表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第13章 潜入捜査(2016年5月17日火曜)
64/487

63手目 アポイントメントの取り方

 というわけで、やって参りました。首都しゅと電気でんき大学です。

 緑豊かな中庭を通ると、そこは――

「ずいぶんと、さっぱりした大学だな」

 松平まつだいらはそう言って、あたりを見回した。

 私も同意する。

「そうね。白衣を着た学生が、うろうろしてるイメージだったけど、全然」

 私の発言に、穂積ほづみお兄さんは笑って、

「白衣を着るのは、医療とかバイオだよ。工学部はカジュアル」

 と答えた。そんなもんかしら。

「で、部外者の俺たちも入れるんですか?」

 松平は、背中越しに訪ねた。穂積お兄さんは、入れると答えた。

「大学生なら、問題ないよ。とはいえ、この人数はムリかな」

 でしょうね。部員全員で来ること、なかったと思う。

 穂積お兄さんは、自分を含めて代表を3人選んで欲しいと告げた。

 三宅みやけ先輩は、じゃんけんを提案した。賛成。じゃんけん、ぽん。

裏見うらみと松平か……」

 三宅先輩は、じゃんけんの結果を確認した。

「よっしゃッ!」

「よっしゃ、じゃないでしょ。マジメにやりなさい」

「決まったね。あそこが工学部棟だから、僕について来て」

 こうして、私たちは2手に分かれた。

 私と松平と穂積お兄さんは、工学部棟へ。

 のこりのメンバーは、風切かざぎり先輩のツテをたどって理学部棟へ。

 連絡は、MINEで取り合うことになった。

 工学部棟は、いくつかの建物を回廊で結んだ、とても大きな施設だった。

「理系大学だから、うちとは規模が違うな」

 松平は、うらやましそうに、そうつぶやいた。

「じゃ、入るね。忘れものはないかな?」

 穂積お兄さんは、スマホで友人を呼び出した。眼鏡をかけた細身の大学生が、入り口に姿を現した。紺と赤のチェック柄に、ちょっとゆるめの長ズボン。あんまり健康な生活を送っていないイメージ。顔色が悪い。

「もうついたのか?」

「もう、っていうか、約束の時間より5分遅れだよ」

「ん、そうだったか。で、こっちのふたりは?」

 眼鏡の男子は、私たちのほうを怪訝そうに観察した。

都ノみやこのの1年生」

 男子学生は、そうか、とだけ言って、名前も尋ねなかった。自己紹介もしない。

 私はこっそりと、松平に耳打ちした。

「これ、私たちのほうから自己紹介したほうが、いいのかしら?」

「やめておこう。どうせスパイみたいなもんだ。名前は教えないほうがいい」

 それも、そっか。私としては、不合法なことをしているつもりはないんだけど。

「しげちーの頼みだから、入り口は開けてやる。それ以上の案内はしないからな」

「アハハ、迷子になったら連絡する」

 大丈夫かなぁ。不安をおぼえつつ、私たちは建物のなかへ案内された。

 1枚目の自動ドアをくぐると、ロックされたガラス戸が待ち受けていた。

 眼鏡の男子は、学生証をとりだして、ピッとリーダーに読み取らせた。

 ガラス戸が開いて、私たちはそそくさと中に入る。

「じゃあな」

 眼鏡男子、いきなり離脱。私たちは、借りて来た猫みたいにおとなしくしておく。穂積お兄さんは、ポケットから一枚の紙切れをとりだして、それとにらめっこした。

「館内地図をくばってる大学なんて、めずらしいですね」

 松平は、紙切れのなかみをのぞきこんだ。

「これは頒布品じゃないよ。大学のサーバから抜いてきたもの」

「なるほど、サーバから……って、えぇッ!?」

「しーッ、館内では静かに」

 穂積お兄さんは、壁の注意書きを指差した。

 松平は声を落として、

「そこまでしなくていいでしょう。一個一個回っていけば……」

 と耳打ちした。

「さすがにムリだよ。目星くらいはつけておかないと。最近の大学は、備品管理がうるさいから、どこの研究室になにを購入して置いてあるか、データベースにしてるんだ。それが大学のサーバにあると予測したら、ぴったり見つかったよ。5分でクラックできた」

 なんか、犯罪のような気もするけど……深く考えないでおきましょう。

「で、場所は分かったんですか?」

 松平の質問に、穂積お兄さんはかるくうなずいた。

大森おおもり研究室にあるみたいだね。機械学習の専門家だ」

 私たちは、3階へとあがった。途中ですれ違った男子は、やたらと私のことをじろじろと見てきた。女子が少ないので目立つらしい。なるべく知らんぷりして歩く。

「ここですね」

 穂積お兄さんは、【大森】と書かれたドアのまえで立ち止まった。

「アポはあるんですか?」

「あるよ」

 へぇ、どうやって取ったのかしら。顔が広いのね。

 穂積お兄さんがノックをすると、中から快活な男の声が聞こえた。

「失礼します」

 穂積お兄さんは、ドアノブを回した。

 すると、開襟シャツに黒いズボンの、こざっぱりした青年が現れた。

 大学生……じゃないわね。もうちょっと上にみえる。

「こんにちは。連絡をさしあげた、穂積と言います」

「こんにちは。僕は大森研究室の院生で、長尾ながおです。よろしく」

 挨拶もそこそこに、私たちは室内へと案内された。ほかに誰もいない。

 長尾さんは、中央のテーブルに私たちを座らせて、

「敬語はここまで。ざっくばらんにいくよ。将棋を指しに来たんだよね?」

 と尋ねた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………はい?

