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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第10章 2016年度春季団体戦1日目(2016年5月8日日曜)
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53手目 不気味な電話

 須賀すがくんは、穴熊にされるのがイヤだったのか、頭を掻きむしった。

「小学生あいてに容赦ないなぁ。9八香ッ!」

 そういう台詞は、穴熊に棒銀で立ち向かってから言いなさい。

 9一玉、9九玉、8二銀、8八銀、6四歩、5九金右。

 私は飛車に指を添える。

「え? 移動させるの?」

「そう、6二飛よ」


挿絵(By みてみん)


 年下相手に重要なこと。それは臆さないこと。

 小学生は勢いがいいから、こっちの手が伸びなくなると負ける。

 7九金、7一金、6九金右、5一金、7八金右、6一金左。

「9六歩ッ」

 端は受けておく。9四歩。

香子きょうこ姉ちゃんのほうが絶対薄いッ! 3六歩ッ!」

 なるほど、攻勢に出るわけか。

 次に6八銀と引かれると、私のほうが明確に薄い。

 とはいえ、ここで6五歩はインパクトが弱いわね。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 私は4五歩で角道をあけた。

「へへッ、序盤で秒読みとは、調子が悪いなぁ」

「30秒あるから30秒使っていいのよ」

 持ち時間使用の自由。

「そんなこと言って、けっこう迷ってんじゃん?」

 須賀くんは、6八銀と固めた。

 角道を開けたから、ここで6五歩もありえるけど……攻めさせますか。

 こっちから6五歩は、角交換後の4四角が両当たりになって困る。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「7四歩」

「攻めるぜッ! 2四歩ッ!」

 同歩、3五歩、同歩。

「6五歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 ふわッ!? 先手から開けてきたッ!?

 角交換後の4四角狙いなら、一理あるけど――

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 私は6五同歩と取った。

「3三角成ッ!」

「同桂」

「2四飛ッ! 飛車先突破ッ!」

 ん、そっちが先なのか。これはこの手が利きそう。

 私はきちんと29秒まで読んで、6六歩と伸ばした。


挿絵(By みてみん)


「歩突き?」

 見た目より、かなり痛いと思う。

 狙いは2一飛成に6七角だ。同銀、同歩成、同金、同飛成なら大成功。

 須賀くんの反応や、いかに。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「よ、4四角ッ!」

 ほらほら、時間の使い方に慣れてないわよ。

 私は6七角と突っ込む。

 須賀くんは、また考え込んだ。

「マズいな……取れないぞ、これ……」

 止める手は、いくつかありそう。じつはちょっと心配している。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 パシリ


挿絵(By みてみん)


 むッ……心配している手のひとつがきた。

 同飛は5三角成で、7八角成、6四馬、7九馬、同銀左とされると、ちょっと足りていないような気がする。7九馬、同銀右、6七歩成でも、どうかって感じ。

「7八角成」

 先に取る。

「同金、と」

 須賀くんはすぐに馬を取って、チェスクロを押した。

 私は飛車を一回、パシリと空打ちする。

「空打ちはマナー違反だよ」

 んなこたーない。やり過ぎなければOK。

 大学将棋でも、1、2回はパシパシやっているひとがいる。

「空打ちは大丈夫。6四飛」

「他人に厳しくて自分に甘いなぁ……5三角成」

 私は滑り込ませるように6七金と打った。


挿絵(By みてみん)


 須賀くんは一瞬ポカンとして、それから頭をかかえた。

「しまったッ! そんな手があんのかッ!」

 さっきの後手がマズいパターンとちがって、6四馬、7八金、5四馬、6八金のとき、先手は受けがない。6七歩成が残っているから、最低でも3枚の攻めだ。重厚。

 須賀くんはテーブルにひじをつき、ひたいに手を当てた。

 きょろきょろと盤面を見渡す。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同銀ッ!」

 ん? 取った? 取ったら加速しない?

