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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第14章 2016年度春季団体戦3日目(2016年5月22日日曜)
67/487

66手目 年季の違い

 ん? 盤面が暗くなった?

 私は人影がさしたことに気づいて、顔をあげた。

「あッ!」

 私の声が会場にひびいた。周囲の目が痛い。

 でも、それ以上に、目の前に現れた青年――長尾さんの視線のほうが痛かった。

 長尾さんはこのまえと似たようなラフな格好で、私たちの対局を観戦していた。

 話しかけるわけにもいかないから、すぐに目逸らしする。

 なんで? 大学院生だから、出場権はないはずだ。ルールは学部生オンリーだった。

 しかも、先週と先々週は見かけなかった。ということは……都ノみやこの戦の偵察?

 犯人のほうからわざわざ出向いてきたことに、私は激しく動揺した。

「ど、同飛」

 不安を振り切るように、私は必然の一手を指した。

 2三歩、2六飛、4七角成、6三角成、8五飛、8六歩。

「8三飛」


挿絵(By みてみん)


 これは……読み通りではある。

 ようするに、後手は手を変えられないということだ。

 私は7三歩成として、同飛、同馬の交換を受け入れた。

「同桂、と」

 西原にしはらくんは角を持ち駒にくわえて、チェスクロを軽く押した。

 ここまでの様子からして、西原くんは首都しゅと電気でんきでも上位の腕前のはずだ。

 でないと、首都電気がDで3位というのがおかしい。

「負けました」

「ありがとうございました」

 やっぱり。風切かざぎり先輩のところが、かなり早く終わった。

 オーダーの当たりがいいのか悪いのか分からないけど、私のところは重要な気がする。

「2四歩」

 6五の銀でなにかされる前に動く。

 同歩、2三歩、同玉、7一飛。


挿絵(By みてみん)


 西原くん、ここでまた長考。

 受けるんじゃないかなぁ。さすがに2一飛成は許容できないでしょ。

 私は3一銀で固められた順を読み進めた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 んん!? ぜ、全然ちがった。

「2一飛成」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ちょ、ちょっと待ってッ! 7三飛成もあったじゃないッ!

 長尾さん出現に動揺したあげく、手拍子で指してしまったことに気づいた。

 お、落ち着かないと。

 私はお茶のキャップを開けて、3分の1を飲み干した。

 口もとを拭く。盤面をにらむ。

「3三玉」

 西原くんは3回の長考で10分を切っていたから、早めに王様を逃げた。

 その一方で、私は2一飛成が甘い攻めであると感じ始めていた。

 後続手段がない……っていうか、5六銀打が、かなりいい……6七銀成、同金(同玉は5六角まで)、6九角、8八玉、8七金、7九玉、7八角成までの詰めろだ。

 この段階で受けるしかない……うまい受けは……5八銀?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 千日手を狙えないかしら? 6七銀成、同銀、5六金、5八銀打、6七金、同銀、5六銀打、5八金……無限にはパターン化できない。千日手になる。

「5八銀」

 私は持ち時間の優位を保つため、早めに銀を打った。

 大学の団体戦は、千日手になったら持ち時間の差を維持して指し直しになるからだ。

「……6七銀成」

「同銀」

 ノータイムで返す。西原くんは、嫌そうな顔をした。

「なんだ? 千日手狙いか? ……5六金」

 5八銀打、6七金、同銀、5六銀打、5八金、6七銀成、同金右、5六銀打、5八銀。

「くッ、マジで千日手狙いか」

 当たり前でしょ。団体戦なんだから、カラく行くわよ。

 西原くんは6七銀成、同銀でさらに一周させてから、長考した。

 後手から崩す気? 私は崩せそうな可能性をチェックする。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 7六歩か6六歩っぽいわね。例えば、6六歩だと――


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 こう。一目、急所に効いている。

 同銀左は同銀、同銀、7六歩あるいは6五歩で困るから……5八銀かなぁ。

 6七金といきなり突っ込まれた場合、どうなるか、よね。

 例えば、同銀、同歩成、同金は、6九角、8八玉、8七銀、7九玉、7八銀成で詰んでしまう。かと言って、6七歩成に同玉は5六角打の一手詰めだ。

 あれ……? もしかして負けにした……?

