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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第11章 すり替えられたオーダー表(2016年5月10日火曜)
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56手目 犯人?

 というわけで、治明おさまるめい大学のリベルタタワーにやって来たわけだけど――

「いやあ、参ったわね。まさか閉じ込められちゃうなんて」

 火村ほむらさんはそう言いながら、タブレットの将棋駒をひとつ動かした。

 私は、スマホの明かりで盤面を確認する。


挿絵(By みてみん)


香子きょうこの番よ」

「んー、これは厳しい……って、あのね、将棋なんか指してる場合じゃないでしょ」

「9時までは廊下に出られないんでしょ?」

 火村さんはうしろを振り返って、そう答えた。

 緑色の非常灯がみえる。ほかは真っ暗だ。

 ちょっと事情を説明すると、私たちはリベルタタワーの13階、第三会議室のなかに閉じ込められていた。べつに監禁されてるわけじゃない。なにやら研究会のようなものの受付がドアのまえにあって、出るに出られないのだ。

「しっかし、ツイてないわね。忍び込んだら、いきなり設営が始まるんだもの」

 火村さんはそう言って愚痴った。声を落として欲しい。

「あのとき、なにくわぬ顔で退室しとけばよかったわね」

「ほんとそれよ……香子が『様子を見ましょう』とか言い出すから」

 むかッ、責任をなすりつけてきた。

「火村さんだって同意したじゃない」

「あれはしぶしぶ」

「ウソおっしゃい。めちゃくちゃビビってたくせに」

 ソファーのうしろに速攻で隠れてたの、ばっちり目撃したんだからね。

 私がそのことを指摘すると、火村さんは面白くなさそうに腕組みをした。

「あたしが人間ごときにビビるっていうの?」

「頭をかかえてプルプルしてたじゃない」

「してない」

「してた」

「してないってば」


 ガチャリ

 

 ぎくぅ! 私たちは、ソファーのうしろに飛び込んだ。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ん? 部屋が明るくならない?

 私は、こっそりとソファーから顔を出した。

 ドアは開いていない。その代わりに、廊下からガヤガヤと声が聞こえてきた。

「おつかれさまでした」

木下きのしたくん、今日の報告はおもしろかったよ。どこかに載せるのかね?」

氷室ひむろ先生、ホワイトボードは消してもよろしいでしょうか?」

 どうやら、研究会が終わったようだ。

 私と火村さんはドアに近づいて、聞き耳を立てた。

 受付のテーブルを片付ける音に続いて、ぞろぞろと足音が遠ざかる。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「いなくなったっぽいわね」

 火村さんはそう言って、ドアノブに手をかけようとした。

 その瞬間――

 

 ガチャリ

 

 ノブが勝手に回って、スッと廊下の明かりが差し込んだ。

 眼鏡に三つ編みの女性が、敷居のむこうがわに立っていた。

「や、八千代やちよ先輩ッ!」

 

 バタン

 