 私は29秒まで確認して、同歩成とした。

 須賀くんは、補強せずに7九金と引いた。


挿絵(By みてみん)


 えぇ……これはないでしょ、さすがに。

 意表を突かれて、私は若干反応が遅れた。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「6二飛」

 一番冷静に行く。

「うわッ、カラい……6四歩」

 私は7八銀と絡んで、5四馬にもおかまいなく6八歩と垂らした。

 6三歩成、同飛、同馬、7九銀成、同銀。

「6九歩成」

「8八銀」

 私は持ち駒の金をつまんで、キュッとビニール盤のうえを滑らす。


挿絵(By みてみん)


 こっちが最善。

 同銀なら同とだし、放置なら7八とと入れる。7八金は、7八とができない。

 須賀くん、真剣な顔つき。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「5五角」

 攻防においてきた。8八に利かせたかっこうだ。

 慎重に寄せる必要があるわね。

 まずは7八とと入って、7九銀に同と寄。

 以下、8八金、6六歩、同角、6七銀、3三角成と進んだ。

「6八歩」


挿絵(By みてみん)


 焦らずに、と金を追加していく。

「さすがに8八とじゃないの?」

 いやいやいや、それは同馬、7八と、同馬(!)、同銀成、8八金で切れ筋だ。

 2枚の攻めは切れる。最低でも3枚。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 須賀くんは、駒が崩れる勢いで6四飛と寄った。

 私は自陣のまわりをなおしつつ、6九歩成とする。

「まだ取ってくれないのか……参った……」

「投了?」

「投了はちゃんと投了って言うよ……6七飛」

 6八と引、6四飛に、私は一回7二金上と固めた。

「これは切……らないよ。4五馬」

 8九と(馬筋を避ける)、同金、同と、同玉、7八金、9九玉。

「ギリギリ足りてるわッ! 7七桂ッ!」


挿絵(By みてみん)


 パシーン


 ひときわ高い駒音。須賀くんは、目を見張った。

「え? 同馬は? 同馬で?」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同馬ッ!」

 私は無音で金を引き、馬を回収した。

 須賀くんは、ようやく青ざめた。

「……あれ? 受けがないっぽい?」

 さあ、どうでしょう。私なりに工夫したつもりだったけど。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 須賀くんは、黙って8八金と打った。

 ほぉ、そっちですか。金交換から脱出すれば助かると読んだっぽい。

 でも、そうは問屋が卸さないわよ。

「同金」

 同玉、7八金、9七玉。

 ここで私は8八角を放った。

「あ、そっか……8六玉」

「7七角成」

 須賀くんは、あちゃーと言って8五玉と逃げた。

 私は7三金と上がる。


挿絵(By みてみん)


「こ、こんなところで7二金が利いてくるなんて……負けました」

 須賀くん投了。

 彼は納得がいかない表情で、しばらく腕組みをした。

「……最後、8九金だと勝ってた?」

「それは6七角って打つ予定」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「放置はもちろん詰みだし、8八金とひねっても7八とで私の勝ち」

 8八金のところで同金、同玉、7八角成、9七玉は、若干めんどくさい。

 ななめうしろに利く駒がないのだ。桂馬も持っていない。

「8九金、6七角、同飛は?」

「それは同とのあと、飛車をおろしてじわじわやっていくつもり」

「じわじわ……7九桂は6九飛、8八銀も6九飛、7七銀、8九飛成、同玉、7八金、9九玉、7七とで受けなしか。ギブアップ」

 まあ、すぐに寄るわけじゃないんだけどね。

 例えば、8九金、6七角以下、同飛、同と、8八銀、6九飛、7九桂と重ねて守っていくのもありだと思う。その場合は、焦らずに6六歩と置いて、先手が動くのを待つ。動かないなら、飛車を成るか、と金を作るかすればいい。

「香子姉ちゃんは、なにか気になった順ないの? そっちが負けそうな順」

「気になったのは、7七桂に8八金かしら」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「同金、同玉、7八金、9七玉のあと、銀がないのよね」