 私は息を飲んだ。背筋を伸ばす。長尾さんの姿はなかった。

 圧を感じなくなって、私はすこしだけ落ち着きをとりもどした。

 6七金……6七金……8八玉?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これでじつは受かってたりする?

 6八金なら4七銀で詰まない、5八金ならそこで5四銀の2手スキをかけたい。

 5一角〜2四龍の簡単な詰みがある。

「こっちのほうがいいか……6六歩だ」

 西原くんは、6六歩を選択した。

 先手は5八銀しかないから、私はとりあえず銀を引いた。

「5六馬」


挿絵(By みてみん)


 そっちか……6七金以下は、後手が負けにしてるって読んだのね。

 たしかに、さっきのは切れ筋に入っていたと思う。

 ただ、これはこれで悩ましい……なにが悩ましいかと言うと、8八玉に5九角がある。2七飛で一見なんでもないように見えて、そこから6八角成となったときに先手必敗だ。同銀は7八金、8七玉、7六銀(!)と捨てに来て、9六玉(同玉は6五馬から詰む)、7四馬と引いて王手するのがポイント。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 8五桂合は9五金、同玉、9四歩、9六玉、9五歩の突き歩詰め。

 8五銀合は同銀、同歩、同馬、8七玉、8八金打まで。8五角合も同じ。

 となると、6七歩で抑えるしかない。

「6七歩」

 私は馬筋を遮断した。ここで西原くん、また長考。

 さすがにテンポが悪いような感じがした。

 

 ピッ

 

 あ、西原くんが秒読みになった。

 手数的にかなり早めの秒読みだ。

「しまった……長考しすぎたか……」

 西原くんは、ぐッと奥歯を噛み締めた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「7六歩ッ!」

 もうちょっとで切れそうなタイミングだった。

 そこまで焦る状況? なんだか、様子がおかしい。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あッ!

 もしかして、秒読みが苦手なタイプ? だとしたら、チャンスだ。

 私は深呼吸した。そうと分かれば、方針は確定。

「8八銀ッ!」


挿絵(By みてみん)


 頭を低くしてガードする。

 無鉄砲なパンチに耐えるボクサーのように、私は我慢に徹した。

 5九角、2七飛、8七歩、7九銀。

 耐えろ、耐えろ、耐えろーッ!


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「6八角成ッ!」


 暴発キタ〜ッ!

 

 私は颯爽と同銀。

 7七歩成、同桂、7六銀の瞬間、私は持ち駒の角を盛大に空打ちした。

「5一角ッ!」


挿絵(By みてみん)


 角を打ち込んだ勢いで、そのままチェスクロを押す。

 西原くんは、メガネの奥で目をほそめた。

「え? 4一銀の詰めろじゃないのか?」

 4一銀は2二金で受かる。同龍と切っても詰まない。

 西原くん、よーく見なさい、この角を。

「……ん? 合駒が詰み?」

 そう、4二金打は2四龍の一手詰みだ。4二金寄も詰み。

 王様を動かす場所はない。

「よ、4二金引しかないだとッ!?」

 西原くんは、いきなり解除困難な手が飛んできて、混乱していた。

 チェスクロは、無慈悲に数字を刻む。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「4二金引ッ!」


挿絵(By みてみん)


 ここだ。この局面。間違えないことが重要。

 悪手の罪は、あとから指したほうに重くのしかかる。

 まず、2四龍は詰まないように感じる。読むなら4二角成が先。

 4二角成、同金は、2四龍、4三玉(3二玉と下がるのは2一龍、4三玉、5四銀、5二玉、6三金まで)、5四銀、5二玉、6三金、6一玉で一見切れ筋なんだけど、2一龍が妙手。後手は合駒が金と角しかない。4一金打は同龍で速攻詰むから4一角、同龍、同金、8三角、5一玉、4三桂、4二玉、2二飛成、2二合駒、5三金までッ! 詰みッ!

