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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第12章 2016年度春季団体戦2日目(2016年5月15日日曜)
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62手目 筆跡鑑定

挿絵(By みてみん)


「ギリギリだったなぁ」

 三宅みやけ先輩は、オーダー表の写しを確認しながら、安堵のタメ息をもらした。

 ここは、立川たちかわにあるファミレス。日曜だけど、席を取ることができた。反省会を兼ねた夕食で、部員は全員参加していた。都合が合うなんて、めずらしい。

 一方、負けた穂積ほづみさんは、ムスッとした表情。

「最後、詰みがあったと思ったのにぃ」

 そう言って、オレンジジュースをストローで吸い上げた。

 いやはや、【詰みそう】と【詰む】はちがいますよ、穂積さん。

「なんか僕、座ってるだけですね。すみません」

 と穂積お兄さん。三宅先輩は、

「来てもらって助かってる。南稜なんりょうさえくだせば、残るは房総ぼうそう商科しょうかだけだ。今日は反省会が必要ないくらいのデキだ。デキ過ぎと言ってもいい」

「そうでもない」

 私たちは、風切かざぎり先輩のほうへ顔をむけた。先輩は、むずかしい表情をしていた。

「がんばってくれたみんなにはすまないが、反省会だから率直に言わせてもらう。今日の対局で、うちの弱点はかなり露呈したと思う」

 三宅先輩は、その弱点をたずねた。

「ひとつ、もう分かり切ってたことだが、人数がギリギリという点だ。もちろん、今すぐなんとかなるもんじゃないが、Dクラスで4−3を取っているようじゃ、CからBへは絶対に上がれない。このままのメンツでもDに落ちることはまずないだろうが、万年Cクラスになる。秋は人数をかき集めないといけない」

 三宅先輩も、すこし深刻な表情を浮かべた。

「むやみなかき集めはしないって約束だろ? 方針転換か?」

「方針転換はしない。王座戦を目指す以上、それに賛同してくれる部員だけを集める。ただ、このままだと秋に勝てないのも事実だ。春の団体戦が終わったら、すぐに動く必要がある。7月になったらレポート提出や試験が始まるし、8月は帰省していて大学にひとがいない。5月と6月が勝負だ」

「その時期が勝負なのは分かるが、1年生には負担が大きすぎないか?」

 風切先輩は、三宅先輩の指摘を認めた。

「そのあたりは、また考えないといけないな……で、2点目だが、事務方で三宅に頼りきりなのはマズいと思う。このままだとワンマン営業だ」

「べつに俺はかまわないが……」

「三宅も、前期の単位が全部レポートってわけじゃないんだろ?」

「試験はいくつかある」

「そう、そして俺だってある。というより、うちの数学科は原則的に筆記試験だ。7月は結構キツい。だから、このままの体制で1年続けるのはムリだ。どこかで体制を変えないといけない。そのためには、棋力がなくても運営にやる気のあるメンバーなら、積極的に受け入れたほうがいい」

「なるほどな。オーダーのズラしにも出てもらえるし、それがよさそうだ」

 と言いながら、三宅先輩は、穂積お兄さんのほうをチラ見した。

重信しげのぶは、大会が終わったあとも来てくれるのか?」

「そうですね、入部届けは出しましたし、ほかにサークルも入ってないので」

 どうやら三宅先輩は、穂積お兄さんを本格的に勧誘したいらしかった。助っ人で来たときはどうかと思ったけど、毎週マジメに来てくれててエラい。途中で離脱されないかと、みんな心配していたのだ。

