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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第15章 やってきた挑戦者(2016年5月24日火曜)
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73手目 抜き打ちテスト

「は、速水はやみ先輩ッ!?」

 駒音と喧騒。私の声は、そのなかにかき消された。

「幽霊に出会ったみたいなおどろきかたね」

 先輩はそう言って、サングラスをケースにしまった。

「い、いつからいらしたんですか?」

矢追やおいくんが寄せに入ったあたりから」

 えぇ……ぜんぜん気づかなかった。注意力不足? それとも、先輩が変装上手なの?

 私は困惑した。けど、先輩のほうは淡々としていた。

「3人とも、おつかれさま。新田にったくんは残念だったわね」

 新田くんは、急に表情を引き締めた。パンとこぶしを合わせる。

「精進が足りませんでしたッ! 出直してきますッ!」

「その意気やよし……というわけで、矢追くん、大河内おおこうちくん、裏見うらみさん、おめでとう」

 なにがおめでとうなのか、さっぱり分からなかった。

 私は率直に質問をぶつけた。

「今の3連戦は、なんだったんですか?」

「ごめんなさい。説明がまだだったわね。これは選抜テストよ」

「選抜テスト……?」

「そう、『将棋ワールド』主催のフレッシュ大学将棋、その対局者を選ぶためのテスト」

 まったくの初耳だった。というか、企画の名前自体知らなかった。

 あっけにとられた私に、先輩はくわしく説明してくれた。

「このまえの日曜日、傍目はためさんからコメントがあったのは覚えてる?」

「はい、『将棋ワールド』の取材がどうとかで……」

「そう、それが今回の選抜の理由。『将棋ワールド』の主催者が、東日本と西日本の大学棋界から、1年生を5人ずつ出して欲しいと言って来たの」

 なるほど、その選抜……って、えぇ!?

「ちょ、ちょっと待ってください。東日本の代表ってことですか?」

 速水先輩は、あっさり「そうだ」と答えた。

 いやいやいや、おかしい。

「東日本って、東海とか東北とかも含まれますよね?」

「すでに了承をとってあるわ。取材の申し込みが急だったから、東日本は関東大学将棋連合が、西日本は近畿大学将棋連合が、それぞれ担当することになったの。実質的には関東vs近畿ってことになるわね」

 ちょ、ま。私はあせった。自分に代表の実力があるとは思っていないからだ。

 謙遜とかじゃなくて、関東の1年生ベスト5っていうのがありえない。

氷室ひむろくんとか火村ほむらさんとか、ほかにもいませんか?」

「もちろん、氷室くんと火村さんも一緒よ。今回のメンバーは、幹事会で相談したうえでの選抜組。まず、男子個人戦と女子個人戦の決勝に出た1年生は、無試験で内定。これが氷室くんと火村さんね。次に、女子の準決勝と男子のベスト8に進出した1年生をピックアップしたわ。これが、矢追くん、大河内くん、新田くん、そして裏見さん」

「全部で6人だから、1人削るためにテストを?」

「そのとおり」

「どうして私だけ3連戦だったんですか? しかも抜き打ちで?」

 速水先輩は、なんでもないかのように肩をすくめてみせた。

「単純よ。『裏見さんに負けた男子は脱落』っていうルールにしたの。裏見さんが3連敗したら、男子は3人とも合格になるでしょ。数合わせはぴったり」

「私が2勝したら?」

「それはないと判断したわ。裏見さんは、全敗か良くて1勝。これが私の見立て」

 冷酷な回答。腹立たしいけど、言い返せなかった。

 それに、私だけ抜き打ちだった理由も分かった。連合は、選抜のキャスティングボードを与えたくなかったのだ。私に勝てば、代表になれる。逆に言えば、私がわざと負けることだってできる。もちろんそんなことはしないけど、連合は用心したのだろう。矢追くんが全力で指してくれと言ったのも、フェアさを求めた結果にちがいない。

