73手目 抜き打ちテスト
「は、速水先輩ッ!?」
駒音と喧騒。私の声は、そのなかにかき消された。
「幽霊に出会ったみたいなおどろきかたね」
先輩はそう言って、サングラスをケースにしまった。
「い、いつからいらしたんですか?」
「矢追くんが寄せに入ったあたりから」
えぇ……ぜんぜん気づかなかった。注意力不足? それとも、先輩が変装上手なの?
私は困惑した。けど、先輩のほうは淡々としていた。
「3人とも、おつかれさま。新田くんは残念だったわね」
新田くんは、急に表情を引き締めた。パンとこぶしを合わせる。
「精進が足りませんでしたッ! 出直してきますッ!」
「その意気やよし……というわけで、矢追くん、大河内くん、裏見さん、おめでとう」
なにがおめでとうなのか、さっぱり分からなかった。
私は率直に質問をぶつけた。
「今の3連戦は、なんだったんですか?」
「ごめんなさい。説明がまだだったわね。これは選抜テストよ」
「選抜テスト……?」
「そう、『将棋ワールド』主催のフレッシュ大学将棋、その対局者を選ぶためのテスト」
まったくの初耳だった。というか、企画の名前自体知らなかった。
あっけにとられた私に、先輩はくわしく説明してくれた。
「このまえの日曜日、傍目さんからコメントがあったのは覚えてる?」
「はい、『将棋ワールド』の取材がどうとかで……」
「そう、それが今回の選抜の理由。『将棋ワールド』の主催者が、東日本と西日本の大学棋界から、1年生を5人ずつ出して欲しいと言って来たの」
なるほど、その選抜……って、えぇ!?
「ちょ、ちょっと待ってください。東日本の代表ってことですか?」
速水先輩は、あっさり「そうだ」と答えた。
いやいやいや、おかしい。
「東日本って、東海とか東北とかも含まれますよね?」
「すでに了承をとってあるわ。取材の申し込みが急だったから、東日本は関東大学将棋連合が、西日本は近畿大学将棋連合が、それぞれ担当することになったの。実質的には関東vs近畿ってことになるわね」
ちょ、ま。私はあせった。自分に代表の実力があるとは思っていないからだ。
謙遜とかじゃなくて、関東の1年生ベスト5っていうのがありえない。
「氷室くんとか火村さんとか、ほかにもいませんか?」
「もちろん、氷室くんと火村さんも一緒よ。今回のメンバーは、幹事会で相談したうえでの選抜組。まず、男子個人戦と女子個人戦の決勝に出た1年生は、無試験で内定。これが氷室くんと火村さんね。次に、女子の準決勝と男子のベスト8に進出した1年生をピックアップしたわ。これが、矢追くん、大河内くん、新田くん、そして裏見さん」
「全部で6人だから、1人削るためにテストを?」
「そのとおり」
「どうして私だけ3連戦だったんですか? しかも抜き打ちで?」
速水先輩は、なんでもないかのように肩をすくめてみせた。
「単純よ。『裏見さんに負けた男子は脱落』っていうルールにしたの。裏見さんが3連敗したら、男子は3人とも合格になるでしょ。数合わせはぴったり」
「私が2勝したら?」
「それはないと判断したわ。裏見さんは、全敗か良くて1勝。これが私の見立て」
冷酷な回答。腹立たしいけど、言い返せなかった。
それに、私だけ抜き打ちだった理由も分かった。連合は、選抜のキャスティングボードを与えたくなかったのだ。私に勝てば、代表になれる。逆に言えば、私がわざと負けることだってできる。もちろんそんなことはしないけど、連合は用心したのだろう。矢追くんが全力で指してくれと言ったのも、フェアさを求めた結果にちがいない。
私は真相を察して、押し黙った。
「そう落ち込まないで。男子のベスト8に一発入れたのは、さすがよ」
先輩は、口もとほころばせた。それから両腕を組み、マジメな顔に切り替えた。
「さて、裏見さんは、今週末が空いているのかしら?」
っと、そこまで調べてはいないのか。調べられてたらビックリだけど。
「今週末は空いてます。もともと大会がある予定だったので」
「オッケー、決まりね。関東は氷室、火村、矢追、大河内、裏見を出すわ」
なんというか……これでいいのかなぁ、という気がした。
とても名誉だとは思う。でも、名誉すぎて実感がわいてこなかった。
考えのまとまらない私をよそに、速水先輩は打ち合わせを始めた。
「それじゃ、集合場所は新Y浜駅に夜の……いたッ」
速水先輩の後頭部に、棒状の新聞紙が軽くヒットした。
なんと、席主の宗像さんだった。
宗像さんは、丸めた新聞紙を片手に、ちょっと怒った表情。
「速水さん、道場を私用で使われては困ります」
