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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第1章 裏見香子、上京する(2016年4月4日月曜〜4月8日金曜)
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6手目 下された処分

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 東の空が、暗くなっていく。

 私たちは、学生課の談話スペースで、風切かざぎり先輩を待っていた。左手のほうに証明書の発行機と窓、右手のほうにシラバスの見本が展示されている。受付台の向こうがわでは、スーツ姿の事務員さんたちが、せわしなく働いていた。

 あのときと同じおばさんが、こちらをたまに盗み見てきた。

「あと30分で閉室です」

 そう告げられて、三宅みやけ先輩は軽くうなずいた。

「もうちょっと待ってください」

「延長はしませんので、気をつけてください」

 おばさんはそう言って、書類に視線をもどした。

 私たちは、だんだん落ち着かなくなってくる。

「風切先輩は、来ると思いますか?」

 松平まつだいらが三宅先輩にたずねた。

「……分からん」

「来なかった場合は、どうします?」

 三宅先輩は右手で髪型を崩しながら、ソファーにもたれかかった。

「一応、語学のクラスメイトに声はかけてある。電話でいつでも呼び出せる」

「将棋経験者ですか?」

「中学のとき、一時期やってたレベルだ」

 松平は前のめりになって、あごを両手を支えた。

「先輩、このまえも言いましたが……」

 分かっていると言わんばかりに、先輩は上半身を起こした。

「そうだな……風切が来なかったら、今回の話はナシにしよう」

 私と大谷さんも、おたがいに一瞬だけ目を合わせた。

「私は、それで構いませんけど……」

「拙僧も、異論はありません」

 将棋が嫌いになったわけじゃない――もやもやした気持ちで、大学生活をスタートさせたくないだけだ。部を存続させるために都ノみやこのを選んだわけじゃないし、どうせ入るなら、高校のときと同じように、目標のあるメンバーであって欲しかった。

 三宅先輩は、時計を再確認した。

「4時45分か……」

 そのあと、事務員のおばさんから、もういちど通告があった。

 解散の雰囲気になる。清掃員のおじさんが、モップを持って入室した。

「やれるだけのことは、やったか……お疲れさん」

 三宅先輩が席を立って、ほかのメンバーも腰をあげた。

 ぞろぞろと、学生課から退去する。

 そとは、夜になりかけていた。うっすらとした三日月が、西の空に見えた。

「どうだ、飯でも食って行くか?」

 三宅先輩は、今回のお礼におごると言った。

「ま、学食だけどな」

 そう言って笑った瞬間、スッと柱のうしろから、人影が現れた。

 いきなり物を投げつけられて、三宅先輩は咄嗟にそれを受け取った。

「……預金通帳?」

「結局、5人集められなかったんだな」

 人影の声音こわねに、私たちは目をこらした。

 最後の西日を浴びて、風切先輩の姿が浮かび上がる。

「それとも、代理は用意しなかったのか?」

 三宅先輩はマジメな顔になって、そうだ、と答えた。

 風切先輩は、半ば呆れたような、半ばうれしそうな笑みを浮かべた。

「そっか……やる気だけはあるんだな」

「それだけが取り柄だからな……風切こそ、どうしてここに?」

 直球な質問だった。風切先輩は、決まりが悪そうに頬を掻いた。

「将棋バカたちのために、ちょっと相手してやろうと思っただけだ」

 微笑ましい強がりのあとで、風切先輩は態度を切り替えた。

 吹っ切れた表情に変わる。

「奨励会を退会したあとで、将棋は止めようと思ってた……でも、止められなかった」

 最初の3ヶ月は、駒もさわれなかった。だけど、ある日、塾からの帰り道に大通りをふらふらしていると、将棋道場のまえで足が止まった。しばらく看板を見つめていたら、気づかないうちになかへ入っていた。

