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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第14章 2016年度春季団体戦3日目(2016年5月22日日曜)
68/487

67手目 辻褄の合わない話

 顔をあげると、笑顔の長尾ながおさんが立っていた。

西原にしはらくん、どうだった?」

 長尾さんは、西原くんに声をかけた。私のほうは無視した感じだった。

「作戦はバッチリだったんですが……負けました」

「ハハハ、決め打ちすれば勝てるほど、将棋は甘くないよ」

「ええ、まぁ……チームは?」

「2ー5で負けた。うちの戦力だと、こんなもんかな」

 長尾さんは、はじめて私に視線を移した。

「さすがは裏見うらみさん、県大会優勝の腕前は、ダテじゃないね」

「あの……このまえの将棋……」

「おい」

 ぶっきらぼうな声が聞こえた。風切かざぎり先輩だった。

「長尾、ちょっと話がある」

「おっとっと、年上にタメ口とは、物騒な話かな?」

「今さらだな。あんたにはお世話になったが、今回はタメで行かせてもらう」

 事情を知らない西原くんは、ふたりの顔をみくらべた。

 一方、私はヒヤヒヤしていた――これって、例の件の直談判よね?

 証拠を掴んでどうするのかと思ったら、まさかの正面突破。

「さてさて、都ノみやこのとしても、会場ではマズいんじゃないかい?」

「ああ、場所を変えよう。できれば、人目につかないところがいい」

 長尾さんは、この提案をことわった。

「むしろ、人目につくところにしようじゃないか……公平にね」

 

  ○

   。

    .


 10分後、私たちは立ち食い蕎麦屋にいた。

 店内は、サラリーマンでごった返していた。

「休日返上で働く、ビジネスマンたちの憩いの場だよ」

 長尾先輩は、そう言って微笑んだ。注文を済ませた直後だった。

 冗談のつもりなのか、本気で言っているのか。判断がつかなかった。

 風切先輩だって、くすりともしなかった。

「会話を隠すなら騒音のなかってことか……本題に入らせてもらうぞ」

「待って欲しいな。本題はこっちからだろう?」

 長尾先輩は、さも当然にように言ってのけた。風切先輩は、眉をひそめた。

「そっちから……? 自白する気か?」

「自白? 自白するのは都ノじゃないのかい?」

 話が見えてこない。なんだか妙な気がした。

 とりあえず、首都電気のほうから話をすることになった。

「このまえうちに来たのは、研究室を偵察するためだったよね?」

 長尾先輩は、ずばりと切り出した。すこしも躊躇がなかった。

 だけど、風切先輩は冷静に返した。

「証拠は?」

「そこの松平まつだいらくんが口をすべらせてくれたよ」

 風切先輩は、ちらりと松平のほうを見た。松平は、両手を振って否定した。

 その反応は逆効果でしょ。すっとぼけておかないと。

「ごまかさなくてもいい。松平くんはオート・ライティングという言葉に反応して、『自動筆記』だとすぐに翻訳してくれたよ。ちがうかい?」

「ええ……でも、中学英語でしょう?」

 松平は、そう弁明した。長尾先輩は、首を左右に振った。

「オート・ライティングって、普通は『自動照明』のことだよ」

 この指摘に、松平はアッとなった。

「Auto WritingとAuto Lightingを区別できるほど、僕の発音は流暢じゃなかったよ?」

「そ、それは……」

「きみたちの目的は、最初からあの自動筆記マシーンだったわけだ」

 ぐぅの音も出ない。松平、工学部ならもっとしっかり勉強しなさい。

「というわけで、Shoちゃんは罠にハメたわけじゃない。逆用させてもらっただけ」

 長尾さんは、説明を終えた――って、それだけ? なんか変じゃない?

