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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第14章 2016年度春季団体戦3日目(2016年5月22日日曜)
69/489

68手目 格上の指し方

 会場内は静まり返っていた。心地よい緊張感。

 駒とチェスクロの音だけが響く。ときどき空咳からぜき

「……3六歩」

 私は一番無難な手を選択した。

 奇をてらわないほうがいいと思ったからだ。

「7三桂」

 宮台みやだいさん、かなりの積極策。

 格上相手に入りやすそうなかたちを選んできた。

 おそらく、個人戦で松平まつだいらに負けたのが原因でしょうね。

 私のほうが松平より戦績がいい。警戒されている雰囲気を感じた。

 だったら、こっちにも考えがあるわよ。

「4六歩」


挿絵(By みてみん)


 相手が準備していなさそうなところを突く。

 宮台さんも考え込んだ。

「んー、これは読みになかった……」

 私はお茶のキャップを開けた。ひと口飲む。

 攻勢に対する守勢。受けていなす方針にしてみた。どうかしら。

 殴り合いという手も……ただ、このあたりはミーティングで注意されていた。房総商科相手に、5−2は難しいって。三宅みやけ先輩は、2位の南稜と1位の房総のレーティングを比較して、そう結論づけていた。風切かざぎり先輩のお墨つき。

「4四歩」

「7九角」

 宮台さんは、黙って5二金とあがった。

 矢倉中飛車ではないわけか。だったら、こっちも普通にいきましょう。

 6八角、4三金右、7九玉、3一角、3七桂、4二角、4七銀、1四歩。

「9六歩」

「1五歩」


挿絵(By みてみん)


 うぐッ、詰められた。9四歩、1六歩の予定だったんだけど。

 こうなったら、詰めさせてもらいましょう。一方的に端が狭いのは損だ。

「9五歩」

 3一玉、8八玉で、私は入城した。宮台さんも2二玉と続く。

 飽和した感があるわね。守勢に回ったつもりが、相手も合わせてきた。

 こうなると、先手の利を活かしたくなってくる。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ん? ちょっと待って。これ、先手が良くない?

 4五歩、同歩、3五歩、同歩、同角で、どうするの?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 4四銀なら3六銀(!)と加勢できる。

 以下、3五銀、同銀のとき、後手陣へのプレッシャーが極めて大。

 例えば、3四歩には4四歩、3三金寄、4五桂がある。

 かと言って、放置も4四歩、3三金寄、3四銀打がある。

 途中に紛れはない。一直線の展開だ。

 見落としがないかどうか1分ほど考えて、私は4五歩と開戦した。

「過激だなぁ」

 宮台さんは、大きく息をついた。

 そして、同歩と取った。

「3五歩」

 同歩、同角、4四銀、3六銀。


挿絵(By みてみん)


「じょ、序盤で角を捨てるのか?」

 捨てます。っていうか、矢倉だとこの角銀交換はよくある。

 矢倉は、駒損しても攻めが続く戦型の筆頭候補だ。

「3五同銀、同銀が悩ましいな……」

 宮台さんは、ようやく気づいたらしい。長考し始めた。

 この時点で、時間差がけっこうついていた。

 私は残り22分。宮台さんは15分しかない。

 ちょっと順調すぎるわね。なにかのフラグじゃなきゃいいけど。

「しかし、これしかないな。3五同銀だ」

 同銀、3四歩、4四歩、3三金寄、4五桂、3五歩、3三桂成、同玉。


挿絵(By みてみん)


 顔面受けしてきた。

 ここは時間を使いたい。持ち時間競争をしてるわけじゃないんだし。

 この顔面受けは、4三銀対策だ。3三同玉のところで同金は、4三銀、同金、同歩成の挟撃形。先手が必勝の体勢になる。ただ、この同玉も、4八飛くらいで崩壊してないかしら。放置は4三金で終わるから――ん、そうでもない。2五からの脱出経路がある。

 それに、さっきから気になっていることがあった。桂馬を渡してしまったことだ。次に8六桂と突っ込んでくる可能性がある。以下、8六同歩、同歩のかたちは、かなり怖い。後手玉は確実に仕留めないといけない。あまり悠長な攻めはダメ。

 私は前のめりになって、一心不乱に読みを入れた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 4八飛よりも、2四歩、同歩、4三銀かしら。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 こっちのほうが安全だと思う。

 次に3四金、2二玉、2四飛という攻めがあるから、後手は対応が必須。

 おそらくは4三同金、同歩成、同玉でしょうね。

 そこで決め手を放てば勝ち。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 あれ? 手がない?

 さすがにあるでしょ。金2枚に飛車が生きてるのよ。

 私はお茶を飲みなおした。もういちど考える。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 やっぱりない。しまった。

 いや、正確に言うと、ないわけじゃない。ゆっくりでいいなら、いくらでもある。

 でも、次の8六桂が強烈に厳しい。矢倉が残っているとかいう問題じゃなかった。

 私は考える。必死に考える。だけど、ないものはない。それが将棋。

 宮台さんのほうは、だんだん顔色が良くなってきた。

 どうする? 4三同玉のあと、4五歩とごまかして置いてみる?