 以上が、風切先輩の回想だった。

「結局、俺も将棋バカなんだな……っと」

 自分語りが恥ずかしくなったのか、先輩はくちびるを結んで、預金通帳を指差した。

「40万入ってる。バイトで溜めた金だ。足りない分は、カンパでなんとかしろ」

 三宅先輩はおどろいて、

「いいのか? 大金だぞ?」

 と確認した。もちろん条件がある、と風切先輩は付け加えた。

「俺を王座戦に連れて行け」

「王座戦……全日本大学王座戦のことか?」

「そうだ。俺が卒業するまでに出場できなかったら、倍返ししてもらう」

 80万にして返せってことか――学生には、ひと財産だ。

 三宅先輩は、小考した。

「……バイトして、返す準備はしておく」

「安請け合いしないのか?」

「安請け合いはしない。その代わり、80万円分は働いてもらうからな」

 風切先輩はポケットに手を突っ込んで、笑った。

「ハハハ……よし、話は決まりだ。よろしく頼むぜ」

 ここで突然、大谷さんが割り込んだ。

「取り込み中のところ申し訳ありませんが、残り5分です」

「!」

 私たちは学生課に駆け込んで、異議申立ての手続を済ませた。

 あらかじめ顧問の印鑑をもらった申立書と、新しい部員の届け出。

 さらに預金通帳を見せると、事務員のおばさんは目を白黒させていた。

「50万そろえたのですか?」

「全額はまだですが、できるだけ早く振り込みます。振込手続を教えてください」

 事務員さんは通帳を調べたうえで、足りない金額を伝えた。

 どうやら、ひとり1万円近くカンパしないといけないようだ。痛い出費。

「今すぐに、というわけにはいきません。異議申立てが承認されたあとで、振込用紙を発行します。指定された期日までに、そこへ全額振り込んでください」

 シャッターが閉まるのを背に、私たちは事務室をあとにした。

「よし、今度こそおごるぞッ! 俺について来いッ!」

 三宅先輩は、学食のほうへと駆け出した。

 私と松平は、おたがいに笑顔を見合わせて、肩をすくめる。

 こうして私たちは、都ノ大将棋部復興の第一歩を踏み出した。


  ○

   。

    .


 とは言ったものの、翌日、すぐに第二関門が訪れた。

 関東大学将棋連合の、臨時幹事会だ。

 都ノ大学で手続が済んだことを、私たちは八千代やちよ先輩に伝えた。

 すると八千代先輩は手際よく、

《理事会のあとで結果を伝えられるよう、治明おさまるめいのリベルタタワーまで来てください》

 と手配してくれた。但し、都ノからの出席者は3名まで。最初は三宅先輩、風切先輩、松平でいいかな、と思っていたけれど、八千代先輩と仲が良かったのは私のほうだということで、私が参加することに。松平が抜けた。

 リベルタタワーに到着すると、私は施設の立派さに呆れた。ガラス張りの高層ビルが、都内の一等地に堂々と建っていた。まわりには、お店もたくさんある。

「都心にこんなキャンパスがあるんですね……ところで、風切先輩は?」

「先に着いてるはずだ」

 それなら話は早い。私たちはタワーの正面玄関から入って、指定された上層の部屋に移動した。エレベーターが静かに停まって、廊下に出る。初めての場所だから、部屋を探すのに苦労した。ドアを開けると――風切先輩が窓際に立っていた。先輩の視線の先には、タワーから見える東京の町並み。