「それはありがたいな……風切、ほかに指摘することはあるか?」

「とりあえずは以上の2点だ。もちろん、これは大会が終わってから考えることで、まずは昇級を目指そう。3日目の上位3連戦を押さえたら勝ちだ」

 私たちはお互いにうなずきあった。ちょうどそこへ、注文が運ばれてきた。

「ミートソーススパゲティのお客さま」

「はーい」

 穂積さんが手をあげた。

 ほかにも、チキングリルやハンバーグステーキがテーブルのうえに並べられる。

 私は、あっさりした和風たらこスパゲティにしておいた。

「いただきます」

 夕食をしばらく楽しんだあと、三宅先輩はナプキンで口の周りを拭いた。

「重信の継続も確定したから、いよいよ本題に入るぞ」

 本題――私は、議題を悟った。

 三宅先輩は、周囲にほかの大学がいないことを確認して、例の用紙を取り出した。

「これが、裏見うらみたちの回収してくれた改竄オーダーだ」

 私たちは、食器やコップを移動させて、オーダー表をのぞきこんだ。

 まっさきにコメントしたのは、風切先輩だった。

「えらく達筆だな……」

 同意。筆ペンで書いてあるけど、かなり書き慣れている感があった。漢字の跳ねや角もきちんとしていて、全体的にとてもバランスが取れていた。

「もしかして、学生じゃないとか?」

 と穂積さん。これには、大谷おおたにさんが異議を唱えた。

「若いひとの字が汚い、というのは偏見だと思います」

「んー、そうかな? そもそも、筆ペンって使わなくない?」

「拙僧、授業のまえにきちんと墨をすって筆で書いています」

「は?」

 そこは特殊事例だから、あんまり気にしないほうがいいと思う。

 あと、穂積さんの字がきたないっぽいのは察しがついた。

 私は三宅先輩に、

「関係者の筆跡とみくらべていけば、特定できる気がします」

 と伝えた。これは、聖ソフィアの明石あかしくんの意見でもあった。

「関係者と言っても、幹事だけで40人近くいる。どうやって筆跡鑑定する?」

「あやしいランキングの上位から調べる、というのが明石くんの提案でした」

 三宅先輩は、そのアイデアに難色をしめした。

「ランクづけできるか? そもそも、聖ソフィアは白ってことでいいのか?」

 そこを突かれると、こちらも困る。

 聖ソフィアの明石くんと火村さんを信用できると思ったのは、あくまでも私があの夜、一緒に行動したからだ。三宅先輩たちからみると、無断で動いたわけだし、最初に一番あやしまれていたのが聖ソフィアだから、疑惑を晴らすのはむずかしかった。

「改竄された聖ソフィアのオーダー表もありましたし、多分、大丈夫です」

「自作自演ってことは?」

「ないと思います。氷室ひむろくんと対局したときの火村ほむらさんは、演技に見えませんでした。そもそも、聖ソフィアの自作自演なら、氷室くんが出てくることはなかったはずです」