 ただ、宮台さんの棋力だと、ごまかせないように思う。

「……2四歩」

 同歩、4三銀、同金、同歩成、同玉、4五金。


挿絵(By みてみん)


 ひねった手。4五歩は4四歩で消えるけど、これは消えない。

 しかも、狙いが見えにくいはずだった。

「ぼんやりした手だな……」

 よし、時間を使ってちょうだい。

 宮台さんは、腕組みをして盤をにらんだ。

 どちらかと言うと、こちらの王様を見ている。多分、8六桂。

 ここまでの宮台さんの指し方からして、この手には気づくはず。

「うーん」

 宮台さんは左袖をまくって、ごしごしとやった。

 だいぶ汗ばんでいる。宮台さんは宮台さんで苦しいようだ。

 おたがいに団体戦のプレッシャーを感じていた。

「……一回受けるぞ。4四歩」


挿絵(By みてみん)


 え? これはちょっと意外――形勢の天秤が、こちらに若干もどった感触。

 なにかイヤな筋があったのかしら。4四歩を嫌ったのか、それ以外か。

 私は3四金打として、5二玉に4四金直とした。

 歩をもらえた。しかも、金の位置で得をしたように思う。

「よし、8六桂」


挿絵(By みてみん)


 うーん、よく分からない。4四歩は入れないほうが良かったんじゃないかしら。

 宮台さんは、ずいぶん自信があるらしい。うんうんと何度もうなずいていた。

 あんまり忖度しても、しょうがない。続きを考える。

 この8六桂は、放置できない。単に7八桂成なら同玉でいい。でも、6九銀と引っ掛けられるとか、4六角と打たれるとか、イヤな筋が多い。素直に8六同歩、同歩、同銀、同飛、8七歩と収めたほうが楽だ。宮台さんも、この順は読んでいるはず。

 問題は、8七歩、8二飛と引いた局面。手番は私。これを宮台さんが、どう見るか。悪いとみるなら、8六同銀に同飛じゃなくて、他の手を指してくる可能性が高い。例えば、8五歩と高めに押さえて、7七銀に8六銀――いや、ちがう。8五歩のまえに8七歩と打って、同金、8五歩、7七銀、8六銀だ。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これが一番厳しい。8六の銀は取ると被害が拡大する。つまり……4三金右と突っ込むしかないわね。これがあるから、4四歩は良くなかったと思うんだけど。4四歩、3四金打、5二玉、4四金直とさせなければ、この4三金右はなかった。

 まあ、今さら相手の手をどうこう言っても、しょうがない。こちらが一番危ない順だけを読んでいく。まず、4三金右には6一玉としてくるはずだ。角のヒモがなくなるけど、5一玉、4二金、同玉は王様が危なくなる。宮台さんが5一玉と引いてくれたら恩の字、くらいの感覚で。とりあえず、6一玉と仮定。ここで慌てて4二金は、同飛でこちらの攻めが切れそう。8三歩と打ちたい。

 同飛、4二金で、後手には2つ選択肢がある。


【候補A 8七銀成、同玉、8六銀】

挿絵(By みてみん)

 

【候補B 4六角】

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 どちらかと言えば、Bのほうがイヤ。Aは7八玉と引いて、7七銀成、同桂、8六歩、8八歩と受けるスペースを作れば受かる。8七金と重く打つのは駒が足りない。Bは挟撃形になっているうえに、飛車当たりだ。2九飛としないといけない。以下、8七銀成、同玉、8六銀、7八玉、7七銀成、同桂、8六歩、8八歩に、5八銀が本命。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これを回避できれば、さっき読んだ順でいい。できないなら要再考。

 私はお茶で水分補給して、念入りに読んだ。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 5七桂で止まってそうかな。3七角成とヌルく来たら、5三金と入る手が詰めろだ。6二銀、7二玉、6一角、8二玉、8三角成、同玉、8三銀成、同玉、8五桂として、8三玉と横にスライドするのは、7三飛、8二玉、9四桂(!)、同歩、9三銀、同香成、同桂成、8一玉、8三香、9一玉、8二香成まで。8五桂に8三玉以外も全部詰む。

 考えないといけないのは、3七角成じゃなくて4七金。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これは詰めろ。6七銀成、同玉、5七金、7八玉、6八金、8九玉、7八金打、9八玉の瞬間に8八金と捨てて、同玉、8七歩成、8九玉、8八とまでだ。

 ということは、受けないいけない。6八銀かしら。でも、6七銀成、同銀は5七金で詰めろが継続しちゃうし、同玉は8七歩成、同歩、同飛成で挟まれてしまう。後手に銀か角か桂馬(桂馬も7五桂、同歩、7六金の詰みがある)を渡さなければいいわけだけど――さすがに詰むんじゃないの? 8七飛成自体は2手スキだから、5三金と入って7八金、6二銀、7二玉、6一角、8二玉、8三銀、8一玉……あれ? 打ち歩詰め?

 嘘、これが詰まないの? じゃあ、6八銀の受けが成立してない?

 私は若干あせった。と同時に、別の手を模索した。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 あ、代わりにこっちがあるわね。うん、大丈夫そう。

 私は最後に30秒だけ確認した、残り10分を切ったところで着手する。

「8六同歩」

 同歩、同銀、8七歩、同金、8五歩、7七銀、8六銀、4三金右。

「6一玉、と」


挿絵(By みてみん)


 宮台さんは、余裕のオーラで王様を逃げた。

 どっちかが読み間違っている予感。

 私は深呼吸して、8三歩と飛車を叩く。

 同飛、4二金。

「これで、どうだッ! 4六角ッ!」

「それは読み切りですよッ! 2九飛ッ!」

 8七銀成、同玉、8六銀、7八玉、7七銀成、同桂。

 読みが完全に一致している。速い速い。

 8六歩、8八歩、5八銀、5七桂――問題の局面になった。

 宮台さんは、駒台から金を持ち上げた。

「こっちが先に詰めろだな。4七金」


挿絵(By みてみん)


 よし――私は内心うなずいて、次の手を指した。

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