62手目 筆跡鑑定
「ギリギリだったなぁ」
三宅先輩は、オーダー表の写しを確認しながら、安堵のタメ息をもらした。
ここは、立川にあるファミレス。日曜だけど、席を取ることができた。反省会を兼ねた夕食で、部員は全員参加していた。都合が合うなんて、めずらしい。
一方、負けた穂積さんは、ムスッとした表情。
「最後、詰みがあったと思ったのにぃ」
そう言って、オレンジジュースをストローで吸い上げた。
いやはや、【詰みそう】と【詰む】はちがいますよ、穂積さん。
「なんか僕、座ってるだけですね。すみません」
と穂積お兄さん。三宅先輩は、
「来てもらって助かってる。南稜さえくだせば、残るは房総商科だけだ。今日は反省会が必要ないくらいのデキだ。デキ過ぎと言ってもいい」
「そうでもない」
私たちは、風切先輩のほうへ顔をむけた。先輩は、むずかしい表情をしていた。
「がんばってくれたみんなにはすまないが、反省会だから率直に言わせてもらう。今日の対局で、うちの弱点はかなり露呈したと思う」
三宅先輩は、その弱点をたずねた。
「ひとつ、もう分かり切ってたことだが、人数がギリギリという点だ。もちろん、今すぐなんとかなるもんじゃないが、Dクラスで4−3を取っているようじゃ、CからBへは絶対に上がれない。このままのメンツでもDに落ちることはまずないだろうが、万年Cクラスになる。秋は人数をかき集めないといけない」
三宅先輩も、すこし深刻な表情を浮かべた。
「むやみなかき集めはしないって約束だろ? 方針転換か?」
「方針転換はしない。王座戦を目指す以上、それに賛同してくれる部員だけを集める。ただ、このままだと秋に勝てないのも事実だ。春の団体戦が終わったら、すぐに動く必要がある。7月になったらレポート提出や試験が始まるし、8月は帰省していて大学にひとがいない。5月と6月が勝負だ」
「その時期が勝負なのは分かるが、1年生には負担が大きすぎないか?」
風切先輩は、三宅先輩の指摘を認めた。
「そのあたりは、また考えないといけないな……で、2点目だが、事務方で三宅に頼りきりなのはマズいと思う。このままだとワンマン営業だ」
「べつに俺はかまわないが……」
「三宅も、前期の単位が全部レポートってわけじゃないんだろ?」
「試験はいくつかある」
「そう、そして俺だってある。というより、うちの数学科は原則的に筆記試験だ。7月は結構キツい。だから、このままの体制で1年続けるのはムリだ。どこかで体制を変えないといけない。そのためには、棋力がなくても運営にやる気のあるメンバーなら、積極的に受け入れたほうがいい」
「なるほどな。オーダーのズラしにも出てもらえるし、それがよさそうだ」
と言いながら、三宅先輩は、穂積お兄さんのほうをチラ見した。
「重信は、大会が終わったあとも来てくれるのか?」
「そうですね、入部届けは出しましたし、ほかにサークルも入ってないので」
どうやら三宅先輩は、穂積お兄さんを本格的に勧誘したいらしかった。助っ人で来たときはどうかと思ったけど、毎週マジメに来てくれててエラい。途中で離脱されないかと、みんな心配していたのだ。
「それはありがたいな……風切、ほかに指摘することはあるか?」
「とりあえずは以上の2点だ。もちろん、これは大会が終わってから考えることで、まずは昇級を目指そう。3日目の上位3連戦を押さえたら勝ちだ」
私たちはお互いにうなずきあった。ちょうどそこへ、注文が運ばれてきた。
「ミートソーススパゲティのお客さま」
「はーい」
穂積さんが手をあげた。
ほかにも、チキングリルやハンバーグステーキがテーブルのうえに並べられる。
私は、あっさりした和風たらこスパゲティにしておいた。
「いただきます」
夕食をしばらく楽しんだあと、三宅先輩はナプキンで口の周りを拭いた。
「重信の継続も確定したから、いよいよ本題に入るぞ」
本題――私は、議題を悟った。
三宅先輩は、周囲にほかの大学がいないことを確認して、例の用紙を取り出した。
「これが、裏見たちの回収してくれた改竄オーダーだ」
私たちは、食器やコップを移動させて、オーダー表をのぞきこんだ。
まっさきにコメントしたのは、風切先輩だった。
「えらく達筆だな……」
同意。筆ペンで書いてあるけど、かなり書き慣れている感があった。漢字の跳ねや角もきちんとしていて、全体的にとてもバランスが取れていた。
「もしかして、学生じゃないとか?」
と穂積さん。これには、大谷さんが異議を唱えた。
「若いひとの字が汚い、というのは偏見だと思います」
「んー、そうかな? そもそも、筆ペンって使わなくない?」
「拙僧、授業のまえにきちんと墨をすって筆で書いています」
「は?」
そこは特殊事例だから、あんまり気にしないほうがいいと思う。
あと、穂積さんの字がきたないっぽいのは察しがついた。
私は三宅先輩に、
「関係者の筆跡とみくらべていけば、特定できる気がします」
と伝えた。これは、聖ソフィアの明石くんの意見でもあった。
「関係者と言っても、幹事だけで40人近くいる。どうやって筆跡鑑定する?」
「あやしいランキングの上位から調べる、というのが明石くんの提案でした」
三宅先輩は、そのアイデアに難色をしめした。
「ランクづけできるか? そもそも、聖ソフィアは白ってことでいいのか?」
そこを突かれると、こちらも困る。
聖ソフィアの明石くんと火村さんを信用できると思ったのは、あくまでも私があの夜、一緒に行動したからだ。三宅先輩たちからみると、無断で動いたわけだし、最初に一番あやしまれていたのが聖ソフィアだから、疑惑を晴らすのはむずかしかった。