 だから、最初の4二角成には同玉しかない。同玉……5四桂?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 5二玉は6一龍で簡単に寄るから、5三玉とトライしてくるはずだ。

 5三玉、5一龍、5二金、6二銀、6四玉?

 6四玉のところで4三玉や6三玉は5二龍と切れる……ああ、でも、最後の6四玉は5五玉を見ているから、捕まらないような気がしてきた。

 となると……4二角成、同玉にいきなり5三銀と捨てて……ダメだ。足りない。

 私はすこし焦った。勘を信じたい局面ではある。

 残り時間が3分なことを確認して、私はうまい寄せを探った。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 筋悪の5一銀?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 これ、パッと見打ちたくないけど、後手の持ち駒が微妙だからアリかも。

 王様の逃げ場所は5二、5三、4三、3三の4箇所で、5二玉は3二龍、5三玉も5四金、5二玉、3二龍以下で詰む。ポイントは、5五歩の拠点が王様の上部脱出を単体で防いでいること。5四桂と打つのは、5五歩の頭を丸くして損ってことか。

 で、残っているふたつの選択肢のうち、4三玉は4一龍としたい。4二金合は5四金、3三玉、4二銀不成、同金、同龍、同玉、4三金打、3一玉、3二金打まで。4二角合なら同銀成とすぐに取って、同金に6一角と打ち直す。以下、合駒は意味がないから3三玉、4二龍、同玉、4三金、3一玉、3二金打までの並べ詰みだ。

 ただ、この順もひとつだけ詰まないのがある。4一龍に3三玉だ。同じ理屈で、5一銀にいきなり3三玉も詰まなさそう。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これは先手勝ってるんじゃないかなぁ、とは思う。

 ただ、万全を期したいわけで……ん、待ってよ、ああして、こうして……あッ!

 これ詰んでる。うっかりしてた。

 ってことは、5一銀、4三玉、4一龍、3三玉の場合にも応用でき……る。詰みはしないけど、先手勝ちの順になりそう。しかも、西原くんのここまでの終盤力からして、この詰まない順を選択する可能性は低そうだ。

 私はチェスクロを確認した。残りは1分。秒読みになる前に読みきった。

「4二角成」


挿絵(By みてみん)


 この手を見た西原くんは、愕然とした。

「き、切るのか?」

 読んでなかったんかい。2四龍の一点張りだったとか?

 甘い甘い甘い、都ノ生協のアイスクリームより甘い。

「いや、待てよ……もしかして俺を混乱させるための切りか?」

 違うがな。終盤でそんなはったりみたいな手を指すわけないでしょ。

 ひとりで勝手に混乱しないでください。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同玉ッ!」

 5一銀に3三玉――ここで必殺の一手がある。

「2五桂ッ!」


挿絵(By みてみん)


 これで詰みぃ!

 取らずに4三玉は3二龍、同玉、3三金、2一玉、2二金打まで。

 取ったら2四金、4三玉、3二龍、同玉、3三金打、2一玉、2二歩、3一玉、4二銀成まで。2筋に歩が効くのが大きい。

 西原くんは詰みに気づいていないらしく、59秒まで考えて2五歩と取った。

 2四金、4三玉、3二龍。

 途中、私は確認に持ち時間を使って、同じく1分将棋になった。

 だけど、さすがに混乱はしないわよ。場数が違うもの。

 同玉、3三金打、2一玉、2二歩。


挿絵(By みてみん)


「つ、詰んでるじゃないか……」

 私はお茶を飲み、投了を待つ。西原くんはギリギリまで反省タイムかな。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「負けました」

「ありがとうございました」

 おたがいに一礼して終了。私はもうひと口お茶を飲んで、大きく息をついた。

 終盤のまくり方が爽快だった。こういうのは気持ちがいい。

「最後、全部詰んでたのか?」

 西原くんのクエスチョンで、感想戦開始。

「5一銀に4三玉と一回立って逃げて、4一龍、3三玉なら詰まないと思う」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 西原くんは悔しそうな顔をした。