「あ、すみません」
速水先輩、平謝り。これには、私と松平もおどろいた。
「速水先輩が謝ってるところ、はじめて見たわ」
「だな……っていうか、この女性は?」
松平は、宗像さんが席主であることを知らなかった。私はそのことを説明した。
「席主? どうみても20代前半じゃないか?」
「将棋に年齢は関係ないでしょ」
「いや、それはそうだが……この建物、そんなに新しくないぞ」
松平の指摘に、私もアレっと思った。
そう言えば、道場と表口は綺麗だけど、裏側がそうでもないのよね。
この道場は、すぐそばを流れている川を背にしていた。その背の部分には、木が何本も植えられていて、外壁を直接確認するのは困難だ。けど、私は一度、裏庭に回ったことがあった。詰め将棋のプリントが風で飛んで、私が取りに行ったときだ。そのとき、外壁がずいぶんと汚れていることに気づいた。
「そもそも、裏庭の木が大きい時点で、築何十年じゃないのか?」
ふむ……そう言えば、席主じゃなくて席主代理って言ってた気がする。
ほんとうの席主は、ほかにいるってことだ。でも、見かけたことがなかった。
「もしかして、入院でもしてるのかしら?」
「さぁな……それより、ストーカー問題は解決したのか?」
私は、矢追くんたちとの将棋について説明した。
松平は、ようやく合点がいったらしい。ずいぶんと喜んでくれた。
「やったな。大学将棋で、いきなり全国デビューじゃないか」
「うーん、私なんかでいいのかしら?」
「関東の男子ベスト8を下しての出場なら、だれも文句は言わないさ」
私はちょっと疑問に思った。
北海道、東北、中部、東海の将棋連合にも、強豪はいるんじゃないかしら。
でも、褒められたことはすなおに嬉しかった。
一方、宗像さんのお説教も佳境に入っていた。
「ともかく、イベントを開催するときは、かならず私に連絡してください」
「はい、今後は気をつけます」
速水さんが詫びを入れて、その場は解散になった。
大会の詳細は、メールで教えてもらえるらしい。口頭より安全だから、とのこと。
「それじゃ、金曜日の夜に新Y浜駅で」
K王線の改札口まえで、矢追くんはそう挨拶した。
「2泊3日って、ずいぶん奮発してくれたのね」
土曜日に出発して日曜日に帰ってくるのかと思っていた。
速水先輩から日程を聞かされたときは、おどろいた。
よくよく考えてみれば【週末】は【金曜日】なのよね。
「協賛がスゴいらしいよ。大手のスポンサーがついてるんだってさ」
矢追くんはそう言って、ポケットからパスカードをとりだした。
大河内くんと新田くんも、お別れの準備。
「今日は楽しかったです。また金曜日に」
大河内くんは、表情を変えずにそう告げた。社交辞令と区別がつかない。
「俺の代わりに出るんだ。負けるなよ」
そういうプレッシャーのかけ方、やめてくださいな。重圧。
最後に、矢追くんがまた口をひらいた。
「それにしても、残念だったなぁ」
「え、なにが?」
「裏見さん、彼氏いたんだね。上京したばかりだから、フリーかと思ってたよ」
……………………
……………………
…………………
………………は?
困惑する私の肩に、松平の手がおかれた。
「さすがは矢追、見抜くのがはやごほぉ!?」
「ちがうってばッ! こいつは高校の同級生よッ!」
矢追くんは、茶目っ気のある笑い方をした。
「じゃ、そういうことにしとくよ」
そういうことにしとく、じゃなーいッ!
私は説得しようとしたけど、電車のアナウンスが入った。
《まもなく、4番乗り場に、準特急のS宿行きが参ります》
「おっとっと、つとむ、ゲンちゃん、急ごう」
3人は改札口の向こうに消えた。
ちょっと待って。誤解が解けてない。
憤る私のよこで、速水先輩はタメ息をついた。
「今年の1年生は、こどもっぽいわね」
ぐぬぬ、私も含められた予感。
「あのですね、ほんとに高校のときの同級生で……」
「私は他人の恋愛に興味ないわ」
クール。さすが、と思ったのもつかの間、速水先輩はいきなり手を振った。
「それじゃ、私はモノレールだから、ここでさよならね。金曜日に会いましょう」
あ、ちょっと待ってくださいな。
私は松平とふたりきりになってしまった。
松平は照れ笑いをして、後頭部に手をあてた。
「あのぉ、裏見さん……怒ってます?」
「べつにぃ」
私はぷいっとそっぽを向いて、そのまま歩き出した。
「おーい、裏見、冗談なんだからそう怒るなって」
「だから怒ってないってば」
私はふりかえって、笑顔でベーッと舌を出す。
「とりあえず、出迎えご苦労。このままアパートまでエスコートしなさい」