 私たちが声をかけると、先輩はようやく振り向いて、

「遅かったな」

 とだけ答えた。ちょっと緊張しているようにみえた。

「ほかに誰もいないんですか?」

「幹事会の最中みたいだ。ここで待ってろ、だとさ」

 風切先輩は、ホワイトボードをあごで示した。【都ノ大関係者は15時まで、この部屋でお待ちください】と書かれていた。ずいぶん冷たいな、と思った。

「しょうがないさ。俺たちは利害関係人だ。幹事と顔合わせはできない」

 風切先輩はそう言って、窓際の席に腰掛けた。

 私たちも椅子に座って、幹事会が終わるのを待つことにした。

 三宅先輩から大学生活のアドバイスをもらっていると、廊下が騒がしくなった。

「終わったみたいだな」

 風切先輩のひとことで、私は急に緊張してきた。

 足音はこちらに近づいて、ドアがノックされた。ノブが下がって、見知らぬ学生たちが一斉に入室する。こざっぱりした開襟シャツの男の子から、いかにもって感じのオタク系まで、勢揃いしていた。そのなかでも、一番背筋が真っすぐで、いかにも管理職っぽい眼鏡の男子が、ホワイトボード前の教壇に上がった。三宅先輩は、あれが連合の会長だと教えてくれた。

 私たちは3人とも席を立って、挨拶をした。

「都ノ大の新部長になった、三宅です。よろしくお願いします」

「初めまして。僕が連合会長の入江いりえです」

 入江会長の挨拶に、私たちは全員顔をあげた。

 すると、会長は驚いて、一瞬言葉に詰まった。

「風切くん……」

 ほかの幹事も、風切先輩のほうを凝視した。

 風切先輩は、入江会長にむかって、不敵な笑みを浮かべた。

「負け犬が帰って来たぜ」

 不穏な台詞とはうらはらに、入江会長は両手をあげて笑った。

「アハハ、なにを言っているんだい。復帰してくれて、とても嬉しいよ……さて」

 会長は事務的な態度にもどって、私たちに着席をうながした。

 ほかの幹事も、それぞれかたまって着席した。八千代先輩の姿もあった。

 死刑宣告をされるみたいで、どうも落ち着かない。

 会長は両手を教壇について、私たちを順繰りに見比べた。

「これから、関東大学将棋連合、臨時幹事会の審議結果をお伝えします」

 入江会長は最初に、基本的な事実確認をした。

「以上が、今回の横領事件について、我々が把握した情報です。異議はありますか?」

「……ありません」

 三宅先輩の返答に対して、入江先輩は満足そうにうなずいた。

「都ノ大将棋部の横領は、法的には我々と何ら関係がありません。しかし、連合は、大会の運営だけでなく、大学将棋界の健全な発展も視野に入れています。違法行為をおこなった部を、これまで通り扱うことはできません」

 ぐッ……これって、追放処分なんじゃないの?

 元の木阿弥もくあみになりそう。変な汗が出てきた。

「しかし、横領に関与していた部員は全員退部させられて、今いるメンバーは、新規に集めたものだと聞いています。したがって、あくまでも君たちに責任はありません」

 ん? 風向きが変わった?

「ところが、ここで問題がひとつあります。部を一新したというならば、これまでの連合との関係も、一新してもらわないといけません。つまり、これまでと同じ地位を大学将棋界に維持する、ということは認められません」

 どっちなのよ。有罪と無罪の振り子がゆらゆらして、もどかしい。

 入江先輩は、ひと呼吸おいた。

「幹事会の出した処分を言い渡します……『都ノ大学将棋部は、関東大学将棋連合へ新規加盟したものとして扱い、Dクラス最下位からの出場を認める』……以上です」

 処分内容が分からなくて、私は三宅先輩のほうを盗み見た。

 三宅先輩はかたまったような表情で、

「追放はしない……ってことですか?」

 と尋ねた。入江会長は、にっこりと笑った。

「都ノ大には、これからも連合に残ってもらいます。但し、一番下のクラスからやり直しというペナルティを付けました。これが、幹事会の出した落としどころです」

 なにか異議はありますか、と、会長は尋ねた。

 風切先輩は立ち上がり、ニヤリと笑った。

「追放にしなかったことを、後悔させてやるよ」

 びっくりするような挑発にもかかわらず、入江会長は微笑み、書類をトンと整理した。

「新メンバーでどこまで行けるか、楽しみにしています……では、解散」

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