「改竄された聖ソフィアのオーダー表もありましたし、多分、大丈夫です」
「自作自演ってことは?」
「ないと思います。氷室くんと対局したときの火村さんは、演技に見えませんでした。そもそも、聖ソフィアの自作自演なら、氷室くんが出てくることはなかったはずです」
三宅先輩も、さすがに納得してくれたらしい。ジンジャエールを一口飲んで、
「分かった。裏見を信用する。で、ランキングの上位はもう決まってるのか?」
とたずねた。
「オーダーを管理していた幹事の代表者と……やっぱり、氷室くんだと思います」
私はそう言い切ってから、風切先輩のほうを盗み見た。
風切先輩は、コーヒーをまえにして、じっと腕組みをしていた。
「……氷室は違うだろうな」
風切先輩のコメントに、三宅先輩は理由をたずねた。
「高校のとき、あいつの字を見たことがある。綺麗だが、もっと不揃いな感じだった」
「不揃い、ね……となると、どうにかして幹事のメモかなにかを……」
「少々お待ちください」
大谷さんは、三宅先輩と風切先輩の会話を中断させた。
「この字体に、どこか違和感をおぼえます」
三宅先輩は、「見覚えがあるのか?」とたずねた。
「いえ、見覚えではなく、違和感です。筆圧が均等に過ぎます」
大谷さんの指摘を受けて、私たちはもういちどオーダー表を確認した。
「ん……たしかに、よくみるとコピー機レベルだな」
三宅先輩はオーダー表を持ち上げて、蛍光灯に照らしてみた。
そして、曖昧な表情をする。
「いや……しかし、ところどころインクが盛り上がってるな……」
「拝見してもよろしいですか?」
三宅先輩は、大谷さんにオーダー表を手渡した。
大谷さんも、蛍光灯で透かしてみた。
「……なるほど、違和感の正体が分かりました」
「ほんとか?」
大谷さんは、テーブルのうえにオーダー表を乗せて、自分の名前をゆびさした。
「『大』という字の、それぞれの画の書き出しを見てください。『一』の左端、『ノ』の上端、『ヽ』の上端の3箇所です」
私たちは、指定された3箇所をよーく見てみた。
すると私は、ある特徴に気がついた。
「押し付けたような跡があるわね。つまり、コピーじゃないってことかしら」
コピーなら、インクが濃くなることはあっても、筆圧が残ることはない。
つまり、一画一画、ペンできちんと書いた証拠だ。
「おっしゃるとおりです。そして、そのあとは流れるように濃淡がありません」
「でも、そこからなにが言えるの? 几帳面なだけじゃない?」
「人間の指は、いくら几帳面でも、圧力を完全に均等にすることはできません」
私は、びっくりした。だって、大谷さんが言いたいのは――
「人間じゃないってこと?」
「おそらく……機械です」
えぇ。私たちは、お互いに顔を見合わせた。みんな、信じられないといった様子。
「証拠は、ほかにもあります。2回戦の帝仁戦をみてください。大将の『倉田』と六将の『松田』の『田』の字が、完璧に一致しています」
むむむ、ほんとだ。私は、納得せざるをえなかった。
「でも、文字を書けるロボットなんて、いるの?」
「あ、いますよ」
返事をしたのは、なんと穂積お兄さんだった。
「プリンタが進化した現代でも、手書きのほうがいいっていうひとは多いですからね。特に、プレゼントカード業界では需要があります。アメリカでは、2013年頃から、手書き文字にみせるロボットサービスが商業化されているんですよ」
な、なんと。そんなサービスが。知らなかった。
「ってことは、筆跡をいくら調べても分かんないってことじゃないか」
三宅先輩は落胆した。ところが、穂積お兄さんはにこにこして、
「いえ、むしろこれで範囲が絞られました。手書きロボットは量産されていないので、一台一台に癖があります。それに、一般人は普通所有していません。このオーダー表どおりの文字を書くロボットが、企業か研究機関にいるはずです。そこに犯人もいます」
とアドバイスした。三宅先輩は、パチリと指を鳴らした。
「そうかッ! あそこだッ!」
風切先輩は、どこだ、とたずねた。
「首都電気だッ! あそこの工学部は有名だから、なんでもあるッ!」
風切先輩の目が光った。
「そうか……昇級枠が2つだから、上位2校ばかり気にしていたが、3位の電気大にも、芽はあったな。今は2敗で昇級戦線から脱落してても、それは今日の情報だ。初日の時点では、まだ1敗もしていなかった」
おおっと、これはいきなり犯人が割れそう?
もし手書きロボットを使ったことが証明できれば、すくなくとも電気大の関係者があやしいことになる。特に、オーダー表に接近できた電気大の幹事があやしい。
だけど、私はその先が気になった。
「でも、他大の設備なんて、調べようがなくないですか?」
三宅先輩も、そこは認めた。
「風切、電気大に顔は利かないか?」
「知り合いならいるが、みんな数学科だ。あそこは理学部校舎と工学部校舎が分かれていて、数学科じゃなかには入れない。セキュリティ管理もしっかりしているから、こっそり入るのもムリだろう。学生証が入館キーになってる」
「そうだ、松平は工学系だったよな? 電気大に知り合いはいないか?」
「1年生なんで、なんとも……」
ここで手を挙げたのは、やっぱり穂積お兄さんだった。
「僕は知り合いがいますよ」
「マジか?」
「情報通信工学が専門なので、工学部にも知り合いはいます」
「え? お兄ちゃん、ただのパソコンオタクだったんじゃないの?」
「ハハハ、八花、都ノにオタク学部はないんだよ」
なんと、意外なルートで解決しそう。犯人よ、首を洗って待ってなさい。