かべた。

「将棋に負けるというのは、とても怖いことさ」

「さっきからよく分かんないけど……指すの? 指さないの?」

「『負けたら将棋を2度と指さない』って約束してくれる?」

「それは……ちょっと……」

 火村さん、意外とマジメなのね。

 どうせ禁止しようがないとか言って、安請け合いするかと思ったけど。

 その誠実さが伝わったのか、少年は無邪気に笑った。

「じゃあ一局だけ指そうか。負けたほうは、そこのコンビニでアイスをおごる」

「そうこなくっちゃッ! 一番高いのをおごらせてあげるからねッ!」

 あららら、けっきょく賭けですか。ま、アイスならいっか。

 火村さんと少年は、近くの盤を挟んで向かい合った。

「あんた、名前はなんていうの?」

「行きずりに名乗る名前はないよ」

 正論。個人情報です。

「チェスクロは30秒になってるし、それでいい?」

「どうぞ。先手も譲るよ」

「なーに言ってんの。ちゃんと振り駒しましょ」

 火村さんは、巨大な駒で振り駒をした。表が1枚。

「あんたの先手ね。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 少年はしばらく動かなかった。26秒で、ようやく着手。7六歩。

「初手で長考とか、ひふみんみたいなことしてるわね。3四歩」

 2六歩、5四歩、2五歩。

「5二飛ぃ!」


挿絵(By みてみん)


 ゴキゲン中飛車――火村さんの十八番おはこだ。

「4八銀」

 少年はいたって冷静に銀をあがった。

 コメントもしないのね。

 縁台将棋なんて、わちゃわちゃ話しながらするものだけど。

 5五歩、6八玉、3三角、3六歩、4二銀、3七銀、5三銀。

「4六銀」

「超速……素人じゃないってわけね。4四銀」


挿絵(By みてみん)


 ふむふむ、少年の指し手からみて、はったりじゃないっぽい。

 7八玉、6二玉、5八金右、7二玉、6六歩、8二玉、6七金。

 穴熊かしら? とりあえず、先手は持久戦模様。

 火村さんも、この手に対しては小考した。

「美濃にするかどうか……」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「9二香」

 火村さんのほうが、先に態度を決定した。

「ゴキゲン穴熊とは、なかなか強欲だね」

「ボードゲームなんて、強欲なやつが勝つのよ」

 火村さんは人差し指を立てて、それを空中で振ってみせた。

 少年は表情を変えずに、

「二兎追うものは一兎も得ず、っていうことわざを知ってる?」

 と尋ねてから、9六歩と端歩を突いた。

「あんたこそ、それってイギリスのことわざだって知ってる?」

 知りませんでした。

「昔、そんな少年がいたのを覚えているよ」

「なにそれ? 新手の自分語り?」

「さぁね」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 火村さんは、時間ぎりぎりで9一玉とクマった。

「9七角」


挿絵(By みてみん)


 こ、これは? ……あ、そっか、ゴキゲンの飛車先を牽制してるんだわ。

 うっかり5一金左と寄ったら3一角成と成れるメリットもある。

「んー、狙いが見え見えじゃない?」

 火村さんは両腕を組んで考え込んだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「8二銀」

「8六歩」


挿絵(By みてみん)


 これもある程度は予想どおり。

 次に8五歩と突いて、穴熊に圧力をかけるつもりだ。

「本気で指さないとダメみたいね……3二飛」

 火村さんは3一の地点を受けた。

 8五歩、5二金左、8八玉、5一角、3八飛、6二金寄。

「後手のほうが組みにくいんじゃないかい? 7八銀」


挿絵(By みてみん)


 超速の出だしからの左高美濃。

 おそらく、8七銀〜7八金と発展させるはずだ。

 機を見て9八玉までありうる。先手の方針は明確で組みやすそう。

「あっ……うっ……ちょっとマズったかしら……」

 火村さんの表情も険しくなった。後手はそこまで発展性がない。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 火村さんは1四歩と突いた。

 ちょっと悠長な気がする。なにか狙いがあるのかしら。

「ハハハ、1三桂と跳ねるつもりかな?」

 少年はそう言っておどけた。合ってそう。

「うるさいわね。残り10秒よ」

「10秒あれば十分。でなきゃ10秒将棋は指せないさ。8七銀」

 1三桂(的中!)、3七桂。

 火村さんの手がふたたび止まった。

 本格的に手がなくなったんじゃない? 7一金って寄る?

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「4二角ッ!」


挿絵(By みてみん)


 ぶ、ぶつけた。これは怖い順だ。

 交換のあとに3一角があるからだ。

 とはいえ、後手も2九角と打ち返せるのを見越した手だろう。

 この手には少年も感心した。

「へへぇ、なかなかやるじゃん」

「でしょ」

 火村さんご満悦。

「そっちが仕掛けたいなら、もたれて指すよ。同角成」

 同飛、2八飛(2九角の回避を優先)――火村さんは、犬歯を出してニヤリ。

「それじゃ、仕掛けさせてもらうわよッ! 3五歩ッ!」

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