 風切先輩も、まったく納得していなかった。むしろ不信感がつのったようだ。

「で、その先は?」

「その先? ……僕たちが裏見さんのデータを収集したのは、気づいてるんだろう?」

 やっぱりおかしい。長尾さんは、Shoちゃんの釈明をしたかっただけらしい。

 でも、私たちの用件はちがう。オーダー表の改ざんについてだ。

「その自動筆記マシーンで、なにかしたことがあるんじゃないのか?」

 風切先輩は、長尾さんに詰め寄った。

「え……まさか、領収書に教授の名前……」

「長尾さん、しーっ!」

 西原くんが口封じをした。

 犯罪の匂いがぷんぷんするんですが、それは。

「ちがうッ! オーダーの件だッ!」

 風切先輩がテーブルを叩くと、ちょうど蕎麦が出てきた。

 私たちは会話を中断した。店員さんが去るのを待つ。

「……うちのオーダーに、イタズラをしただろ?」

「オーダー? イタズラ? ……なんのことか分からないんだけど」

 とぼけないで、と言いたかった。でも、とぼけているようには見えなかった。

 風切先輩も拍子抜けしたのか、語気が弱くなった。

「ほんとに知らないのか? しらばっくれると怒るぞ?」

「いや、そう言われても……都ノのオーダーに、なにかあったのかい?」

 こういう切り返しをされると、一番困る。

 だって、相手がほんとに知らない可能性があるんだもの。

 正直に答えられない。

 風切先輩は、返事をするのにザッと10秒ほど考え込んだ。

 持ち込まれた蕎麦のなかで、油がぷつりと弾けた。

「……あの自動筆記マシーンは、ほかの大学にも入ってるのか?」

「ちょっと待って欲しいな。やたらあの機械を気にしてるみたいだけど、風切くんは数学科だろう? 線形代数の関連で、ディープラーニングに興味があるの?」

「じゃあ、率直に訊くぞ。あの機械で……」

「風切先輩、長尾先輩、おはようございまーす」

 私たちは、一斉にふりかえった。すると、そこには――

「ひ、氷室ひむろ、どうしてここに?」

 風切先輩は目をみはった。氷室くんは、くったくのない笑みを浮かべた。

「どうしてって、ここは蕎麦屋ですよ」

 氷室くんはそう言って、風切先輩と長尾さんの肩をそれぞれ叩いた。

「お蕎麦、美味しいですよね」

 のらりくらりとした返事。氷室くんは、あの夜から全然変わっていなかった。

 付き合いが長いからだろう。風切先輩はすぐに動揺から立ちなおった。

「おまえ、さっきから立ち聞きして……」

「先輩、早く食べないと天ぷらがフニャフニャになりますよ」

 氷室くんは割り箸を手渡した。

 風切先輩は、割り箸と氷室くんをみくらべた。

「どうしたんですか? 手で食べるわけじゃないですよね? どうぞ」

 風切先輩は、割り箸をうけとった。

 ちょうどそこへ、氷室くんの注文が運ばれてきた。

「ここのざる蕎麦はおいしいんですよ。では、いただきまーす」

 

  ○

   。

    .


 あぁたたたたたたたたたっ!


【先手:横山(政教) 後手:裏見(都ノ)】

挿絵(By みてみん)


 終わったぁああああッ!


「ま、負けました」

「ありがとうございました」

 8回戦は、順調に進んだ。

 私が勝った時点で、風切先輩、大谷おおたにさんが勝利。

 穂積ほづみお兄さんは負けたけど、3ー1でほぼ勝ち確のペースだった。

「いやぁ、参ったね。都ノ、このまま上がっちゃうんじゃない?」

 相手の少年は、そう言ってお茶を飲んだ。

「まあ、順位が下だから……」

 そう言いかけたとたん、教室の片隅で歓声があがった。

「対局中は静かに願います」

 幹事の注意。でも、その一帯はしばらくざわついた。

 政教の男子は、そちらのほうを眺めながら、

「決まったっぽいかな」

 とつぶやいた――そう、聖ソフィアの昇級が決まったっぽい。

「これで残りは1枠だね。都ノは自力?」

「一応」

 ラストの房総ぼうそう商科しょうかも、聖ソフィアに負けて1敗している。

 最終戦は、1敗同士の昇級争いだ。

「そっか、応援してるよ」

「感想戦は?」

 相手の男子は笑った。

「手合い違いだからね。休憩の邪魔しちゃ悪い」

「そう……ありがと」

 私は席を立った。そのとき、松平の席で投了の声が聞こえた。

「負けました」

「ありがとうございました」

 これで4ー1。どうやら、無事勝利できたようだ。

 私は教室を出た。すこし休憩を……と思いきや、出口に待ち人がひとりいた。

 火村ほむらさんだった。彼女は胸もとで腕組みをして、ニヤリと笑った。

「勝った?」

「えぇ……私もチームも勝ったわ」

「なかなかやるじゃない。まだ自力なんでしょ?」

 私は、そうだと答えた。

「最後も勝ちなさい。うちと都ノでフィニッシュよ」

 いきなり応援されて、私は混乱した。

「房総商科に恨みでもあるの?」

「べつにぃ、ただ、あたしは強いやつが好きなの。あそこは手応えがなかったわ」

「そう……」

「あら、応援されてうれしくないの?」

 うれしいとかうれしくないとかじゃなくて――ちょっと意外だった。

 火村さん、もっと自己中心的で他人に興味がないタイプかと思っていた。

 私は、そのことを率直に伝えた。

 すると、火村さんは笑って私を小突いた。

「なーに言ってんのよ。あたしと香子きょうこの仲じゃない」

 なんですか、それは。急に馴れ馴れしくなってますね。あやしぃ。

「火村さん、なにか下心がない?」

「え……ないわよ」

 今の間。絶対ある。

「ねぇ、火村さん、あのオーダーの件なんだけど、ほんとに聖ソフィアは……」

「おーい、裏見」

 松平に声をかけられた。私はふりかえる。

「どうしたの?」

「最終戦のまえにミーティングだ。控え室に集まってくれ」

「了解」

 私は返事をして、また向きなおった。

「……あれ?」

 火村さん、いなくなっちゃった。変なの。

 

  ○

   。

    .


「それでは、1番席、振り駒をお願いします」

 幹事の号令で、振り駒が始まった。

 私たちのところは、八花やつかちゃんが担当。

「都ノ、偶数先ッ!」

「房総、奇数先ッ!」

 6番席の私は先手になった。相手は、宮台みやだい浩二こうじさん。

 春の個人戦で、松平に負けたひとだ。

「チェスクロの位置はどうしますか?」

「俺の右にしてくれ」

 私はチェスクロを手渡した。あとは、開始の合図を待つばかり。

「準備の整っていないところは、ありませんね? ……それでは、始めてください」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 宮台さんがチェスクロを押して、対局スタート。

 泣いても笑っても、昇級を賭けた一戦だ。私は気合を入れた。

「7六歩」

「8四歩」

 宮台さんの手は、すこし震えていた。緊張してるのかしら。

「6八銀」


挿絵(By みてみん)


 矢倉で受けて立つ。

 3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀。

 とりあえず早囲いを目指す。

 4二銀、5八金右、3二金、6七金、7四歩、7七銀。

「6四歩」


挿絵(By みてみん)


 ん? 変則的な序盤になった。

 前局の情報が、さすがに伝わっていたっぽい。

 私は方針変更を決めた。

「7八金」

 4一玉、6九玉、8五歩、2六歩、6三銀、2五歩、3三銀。


挿絵(By みてみん)


 んー、矢倉中飛車じゃないと思うんだけどなぁ。

 5筋へのルートを確保しているのがあやしい。

 私は慎重を期して、長考に沈んだ。

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