「くッ、本譜は詰むほうに逃げたのか。こっちならまだ芽が……」

「んー、でもこれ、4五桂があるのよね」

 私は、対局中に用意しておいた手を口ずさんだ。

「4五桂? 桂馬を捨てても、意味がないだろ?」

「同歩は4四金、2三玉、3二龍、同玉、3三金打で、似たような詰みになるわよ」

 西原くんは、私の読み筋を頭のなかで追った。

「そ、そうか……放置も詰むから同馬しかないのか……」

「同歩以下で、まだ先手が勝ってる、っていうのが私の読み」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 まあ、若干危ないんだけどね。

 ひょっとすると、6八角成のときに同銀じゃなくて同玉と取っていたら、5六桂以下で詰んでいたかもしれない。7八玉と逃げるのは、8八金、同銀、同歩成、同玉、8七銀打以下で頭金になる。本譜は、たまたま助かったという印象だ。

 西原くんは脱力したようすで、

「2、3日研究しただけじゃ無理があるな……終盤力が違いすぎた……」

 と、ぼやいた。ここで私は、本局の発端をようやく思い出した。

「あなた、私のデータを勝手に盗み見たでしょ?」

「データ? なんのだ? スマホか? パソコンか?」

「とぼけないで。私がShoちゃんと指したときの対局データよ」

「しょうちゃん? だれだそれ?」

 私は怒り心頭して、

「研究室に置いてある将棋ソフトに決まってるでしょ」

 と迫った。ところが、今度は西原くんのほうが腕組みをして、眉間にシワを寄せた。

「俺は2年生だ。研究室配属はまだされてないぞ」

「じゃあ、なんでピンポイントに早囲いの対策してるの? おかしいでしょ?」

「そ、それはOBに教えてもらったんだ。『裏見香子を早囲いに誘導しろ』って」

 OB? またそんなウソを……ん? OB?

 私のなかですべてが繋がりかけた瞬間、ふたたび盤面が暗くなった。

場所:2016年度 春季団体戦3日目 1回戦

先手:裏見 香子

後手:西原 慎二

戦型:矢倉


▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀

▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金

▲6七金 △4一玉 ▲2六歩 △5二金 ▲7七銀 △3三銀

▲7九角 △7四歩 ▲3六歩 △3一角 ▲3七銀 △8五歩

▲2五歩 △6四角 ▲4六角 △4四歩 ▲6八玉 △4三金右

▲7八玉 △3一玉 ▲6八金上 △2二玉 ▲2六銀 △7三銀

▲1六歩 △7五歩 ▲同 歩 △4六角 ▲同 歩 △6四銀

▲7四歩 △5五歩 ▲3五歩 △同 歩 ▲4一角 △8六歩

▲同 歩 △8五歩 ▲同 歩 △5四角 ▲6五歩 △同 銀

▲5五歩 △3六角 ▲3五銀 △3四歩 ▲2四歩 △同 歩

▲同 銀 △同 銀 ▲同 飛 △2三歩 ▲2六飛 △4七角成

▲6三角成 △8五飛 ▲8六歩 △8三飛 ▲7三歩成 △同 飛

▲同 馬 △同 桂 ▲2四歩 △同 歩 ▲2三歩 △同 玉

▲6一飛 △5六銀打 ▲2一飛成 △3三玉 ▲5八銀 △6七銀成

▲同 銀 △5六金 ▲5八銀打 △6七金 ▲同 銀 △5六銀打

▲5八金打 △6七銀成 ▲同金右 △5六銀打 ▲5八銀 △6七銀成

▲同 銀 △6六歩 ▲5八銀 △5六馬 ▲6七歩 △7六歩

▲8八銀 △5九角 ▲2七飛 △8七歩 ▲7九銀 △6八角成

▲同 銀 △7七歩成 ▲同 桂 △7六銀 ▲5一角 △4二金引

▲同角成 △同 玉 ▲5一銀 △3三玉 ▲2五桂 △同 歩

▲2四金 △4三玉 ▲3二龍 △同 玉 ▲3三金打 △2一玉

▲2二歩


まで127手で裏見の勝ち

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