「あ、じゃあこれは俺の勝ちかな?」

「その代わり、7三金があるんだけどね。7三金、2四飛、9五歩、同歩、8四金と出れば、後手の攻めが切れないわ。こっちは全然詰まないから、やっぱり私の勝ち」

 一回7二金と上がったのは、後手の深謀遠慮なのだ。

 須賀くんは後頭部に手をまわして、うしろに椅子をかたむけた。

「チェッ、俺の勝ち筋はないのか。またやられたな」

 小学生には、まだまだ負けませんよ、と。

「じゃ、もう一局」

 須賀くんは、駒を並べなおそうとした。横からべつの子のチャチャが入る。

「おーい、さっきじゃんけんしただろ。かわれよ」

「今度は10秒だから早く終わるって」

「10秒はダメだって言ってるでしょ」

 私たちがわいわいやっていると、宗像むなかたさんがこちらに歩いてきた。

 なんだか表情が固いので、他のお客さんに注意されたかと思い、静まり返る。

 すると、宗像さんは私のほうに顔を近づけて、

裏見うらみさんにお電話です」

 とささやいた。

「電話? だれからですか?」

「センダさんと名乗られています」

 あ、千駄せんだ先輩か。地元の駒桜こまざくら市で、とりまとめ役をしていたひとだ。

 上京後の挨拶もしていなかったし、向こうから連絡をくれたのね。

 私は「知り合いです」と答えて、席を立った。

 ところが、宗像さんの表情は晴れなかった。

「ただ、ちょっと様子がおかしいような……」

「様子がおかしい?」

「はい、用件をおっしゃらないだけでなく、声がなんだか変な気がします」

 私は、千駄先輩がなにかトラブルに巻き込まれたのではないかと、心配になった。

 と同時に、あの先輩の性格からして、ありえないとも思った。生真面目なのだ。

「出てみます」

 私は、道場の奥、給湯室にそなえつけられた電話をとった。

「もしもし、裏見です」

「ウラミキョウコサンデスカ?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え?

 なんだか、しゃがれたような声が聞こえた。

「もしもし? 千駄先輩ですか?」

「ハジメマシテ。スコシダケオハナシガアリマス」

 私は、本能的に恐怖を感じて、電話を切ろうとした。

「ダンタイセンノハナシナノデスガ」

 団体戦――私は無意識に反応してしまった。

「団体戦が、どうかしたんですか?」

「アナタノチームハ、オーダーヒョウガ、カキカエラレテイマス」

「オーダー表が……書き換えられてる? どういう意味ですか?」

「アトハ、ハタメサンニキイテクダサイ……サヨウナラ」

「あの、ちょっと? もしもし?」

 そこで、電話は切れた。私の声に気付いたのか、宗像さんも姿をあらわした。

「裏見さん、どうでしたか? 変なひとじゃありませんでしたか?」

「あ、いえ……将棋関係者だと思います」

 私の返事に、宗像さんはホッとしたような顔をした。

「やはり、そうだったんですね。大学将棋に詳しい方でしたので、おそらくそうではないかと思ったのですが……声がおかしかったのは、風邪でもお引きだったんでしょう」

 宗像さんは、沸いたお湯を持って、給湯室を出て行った。

 私はしばらくのあいだ、ぼんやりと電話のツーツーという音を聞いていた。

場所:将棋サロン 駒の音

先手:須賀 剛

後手:裏見 香子

戦型:相穴熊


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲5六歩 △4二飛

▲4八銀 △6二玉 ▲6八玉 △7二玉 ▲7八玉 △3二銀

▲7七角 △4三銀 ▲2五歩 △3三角 ▲5七銀 △8二玉

▲8八玉 △5四銀 ▲6六歩 △9二香 ▲9八香 △9一玉

▲9九玉 △8二銀 ▲8八銀 △6四歩 ▲5九金右 △6二飛

▲7九金 △7一金 ▲6九金右 △5一金 ▲7八金右 △6一金左

▲9六歩 △9四歩 ▲3六歩 △4五歩 ▲6八銀 △7四歩

▲2四歩 △同 歩 ▲3五歩 △同 歩 ▲6五歩 △同 歩

▲3三角成 △同 桂 ▲2四飛 △6六歩 ▲4四角 △6七角

▲6四歩 △7八角成 ▲同 金 △6四飛 ▲5三角成 △6七金

▲同 銀 △同歩成 ▲7九金 △6二飛 ▲6四歩 △7八銀

▲5四馬 △6八歩 ▲6三歩成 △同 飛 ▲同 馬 △7九銀成

▲同 銀 △6九歩成 ▲8八銀 △7九金 ▲5五角 △7八と

▲7九銀 △同と寄 ▲8八金 △6六歩 ▲同 角 △6七銀

▲3三角成 △6八歩 ▲6四飛 △6九歩成 ▲6七飛 △6八と引

▲6四飛 △7二金左 ▲4五馬 △8九と寄 ▲同 金 △同 と

▲同 玉 △7八金 ▲9九玉 △7七桂 ▲同 馬 △同 金

▲8八金 △同 金 ▲同 玉 △7八金 ▲9七玉 △8八角

▲8六玉 △7七角成 ▲8五玉 △7三金


まで112手で裏見の勝ち

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