 三宅先輩も、さすがに納得してくれたらしい。ジンジャエールを一口飲んで、

「分かった。裏見を信用する。で、ランキングの上位はもう決まってるのか?」

 とたずねた。

「オーダーを管理していた幹事の代表者と……やっぱり、氷室くんだと思います」

 私はそう言い切ってから、風切先輩のほうを盗み見た。

 風切先輩は、コーヒーをまえにして、じっと腕組みをしていた。

「……氷室は違うだろうな」

 風切先輩のコメントに、三宅先輩は理由をたずねた。

「高校のとき、あいつの字を見たことがある。綺麗だが、もっと不揃いな感じだった」

「不揃い、ね……となると、どうにかして幹事のメモかなにかを……」

「少々お待ちください」

 大谷さんは、三宅先輩と風切先輩の会話を中断させた。

「この字体に、どこか違和感をおぼえます」

 三宅先輩は、「見覚えがあるのか?」とたずねた。

「いえ、見覚えではなく、違和感です。筆圧が均等に過ぎます」

 大谷さんの指摘を受けて、私たちはもういちどオーダー表を確認した。

「ん……たしかに、よくみるとコピー機レベルだな」

 三宅先輩はオーダー表を持ち上げて、蛍光灯に照らしてみた。

 そして、曖昧な表情をする。

「いや……しかし、ところどころインクが盛り上がってるな……」

「拝見してもよろしいですか?」

 三宅先輩は、大谷さんにオーダー表を手渡した。

 大谷さんも、蛍光灯で透かしてみた。

「……なるほど、違和感の正体が分かりました」

「ほんとか?」

 大谷さんは、テーブルのうえにオーダー表を乗せて、自分の名前をゆびさした。

「『大』という字の、それぞれの画の書き出しを見てください。『一』の左端、『ノ』の上端、『ヽ』の上端の3箇所です」

 私たちは、指定された3箇所をよーく見てみた。

 すると私は、ある特徴に気がついた。

「押し付けたような跡があるわね。つまり、コピーじゃないってことかしら」

 コピーなら、インクが濃くなることはあっても、筆圧が残ることはない。

 つまり、一画一画、ペンできちんと書いた証拠だ。

「おっしゃるとおりです。そして、そのあとは流れるように濃淡がありません」

「でも、そこからなにが言えるの? 几帳面なだけじゃない?」

「人間の指は、いくら几帳面でも、圧力を完全に均等にすることはできません」

 私は、びっくりした。だって、大谷さんが言いたいのは――

「人間じゃないってこと?」

「おそらく……機械です」

 えぇ。私たちは、お互いに顔を見合わせた。みんな、信じられないといった様子。

「証拠は、ほかにもあります。2回戦の帝仁ていじん戦をみてください。大将の『倉田』と六将の『松田』の『田』の字が、完璧に一致しています」

 むむむ、ほんとだ。私は、納得せざるをえなかった。

「でも、文字を書けるロボットなんて、いるの?」

「あ、いますよ」

 返事をしたのは、なんと穂積お兄さんだった。

「プリンタが進化した現代でも、手書きのほうがいいっていうひとは多いですからね。特に、プレゼントカード業界では需要があります。アメリカでは、2013年頃から、手書き文字にみせるロボットサービスが商業化されているんですよ」

 な、なんと。そんなサービスが。知らなかった。

「ってことは、筆跡をいくら調べても分かんないってことじゃないか」

 三宅先輩は落胆した。ところが、穂積お兄さんはにこにこして、

「いえ、むしろこれで範囲が絞られました。手書きロボットは量産されていないので、一台一台に癖があります。それに、一般人は普通所有していません。このオーダー表どおりの文字を書くロボットが、企業か研究機関にいるはずです。そこに犯人もいます」

 とアドバイスした。三宅先輩は、パチリと指を鳴らした。

「そうかッ! あそこだッ!」

 風切先輩は、どこだ、とたずねた。

首都しゅと電気でんきだッ! あそこの工学部は有名だから、なんでもあるッ!」

 風切先輩の目が光った。

「そうか……昇級枠が2つだから、上位2校ばかり気にしていたが、3位の電気大にも、芽はあったな。今は2敗で昇級戦線から脱落してても、それは今日の情報だ。初日の時点では、まだ1敗もしていなかった」

 おおっと、これはいきなり犯人が割れそう?

 もし手書きロボットを使ったことが証明できれば、すくなくとも電気大の関係者があやしいことになる。特に、オーダー表に接近できた電気大の幹事があやしい。

 だけど、私はその先が気になった。

「でも、他大の設備なんて、調べようがなくないですか?」

 三宅先輩も、そこは認めた。

「風切、電気大に顔は利かないか?」

「知り合いならいるが、みんな数学科だ。あそこは理学部校舎と工学部校舎が分かれていて、数学科じゃなかには入れない。セキュリティ管理もしっかりしているから、こっそり入るのもムリだろう。学生証が入館キーになってる」

「そうだ、松平まつだいらは工学系だったよな? 電気大に知り合いはいないか?」

「1年生なんで、なんとも……」

 ここで手を挙げたのは、やっぱり穂積お兄さんだった。

「僕は知り合いがいますよ」

「マジか?」

「情報通信工学が専門なので、工学部にも知り合いはいます」

「え? お兄ちゃん、ただのパソコンオタクだったんじゃないの?」

「ハハハ、八花やつか都ノみやこのにオタク学部はないんだよ」

 なんと、意外なルートで解決しそう。犯人よ、首を洗って待ってなさい。

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