 目の錯覚かと思うほどの、一瞬のできごとだった。

 もういちどドアノブに手をかけようとしたところで、壁越しに声が聞こえた。

傍目はためさん、そっちの会議室は、もう閉めた?」

「はい」

 私と火村さんは、音を立てないようにソファーのうしろへ隠れた。

 廊下には、まだスタッフが残っていたのだ。

「悪かったわね、法学部なのに手伝ってもらっちゃって」

「いえ……ところで、先輩が最後ですか?」

「そうよ。お礼に夕飯ゆうはんをおごるわ。どこがいい?」

 八千代先輩は、すこし間をおいて、

「申し訳ありませんが、将棋部の仕事が残っているので、後日にしていただけますか?」

 と尋ねた。妙に大きな声だった。

「いいけど……傍目さん、将棋部だったの?」

「はい、幹事をしています。14階の資料室をときどき借りています」

「ふぅん……たいへんね。それじゃ、今日はありがと。また今度おごるわ。バイバイ」

 そう言って、ドアの向こうがわは静かになった。

 私は1分ほど待って、ソファーのうしろから抜け出し、慎重に外をうかがった。

「どう?」

「誰もいない」

「誰も? さっきの眼鏡女は?」

 私はもうすこし隙間をあけて、廊下の左右を確認した。

「やっぱり誰もいないわ」

 私たちは人が来ないうちに、廊下へ出てドアを閉めた。

 これで、警備員に会ってもなんとかやり過ごせそうだ。

「どうする? 松平まつだいらたちと連絡をとる?」

「今やってるわ。MINEで明石あかしを呼び出して……」

 私はとっさの思いつきで、火村さんをとめた。

「集合する必要はなくない? むしろ4人だと目立つわよ?」

「ん、それもそっか……玄関のところに待機させとく?」

「『友人が忘れ物をしたから待ってる』って感じでお願い」

 これなら、入り口の警備員に声をかけられても怪しまれない。

 火村さんもサッとフリックして会話文を送った。

「了解、だって」

「OK、それじゃ行きましょう」

「どこに?」

 目敏めざといようで、なんかヌケたところがあるなぁ。

「14階の資料室よ」

「資料室? 将棋連合が使ってる部屋?」

「そう、あそこにオーダー表が保管されてるのよ」

 八千代先輩がいきなり声を大きくしたのは、保管場所を私たちに教えるためだ。

 それ以外には考えられない。

「でも、鍵が掛かってるでしょ」

「八千代先輩が開けてくれてるはずよ。だから夕食のさそいを断ったんだわ」

 火村さんは片方の眉毛を持ち上げて、ニヤリと笑った。

「なかなか気が利くわね」

「八千代先輩も資料室で待ってるかもしれないし、急ぎましょう」

 私たちはエレベーターには乗らず、非常階段で14階にあがった。

 似たような白いドアが並んでいた。プレートを確かめていく。

「あったッ!」

 火村さんは、奥から2番目のプレートを指差した。

 【資料室】とゴシック体で書かれていた。

 私はそっせんして、ドアノブに手をかけた。

 

 カチャリ

 

 ……開いてるッ! どんぴしゃだッ!

 私は廊下の左右に人がいないことを確かめてから、ドアの隙間に滑り込んだ。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え? 真っ暗?

 私は電灯のスイッチを探した。手を伸ばした瞬間、火村さんが、

「だれかいるわ。人の匂いがする」

 と口走った。私は八千代先輩だと思って、スイッチを入れた。

 パッと室内が明るくなった。

「……え?」

 私は自分の目を疑った。もの静かそうな、ヒンヤリとした気配の少年が立っていた。

 その顔に、私ははっきりと見覚えがあった――帝大の個人戦優勝者だ。

「ひ、氷室ひむろくん?」

「こんばんは、裏見うらみ香子きょうこさん」

 氷室くんはまず私に挨拶して、それからすこし視線を落とした。

「カミーユ・火村さんもこんばんは」

「あんた、ここでなにしてるの?」

 火村さんは挨拶を返すことなく、いきなり啖呵を切った。

「数学セミナーに参加したので、ついでに施設の見学を」

「数学セミナー?」

「ひとつ下の階で、定期的にやってるんだ……裏見さんたちは?」

 ぐッ、質問し返されると、かなりキツい。

 私は、言葉に詰まった。一方、火村さんは強気に出た。

「あんたには関係ないでしょ。傍目って女は来なかった?」

 こら、八千代先輩の名前を勝手に出すなと言うに。

 かなり突っ込まれるかと思いきや、氷室くんはあいかわらず冷静に、

「見かけなかったよ」

 とだけ答えた。

「幹事がいないのに、どうやって開けたの? ピッキング?」

「鍵は最初から開いていた」

「ウソよ。最近の大学は、施錠にうるさいんだから」

「ウソじゃないさ」

 氷室くんは、そばにあったスチール棚に右手をそえ、そのまま寄りかかった。

「数学セミナーも、ここを使わせてもらってるんだ。資料置き場にね。セミナーのある日は、警備員さんが深夜に巡回するまで、ずっと開いている。僕はちょっと気になった学会誌があって、それを見に来ただけ」

 氷室くんはスチール棚をひらいて、冊子をひとつ取り出した。

「で、裏見さんと火村さんは、なにをしにここへ?」

 もう完璧にヤバい。氷室くんに出くわすなんて、微塵も考えていなかった。

「だから、あんたには関係ないでしょ。その雑誌は読み終わったの? だったら……」

「ひとつ当ててみせようか」

 氷室くんは雑誌を丸めて、ポンとひざを打った。

 上目遣いに天井をみあげる。

「そうだな……オーダー表の確認をしに来た、とか?」

「「!?」」

 私と火村さんは絶句した。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………氷室くんが犯人?