「はい、そうです。将棋を指しに来ました」

「そちらのおふたりは、なんだか初耳みたいな顔してるよ?」

「初めての研究室で、緊張してるんです」

 いやいやいや、完全に初耳。

 困惑する私と松平をよそに、穂積お兄さんは先を続けた。

「さっそく、見せていただけませんか? こちらのパソコンですか?」

「いや、こっちだ。すぐに立ち上げる。おーい、起きろ」

 パソコンに話しかけてる。危ないひとかしら。

 と思いきや、画面にスクリーンセイバーのような綺麗な文様が現れた。

《おはようございます、長尾さん》

 おっと、これはびっくり。でも、現代っ子だから、さすがに驚愕はしないわよ。

「これって、人工知能ですか?」

 私は好奇心から、そうたずねた。

「まあ、ちまたではそう言われてるね。僕たちは機械学習って呼ぶけど」

《お客さんがいらっしゃるのですか?》

 おお、すごい。私たちのことも認識している。

「カメラは、どこに?」

 私の質問に対して、長尾さんは「ない」と答えた。

「これは音声特化型で、画像認識はできないんだよ」

「カメラがないと、将棋を指せないんじゃないですか?」

「将棋は専用のプログラムを走らせれば指せる。見る必要はないさ」

 うーん、それって、将棋の醍醐味が半減しているような。ま、いっか。

《声紋のパターン認識完了。10代の女性である確率は、87.3%です》

「どうやら、きみの声は識別できるようになったみたいだね。えーと……」

「裏見です。裏側に見る、って書きます」

「めずらしい名前だね。おい、Shoちゃん。彼女に相手してもらいなよ」

《了解です》

 え? 私が指すの? パソコンと将棋を?

「あの……将棋ソフトには、もう勝てないと思うんですけど……」

 私は、おずおずと申告した。すると、長尾さんは笑って、

「大丈夫。こいつは弱いから」

 と言った。

「弱いって言っても、プロ級ですよね?」

「いや、ほんとに弱いよ。アマ有段くらい」

 ここで松平が口を挟んだ。

「アマ有段? 失礼ですけど、開発し始めたばかりですか?」

 松平の疑問は、尤もだった。強いソフトは、すでに名人より強いのだ。アマ有段では、全然お話にならない。ところが、長尾さんから返ってきた答えは、予想と違っていた。

「こいつは1年近く調整してある」

「有名ソフトの公開プログラムをベースにしないで、一から開発ですか?」

 長尾さんは、パソコンに手をあてて、かるく撫でた。

「Shoちゃんは、強いことを目指さないソフトなんだ」

「強いことを目指さない? どういう意味です?」

 長尾さんは、的を射た質問とばかりに、滔々と答えた。

「人間がソフトに勝てないのは、いろいろなデータから明らかだよね。じゃあ、人間とソフトが将棋を指す理由はなにか、ということになってくる」

「形勢判断の数値化とか、詰みの有無の確認とかじゃないですか?」

 そうそう、都ノの将棋部でも、ソフトは積極的に活用している。

「もちろん、それもある。けど、それは結局、ガチ勢の話だよね?」

「まあ……遊びでやってるなら、ああだこうだ言って、終わりだと思います」

 松平の返事を受けて、長尾さんはニヤリと笑った。

「というわけで開発中なのが、このShoちゃん。彼は、将棋に勝つというより、接待をするのが目的のソフトなんだ。僕も、毎晩接待してもらっている」

 えぇ……それって、どうなの。私は疑問に思って、

「絶対に負けてくれるソフトって、逆の意味でつまらなくないですか?」

 と反論してしまった。

「おっと、これは言い方が悪かった。負けてくれるわけじゃなくて、ちょうどいい棋力で指してくれるってことだよ。指し手を評価値で計算して、どれくらいの棋力か測ってくれるんだ。一致率が低かったり悪手率が高かったりすると、どんどん手加減してくれる」

「え? それだと、最初のほうでめちゃくちゃに指したら、有利になりませんか?」

 私は、長尾さんが気さくなので、率直に疑問をぶつけてみた。

 長尾さんは後頭部に手をあてて、高らかに笑った。

「ハハハ、さすがは将棋指し、よく分かってるね。そのへんは改良の余地がある。今回はサンプリングだし、そういう指し方はしないで欲しいな、ってとこかな」

 あ、そういうことか。ようやく話がみえた。穂積お兄さんは、ソフト開発の手伝いをするという口実で、この研究室にアポを取ったのだ。実際に将棋部の面子だから、怪しまれないで済む。事情を察した私は、この芝居に乗ることにした。

「分かりました。実験台になります」

「ほんとに遊び感覚でいいよ。そのためのソフトだから」

 長尾さんは説明を終えて、パソコンのほうに話しかけた。

「それじゃ、Shoちゃん、裏見さんが相手をしてくれるらしいから、よろしく」

《よろしくお願いします。ウラミさん》

「こちらこそ、よろしく……手番は?」

《私は振り駒ができないので、お譲りしますよ》

 っと、いきなり接待モードか。

「じゃ、お言葉に甘えて、7六歩」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