 私は真相を察して、押し黙った。

「そう落ち込まないで。男子のベスト8に一発入れたのは、さすがよ」

 先輩は、口もとほころばせた。それから両腕を組み、マジメな顔に切り替えた。

「さて、裏見さんは、今週末が空いているのかしら?」

 っと、そこまで調べてはいないのか。調べられてたらビックリだけど。

「今週末は空いてます。もともと大会がある予定だったので」

「オッケー、決まりね。関東は氷室、火村、矢追、大河内、裏見を出すわ」

 なんというか……これでいいのかなぁ、という気がした。

 とても名誉だとは思う。でも、名誉すぎて実感がわいてこなかった。

 考えのまとまらない私をよそに、速水先輩は打ち合わせを始めた。

「それじゃ、集合場所は新Y浜駅に夜の……いたッ」

 速水先輩の後頭部に、棒状の新聞紙が軽くヒットした。

 なんと、席主の宗像むなかたさんだった。

 宗像さんは、丸めた新聞紙を片手に、ちょっと怒った表情。

「速水さん、道場を私用で使われては困ります」

「あ、すみません」

 速水先輩、平謝り。これには、私と松平まつだいらもおどろいた。

「速水先輩が謝ってるところ、はじめて見たわ」

「だな……っていうか、この女性は?」

 松平は、宗像さんが席主であることを知らなかった。私はそのことを説明した。

「席主? どうみても20代前半じゃないか?」

「将棋に年齢は関係ないでしょ」

「いや、それはそうだが……この建物、そんなに新しくないぞ」

 松平の指摘に、私もアレっと思った。

 そう言えば、道場と表口は綺麗だけど、裏側がそうでもないのよね。

 この道場は、すぐそばを流れている川を背にしていた。その背の部分には、木が何本も植えられていて、外壁を直接確認するのは困難だ。けど、私は一度、裏庭に回ったことがあった。詰め将棋のプリントが風で飛んで、私が取りに行ったときだ。そのとき、外壁がずいぶんと汚れていることに気づいた。

「そもそも、裏庭の木が大きい時点で、築何十年じゃないのか?」

 ふむ……そう言えば、席主じゃなくて席主代理って言ってた気がする。

 ほんとうの席主は、ほかにいるってことだ。でも、見かけたことがなかった。

「もしかして、入院でもしてるのかしら?」

「さぁな……それより、ストーカー問題は解決したのか?」

 私は、矢追くんたちとの将棋について説明した。

 松平は、ようやく合点がいったらしい。ずいぶんと喜んでくれた。

「やったな。大学将棋で、いきなり全国デビューじゃないか」

「うーん、私なんかでいいのかしら?」

「関東の男子ベスト8をくだしての出場なら、だれも文句は言わないさ」

 私はちょっと疑問に思った。

 北海道、東北、中部、東海の将棋連合にも、強豪はいるんじゃないかしら。

 でも、褒められたことはすなおに嬉しかった。

 一方、宗像さんのお説教も佳境に入っていた。

「ともかく、イベントを開催するときは、かならず私に連絡してください」

「はい、今後は気をつけます」

 速水さんが詫びを入れて、その場は解散になった。

 大会の詳細は、メールで教えてもらえるらしい。口頭より安全だから、とのこと。

「それじゃ、金曜日の夜に新Y浜駅で」

 K王線の改札口まえで、矢追くんはそう挨拶した。

「2泊3日って、ずいぶん奮発してくれたのね」

 土曜日に出発して日曜日に帰ってくるのかと思っていた。

 速水先輩から日程を聞かされたときは、おどろいた。

 よくよく考えてみれば【週末】は【金曜日】なのよね。

「協賛がスゴいらしいよ。大手のスポンサーがついてるんだってさ」

 矢追くんはそう言って、ポケットからパスカードをとりだした。

 大河内くんと新田くんも、お別れの準備。

「今日は楽しかったです。また金曜日に」

 大河内くんは、表情を変えずにそう告げた。社交辞令と区別がつかない。

「俺の代わりに出るんだ。負けるなよ」

 そういうプレッシャーのかけ方、やめてくださいな。重圧。

 最後に、矢追くんがまた口をひらいた。

「それにしても、残念だったなぁ」

「え、なにが?」

「裏見さん、彼氏いたんだね。上京したばかりだから、フリーかと思ってたよ」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………は?

 困惑する私の肩に、松平の手がおかれた。

「さすがは矢追、見抜くのがはやごほぉ!?」

「ちがうってばッ! こいつは高校の同級生よッ!」

 矢追くんは、茶目っ気のある笑い方をした。

「じゃ、そういうことにしとくよ」

 そういうことにしとく、じゃなーいッ!

 私は説得しようとしたけど、電車のアナウンスが入った。


《まもなく、4番乗り場に、準特急のS宿行きが参ります》


「おっとっと、つとむ、ゲンちゃん、急ごう」

 3人は改札口の向こうに消えた。

 ちょっと待って。誤解が解けてない。

 いきどおる私のよこで、速水先輩はタメ息をついた。

「今年の1年生は、こどもっぽいわね」

 ぐぬぬ、私も含められた予感。

「あのですね、ほんとに高校のときの同級生で……」

「私は他人の恋愛に興味ないわ」

 クール。さすが、と思ったのもつかの間、速水先輩はいきなり手を振った。

「それじゃ、私はモノレールだから、ここでさよならね。金曜日に会いましょう」

 あ、ちょっと待ってくださいな。

 私は松平とふたりきりになってしまった。

 松平は照れ笑いをして、後頭部に手をあてた。

「あのぉ、裏見さん……怒ってます?」

「べつにぃ」

 私はぷいっとそっぽを向いて、そのまま歩き出した。

「おーい、裏見、冗談なんだからそう怒るなって」

「だから怒ってないってば」

 私はふりかえって、笑顔でベーッと舌を出す。

「とりあえず、出迎えご苦労。このままアパートまでエスコートしなさい」

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