「どうしました? まさか、当たってる?」

 挑発的な台詞に反応したのは、火村さんだった。

「あんたが犯人ねッ! とぼけてんじゃないわよッ!」

 私は慌てて、火村さんの口もとを押さえた。廊下のほうを見やる。

 一方、氷室くんは、さきほどの雑誌を額にあてて笑った。

「ハハハ……そう怒らないで。僕はマジメに考えたんだよ」

「マジメにぃ? あんたがオーダー書き換えの犯人なんでしょ?」

 火村さんは、手近なテーブルをバシバシと叩いた。

 だから人が来ちゃうってば。私は両腕で火村さんを羽交い締めにした。

「ハハハ、じつはね、帝大もオーダーを書き換えられてたんだ」

 火村さんは、私の腕のなかで暴れるのをやめた。

「て、帝大が? ……ウソおっしゃいッ!」

「ほんとだよ。だから、ちょっとカマを掛けてみたんだ」

 帝大が脅迫されてるから、都ノと聖ソフィアもそうだと思ったってこと?

 都合が良過ぎない?

 とはいえ、氷室くんが犯人だという仮定のほうが、よっぽどムリがあった。ここで待ち伏せていた必要性がよく分からないし、私たちとのやりとりも意味不明になってしまう。

「も、もしかして、氷室くんもオーダー表を探しにここへ?」

 私の質問に、氷室くんはYESだと答えた。

 えぇ……? 同じ時間帯に? 偶然?

「ふぅん、だったら、あたしたちにオーダー表の在り処を教えなさいよ。それとも、まだ見つけてないの?」

「もちろん、見つけたよ。狭い部屋だからね」

 氷室くんは2歩ほど奥にズレて、スチール製のテーブルを雑誌で小突いた。

「これが将棋連合のテーブル」

「なんだ、初めからそう言えばいいのに。手間が省けたわ」

「と言いたいところなんだけど……ダイヤル式の鍵がかかってるんだ」

 私は、何ケタかと尋ねた。4ケタだと、氷室くんは答えた。

「0000から順番に回せば、そのうち開くんじゃない?」

「その必要はないさ。番号は僕が知ってる」

 あのさぁ……この子、さっきから支離滅裂過ぎる。

 コミュニケーションに難ありなんじゃないの。

 火村さんもだんだんイライラしてきたらしく、

「御託はいいから、さっさと開けてちょうだい。オーダー表を差し替えるわよ」

 と強めに言った。

 ところが、氷室くんは困ったような顔をして、先を続けた。

「だけど、ここで僕の良心が悩むんだ。オーダー表の差し替えなんて、ほんとにしていいのだろうか、ってね。書き換えられたのは、各大学の怠慢。その怠慢がまねいた事態を、連合に押しつけてもいいのだろうか? 犯罪では?」

「犯罪がイヤなら、大学のコンセントで充電するのもやめなさい。電気窃盗よ」

「この逡巡を打ち消してくれる方法は、ひとつしかない」

「目の前のあんたをダイヤルごと打ち消したいわ」

「ずばり……不可抗力」

 ふかこうりょく? 私は頭に、はてなマークを浮かべた。

 日本語の意味は分かるけど、具体的になにを言いたいのかがさっぱり。

「僕は、おふたりにしぶしぶ番号を教えた……という未来が欲しい」

「だったら拷問してあげるわ。覚悟しなさい」

 火村さんは、そばにあった靴べらで手のひらを叩いた。危ないプレイは禁止。

 私は、靴べらを取りあげようとした。そして、冷たい視線を感じた。

 ふりむくと、氷室くんは右手で顔を覆って、指の隙間からこちらを覗いていた。

 さっきまでのふざけた調子は消え去り、あの極寒ごっかんの眼差しにもどっていた。

「将棋で負けたら、さすがに教えざるをえないよね……7六歩」

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